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1章◆王都スタルクリア
契約-2
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どちらかと言えば冴えない印象だったその男が、今は歌劇用のライトを浴びるように堂々と立っている。
太っちょの司祭は、警戒する二人を見て満足げに微笑む。
「待ちくたびれましたよ、銀の手。もうその子どもを連れて逃げたのかと思いました」
その声にはっとする。口調はまったく違うが、たしかに記憶の中で占い師と話していたのと同じ声だ。けれどどうしても、あの一方的な凶行と今の司祭の顔が結びつかない。
タビトが未だ信じられずにいると、太っちょはタビトを見て気味悪そうに目を細める。
「……本当に死体が蘇るとはね。銀の手、あなた実は魔法使いではなく、死霊遣いではないのですか?」
その嘲るような口調で、やっとタビトも太っちょをマルセスと認めた。
タビトがムッとしている内に、占い師はタビトの手からするりと腕を抜く。そしてタビトが止める間もなく、ゆらりと優雅な動きで灯りの中に出た。
「長旅でお疲れでしょうに。そんなことを言うために皆さんで私をお待ちになっていたんですか?」
「そんなわけないでしょう。気が変わったんですよ。その子どもを迎えに来たんです」
再び場に緊張が走る。
――そうだ、大人しく話を聞いてる場合じゃない。マルセスの相手はこの人に任せて、オレは逃げる隙を見つけないと。
「何故気が変わったのか、理由を聞かせていただいても?」
「言う必要性を感じませんね」
「そう言わずに。理由もなしに彼を渡してしまえば、私がヴァルトレイン卿に叱られてしまいます」
圧倒的に不利な状況だというのに、占い師の声は落ち着いていた。その声に励まされながら、タビトは素早く視線を巡らせる。
人数の差は覆らない。何か使えそうなもの……隙になりそうな場所……リュックにナイフが入ってるはずだけど……手は木箱で塞がっている。逃げるにしても、この街のことを何も知らないんじゃ……。
「仕方ありませんね。何、簡単な話ですよ。ヴァルトレイン卿から本部に手紙が届いていたんです。詳細は省きますが、王都に戻るのはおよそひと月後を予定している、とありました」
「ふむ。それが理由になるのですか」
「なりますよ。ひと月もの猶予があれば銀の手、あなたは絶対にその子どもを逃がす」
ぎくり、とタビトの指が引き攣る。それはつい直前まで実際に占い師が話していたことだ。完全に図星を突かれた形になるが、占い師はまだ姿勢を崩さない。
「私がヴァルトレイン卿を裏切るとでも言うのですか? 私は彼の一番弟子ですよ」
「一番弟子だから信用できないんですよ。あなた方師弟がうまくいっていないことは皆知っています。そしてあなたが多少『おいた』をしても、ヴァルトレイン卿はあなたを殺せないことも」
「……」
今まで滑らかに動いていた占い師の口が、そこで止まった。
いよいよ強行突破しか残されていないのか。
タビトが腹を括ろうとした時、再び占い師が口を開く。
「……そうですね。マルセス司祭の仰る通りです。私はあなた方からの信用がない。それは私の落ち度です。信用を得るための行動をしてきませんでした」
「やっと理解してくれましたか。ではその子どもをこちらに……」
「いえ。ですから。これから信用を得ようと思うのです。要はこの子どもを確実にヴァルトレイン卿に届ければよいのでしょう? 私が自宅で厳重に監視しますから――」
「もういい」
占い師を遮るマルセスの声には、獣の唸り声のような響きがあった。マルセスは片手で顔を覆うと、俯いて疲労の滲むため息を吐く。次に顔をあげた時、その表情は別人のように凶悪なものになっていた。
「銀の手、いい加減諦めろ。時間の無駄だ。渡せっつったら渡すんだよ」
「……お断りします。だいたい大の大人が雁首揃えて何をそんなに恐れているんですか。彼が反乱の旗手になって世界をひっくり返すとでも? 彼はただの子ども――」
「しつっけぇぇんだよ手前ェはあああ!!」
夜の路地に、マルセスの絶叫が響き渡る。少し遅れてばたばたと、ドアや窓が締まり施錠する音が聞こえた。
「だいたいなァ、てめぇにそのガキ死なせる覚悟がねえから俺が殺ってやるって言ってんだよ! 感謝してほしいくらいだぜまったく」
「御冗談を。あなたは自分が殺したいだけだ」
「ああもういいもういい、喋らなくていい。お前が素直に渡さねぇってのは最初から知ってた」
マルセスが面倒くさそうに胸元に手を入れる。すぐにその腕を引き抜くと、占い師の足元に何かを放り投げた。ガラン、と軽い金属音を立てて、何かが土の上に落ちる。
「これは、……」
占い師が足元のそれを見て息を呑む。タビトもつい目線をやると、そこにはまたしても意外なものが落ちていた。
それは一週間と少し前――タビトにとっては二日前――に、川の中で見つけたものだ。
鉄を薄く伸ばしたような青錆色の輪。一部に切り込みが入っていて、側面には蔓を模した意匠と、装飾されたアビニア古語が並ぶ。その文字の終わり、切り込みの手前のところに、古くなった血のような暗い赤色の石がついている。拾ったその日のうちにガナルの店で換金した――奴隷の首輪。
太っちょの司祭は、警戒する二人を見て満足げに微笑む。
「待ちくたびれましたよ、銀の手。もうその子どもを連れて逃げたのかと思いました」
その声にはっとする。口調はまったく違うが、たしかに記憶の中で占い師と話していたのと同じ声だ。けれどどうしても、あの一方的な凶行と今の司祭の顔が結びつかない。
タビトが未だ信じられずにいると、太っちょはタビトを見て気味悪そうに目を細める。
「……本当に死体が蘇るとはね。銀の手、あなた実は魔法使いではなく、死霊遣いではないのですか?」
その嘲るような口調で、やっとタビトも太っちょをマルセスと認めた。
タビトがムッとしている内に、占い師はタビトの手からするりと腕を抜く。そしてタビトが止める間もなく、ゆらりと優雅な動きで灯りの中に出た。
「長旅でお疲れでしょうに。そんなことを言うために皆さんで私をお待ちになっていたんですか?」
「そんなわけないでしょう。気が変わったんですよ。その子どもを迎えに来たんです」
再び場に緊張が走る。
――そうだ、大人しく話を聞いてる場合じゃない。マルセスの相手はこの人に任せて、オレは逃げる隙を見つけないと。
「何故気が変わったのか、理由を聞かせていただいても?」
「言う必要性を感じませんね」
「そう言わずに。理由もなしに彼を渡してしまえば、私がヴァルトレイン卿に叱られてしまいます」
圧倒的に不利な状況だというのに、占い師の声は落ち着いていた。その声に励まされながら、タビトは素早く視線を巡らせる。
人数の差は覆らない。何か使えそうなもの……隙になりそうな場所……リュックにナイフが入ってるはずだけど……手は木箱で塞がっている。逃げるにしても、この街のことを何も知らないんじゃ……。
「仕方ありませんね。何、簡単な話ですよ。ヴァルトレイン卿から本部に手紙が届いていたんです。詳細は省きますが、王都に戻るのはおよそひと月後を予定している、とありました」
「ふむ。それが理由になるのですか」
「なりますよ。ひと月もの猶予があれば銀の手、あなたは絶対にその子どもを逃がす」
ぎくり、とタビトの指が引き攣る。それはつい直前まで実際に占い師が話していたことだ。完全に図星を突かれた形になるが、占い師はまだ姿勢を崩さない。
「私がヴァルトレイン卿を裏切るとでも言うのですか? 私は彼の一番弟子ですよ」
「一番弟子だから信用できないんですよ。あなた方師弟がうまくいっていないことは皆知っています。そしてあなたが多少『おいた』をしても、ヴァルトレイン卿はあなたを殺せないことも」
「……」
今まで滑らかに動いていた占い師の口が、そこで止まった。
いよいよ強行突破しか残されていないのか。
タビトが腹を括ろうとした時、再び占い師が口を開く。
「……そうですね。マルセス司祭の仰る通りです。私はあなた方からの信用がない。それは私の落ち度です。信用を得るための行動をしてきませんでした」
「やっと理解してくれましたか。ではその子どもをこちらに……」
「いえ。ですから。これから信用を得ようと思うのです。要はこの子どもを確実にヴァルトレイン卿に届ければよいのでしょう? 私が自宅で厳重に監視しますから――」
「もういい」
占い師を遮るマルセスの声には、獣の唸り声のような響きがあった。マルセスは片手で顔を覆うと、俯いて疲労の滲むため息を吐く。次に顔をあげた時、その表情は別人のように凶悪なものになっていた。
「銀の手、いい加減諦めろ。時間の無駄だ。渡せっつったら渡すんだよ」
「……お断りします。だいたい大の大人が雁首揃えて何をそんなに恐れているんですか。彼が反乱の旗手になって世界をひっくり返すとでも? 彼はただの子ども――」
「しつっけぇぇんだよ手前ェはあああ!!」
夜の路地に、マルセスの絶叫が響き渡る。少し遅れてばたばたと、ドアや窓が締まり施錠する音が聞こえた。
「だいたいなァ、てめぇにそのガキ死なせる覚悟がねえから俺が殺ってやるって言ってんだよ! 感謝してほしいくらいだぜまったく」
「御冗談を。あなたは自分が殺したいだけだ」
「ああもういいもういい、喋らなくていい。お前が素直に渡さねぇってのは最初から知ってた」
マルセスが面倒くさそうに胸元に手を入れる。すぐにその腕を引き抜くと、占い師の足元に何かを放り投げた。ガラン、と軽い金属音を立てて、何かが土の上に落ちる。
「これは、……」
占い師が足元のそれを見て息を呑む。タビトもつい目線をやると、そこにはまたしても意外なものが落ちていた。
それは一週間と少し前――タビトにとっては二日前――に、川の中で見つけたものだ。
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