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1章◆王都スタルクリア
契約-1
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「なんで起こしてくれなかったの」
と凄む占い師の口の端に涎の痕を見つけて、可愛い人だなあ、と思った。
「そりゃあ起こしませんよ。熟睡してたし、起きたら絶対逃げろって言うし……失礼、ちょっと」
「んぐ、」
マントの端を持ち上げて、口元を拭ってやる。占い師は寝起きでまだ頭がぼうっとしているのか、タビトの狼藉にもされるがままになっていた。
占い師が眠りこけていたのをいいことに、タビトは宿場町では馬車に引きこもったままやり過ごし、今は二人揃ってアビニア聖教会本部前の馬車広場に立っている。向かいの建物の二階の壁一面にでかでかと文字が描かれている――子どもたちよ、おかえりなさい。ここは王都スタルクリア、魔法使いと星屑達の街。
占い師はしばらくタビトを睨みつけていたが、やがて観念したように息を吐く。
「まあ、来てしまったものは仕方ない。とりあえずうちに案内するよ」
「えっ! いいんですか!?」
「よくないけど仕方がないだろう。他に行くとこなんてないんでしょ? あと君、私を伸すくらい元気になったみたいだから荷物持ちね」
「あっハイ。ごめんなさい……」
結局使わずじまいに終わった逃走用のリュックを背負い、指示された木箱を抱え、占い師の少し後ろを歩き始める。
街はすっかり夜の闇に包まれていたが、綺麗に舗装された石畳の上には等間隔に街灯が灯り、足をぶつけたら怪我しそうな岩も、夜行性の獣が飛び出してきそうな茂みもない。夜になれば自分の手すら見えなくなる田舎村で育ったタビトにとっては、王都の明るさは少し異様に感じた。こんな時間だというのに、犬と一緒に走っている女性や散歩を楽しんでいる男女、ベンチに座って話し込んでいる男達までいる。日の出と共に起き暗くなったら眠る、という暮らしが当然だったタビトには驚きの光景だった。こんな時間に外で何を熱心に話すことがあるんだろう。家に帰ればいいのに。
やがて歩道から石畳が消え、土が剥き出しになった路地に入る。周囲に人気がなくなったからか、占い師が肩越しに少しだけ振り返った。
「さて、君はどこまで聞いていたんだっけ。……ヴァルトレイン卿の名前は覚えてるんだよね」
「はい。あなたがその人にオレを届けるってマルセスに言って、マルセスは逃がしたら許さねえぞ的なことを言ってました」
「本当に全部聞こえてたんだねぇ……」
占い師は感心したように息を吐いて前を向く。
「少し考えたんだけど。実を言うとヴァルトレイン卿は、いま王都にいない。というよりとても忙しい人で、国内外問わず飛び回っているから、いつ帰るかもわからない。だからやっぱり、君を逃がすなら今のうちだと思うんだ」
家に案内するというから期待したのに、相変わらず占い師はタビトを逃がそうとしているらしい。タビトはげんなりしながら口を尖らせる。
「あの、オレ何度も言いましたよね。オレが逃げたせいであなたが酷い目にあうのは嫌だって。そもそも何でそんなに逃がそうとするんですか? オレが何されるって言うんです」
「……」
占い師はそこで口を閉ざした。等間隔に立っていた街灯の数が減り、暗闇の間合いが増えていく。話の途中だというのに、占い師の声はおろか表情も見えないので、段々タビトは落ち着かなくなってきた。いよいよ沈黙に耐えられなくなってきたころ、闇の深いところで占い師が立ち止まった。後ろを歩いていたタビトは、危うくぶつかりそうになる。
「っと、……」
「タビト。いま君は本当に危ないんだ。何故ならヴァルトレイン卿は――」
占い師が重い口を開いたその時、前方に何者かの影が現れた。タビトは咄嗟に占い師の腕を引いて自分の背に隠す。
前方の影は正面が一番大柄な男で、その左右に一人ずつ、長いローブを頭から被った人物が立っていた。
いや、それだけじゃない。
まだ奥に一人か二人いる。それに背後、今通ってきた路地からも複数の気配を感じる――囲まれている。
この人数差では、例え武器があっても勝てない。どうやって逃げるか、どうやってこの人を守るのか。
ひたすら前方の影を睨みながら、タビトがいつでも飛び出せるよう足に力を入れていると、正面の大柄な男が一歩踏み出した。一瞬びりりと緊張が全身を走ったが、その男は自分の姿を見せつけるよう、路地に投げかけられた街灯の灯りの中に立つ。
意外な人物にタビトは目を剥いたが、背中から聞こえてきた占い師の声にはもっと驚いた。
「マルセス司祭……」
それはイーストキア村の星渡しの儀で、名簿を読み上げていた「太っちょ」の司祭だった。
と凄む占い師の口の端に涎の痕を見つけて、可愛い人だなあ、と思った。
「そりゃあ起こしませんよ。熟睡してたし、起きたら絶対逃げろって言うし……失礼、ちょっと」
「んぐ、」
マントの端を持ち上げて、口元を拭ってやる。占い師は寝起きでまだ頭がぼうっとしているのか、タビトの狼藉にもされるがままになっていた。
占い師が眠りこけていたのをいいことに、タビトは宿場町では馬車に引きこもったままやり過ごし、今は二人揃ってアビニア聖教会本部前の馬車広場に立っている。向かいの建物の二階の壁一面にでかでかと文字が描かれている――子どもたちよ、おかえりなさい。ここは王都スタルクリア、魔法使いと星屑達の街。
占い師はしばらくタビトを睨みつけていたが、やがて観念したように息を吐く。
「まあ、来てしまったものは仕方ない。とりあえずうちに案内するよ」
「えっ! いいんですか!?」
「よくないけど仕方がないだろう。他に行くとこなんてないんでしょ? あと君、私を伸すくらい元気になったみたいだから荷物持ちね」
「あっハイ。ごめんなさい……」
結局使わずじまいに終わった逃走用のリュックを背負い、指示された木箱を抱え、占い師の少し後ろを歩き始める。
街はすっかり夜の闇に包まれていたが、綺麗に舗装された石畳の上には等間隔に街灯が灯り、足をぶつけたら怪我しそうな岩も、夜行性の獣が飛び出してきそうな茂みもない。夜になれば自分の手すら見えなくなる田舎村で育ったタビトにとっては、王都の明るさは少し異様に感じた。こんな時間だというのに、犬と一緒に走っている女性や散歩を楽しんでいる男女、ベンチに座って話し込んでいる男達までいる。日の出と共に起き暗くなったら眠る、という暮らしが当然だったタビトには驚きの光景だった。こんな時間に外で何を熱心に話すことがあるんだろう。家に帰ればいいのに。
やがて歩道から石畳が消え、土が剥き出しになった路地に入る。周囲に人気がなくなったからか、占い師が肩越しに少しだけ振り返った。
「さて、君はどこまで聞いていたんだっけ。……ヴァルトレイン卿の名前は覚えてるんだよね」
「はい。あなたがその人にオレを届けるってマルセスに言って、マルセスは逃がしたら許さねえぞ的なことを言ってました」
「本当に全部聞こえてたんだねぇ……」
占い師は感心したように息を吐いて前を向く。
「少し考えたんだけど。実を言うとヴァルトレイン卿は、いま王都にいない。というよりとても忙しい人で、国内外問わず飛び回っているから、いつ帰るかもわからない。だからやっぱり、君を逃がすなら今のうちだと思うんだ」
家に案内するというから期待したのに、相変わらず占い師はタビトを逃がそうとしているらしい。タビトはげんなりしながら口を尖らせる。
「あの、オレ何度も言いましたよね。オレが逃げたせいであなたが酷い目にあうのは嫌だって。そもそも何でそんなに逃がそうとするんですか? オレが何されるって言うんです」
「……」
占い師はそこで口を閉ざした。等間隔に立っていた街灯の数が減り、暗闇の間合いが増えていく。話の途中だというのに、占い師の声はおろか表情も見えないので、段々タビトは落ち着かなくなってきた。いよいよ沈黙に耐えられなくなってきたころ、闇の深いところで占い師が立ち止まった。後ろを歩いていたタビトは、危うくぶつかりそうになる。
「っと、……」
「タビト。いま君は本当に危ないんだ。何故ならヴァルトレイン卿は――」
占い師が重い口を開いたその時、前方に何者かの影が現れた。タビトは咄嗟に占い師の腕を引いて自分の背に隠す。
前方の影は正面が一番大柄な男で、その左右に一人ずつ、長いローブを頭から被った人物が立っていた。
いや、それだけじゃない。
まだ奥に一人か二人いる。それに背後、今通ってきた路地からも複数の気配を感じる――囲まれている。
この人数差では、例え武器があっても勝てない。どうやって逃げるか、どうやってこの人を守るのか。
ひたすら前方の影を睨みながら、タビトがいつでも飛び出せるよう足に力を入れていると、正面の大柄な男が一歩踏み出した。一瞬びりりと緊張が全身を走ったが、その男は自分の姿を見せつけるよう、路地に投げかけられた街灯の灯りの中に立つ。
意外な人物にタビトは目を剥いたが、背中から聞こえてきた占い師の声にはもっと驚いた。
「マルセス司祭……」
それはイーストキア村の星渡しの儀で、名簿を読み上げていた「太っちょ」の司祭だった。
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