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2章◆恋と恩義と性欲と
第六番『誘う未亡人』-3
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タビトの反応を見て、イリスによく似た女が挑発的に笑う。
――先生そっくりの見た目。そしてこの黒いドレス。笑い方。間違いない。
「まさか、……イリス先生の双子の妹さん……?」
「……」
女の顔からさっと笑みが消えた。興が冷めたようにフンと鼻を鳴らす。
「なんでそうなるのよ。あなたこの人の話ちゃんと聞いてた? それとも本物の馬鹿なの?」
「え、……あ……」
一拍遅れてやっとタビトも思い当たる。
「あっ、未亡人の幻覚さんですか? びっくりしたぁ、それが喪服なんですね。あんまり綺麗なんでパーティにでも行ってきたのかと思いました」
「……まあ、趣味は悪くないわね」
女は金の髪を指で弄びながら立ち上がると、改めてタビトの隣に座る。正面から見てソファには左から眠るイリス、タビト、未亡人の幻覚が仲良く三人並んで座っていることになる。
なんだかおかしな状況になってきたな、と思いつつ、タビトは女に向き直る。そして改めてその姿をじっくりと観察する。
顔も体もイリスよりひと回り小さく、更に華奢な印象だ。薄く化粧をしているようで、目の輪郭が際立ち、唇は赤く潤んでいる。首は片手で折れそうなほど細いのに、胸はふっくらと大きく膨らんでいて、素肌を覆う黒のレースがずいぶんと窮屈そうだ。腰が細くくびれているぶん、余計に胸の膨らみが強調されている。
「ちょっと。じろじろ見すぎじゃなくって? 失礼でしょう、御婦人に対して」
タビトの不躾な目線に気付いた未亡人が、虫でも払うように手をひらひらと振る。しかしタビトはめげない。目を皿のようにして未亡人を凝視する。特に顔と胸を重点的に。
「いやー、でもオレの幻覚だし……。女の子になった先生、目に焼き付けておきたいから……」
「……」
女の目の下あたりがひくりと痙攣する。ああ、こういう表情の先生も何度か見たことがある。女の子だとこんな感じになるのか。
タビトの視線に根負けしたのか、女は手を下ろすとぽつりと言った。
「なるほどね。あなたが毒に嫌われる理由がよく分かったわ」
「……え? 毒に嫌われる?」
タビトが話に乗っきてたことに気を良くしたのか、女がにっこりと微笑む。
「そうよ。魔人は陰湿なヤツだから、あなたみたいに能天気なのか馬鹿なのか前向きなのかよく分からない子は嫌いなの。魔人の毒が好むのは、もっと弱くて暗くてウジウジしてるやつね。そこで寝てる人みたいに」
女が軽く顎をしゃくって、タビトの背後をさす。そこにはイリスがいるはずだった。
「……先生はそんな人じゃないけど。見た目は繊細そうだけど気は強いよ。やると決めたらしつこいし」
「そうなの? でもその人、心の中でずうっと言ってるわよ。死にたいって」
「……は?」
タビトの喉から掠れた音が出た。女は嬉しそうに目を細める。
「あなたには死んじゃ駄目って言ったくせに、身勝手なことよね。でも許してあげて、その人可哀そうな人なのよ。とっても辛いことがあったのね、夢の中で子どもみたいに泣いてるの。ねえあなた、その人のことが大切なら――」
女がタビトの手に自分のそれを重ねる。人間のものとは思えない冷たい肌に触れ、タビトの背筋が粟立つ。女はタビトの鼻先まで顔を寄せると、イリスとそっくり同じ顔で言った。
「楽にしてあげましょうよ。あなたと私で」
どくん、とタビトの心臓が跳ねる。冷たい手を直接胸に差し込まれたような感覚がして、深く息が吸えない。呼吸が浅くなる。
「それであなたもすぐ後を追いかけるの。そうすればあっちでもずうっと一緒にいられるわ。そうね、向こうで会ったら三人でお茶会しましょう。『両手に花』ができて、あなたもきっと楽しいわよ」
「……な、何をばかなことを……」
くすくす、という女の笑い声が、頭の中をぐるぐると回り始めて気分が悪い。女に重ねられた手からどんどん体が冷たくなっていくのに、払うことができない。氷のように固まっていく思考の中で、ただイリスのことを考えた。
――そうだ、先生に言われたばかりじゃないか、未亡人に耳を貸してはいけないって。これ以上聞いてはいけない。先生を呼ばなければ。先生を起こして……、
「タビト?」
背中のすぐ近くから聞こえた声で、瞬時に硬直が溶けた。
「先生、……!」
振り返るとイリスが眠そうな顔で体を起こしていた。タビトはその腕に縋りつく。血の通った温かなイリスの手に触れて、涙が滲むほどほっとした。怖々と女がいた方を見ると、そこにはもう誰もいなかった。
「タビト、どうかした? 誰かと話してたみたいだけど……まさか、」
「あ、はい。今見えました、未亡人の幻覚。もう消えたみたいですけど……」
なんとなくまだ、彼女の纏う冷たい空気が残っている気がして落ち着かない。そんなタビトの様子を見て、イリスは深刻そうな顔で俯いた。
「そう。やっぱり来たんだね。やっぱりもう、……」
「先生? どうしました?」
イリスは一人でぶつぶつと呟いている。何を言っているのか聞き取ろうとタビトが半身寄せると、イリスは青ざめた顔で言った。
「ずっと考えていたんだけど、……今回のことで思い知ったんだ。こんな危険な実験にこれ以上君を巻き込めない。一度は諦めたけど、やっぱり君を逃がそうと思う」
「え、……」
どくん、とまた心臓が跳ねる。足元が崩れ落ちるような絶望的な感覚に襲われ、ぐにゃりと視界が歪むような心地がした。回らない頭を抑えながら、タビトは必死に言葉を探す。
「な、何言ってんですか先生、……だってこれ! 奴隷の首輪、忘れたんですか? 契約解除の方法は見つかってないって……」
「解除の方法ならある」
イリスは血の気の引いた顔で続ける。
「君こそ忘れたのか? 奴隷の首輪の解除方法には、種類を問わず共通して一つの原則がある。主従のどちらかが死ぬことだ」
――先生そっくりの見た目。そしてこの黒いドレス。笑い方。間違いない。
「まさか、……イリス先生の双子の妹さん……?」
「……」
女の顔からさっと笑みが消えた。興が冷めたようにフンと鼻を鳴らす。
「なんでそうなるのよ。あなたこの人の話ちゃんと聞いてた? それとも本物の馬鹿なの?」
「え、……あ……」
一拍遅れてやっとタビトも思い当たる。
「あっ、未亡人の幻覚さんですか? びっくりしたぁ、それが喪服なんですね。あんまり綺麗なんでパーティにでも行ってきたのかと思いました」
「……まあ、趣味は悪くないわね」
女は金の髪を指で弄びながら立ち上がると、改めてタビトの隣に座る。正面から見てソファには左から眠るイリス、タビト、未亡人の幻覚が仲良く三人並んで座っていることになる。
なんだかおかしな状況になってきたな、と思いつつ、タビトは女に向き直る。そして改めてその姿をじっくりと観察する。
顔も体もイリスよりひと回り小さく、更に華奢な印象だ。薄く化粧をしているようで、目の輪郭が際立ち、唇は赤く潤んでいる。首は片手で折れそうなほど細いのに、胸はふっくらと大きく膨らんでいて、素肌を覆う黒のレースがずいぶんと窮屈そうだ。腰が細くくびれているぶん、余計に胸の膨らみが強調されている。
「ちょっと。じろじろ見すぎじゃなくって? 失礼でしょう、御婦人に対して」
タビトの不躾な目線に気付いた未亡人が、虫でも払うように手をひらひらと振る。しかしタビトはめげない。目を皿のようにして未亡人を凝視する。特に顔と胸を重点的に。
「いやー、でもオレの幻覚だし……。女の子になった先生、目に焼き付けておきたいから……」
「……」
女の目の下あたりがひくりと痙攣する。ああ、こういう表情の先生も何度か見たことがある。女の子だとこんな感じになるのか。
タビトの視線に根負けしたのか、女は手を下ろすとぽつりと言った。
「なるほどね。あなたが毒に嫌われる理由がよく分かったわ」
「……え? 毒に嫌われる?」
タビトが話に乗っきてたことに気を良くしたのか、女がにっこりと微笑む。
「そうよ。魔人は陰湿なヤツだから、あなたみたいに能天気なのか馬鹿なのか前向きなのかよく分からない子は嫌いなの。魔人の毒が好むのは、もっと弱くて暗くてウジウジしてるやつね。そこで寝てる人みたいに」
女が軽く顎をしゃくって、タビトの背後をさす。そこにはイリスがいるはずだった。
「……先生はそんな人じゃないけど。見た目は繊細そうだけど気は強いよ。やると決めたらしつこいし」
「そうなの? でもその人、心の中でずうっと言ってるわよ。死にたいって」
「……は?」
タビトの喉から掠れた音が出た。女は嬉しそうに目を細める。
「あなたには死んじゃ駄目って言ったくせに、身勝手なことよね。でも許してあげて、その人可哀そうな人なのよ。とっても辛いことがあったのね、夢の中で子どもみたいに泣いてるの。ねえあなた、その人のことが大切なら――」
女がタビトの手に自分のそれを重ねる。人間のものとは思えない冷たい肌に触れ、タビトの背筋が粟立つ。女はタビトの鼻先まで顔を寄せると、イリスとそっくり同じ顔で言った。
「楽にしてあげましょうよ。あなたと私で」
どくん、とタビトの心臓が跳ねる。冷たい手を直接胸に差し込まれたような感覚がして、深く息が吸えない。呼吸が浅くなる。
「それであなたもすぐ後を追いかけるの。そうすればあっちでもずうっと一緒にいられるわ。そうね、向こうで会ったら三人でお茶会しましょう。『両手に花』ができて、あなたもきっと楽しいわよ」
「……な、何をばかなことを……」
くすくす、という女の笑い声が、頭の中をぐるぐると回り始めて気分が悪い。女に重ねられた手からどんどん体が冷たくなっていくのに、払うことができない。氷のように固まっていく思考の中で、ただイリスのことを考えた。
――そうだ、先生に言われたばかりじゃないか、未亡人に耳を貸してはいけないって。これ以上聞いてはいけない。先生を呼ばなければ。先生を起こして……、
「タビト?」
背中のすぐ近くから聞こえた声で、瞬時に硬直が溶けた。
「先生、……!」
振り返るとイリスが眠そうな顔で体を起こしていた。タビトはその腕に縋りつく。血の通った温かなイリスの手に触れて、涙が滲むほどほっとした。怖々と女がいた方を見ると、そこにはもう誰もいなかった。
「タビト、どうかした? 誰かと話してたみたいだけど……まさか、」
「あ、はい。今見えました、未亡人の幻覚。もう消えたみたいですけど……」
なんとなくまだ、彼女の纏う冷たい空気が残っている気がして落ち着かない。そんなタビトの様子を見て、イリスは深刻そうな顔で俯いた。
「そう。やっぱり来たんだね。やっぱりもう、……」
「先生? どうしました?」
イリスは一人でぶつぶつと呟いている。何を言っているのか聞き取ろうとタビトが半身寄せると、イリスは青ざめた顔で言った。
「ずっと考えていたんだけど、……今回のことで思い知ったんだ。こんな危険な実験にこれ以上君を巻き込めない。一度は諦めたけど、やっぱり君を逃がそうと思う」
「え、……」
どくん、とまた心臓が跳ねる。足元が崩れ落ちるような絶望的な感覚に襲われ、ぐにゃりと視界が歪むような心地がした。回らない頭を抑えながら、タビトは必死に言葉を探す。
「な、何言ってんですか先生、……だってこれ! 奴隷の首輪、忘れたんですか? 契約解除の方法は見つかってないって……」
「解除の方法ならある」
イリスは血の気の引いた顔で続ける。
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