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第2部 煉海
8 鋼鉄改め、女装のヴェンツェル
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見渡す限り女、女、女である。男とは別物の角ばらない人いきれ、甲高いざわめき、普段感じることのない甘い体臭に、体ごと乗っ取られそうだ。
「これは…」
「た、助けてくれと聞かぬもので…」
開いた口がふさがらぬ指揮官に、守備兵はバツが悪そうな顔をしたが、さほど罪は感じていないようだ。
女たちは殴られた跡や、破れた服とともに、酒を持って助けを求めた。進軍してきたブレア軍から酷い扱いを受けたと言うのだ。それを助けるのは男の使命であり、ヘルジェン兵士の務めではないか。
「う、ううむ…」
指揮官が唸っている間に、庇護されたと安心した女たちの行動の早いこと、中庭では宴会が始まっている。
「今更止めようがありません」
女たちの華やぎに、静かな山砦が煌々と灯されていた。
宴会の輪の中に居ながら、ヴェンツェルは全く別の方を見ていた。
「兵士の頭数は数えたか?」
「数えたっス」
顔が触れるくらいの距離で小声の団長は、長い茶髪の鬘に藤色のドレス。どの角度から見ても美女だった。胸を寄せて上げれば、ユリアンの目は釘付けである。
そういうユリアンも、負けず劣らず立派な女子にしてもらった。こっちは化粧濃いめ、胸には詰め物をしているが。笑いをこらえながらアンナが顔を描いた。
「囲壁の入り口は?」
「守備兵がいて、鍵がかかってたっス」
「さすがに壊してたら怪しまれるか」
そう言うとヴェンツェルは一人でいる兵士の横にサッと座った。酒を注ぎながら、ユリアンが見たことないような笑顔を向ける。酒が回り、徐々に距離を縮めて、腕を絡め取ると、ヴェンツェルが動いた。
ユリアンも立ち上がり、二人に付かず離れずの距離を取る。
建物裏手の人気のない暗がりに来ると、いきなり男がヴェンツェルを壁に押し付けた。二人の間に言葉はない。
め、めっちゃキスしてる…。
団長のこんなところを見るハメになるとは思わなかった。見たいのか見たくないのか、よく分からなくなる。
男がヴェンツェルの胸元の紐を解こうとするが、固く結んであるのだろう、全く解けず諦め、スカートの裾をまくり上げた時だった。
男の手よりも速く、ヴェンツェルが脚に忍ばせていたナイフを抜き、くるりと体を入れ替える。何が起こったか理解できないまま、今度は男の方が壁に押し付けられていた。
「おとなしくしな」
ナイフの先を胸に突き当て、喉首を反対の腕で押さえて、膝で膝の動きを封じている。この動きだけで、男の方も女がただ者でないと悟るはずだ。
「キサマ…!何者だ!」
「余計な口をきくな。鍵を開けてもらおうか」
「ふざけや——」
すぐさまヴェンツェルが男のズボンの腰紐と、股引を切り裂く。そして根元にぴたりとナイフを当て、
「切り落とされたいか?」
耳元で囁いた。
2秒待っても是の返答がなかったため、次に響いたのは男の悲痛な悲鳴だった。ユリアンの背筋が凍り、自分の股間をキュッとつかむ。
「やめ…っ!わかった、やるよ、言うことを聞くから、それ以上は勘弁してくれ!!頼む!」
「初めからそうすればよかったのに」
悪びれず微笑むと、不憫な下半身をしまうよう命じて、ナイフを持った手を男の服の下に回し、ぴったりと体を寄せた。
「囲壁に上がる扉を開けろ。余計な真似をしたら、死ぬより辛いぞ」
そして目的地へ歩いていく。寄り添った姿は、これから愛し合う男女にしか見えない。案の定、誰も疑う者はいない。
囲壁の扉まで来ると、守備兵の男がどっかり座って飲んだくれている。
「な、なあドミニク、こっここ開けてくれないか?頼むよ…」
「あ?」
「頼むよ…今度おごるからさ…」
明らかに動揺して目線が定まらないが、ドミニクの方は酔っているのかまるで気付かない。体ごとぴったり密着した美女にニヤッっとして、
「そういうことなら仕方ねぇなあ。次オレに回せよ」
と気前よく扉を開けた。二人いっぺんでもいいのよ、と誘うヴェンツェル。
扉が閉まると、ユリアンは女装仲間へ合図を送った。彼らは巧みに男どもから逃れ、酒を運んだり物陰に隠れたりしてやり過ごしていたのである。
そして、城門へと向かう。さすがにここの2人の守備兵は素面だが、羨ましそうな目で、中庭が気になって仕方ないらしい。
藪に隠しておいた剣を拾い、ユリアンは呼吸を整える。走り出そうとして、鬘を外して邪魔なスカートの裾を切り裂いた。
心ここにあらずの兵士に音もなく詰め寄り、鎧の間を狙って斬り上げる。すぐさまもう一人に向かって突き刺す。しかし狙いが外れて脚に刺さってしまう。援軍を呼ばれる前に仕留めないと——
思い描くのは団長の動きだった。ユリアンをここまで鍛えたのは他でもないヴェンツェルであり、団長に認められることこそ、今のユリアンの全てである。
今頃、二人の兵士をバキバキの素手でフルボッコにしているだろう。ならばこっちも二人まとめて始末するのみだ。
剣をぶつけるうちにユリアンの速さが上回り、その首をはねた。
「よっしゃ!しかも無傷ぅ!」
目標達成したところで、中庭から悲鳴が上がる。囲壁の上に到達したフィスト団が撃ち始めたようだ。
女装した仲間が駆け寄って来て、ニヤつきながら力を合わせ城門を開けていく。爆笑になるので、お互いの姿はなるべく目に入れないようにする。
「さあさ、お嬢さん方、こっちでやんすよ」
中庭ではセバスチャンが娼婦たちを誘導していた。
「もぉー!せっかくいい男だったのよぉー。もうちょっと後にしてよねぇー!」
「はいはい、そこのお嬢さんも、突っ立ってると狙われるでやんすよ」
「…セバスチャン、私だ」
それにしてもセバスチャンの女装はひどい。ひどすぎる。ヴェンツェルは引きつった笑顔になった。
「あいや!こりゃ驚いたでやんす!お頭、その姿なら稼げるでやんすよ」
「傭兵引退したら皆で店でも開くかね。早く逃がせ。一気に決めるぞ」
「へいお頭」
ドミニクとかいう、さっきの守備兵から奪った剣を抜いて、体に矢が刺さった兵士が次々倒れていく中庭へと駆け出した。
女たちは酔っ払いを置いてさっさと身を翻した。この混乱の中でも、さすがフィストらの狙いは正確で、女だちに当たる様子はない。素直に感嘆する。
すると、開け放たれた城門から一気にブレア兵士がなだれ込んできた。こうなれば後は肉弾戦である。
鬘を脱ぎ捨てると、長いスカートを脚にまとわりつかせて、安定感の無い靴で踏み込みながら、ヴェンツェルは返り血を浴びた。
「殲滅せよ!1兵たりとも逃すな!」
エグモント伯の太い声が響く。
剣がダメになれば、その辺に転がった死体から拾ってまた振るう。
目の前のヘルジェン兵の向こうにいるのは、紅の髪に海神の怒りを宿した国王アドルフの姿だった。
アドルフが怒りのまま叩きつけてきた剣、本来ならあの一撃で頭蓋を割られて死んでいたと思う。改造強化されていたから助かっただけだ。
アドルフを仕留められなかったのはひとえに己の力量不足であり、ヴェンツェルにとって山のように動かしがたい現実であった。
鋼鉄の体を使ったチャンスはもう二度と無い。このままでは勝てない。しかし、その山を避けては通れない。
フェルディナントは見抜いている。この殻を突き破らねば、次はないと。
「私もそなたも同じだな」
契約の時、彼はそう言ったのだ。
「だから私に免状を渡さないのか」
あぁ、腹が立つ。もちろん自分にだ。
体の中に黒く渦巻くもやを払うように、ヴェンツェルは剣を振るった。しかし晴れることはなく、残るのは鉄臭い不快な匂いだけだった。
「これは…」
「た、助けてくれと聞かぬもので…」
開いた口がふさがらぬ指揮官に、守備兵はバツが悪そうな顔をしたが、さほど罪は感じていないようだ。
女たちは殴られた跡や、破れた服とともに、酒を持って助けを求めた。進軍してきたブレア軍から酷い扱いを受けたと言うのだ。それを助けるのは男の使命であり、ヘルジェン兵士の務めではないか。
「う、ううむ…」
指揮官が唸っている間に、庇護されたと安心した女たちの行動の早いこと、中庭では宴会が始まっている。
「今更止めようがありません」
女たちの華やぎに、静かな山砦が煌々と灯されていた。
宴会の輪の中に居ながら、ヴェンツェルは全く別の方を見ていた。
「兵士の頭数は数えたか?」
「数えたっス」
顔が触れるくらいの距離で小声の団長は、長い茶髪の鬘に藤色のドレス。どの角度から見ても美女だった。胸を寄せて上げれば、ユリアンの目は釘付けである。
そういうユリアンも、負けず劣らず立派な女子にしてもらった。こっちは化粧濃いめ、胸には詰め物をしているが。笑いをこらえながらアンナが顔を描いた。
「囲壁の入り口は?」
「守備兵がいて、鍵がかかってたっス」
「さすがに壊してたら怪しまれるか」
そう言うとヴェンツェルは一人でいる兵士の横にサッと座った。酒を注ぎながら、ユリアンが見たことないような笑顔を向ける。酒が回り、徐々に距離を縮めて、腕を絡め取ると、ヴェンツェルが動いた。
ユリアンも立ち上がり、二人に付かず離れずの距離を取る。
建物裏手の人気のない暗がりに来ると、いきなり男がヴェンツェルを壁に押し付けた。二人の間に言葉はない。
め、めっちゃキスしてる…。
団長のこんなところを見るハメになるとは思わなかった。見たいのか見たくないのか、よく分からなくなる。
男がヴェンツェルの胸元の紐を解こうとするが、固く結んであるのだろう、全く解けず諦め、スカートの裾をまくり上げた時だった。
男の手よりも速く、ヴェンツェルが脚に忍ばせていたナイフを抜き、くるりと体を入れ替える。何が起こったか理解できないまま、今度は男の方が壁に押し付けられていた。
「おとなしくしな」
ナイフの先を胸に突き当て、喉首を反対の腕で押さえて、膝で膝の動きを封じている。この動きだけで、男の方も女がただ者でないと悟るはずだ。
「キサマ…!何者だ!」
「余計な口をきくな。鍵を開けてもらおうか」
「ふざけや——」
すぐさまヴェンツェルが男のズボンの腰紐と、股引を切り裂く。そして根元にぴたりとナイフを当て、
「切り落とされたいか?」
耳元で囁いた。
2秒待っても是の返答がなかったため、次に響いたのは男の悲痛な悲鳴だった。ユリアンの背筋が凍り、自分の股間をキュッとつかむ。
「やめ…っ!わかった、やるよ、言うことを聞くから、それ以上は勘弁してくれ!!頼む!」
「初めからそうすればよかったのに」
悪びれず微笑むと、不憫な下半身をしまうよう命じて、ナイフを持った手を男の服の下に回し、ぴったりと体を寄せた。
「囲壁に上がる扉を開けろ。余計な真似をしたら、死ぬより辛いぞ」
そして目的地へ歩いていく。寄り添った姿は、これから愛し合う男女にしか見えない。案の定、誰も疑う者はいない。
囲壁の扉まで来ると、守備兵の男がどっかり座って飲んだくれている。
「な、なあドミニク、こっここ開けてくれないか?頼むよ…」
「あ?」
「頼むよ…今度おごるからさ…」
明らかに動揺して目線が定まらないが、ドミニクの方は酔っているのかまるで気付かない。体ごとぴったり密着した美女にニヤッっとして、
「そういうことなら仕方ねぇなあ。次オレに回せよ」
と気前よく扉を開けた。二人いっぺんでもいいのよ、と誘うヴェンツェル。
扉が閉まると、ユリアンは女装仲間へ合図を送った。彼らは巧みに男どもから逃れ、酒を運んだり物陰に隠れたりしてやり過ごしていたのである。
そして、城門へと向かう。さすがにここの2人の守備兵は素面だが、羨ましそうな目で、中庭が気になって仕方ないらしい。
藪に隠しておいた剣を拾い、ユリアンは呼吸を整える。走り出そうとして、鬘を外して邪魔なスカートの裾を切り裂いた。
心ここにあらずの兵士に音もなく詰め寄り、鎧の間を狙って斬り上げる。すぐさまもう一人に向かって突き刺す。しかし狙いが外れて脚に刺さってしまう。援軍を呼ばれる前に仕留めないと——
思い描くのは団長の動きだった。ユリアンをここまで鍛えたのは他でもないヴェンツェルであり、団長に認められることこそ、今のユリアンの全てである。
今頃、二人の兵士をバキバキの素手でフルボッコにしているだろう。ならばこっちも二人まとめて始末するのみだ。
剣をぶつけるうちにユリアンの速さが上回り、その首をはねた。
「よっしゃ!しかも無傷ぅ!」
目標達成したところで、中庭から悲鳴が上がる。囲壁の上に到達したフィスト団が撃ち始めたようだ。
女装した仲間が駆け寄って来て、ニヤつきながら力を合わせ城門を開けていく。爆笑になるので、お互いの姿はなるべく目に入れないようにする。
「さあさ、お嬢さん方、こっちでやんすよ」
中庭ではセバスチャンが娼婦たちを誘導していた。
「もぉー!せっかくいい男だったのよぉー。もうちょっと後にしてよねぇー!」
「はいはい、そこのお嬢さんも、突っ立ってると狙われるでやんすよ」
「…セバスチャン、私だ」
それにしてもセバスチャンの女装はひどい。ひどすぎる。ヴェンツェルは引きつった笑顔になった。
「あいや!こりゃ驚いたでやんす!お頭、その姿なら稼げるでやんすよ」
「傭兵引退したら皆で店でも開くかね。早く逃がせ。一気に決めるぞ」
「へいお頭」
ドミニクとかいう、さっきの守備兵から奪った剣を抜いて、体に矢が刺さった兵士が次々倒れていく中庭へと駆け出した。
女たちは酔っ払いを置いてさっさと身を翻した。この混乱の中でも、さすがフィストらの狙いは正確で、女だちに当たる様子はない。素直に感嘆する。
すると、開け放たれた城門から一気にブレア兵士がなだれ込んできた。こうなれば後は肉弾戦である。
鬘を脱ぎ捨てると、長いスカートを脚にまとわりつかせて、安定感の無い靴で踏み込みながら、ヴェンツェルは返り血を浴びた。
「殲滅せよ!1兵たりとも逃すな!」
エグモント伯の太い声が響く。
剣がダメになれば、その辺に転がった死体から拾ってまた振るう。
目の前のヘルジェン兵の向こうにいるのは、紅の髪に海神の怒りを宿した国王アドルフの姿だった。
アドルフが怒りのまま叩きつけてきた剣、本来ならあの一撃で頭蓋を割られて死んでいたと思う。改造強化されていたから助かっただけだ。
アドルフを仕留められなかったのはひとえに己の力量不足であり、ヴェンツェルにとって山のように動かしがたい現実であった。
鋼鉄の体を使ったチャンスはもう二度と無い。このままでは勝てない。しかし、その山を避けては通れない。
フェルディナントは見抜いている。この殻を突き破らねば、次はないと。
「私もそなたも同じだな」
契約の時、彼はそう言ったのだ。
「だから私に免状を渡さないのか」
あぁ、腹が立つ。もちろん自分にだ。
体の中に黒く渦巻くもやを払うように、ヴェンツェルは剣を振るった。しかし晴れることはなく、残るのは鉄臭い不快な匂いだけだった。
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