嫌いになりたい

犬白グミ

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【離婚した攻め】

1

「こんにちは。覚えてますか?」

 伊野崎晶太いのさきしょうたはレジにいる男に笑いかけた。
 A大学駅前のカフェだ。

 その男が、はっとした表情を見せた。
「もちろんです。伊野崎先生」

 どこにでもいるような容姿でありながら、人懐っこい愛嬌のある表情をする男だ。

「サイン会の日、 雨宮あまみやさんから、ここのカフェラテをいただいたんですよ」

「はい。いらっしゃいました」

 カフェラテを注文し、彼から商品を受け取る時、伊野崎は小声で言った。
「あの時は、私のせいで誕生日を台無しにしてしまってごめんね」

 両手を胸の前で振り、彼が急いで否定する。
「そんな、先生のせいなんかじゃないですよ」
「私が叩き起こせばよかったんですよ」

 長めの髪を耳にかけながら、伊野崎は「またね」と言って店を出る。
 歩きながら飲む。あまり時間がない。

 電車を乗り継ぎ、大手出版社の本社ビルのエントランスに着き、三階の文芸出版部に向かった。
 訪問を告げると個室ブースに通され、暫し雨宮を待つ。

「お待たせしました」と雨宮が現れ、向いの席に座った。
 カラー用紙を広げる。

「文庫の装丁ですが、3パターンのデザインを考えてもらいました。これとこれとこれ。先生、どうですか?」
 
 半年前に伊野崎の担当編集になった雨宮は、見栄えがよい。

 特に笑うと端正な顔に隙ができ、伊野崎の好みではないが女性に好かれるだろうな、と思っていた。

 しかし、雨宮はバイセクシャルで現在は男と付き合っている、と聞いた。
 雨宮の恋人は、たぶん先程のカフェにいた彼だ。

 バイセクシャルと付き合うなんて時間の無駄だ、と伊野崎は思っている。
 他人ごとながら、早く別れた方がいいと忠告したくなる。
 過去の自分と重ねてしまうからだろう。

 装丁と帯のデザインが決まり、打ち合わせが終わった。

 雨宮が腕時計を見る。
「昼過ぎちゃいましたね」

 コンビニに行く雨宮と共に外に出ると、並んで歩く。

「さっき雨宮さんの後輩くんに会いましたよ。サイン会で花束あげた子」
 伊野崎は、何気なくを装って口にする。

「どこでですか?」
「A大学駅前のカフェで。名前は 夏生なつきくんでしたよね?」
「…はい」

 雨宮から営業用の笑顔が消えた。
 伊野崎が、夏生の名前を覚えていたのが気に入らなかったのだろう。

「あの…先生…」
「コンビニ過ぎちゃいますよ」
 コンビニの前だった。
「あっ」

「お疲れさまでした」と挨拶し、雨宮を残し駅へと向かった。

 途中で適当に昼飯を食べ帰宅する。

 伊野崎の自宅は平屋の古く狭い一軒家で、もともとは祖父母が住んでいた。父親が相続し、五年前から伊野崎が暮らしている。

 最寄り駅からかなり歩くが、静かで住みやすい場所だった。

 玄関前のアプローチに見知った男が佇んでいた。
 見間違えるわけがない。
 それは、二年ぶりに見る 柴理一しばりいちだった。
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