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1章◆王都スタルクリア
ヴェルニラ経典-2
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「え、」
「一見はぐれ者に見えたとしても、君にはそれを覆せる力がある。それに今までは見過ごしてしまったのかもしれないけど、少しものの見方を変えれば、君を助けてくれる存在に気付くはずだ。それができれば他の村でも十分にやっていけるよ。大丈夫、なんとかしてひと月の間にその首輪を外してみせよう。奴隷契約の解約は教会で司祭から『洗礼』を受けるのが正式な手順だけど、一部の首輪には他のやり方もあると聞く。『真の公正の首輪』は有名だから、伝手を辿れば知っている人は必ず一人は見つかるはずだ」
「あ、……」
――でもオレが逃げたら、あなたが酷い目にあうんじゃないんですか? そんなのオレ、できません。
馬車の中では迷いなく出てきた言葉が、今は喉につっかえて止まった。
――そうだ。本当は分かってる。
頑なにタビトを逃がそうとするイリス、タビトを容赦なく叩きのめしたマルセス、そのマルセスすら一目置いているヴァルトレイン卿という謎めいた人物。それから食卓の席でのイリスとリウルの会話――行けば死ぬと分かってるところにはやれないよ。ここにいても時間の問題でしょう。
王都で関わった人全員が、タビトは遠からず死ぬものとして話していた。
それでもいいと思っていた。どうせ自分を受け入れてくれる村などどこにもない。ならばせめて最期の時は、ただ一人優しくしてくれたこの人の元にいたい、と。それなのにここにきて自分を受け入れてくれたかもしれない別の存在に気付き、今更、命が惜しくなっている。
――お前を本当に大切にしてくれる人を見つけなさい。
――大切にしてくれる人に会えたなら、お前も同じくらい、その人を大切にしなさい。
母の教えを守っているようなふりをして、実際のところ、ただイリスの優しさに縋り付いていただけだった。全然大切になんて、できていなかった。
「ごめんなさい……」
体の大きさに似合わず、タビトの喉からか細い声が漏れる。
「……いいんだよ。分かってくれて、私も今ほっとしている」
「ごめんなさい。オレ、ずっとわがままばかり言ってました」
「いいよ。君はまだ十八になったばかりだ。まあ、法律上は成人ということになっているけど……」
イリスは席を立つと、タビトのすぐ隣に腰を下ろす。そして幼子にするように、タビトの髪を撫でる。
「今まで、ろくに大人に甘えられなかったんだろう? ずっと一人で頑張って生きてきたんだよね。だからここにいる間は、存分に甘えていいよ。美味しいものをたくさん食べて、いっぱい寝て、少し『太っちょ』になってから出て行けばいい」
イリスの手が温かくて少し泣きそうになっていたのに、出し抜けに出てきた『太っちょ』に笑ってしまう。
「それ、今ここで言うことですかぁ……」
「仕返しだよ。あの時は本当に辛かったんだからね、笑い堪えるの」
思わずタビトが吹き出すと、イリスもくすくすと肩を震わせる。こうやって誰かと笑い合えることが無性に嬉しく、タビトはイリスの体を抱き寄せた。イリスは最初は驚いていたようだが、ゆっくりとタビトの背に手を回す。
「よしよし、いい子いい子」
「そこまで甘やかしてほしい訳じゃないんですけど……」
「え、違った?」
「いや、でも……いいと思います」
「何それ」
また少し笑い合ってから、しばらく無言で抱き合った。腕の中のイリスは柔らかく、温かく、いい匂いがして、胸の奥がほっとする。ずっとこのままイリスを抱きしめていたい――などと考えていたが、
「ただいま戻りましたー。服いいのがあんまなかったから、俺が昔着てたやつを家に取りに帰っ……」
前触れなく勝手口が開いたと思ったら、両手に荷物を抱えたリウルが立っていた。
「ああリウ、お帰り。ご苦労さま」
とイリスはにこやかに笑うが、タビトの顔はみるみる青くなっていく。
リウルは両手の荷をどさりとその場に落とすと、土足のまま勝手口から駆け上がる。
「先生にベタベタ触るなっつってんだろこのエロガキぃぃぃいいい!!」
「ごめんなさいいいいいいい!!」
魔法使いイリスの家のキッチンで、男の二人ぶんの絶叫が響いた。
「一見はぐれ者に見えたとしても、君にはそれを覆せる力がある。それに今までは見過ごしてしまったのかもしれないけど、少しものの見方を変えれば、君を助けてくれる存在に気付くはずだ。それができれば他の村でも十分にやっていけるよ。大丈夫、なんとかしてひと月の間にその首輪を外してみせよう。奴隷契約の解約は教会で司祭から『洗礼』を受けるのが正式な手順だけど、一部の首輪には他のやり方もあると聞く。『真の公正の首輪』は有名だから、伝手を辿れば知っている人は必ず一人は見つかるはずだ」
「あ、……」
――でもオレが逃げたら、あなたが酷い目にあうんじゃないんですか? そんなのオレ、できません。
馬車の中では迷いなく出てきた言葉が、今は喉につっかえて止まった。
――そうだ。本当は分かってる。
頑なにタビトを逃がそうとするイリス、タビトを容赦なく叩きのめしたマルセス、そのマルセスすら一目置いているヴァルトレイン卿という謎めいた人物。それから食卓の席でのイリスとリウルの会話――行けば死ぬと分かってるところにはやれないよ。ここにいても時間の問題でしょう。
王都で関わった人全員が、タビトは遠からず死ぬものとして話していた。
それでもいいと思っていた。どうせ自分を受け入れてくれる村などどこにもない。ならばせめて最期の時は、ただ一人優しくしてくれたこの人の元にいたい、と。それなのにここにきて自分を受け入れてくれたかもしれない別の存在に気付き、今更、命が惜しくなっている。
――お前を本当に大切にしてくれる人を見つけなさい。
――大切にしてくれる人に会えたなら、お前も同じくらい、その人を大切にしなさい。
母の教えを守っているようなふりをして、実際のところ、ただイリスの優しさに縋り付いていただけだった。全然大切になんて、できていなかった。
「ごめんなさい……」
体の大きさに似合わず、タビトの喉からか細い声が漏れる。
「……いいんだよ。分かってくれて、私も今ほっとしている」
「ごめんなさい。オレ、ずっとわがままばかり言ってました」
「いいよ。君はまだ十八になったばかりだ。まあ、法律上は成人ということになっているけど……」
イリスは席を立つと、タビトのすぐ隣に腰を下ろす。そして幼子にするように、タビトの髪を撫でる。
「今まで、ろくに大人に甘えられなかったんだろう? ずっと一人で頑張って生きてきたんだよね。だからここにいる間は、存分に甘えていいよ。美味しいものをたくさん食べて、いっぱい寝て、少し『太っちょ』になってから出て行けばいい」
イリスの手が温かくて少し泣きそうになっていたのに、出し抜けに出てきた『太っちょ』に笑ってしまう。
「それ、今ここで言うことですかぁ……」
「仕返しだよ。あの時は本当に辛かったんだからね、笑い堪えるの」
思わずタビトが吹き出すと、イリスもくすくすと肩を震わせる。こうやって誰かと笑い合えることが無性に嬉しく、タビトはイリスの体を抱き寄せた。イリスは最初は驚いていたようだが、ゆっくりとタビトの背に手を回す。
「よしよし、いい子いい子」
「そこまで甘やかしてほしい訳じゃないんですけど……」
「え、違った?」
「いや、でも……いいと思います」
「何それ」
また少し笑い合ってから、しばらく無言で抱き合った。腕の中のイリスは柔らかく、温かく、いい匂いがして、胸の奥がほっとする。ずっとこのままイリスを抱きしめていたい――などと考えていたが、
「ただいま戻りましたー。服いいのがあんまなかったから、俺が昔着てたやつを家に取りに帰っ……」
前触れなく勝手口が開いたと思ったら、両手に荷物を抱えたリウルが立っていた。
「ああリウ、お帰り。ご苦労さま」
とイリスはにこやかに笑うが、タビトの顔はみるみる青くなっていく。
リウルは両手の荷をどさりとその場に落とすと、土足のまま勝手口から駆け上がる。
「先生にベタベタ触るなっつってんだろこのエロガキぃぃぃいいい!!」
「ごめんなさいいいいいいい!!」
魔法使いイリスの家のキッチンで、男の二人ぶんの絶叫が響いた。
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