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4章◆魔法使いの卵達
五香の月
しおりを挟む五香の月。
街路樹が競い合うようにとりどりの花を付けていた枝から徐々に青葉が芽生え始め、時折汗ばむような日差しが降り注ぐも、東から吹く涼やかな風が素肌を撫でていくのが心地良い。アーロット神聖王国で一年のうち、最も過ごしやすい季節の一つだ。
元来体を動かすのが好きなタビトは毎年この時期になると、意味もなく外に飛び出したくなる。野を駆け回って食べられる木の実や果物を探し、野ウサギやリスを追いかけ、小川に足を突っ込んで休憩し、山から吹く冷たい風に当たって汗を乾かしたい。
けれどこの王都スタルクリアでは、そんな生活は望むべくもなかった。特に魔人復活のための実験に巻き込まれているタビトにとっては。
「うん、だいぶ熱も下がったね。今回は少し長引いたから心配したよ」
自室のベッドに横たわったタビトは珍しく毒にあてられて、返事をする気力もない。
学祭が終わってこの方、続けざまに三つの毒が投与された。最初の二つは大した症状もなく済んだものの、三つ目――第十二番『終わり桜』では体の芯から燃えるような異常な高熱に襲われ、五日間も悪夢にうなされていた。それでもタビトは軽く済んだ方で、普通は熱が下がり切るまでに十日はかかる。その間体に散り際の桜のような毒々しい発疹が出て、熱が下がり切る前に全身に回ると死に至ることもある劇薬らしい。
「君が静かにしていると、なんだか家の中が寒々しい。早く元気になってくれよ」
イリスがタビトの額に浮かんだ汗を、湿らせた布でそっと拭き取る。田舎の野山が恋しくなっていたタビトだったが、汗を拭いてもらうのなら山風よりイリスがいいと、まだ朦朧とした頭で思った。
完全に熱が引き、体力が戻るまではそこから更に二日かかった。久方ぶりにキッチンに下りて取った食事は、甘く煮詰めた芋粥と豆のスープ。いかにも胃袋に優しそうなメニューだが、タビトには少々物足りなかった。
「それで……また、ご褒美三つ溜まっちゃったけど。何か考えてる?」
先に夕食を終えていたイリスが、マグカップを口に運ぶ。透き通ったオレンジ色の、イリスが好きな銘柄の香茶だ。
「はぁ。これといって……ないですね」
本当はあった。ここ最近はずっと、イリスとキスしたい――と、そればかり願っていた。しかしいくら命をかけた実験とは言え、本来恋人同士にしか許されない行為をご褒美に強請るのはいかがなものかと、ぎりぎりのところで理性が耐えている。
タビトの曖昧な返事に、イリスは息を漏らして笑う。
「そう言うと思った。だから私の方で一つ考えてみたんだ」
「何ですか? ……あ、娼館とかそういうのはいいですよもう」
先回りして封じれば、イリスは「分かってるって」と笑う。
「最近、すごくいい天気でしょう。行楽日和だと思わない?」
「はぁ。……そうですね」
たしかに、過ごしやすくいい天気が続いている。ここしばらく寝込んでいたタビトにはあまり関係なかったが。
「王都から少し北にいったところに小さな村があってね。近場のわりに自然が多くてほっとするような村なんだ。三泊四日くらいの日程で、行ってみない?」
「え……」
小さな村。自然が多くてほっとする。三泊四日……。
病み上がりの頭ではうまく情報が結びつかず、寸の間呆けてしまった。一拍遅れて理解した時には、タビトの頬は興奮で紅潮していた。
「そ、それってつまり……先生と旅行ってことですか!?」
「うん、そういうこと。どうかな、たまには緑が多いところでのんびり――」
「行く! 行きます! やったぁ、オレちょうど森とか走り回りたいって思ってたとこなんですよね、すげー楽しみ! あ、いつ行きます?」
今にも飛び跳ねんばかりのタビトを見て、イリスの顔も綻ぶ。
「そんなに喜んでくれると私の方が嬉しくなるな」
「あっ、でもこれ大丈夫なんですか? たしかこれ付けてる間は王都から出られなかったような……」
急に奴隷の首輪の存在を思い出し、首元に手を伸ばす。
「大丈夫だよ。その首輪の制限はざっくり言うと『主従が同じ街で暮らすこと』だから、私と同行するぶんには外に出ても構わない」
「そうなんですか、それならよかった。楽しみだなぁ、こういう時って何か持っていくものあります? 着替えだけ?」
もう荷造りの準備を始めようとするタビトを見て、イリスは満足げに茶を啜った。
「やっぱり君はこうでないとね」
「え? 何がですか?」
「君が元気になって良かったって言ったんだ」
それからイリスは今後の予定について話した。タビトの休養と体力の快復にあと一日あて、その翌日に諸々の準備を済ませ、更にその翌日が旅立ちの日と相なった。
◆
旅行出立の前日。
タビトは久しぶりに夜の散歩に出ていた。
体調が戻ったばかりなのと明日の出立に備えてアンコの同伴はなしで、少し体を解す程度の短い散歩だ。あまり遠くまで行かないことをイリスと約束し、街灯が灯る石畳の上を一定のペースで走る。
『終わり桜』の症状が完治するのにおよそ一週間、学祭が終わってからだと二週間程度引きこもっていたことになるが、その間にも季節というはどんどん変わっていくものだな、と感じた。周囲は以前よりずっと温かく、日没によって冷やされた夜の空気の中にもまだ温もりが残っている。
たっ、たっ、という自分の足音を聞きながら走り込んでいると、前方にあるベンチに誰かが座っているのが見えた。街灯に照らされた人物の輪郭に見覚えがある。誰だっけ、とタビトが記憶を探っていた時、ベンチの影から小さな生き物が飛び出してきた。
「わん!」
「あ。眉毛に豆ついてる犬!」
タビトのおかしな呼び方にも嬉しそうに尻尾を振って応える。リズロナが飼っている黒い犬だった。
ベンチに座っていた人物――リズロナも、タビトに気付いて立ち上がる。
「タビトくん、お久しぶりです。やっと会えました。あとこの子は眉毛に豆じゃなくてコゲタです」
「あ、ごめんそうだった。オレに何か用あった?」
「大ありですよもー」
コゲタに導かれながらリズロナのいるベンチの前まで来ると、彼女は疲れたように一枚の布を袋状にした包みを差し出す。
「こ・れ! 学園祭でタビトくんが着てきた服です! そのうち取りに来るかと思ったけど来ないし散歩コースで待っても来ないし、イリス先生も最近講義休みがちだしで、いい加減古着屋に売っぱらってやろうかと思ってましたよ」
「あ、あー……ごめん、ありがとうわざわざ……」
そういえばあの日は舞台衣装のままで帰ったから、着替えを控室に置きっぱなしにしていたのだった。あの時会場を出る前に着替えていれば、大勢に取り囲まれて追いかけ回されるなんて無駄な苦労はせずに済んだのに。自分のうっかりさに少し呆れたが、そのおかげでイリスと一つのマントの下でいちゃいちゃできたのだから結果オーライとも言える。
「それと三位は賞金の他に賞品も出るんですけど、そっちは今持ってきてないんですよ。ボトルワイン三本セットなので、重くて」
「へー、そうなんだ」
「それで、次会う時渡したいんですけど。いつ会えます? 明日もここ通りますか?」
「えっ」
タビトの反応にリズロナが怪訝そうな顔をする。毎晩ここで彼女が待っていたと聞かされた後ではなんとなく気まずいものを感じたが、タビトは正直に告白した。
「実は明日からイリス先生と旅行に行くことになってて……」
「えっ旅行!? どこにですか?」
「そんなに遠くないけど、ここからちょっと北にあるサンサリーズって村」
「へぇ、いいなぁ。田舎だけどたまに貴族が休暇で行ったりするとこですよね」
「さぁ、オレはよく知らないんだけど。自然が多くていいところだって聞いたな」
「そっかー。まあでも、そういうことなら旅行が終わってからですね。ワインなら日持ちするしまた改めて散歩中に会った時に決めましょう。わたしはわりと毎晩この当たりうろついてるんで」
「うん、ありがとう」
そこで軽く手を振って別れようとしたのだが、前に踏み出しかけたタビトの背中を「あと一つ」とリズロナが引っ張った。何事かとタビトが振り返ると、彼女はいつになく硬い表情で言う。
「実は……イリス先生のことで、ちょっと心配事が」
「え。先生がどうかした?」
「えっと、これはあくまで噂なんですが……」
リズロナは周囲を窺うように素早く目線を走らせると、顔の横に手をあて、声を落とす。
「学院の生徒で何人か、北門の近くで先生を見たって子がいるんです。なんだか物騒な男達に囲まれながら、娼館に入っていったとか……」
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