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三部
037_すねギロチン
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赤龍ゲヘナは苛立っていた。
これだけの苛立ちを覚えたのは、同じ古代龍との小競り合いがあった、神代の時代以来ではなかろうか。
(物陰に隠れては煩わしい矢を飛ばして――)
居心地のよい火山を見つけて幾年経ったであろうか。
もはや身体を動かすことすら億劫になりつつあるゲヘナであるが、人間の世代にして四か五か。時折、猛烈な飢餓と破壊の衝動に駆られることがある。
まだまだ眠り続けていたい頃合いであるのだが、先程から瞼を狙って鏃が当たり続けている。痛みこそわずかではあるが、眠りを妨げられることこの上ない。
そろそろ面倒臭さと煩わしさを秤にかけて、この無礼な衝撃のもとを焼き尽くしてくれようか。そう思ったとき、ひときわ鋭い痛みを瞼に感じた。
「グルォォォォォォォォォ!!」
巨大な爬虫類の身体を伸ばし、流れ出たばかりの血液のように赤い翼を羽ばたかせた。
(こんな糞ほどの小さな……忌々しい。リトルフィート如きが)
十数メートルの巨躯でありながら、咆哮ののちは打ち上げられたかのように火口を飛び出し、ゲヘナは火山の上空に飛び上がっていた。
象牙のような牙がずらりと生えた口からは、怒気と炎が漏れ溢れている。
「このゲヘナな眠りを妨げる愚か者。焼き尽くしてくれる」
赤龍ゲヘナは古代龍の中でも特別激しいと伝えられる、炎の吐息を吐き出した。
「ちっとも矢が通った感じがしないよう……」
メテオから送られたマジックアイテム。『万能眼鏡』で高熱にゆらぐ火山の噴火口の中に眠るゲヘナを捉える。瞼を狙った狙撃をしたにもかかわらず、ダメージを与えられた気がしなかった。
それも数度当てている。赤龍がわずかに苛立った気配はするものの、人間が雨に対して抱くほどの衝撃なのではなかろうかと思うほどだ。
ガルーダ持ち前の“なんとかなる”感覚すらも、少々揺らぎかねない衝撃だった。
「リーズンは五分持たせろっていったけど、倒せるものなら倒しちゃいたいよう――でも、おいらの予想よりもほんのすこしちょっぴりだけ硬いかもだよう……」
呟きつつもガルーダは次の矢をつがえて赤龍の瞼に狙いをつけ、弦を弾いた。
「手応えあったよう――!!」
弓から矢が離れた瞬間、熟練の冒険者であり狙撃手でもあるガルーダは最高の手応えを予感した。
だが、その手応えを越えたものが背筋を駆け上った。
感じた瞬間、ガルーダは弓を捨てて全速力で駆け出す。
先程までいた岩陰が炎に包まれる。
ゲヘナ火山にリーズンとガルーダがやってきた理由。
それは赤龍ゲヘナを倒すことではない。
この世界でもっとも炎の精霊が活発な場所であるゲヘナ火山で、銀龍カトラによって精霊界に強制送還されたイーフリートを呼び戻し、再契約することだ。
けれども、赤龍ゲヘナは古代龍の中でもとくに凶暴で知られている。
ウォルスタから旅立ち、ここまで半年をかけてやってきた中。火山に近づくにつれて、赤龍ゲヘナがかつて暴れ回った記録がどの町にも生々しく伝えられていた。
人間、エルフ、ドワーフ、リトルフィート、獣人。およそ文明を持つあらゆる種族が、赤龍の恐ろしさを余すことなく伝えている。人間の中でも特に長寿で運のよいものの中には、実際にゲヘナが荒れ狂って人間を喰らい、町を焼く現場を見たものもいた。森に住むエルフたちはゲヘナに関わろうとしなかった。岩山に住むドワーフ族たちもまた、ゲヘナに太刀打ちしようという者はいなかった。リトルフィートと獣人も同様である。
旅するうちにわかったことといえば、およそ百年の周期でゲヘナが火山から人里にやってくるということ。数百年の間、ゲヘナを止められるものはいなかったということ。その扱いはもはや天災であり、火山の噴火と同じく止めようがないものだというものであった。
もちろん近隣の国が軍隊を派遣したこともある。冒険者たちもこれの討伐に加わったこともある。しかし、ゲヘナの吐く炎の前に為す術もなく焼き焦がされた。
始めはリーズンもゲヘナの住む火山にこっそりと忍び込み、イーフリートと再契約をして姿を消せばいいと考えていた。
だが、ゲヘナについての話をまとめるにつれ、そうもいかないことがわかった。
「最も炎の精霊力が高い噴火口。ここで上位精霊と契約するにせよ、契約の儀式中は完全に無防備。噴火口の手前であればゲヘナも気まぐれで襲ってこないようだが、精霊力の最も強いところはゲヘナの縄張りか……」
ゲヘナ火山から最も近い。それでも数十キロは離れた町で、リーズンとガルーダは手に入れた火山の地質図を酒場で広げ、作戦を練っていたときだ。
「噴火口まで行けるんなら、そこからおいらが龍を弓矢でシャーッとバーッとやっつけるよう?」
「無理だろうな。どうも噂をまとめてみると、その時代の最強と呼ばれる騎士や戦士の一撃で、ようやく鱗を切り飛ばせるか。というモノらしい」
「おいらだって最強の盗賊だよう?」
「よしんば弓が通ったとして、ゲヘナが黙って撃たれ続けるはずがないだろう」
それはリーズンの精霊魔法とて同じことだった。
強力な魔法を一度二度。それで赤龍が倒せるとは思えない。なにしろ銀龍の強さを目の当たりにしたリーズンだ。その暴力の具合は、悪い意味で想像がつく。敵意を向けられたら、どうにもできないだろう。
「銀龍の光の吐息を打ち消した、イーフリートの精霊魔法《爆轟/デトネイション》。あれが精霊界の真なる炎……」
こちらの世界でイーフリートが放った魔法、《爆轟/デトネイション》。
精霊が本来は禁じられているはずの、精霊界の魔法。
イーフリートと再契約でき、メテオから譲り受けた『憑依融合(スピリットヒューズ)』の宝石でイーフリートと融合することができればあの魔法が使えるかもしれない。
「前衛のハムもいない。傷を回復してくれるアーティアもいない。万能のマリアもいない。そして、メテオもいない……この状況でどうしたものか」
リーズンが望んで別れた仲間たち。
赤龍という強大な相手を向こうに回して、どうすればいいのか想像もつかない。
であるのに口元が緩んでくる。
古代龍の中でも最も炎に近いとされる赤龍と戦うことができる。
炎使いとしてはまたとない機会である。
「大丈夫だよう。おいらがついているよう」
「ガルーダ。お前はどこからそんな気楽な言葉が出るんだ」
「今まで消し炭にされたのは軍隊みたいに大勢だったからだよう。おいらたちふたりなら、邪魔されずに動けるから平気平気~」
変わりないガルーダの言葉がリーズンをハッとさせた。
手元のエールをぐびぐびと飲み下し、おかわりを注文するガルーダから目を伏せ、エルフの脳内はかつてないほど回転していた。
(できるか――いや、やれる)
「リーズンももう一杯いっとくよう?」
「――ガルーダ。お前は銀龍の戦いを見たことがあるだろう。あの光の吐息が仮に、炎だったら身をかわし続けることができるか?」
その問いにガルーダは眉を寄せつつ口に肉や芋を詰め込み、新しいエールとともに咀嚼を続けて飲み下し、しばらく考えて断言した。
「攻撃しないでかわすことだけ考えていれば、できるよう。光じゃなくて炎なら」
「そうか」
わずかに残っていたエールを飲み干し、リーズンはリトルフィートの瞳を見つめる。
「十。いや、五分。赤龍ゲヘナを任せられるか?」
「チョロいよう」
「そうか――すまない、俺にエールを一杯追加を頼む」
近くを通りがかった女給は、リーズンに向かって威勢よく注文を請け負った。
「煩わしい――ええい。煩わしい!!」
赤龍ゲヘナは火山の上空からあたりかまわず炎の吐息を撒き散らしていた。
先程まで執拗に続いていた射手の攻撃がすっかり鳴りを潜め、起伏ある岩の隆起の影の合間に消えていってしまったからだ。
ゲヘナの吐息は多彩だった。
津波のような帯状の炎。人間の全身ほどもある炸裂する火球。槍のような竿状の炎は、着弾すると岩肌にへばりついてなかなか消えなかった。
ガルーダはそのすべてを紙一重で掻い潜り、爆炎を利用して移動すると、上空にいるゲヘナの後方へと回り込んでいた。
「こんなのまともに相手してたら一発であの世行きだよう!!」
さすがのガルーダも赤龍の吐息に対して表情に余裕がなかった。
初撃は運良くかわしたものの、自分の攻撃に対して炎を重ねられたら回避する自信はない。そして、運が悪ければ。いや、運がよければ一撃で死なないほどの威力を落とせば感じた。
「……あともうちょっと逃げ回らせてくれれば、リーズンがなんとかしてくれるよう」
こんなにも圧倒的な暴力を前にではあるが、仲間への信頼は揺るがなかった。
前線を維持して保たせるのはハムの防御とアーティアの回復。たまにマリアの遊撃。そしてガルーダの奇襲と回避力である。
圧倒的に不利な戦況を最後に覆すのは、魔術師であるメテオの魔法語の魔法。リーズンの精霊魔法だ。
そのリーズンが五分保たせろといったのだから、自分はなんとしてでもその時間を稼がなくてはならない。そう、考えていた。
「そうそう。そのまま適当なところにブレスを撃っているんだよう……あっ、ダメだよう!? なに降りてきてるんだよう!!」
ひとしきり吐息でガルーダを炙り出そうとしていたゲヘナであるが、憎々しげな咆哮をひとつあげると空中からゆっくりと山頂に舞い降りてきた。
悪いことに、ガルーダから十メートルほどしか離れていない至近距離に。
「出てこないのであればそのまま隠れているがいい!!」
龍の喉から出たのは炎ではなかった。下位魔法語――古い時代から使われる言語である。古代の遺跡でもこの言葉が使われることが多く、冒険者や知識人の間でも利用者は多い。
もちろんガルーダもその言葉は知っていた。
古代龍がどのような能力を持っているのか、その詳しいことを知るものはいない。
ガルーダは『万能眼鏡』を掛け直してゲヘナのどんな変化も見落とすまいとゴーグルに集中した。
ガルーダがゲヘナに痛みを与える狙撃を可能にしたのも、このゴーグルの視力拡大の力が大きい。
だが、今見ているのはゲヘナそのものではない。ゴーグルに映し出された温度分布だ。
ゲヘナは吐息の直前に腹から喉にかけて極高温になる。その変化に気づいたガルーダは、いち早い回避をすることができたのだ。
「隠れたまま消し炭となるがいい――《大焼処/オーバーヒート》」
ガルーダがゲヘナを狙撃。ヒットアンドアウエイで時間をかせぐ。そのスキにリーズンは火口の側面に土の精霊魔法で作った洞窟で噴火口へとひとり近づく。
最も炎の精霊力が濃い場所で精霊との交信の儀式を行い、イーフリートをこの世界へと呼び戻す。
その後はメテオから貰い受けた『憑依融合』でイーフリートと融合して、赤龍をなんとか退ける。ごく短時間であれば、イーフリートとリーズンを合わせた力で倒せるところまではいかずとも、逃げることくらいはできるはずだと踏んでいた。
これがガルーダとリーズンの戦略だった。
途中から、ガルーダはこのまま時間を稼ぐくらいであればなんとかなる。
その思いが甘かったことを思い知らされた。
龍の使う、これまで見たこともない魔法だ。何事が起こるのかと身構えたガルーダだが、しばらくするとガルーダの靴底から煙が立ち上ってくる。
龍の魔法、《大焼処/オーバーヒート》。
ゲヘナの周囲のものはみるみる温度が上がり、周囲は赤熱して溶岩と化していく。
赤龍は動かない。
ガルーダの弓で致命傷を負うことはないだろうという余裕からか、それとも魔法の制限か。頂上に居座り薄目で周囲を見下している。
「このままじゃ近づけなくなるよう。リーズンも蒸し焼きになるよう!!」
一刻の猶予もないことを悟るが早いか、バックパックから魔法の絨毯を出し、空中に投げるとそれにつかまる。
なんとしてもリーズンに時間を与えなくてはならない。でなくてはガルーダもどのみち生きる術はない。決死の接近戦勝負だ。
「ようやく近寄ってきたか! 煩わしい屑虫め!!」
そこに待ち構えていたとばかりに、ゲヘナは放射状に広がる超高熱のブレス。
空へと舞い上がろうとする魔法の絨毯は一瞬にして消し炭となった。
「フン――他愛もない」
しかしガルーダは絨毯に乗ったと見せかけ、足を焦がしながらゲヘナに接近していた。
派手に燃え盛ったのは絨毯と、無限の背嚢の中のものであった。
「あの絨毯。よくみんなでぎゅうぎゅうになって移動したよう…… メテオがよくこぼれ落ちたりしたこともあったし、『北極星』のエステルとメルとおいらとこの絨毯で“彗星剣”も生み出したよう……」
思い出の詰まった絨毯と荷持が一瞬で消えたのを少し残念に思いつつ、ガルーダはゲヘナの足元へ、影のごとく忍び寄る。
すでに弓は捨て、腰に下げた二刀の大振りな短剣。
短剣とはいえリトルフィートのガルーダが持つと、人間でいえばちょっとした小剣ほどもある。
そのうちの一本を抜いて、両手でそれをしっかりと握る。
常の二刀流ではなく、一撃でより大きなダメージを与え、古代龍の堅固な鱗を断ち割る威力を求めての一剣。
「おいら、しっかり仕事したよう!!」
自らの巨体が作る死角で、ゲヘナが鋭い痛みに吠えた。
龍の太く強靭な右脛に、ぱっくりと傷が開いた。
今までとは別格の鋭い痛みに、龍は咆哮をあげる。
「あちちちちち!!」
短剣を振り抜いたガルーダは靴から煙をあげ、脱兎のようにぴょんぴょんと姿をくらました。
その短剣の名はガルーダがもつふた振りの名剣。
『猫の爪』と呼ばれるミスリル製の剣でるが、本人は勝手に名前をつけている。
一本を『やっつけ丸』。
そしてもう一本を『すねギロチン』と――
「小癪な糞虫め!! えい面倒だ。近くの町に至るまで諸共に焼き尽くしてくれる!!」
怒気とともにすべてを焼き尽くそうとゲヘナが火山から飛び立ったとき。
飛翔間際の無防備な腹にいくつもの火山弾がめり込んだ。
これだけの苛立ちを覚えたのは、同じ古代龍との小競り合いがあった、神代の時代以来ではなかろうか。
(物陰に隠れては煩わしい矢を飛ばして――)
居心地のよい火山を見つけて幾年経ったであろうか。
もはや身体を動かすことすら億劫になりつつあるゲヘナであるが、人間の世代にして四か五か。時折、猛烈な飢餓と破壊の衝動に駆られることがある。
まだまだ眠り続けていたい頃合いであるのだが、先程から瞼を狙って鏃が当たり続けている。痛みこそわずかではあるが、眠りを妨げられることこの上ない。
そろそろ面倒臭さと煩わしさを秤にかけて、この無礼な衝撃のもとを焼き尽くしてくれようか。そう思ったとき、ひときわ鋭い痛みを瞼に感じた。
「グルォォォォォォォォォ!!」
巨大な爬虫類の身体を伸ばし、流れ出たばかりの血液のように赤い翼を羽ばたかせた。
(こんな糞ほどの小さな……忌々しい。リトルフィート如きが)
十数メートルの巨躯でありながら、咆哮ののちは打ち上げられたかのように火口を飛び出し、ゲヘナは火山の上空に飛び上がっていた。
象牙のような牙がずらりと生えた口からは、怒気と炎が漏れ溢れている。
「このゲヘナな眠りを妨げる愚か者。焼き尽くしてくれる」
赤龍ゲヘナは古代龍の中でも特別激しいと伝えられる、炎の吐息を吐き出した。
「ちっとも矢が通った感じがしないよう……」
メテオから送られたマジックアイテム。『万能眼鏡』で高熱にゆらぐ火山の噴火口の中に眠るゲヘナを捉える。瞼を狙った狙撃をしたにもかかわらず、ダメージを与えられた気がしなかった。
それも数度当てている。赤龍がわずかに苛立った気配はするものの、人間が雨に対して抱くほどの衝撃なのではなかろうかと思うほどだ。
ガルーダ持ち前の“なんとかなる”感覚すらも、少々揺らぎかねない衝撃だった。
「リーズンは五分持たせろっていったけど、倒せるものなら倒しちゃいたいよう――でも、おいらの予想よりもほんのすこしちょっぴりだけ硬いかもだよう……」
呟きつつもガルーダは次の矢をつがえて赤龍の瞼に狙いをつけ、弦を弾いた。
「手応えあったよう――!!」
弓から矢が離れた瞬間、熟練の冒険者であり狙撃手でもあるガルーダは最高の手応えを予感した。
だが、その手応えを越えたものが背筋を駆け上った。
感じた瞬間、ガルーダは弓を捨てて全速力で駆け出す。
先程までいた岩陰が炎に包まれる。
ゲヘナ火山にリーズンとガルーダがやってきた理由。
それは赤龍ゲヘナを倒すことではない。
この世界でもっとも炎の精霊が活発な場所であるゲヘナ火山で、銀龍カトラによって精霊界に強制送還されたイーフリートを呼び戻し、再契約することだ。
けれども、赤龍ゲヘナは古代龍の中でもとくに凶暴で知られている。
ウォルスタから旅立ち、ここまで半年をかけてやってきた中。火山に近づくにつれて、赤龍ゲヘナがかつて暴れ回った記録がどの町にも生々しく伝えられていた。
人間、エルフ、ドワーフ、リトルフィート、獣人。およそ文明を持つあらゆる種族が、赤龍の恐ろしさを余すことなく伝えている。人間の中でも特に長寿で運のよいものの中には、実際にゲヘナが荒れ狂って人間を喰らい、町を焼く現場を見たものもいた。森に住むエルフたちはゲヘナに関わろうとしなかった。岩山に住むドワーフ族たちもまた、ゲヘナに太刀打ちしようという者はいなかった。リトルフィートと獣人も同様である。
旅するうちにわかったことといえば、およそ百年の周期でゲヘナが火山から人里にやってくるということ。数百年の間、ゲヘナを止められるものはいなかったということ。その扱いはもはや天災であり、火山の噴火と同じく止めようがないものだというものであった。
もちろん近隣の国が軍隊を派遣したこともある。冒険者たちもこれの討伐に加わったこともある。しかし、ゲヘナの吐く炎の前に為す術もなく焼き焦がされた。
始めはリーズンもゲヘナの住む火山にこっそりと忍び込み、イーフリートと再契約をして姿を消せばいいと考えていた。
だが、ゲヘナについての話をまとめるにつれ、そうもいかないことがわかった。
「最も炎の精霊力が高い噴火口。ここで上位精霊と契約するにせよ、契約の儀式中は完全に無防備。噴火口の手前であればゲヘナも気まぐれで襲ってこないようだが、精霊力の最も強いところはゲヘナの縄張りか……」
ゲヘナ火山から最も近い。それでも数十キロは離れた町で、リーズンとガルーダは手に入れた火山の地質図を酒場で広げ、作戦を練っていたときだ。
「噴火口まで行けるんなら、そこからおいらが龍を弓矢でシャーッとバーッとやっつけるよう?」
「無理だろうな。どうも噂をまとめてみると、その時代の最強と呼ばれる騎士や戦士の一撃で、ようやく鱗を切り飛ばせるか。というモノらしい」
「おいらだって最強の盗賊だよう?」
「よしんば弓が通ったとして、ゲヘナが黙って撃たれ続けるはずがないだろう」
それはリーズンの精霊魔法とて同じことだった。
強力な魔法を一度二度。それで赤龍が倒せるとは思えない。なにしろ銀龍の強さを目の当たりにしたリーズンだ。その暴力の具合は、悪い意味で想像がつく。敵意を向けられたら、どうにもできないだろう。
「銀龍の光の吐息を打ち消した、イーフリートの精霊魔法《爆轟/デトネイション》。あれが精霊界の真なる炎……」
こちらの世界でイーフリートが放った魔法、《爆轟/デトネイション》。
精霊が本来は禁じられているはずの、精霊界の魔法。
イーフリートと再契約でき、メテオから譲り受けた『憑依融合(スピリットヒューズ)』の宝石でイーフリートと融合することができればあの魔法が使えるかもしれない。
「前衛のハムもいない。傷を回復してくれるアーティアもいない。万能のマリアもいない。そして、メテオもいない……この状況でどうしたものか」
リーズンが望んで別れた仲間たち。
赤龍という強大な相手を向こうに回して、どうすればいいのか想像もつかない。
であるのに口元が緩んでくる。
古代龍の中でも最も炎に近いとされる赤龍と戦うことができる。
炎使いとしてはまたとない機会である。
「大丈夫だよう。おいらがついているよう」
「ガルーダ。お前はどこからそんな気楽な言葉が出るんだ」
「今まで消し炭にされたのは軍隊みたいに大勢だったからだよう。おいらたちふたりなら、邪魔されずに動けるから平気平気~」
変わりないガルーダの言葉がリーズンをハッとさせた。
手元のエールをぐびぐびと飲み下し、おかわりを注文するガルーダから目を伏せ、エルフの脳内はかつてないほど回転していた。
(できるか――いや、やれる)
「リーズンももう一杯いっとくよう?」
「――ガルーダ。お前は銀龍の戦いを見たことがあるだろう。あの光の吐息が仮に、炎だったら身をかわし続けることができるか?」
その問いにガルーダは眉を寄せつつ口に肉や芋を詰め込み、新しいエールとともに咀嚼を続けて飲み下し、しばらく考えて断言した。
「攻撃しないでかわすことだけ考えていれば、できるよう。光じゃなくて炎なら」
「そうか」
わずかに残っていたエールを飲み干し、リーズンはリトルフィートの瞳を見つめる。
「十。いや、五分。赤龍ゲヘナを任せられるか?」
「チョロいよう」
「そうか――すまない、俺にエールを一杯追加を頼む」
近くを通りがかった女給は、リーズンに向かって威勢よく注文を請け負った。
「煩わしい――ええい。煩わしい!!」
赤龍ゲヘナは火山の上空からあたりかまわず炎の吐息を撒き散らしていた。
先程まで執拗に続いていた射手の攻撃がすっかり鳴りを潜め、起伏ある岩の隆起の影の合間に消えていってしまったからだ。
ゲヘナの吐息は多彩だった。
津波のような帯状の炎。人間の全身ほどもある炸裂する火球。槍のような竿状の炎は、着弾すると岩肌にへばりついてなかなか消えなかった。
ガルーダはそのすべてを紙一重で掻い潜り、爆炎を利用して移動すると、上空にいるゲヘナの後方へと回り込んでいた。
「こんなのまともに相手してたら一発であの世行きだよう!!」
さすがのガルーダも赤龍の吐息に対して表情に余裕がなかった。
初撃は運良くかわしたものの、自分の攻撃に対して炎を重ねられたら回避する自信はない。そして、運が悪ければ。いや、運がよければ一撃で死なないほどの威力を落とせば感じた。
「……あともうちょっと逃げ回らせてくれれば、リーズンがなんとかしてくれるよう」
こんなにも圧倒的な暴力を前にではあるが、仲間への信頼は揺るがなかった。
前線を維持して保たせるのはハムの防御とアーティアの回復。たまにマリアの遊撃。そしてガルーダの奇襲と回避力である。
圧倒的に不利な戦況を最後に覆すのは、魔術師であるメテオの魔法語の魔法。リーズンの精霊魔法だ。
そのリーズンが五分保たせろといったのだから、自分はなんとしてでもその時間を稼がなくてはならない。そう、考えていた。
「そうそう。そのまま適当なところにブレスを撃っているんだよう……あっ、ダメだよう!? なに降りてきてるんだよう!!」
ひとしきり吐息でガルーダを炙り出そうとしていたゲヘナであるが、憎々しげな咆哮をひとつあげると空中からゆっくりと山頂に舞い降りてきた。
悪いことに、ガルーダから十メートルほどしか離れていない至近距離に。
「出てこないのであればそのまま隠れているがいい!!」
龍の喉から出たのは炎ではなかった。下位魔法語――古い時代から使われる言語である。古代の遺跡でもこの言葉が使われることが多く、冒険者や知識人の間でも利用者は多い。
もちろんガルーダもその言葉は知っていた。
古代龍がどのような能力を持っているのか、その詳しいことを知るものはいない。
ガルーダは『万能眼鏡』を掛け直してゲヘナのどんな変化も見落とすまいとゴーグルに集中した。
ガルーダがゲヘナに痛みを与える狙撃を可能にしたのも、このゴーグルの視力拡大の力が大きい。
だが、今見ているのはゲヘナそのものではない。ゴーグルに映し出された温度分布だ。
ゲヘナは吐息の直前に腹から喉にかけて極高温になる。その変化に気づいたガルーダは、いち早い回避をすることができたのだ。
「隠れたまま消し炭となるがいい――《大焼処/オーバーヒート》」
ガルーダがゲヘナを狙撃。ヒットアンドアウエイで時間をかせぐ。そのスキにリーズンは火口の側面に土の精霊魔法で作った洞窟で噴火口へとひとり近づく。
最も炎の精霊力が濃い場所で精霊との交信の儀式を行い、イーフリートをこの世界へと呼び戻す。
その後はメテオから貰い受けた『憑依融合』でイーフリートと融合して、赤龍をなんとか退ける。ごく短時間であれば、イーフリートとリーズンを合わせた力で倒せるところまではいかずとも、逃げることくらいはできるはずだと踏んでいた。
これがガルーダとリーズンの戦略だった。
途中から、ガルーダはこのまま時間を稼ぐくらいであればなんとかなる。
その思いが甘かったことを思い知らされた。
龍の使う、これまで見たこともない魔法だ。何事が起こるのかと身構えたガルーダだが、しばらくするとガルーダの靴底から煙が立ち上ってくる。
龍の魔法、《大焼処/オーバーヒート》。
ゲヘナの周囲のものはみるみる温度が上がり、周囲は赤熱して溶岩と化していく。
赤龍は動かない。
ガルーダの弓で致命傷を負うことはないだろうという余裕からか、それとも魔法の制限か。頂上に居座り薄目で周囲を見下している。
「このままじゃ近づけなくなるよう。リーズンも蒸し焼きになるよう!!」
一刻の猶予もないことを悟るが早いか、バックパックから魔法の絨毯を出し、空中に投げるとそれにつかまる。
なんとしてもリーズンに時間を与えなくてはならない。でなくてはガルーダもどのみち生きる術はない。決死の接近戦勝負だ。
「ようやく近寄ってきたか! 煩わしい屑虫め!!」
そこに待ち構えていたとばかりに、ゲヘナは放射状に広がる超高熱のブレス。
空へと舞い上がろうとする魔法の絨毯は一瞬にして消し炭となった。
「フン――他愛もない」
しかしガルーダは絨毯に乗ったと見せかけ、足を焦がしながらゲヘナに接近していた。
派手に燃え盛ったのは絨毯と、無限の背嚢の中のものであった。
「あの絨毯。よくみんなでぎゅうぎゅうになって移動したよう…… メテオがよくこぼれ落ちたりしたこともあったし、『北極星』のエステルとメルとおいらとこの絨毯で“彗星剣”も生み出したよう……」
思い出の詰まった絨毯と荷持が一瞬で消えたのを少し残念に思いつつ、ガルーダはゲヘナの足元へ、影のごとく忍び寄る。
すでに弓は捨て、腰に下げた二刀の大振りな短剣。
短剣とはいえリトルフィートのガルーダが持つと、人間でいえばちょっとした小剣ほどもある。
そのうちの一本を抜いて、両手でそれをしっかりと握る。
常の二刀流ではなく、一撃でより大きなダメージを与え、古代龍の堅固な鱗を断ち割る威力を求めての一剣。
「おいら、しっかり仕事したよう!!」
自らの巨体が作る死角で、ゲヘナが鋭い痛みに吠えた。
龍の太く強靭な右脛に、ぱっくりと傷が開いた。
今までとは別格の鋭い痛みに、龍は咆哮をあげる。
「あちちちちち!!」
短剣を振り抜いたガルーダは靴から煙をあげ、脱兎のようにぴょんぴょんと姿をくらました。
その短剣の名はガルーダがもつふた振りの名剣。
『猫の爪』と呼ばれるミスリル製の剣でるが、本人は勝手に名前をつけている。
一本を『やっつけ丸』。
そしてもう一本を『すねギロチン』と――
「小癪な糞虫め!! えい面倒だ。近くの町に至るまで諸共に焼き尽くしてくれる!!」
怒気とともにすべてを焼き尽くそうとゲヘナが火山から飛び立ったとき。
飛翔間際の無防備な腹にいくつもの火山弾がめり込んだ。
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セクスカリバーをヌキました!
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