銀の旅人

日々野

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序章◆物置小屋のタビト

星渡しの儀-1

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「何だったんだ、さっきの……」

 穏やかな空気から一転、追い立てられるようにしてタビトは自宅の前まで戻ってきていた。
 とにかく占い師によると、自分は今すぐ村を出なければならないらしい。元々近いうちに出て行かなければ、と考えてはいたが、今夜というのはいささか急すぎる。

「荷物をまとめろって言われてもなぁ……」

 夜の闇の中でどこまでできるのだろう。タビトの家の周囲には背の高い常緑樹が何本も生えていて、丘の上の村屋敷のように月の光には頼れない。
 ぶつぶつ呟きながら家に入ったところで、ふとかすかな違和感を覚えた。わずかに部屋のものの位置が、変わっている気がする。

 さっとタビトの背に緊張が走る。何はともあれまずは視界を確保するため、玄関先にある燈明皿とうみょうざらにライターで手早く火を付けた。すると部屋の奥で、獣の唸り声のようなものが低く響いていることに気付く。

「まさか、……」

 部屋の奥に注意を配りながら土間を歩き、かまどの前で片膝を付く。するとそこには、……あるはずのものが、なくなっていた。ここを出る前、熾火おきびでじっくり焙っていたリスの串焼きが! どこにもない!

「お、オレの明日の飯が……っくそ、」

 きっと部屋の奥を見据える。消えたリス肉と獣の唸り声とくれば、正体は分かったも同然だった。
 右手に燈明皿、左手に心張しんばり棒を握りしめ、土足で木の間に上がる。いつでも左手を振り下ろせるように構えながら、右手で前方を照らすと、そこには想像していた通りの生き物が毛布の上に横たわっていた。口から泡を吹き、身動きが取れずにいる野犬である。リス泥棒の犯人を前にし、タビトの中でふつふつと怒りが沸き上がる。

「人の飯を横取りするだけじゃなく、貴重な毛布まで毛まみれにしやがって……」

 どん、と怒りに任せて心張り棒を床に打ち付ければ、犬は不自由な体で飛び起きた。

「出てけこらー!! 野犬がいっちょまえに腹壊してんじゃねぇ、行かねーと別のもんも食わせるぞ!」

 尻叩きがきいたのかタビトの脅しが通じたのかは分からないが、野犬は特に抵抗することもなく「きゅうん」とか細い鳴き声を上げて逃げて行った。
 いつもより少し獣臭い部屋に、タビトだけが残される。ご馳走を二皿も食べて満足したはずなのに、急に疲労感が押し寄せてきた。

 ……村を出るのは、明日でいいか。




 翌朝、タビトは日の出と共に目を覚ました。

 昨夜は帰宅後にちょっとした事件はあったものの、その前に美味しいものをたくさん食べたおかげか、いつも以上にすっきりとした寝覚めだった。大きく伸びをしながら光が差し始めた部屋を眺める。
 たいした荷物なんてないと思っていたが、こうして眺めていると意外とものが多い。

 昨日洗った服と下着、冬用の外套。竈の脇には大小の鍋と鉄板、まな板、刃が欠けた包丁、鉈。小さくなった岩塩のかけらと、砂糖なしのまずいジャム。縁が欠けたスープ皿とコップ、フォーク、木を削って作った匙。切り傷に利く湿布、拾い物のライター、いざという時の解熱剤が一錠、母の形見の裁縫箱……

 ひとまず大きめの頭陀袋に入るだけ入れて、それをいつもの荷物籠に入れて背負えばいいか。入らないものは置いていこう。

 近くの川で顔を洗って軽く体を解したあと、家に戻って朝飯代わりの蛇リンゴを齧る。舌を刺すような刺激がわずかにあるが、それを除けば味は美味い。
 おやつ感覚で青いリンゴをつまみながら荷造りを続けていると、突然ドンドン、と荒っぽくドアを叩く音がした。

「タビト! 起きてるか!」

 ジンナの声だ。二日連続なんて珍しい。こんな早くから何の用だろう。鍋と食器で両手が塞がっていたタビトは、首から上だけを向けて応える。

「開いてるよ」
「ああ、起きてたか。……って、何やってんだ?」

 戸口から顔を出すなりジンナが呆然とした口調で言った。今朝の彼は茶色の髪を斜めに流し、染み一つない真っ白なシャツに青い蝶ネクタイを締めてている。儀式のための正装だろう。

「荷造り。今日村を出ようと思って」
「えっ、今日!? そんな……」

 突然のことに驚いたのか、ジンナは明らかに狼狽した。出て行ってほしいと思っていても、さすがに昨日の今日でタビトが即決するとは思わなかったのだろう。実際タビトの方も占い師に指示されただけで、自分がどういう状況にあるのかよく分かっていない。

「じゃ、じゃあ、星渡しの儀は? もちろん受けてから行くんだよな?」
「いや、受けないよ。元々あんまり興味なかったし」
「えぇ……? 何だよそれぇ……」

 何故かジンナは泣きそうな声を出した。しっかり者とは言え、十三歳の子どもにそんな声を出されるとこちらがいじめているような気分になってしまう。
 なんとなく良心が痛んで手を止めると、ジンナが気を取り直すように顔を上げた。

「でもタビト……! べ、べつにぼくはおまえを引き留めたりしないけど、星渡しの儀は国民の義務なんだぜ! ホーリツで決まってんだから、受けなきゃだめだ! 逮捕されるぞ!」
「法律って言ってもなあ。ジンナも昨日フルーツワイン飲んだだろ? それで逮捕されたか?」
「そ、それとこれとは話が別……!」

 顔を真っ赤にさせて口をぱくぱくするジンナは、中々に見ものだった。こうしていると子どもっぽいところもあるじゃないか。

「そ、それにもしかしたら旅に出た先で役立つ能力が開花するかもしれないじゃんか! ほらタビトだって、『狩人』とか『料理人』とか、そういう能力だったらほしいんじゃねえの!?」
「え……」

 狩人。料理人。

 初めて具体的な『能力』を聞いて、ようやくタビトの心が動いた。『秘められた能力』ってそういう感じなのか。能力というより職業だが。

「それはちょっと欲しいかも」

 狩人の能力があれば、もっとちゃんとした罠が作れるかもしれない。料理人の能力があれば、臭い獣肉も美味しく調理できるようになるかもしれない。これからの山暮らしを考えると、どちらも魅力的な能力だった。
 タビトの独り言のような呟きに、ジンナはぱっと顔を輝かせる。

「だ! だろ!? じゃあこれ、父さんの服持ってきたから着替えろ! どうせおまえ、ちゃんとしたやつ持ってないだろ」
「え。いいの? オレ汚いよ」
「別にいいよ、それ父さんの若い頃のやつでもう入らないからあげる。ほら早く」

 それからタビトはジンナにせっつかれながら正装に着替え、一緒に家を出た。村長の次男と「はぐれ者」のソマリ人が一緒に歩くのはいかがなものか、とそれとなく言ってみたが、ジンナは「監視してないと逃げそうだから」とタビトの傍をくっついて離れなかった。

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