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5章◆命を吸う牙
古道具屋-3
しおりを挟む「できますけど指輪は小さいぶん、拘束力はありませんよ。本当の恋人や夫婦同士で夜のお愉しみ用として使うこともあったくらいで。ちなみにこれは『自分が果てたことを相手に伝える指輪』です」
「はて……?」
「お兄さん的には『イッた』とか『射精した』と言う方が分かりやすいですかね」
「……!」
タビトの顔が赤くなったのを見て、老人が面白そうに目を細める。
「他にも色々ありますよ。こっちのは『嬌声の首輪』。お愉しみの最中の声を抑えられないようにする首輪ですね。こっちは『夜の女王の首輪』。奴隷であっても日没後から夜明けまでは、特別に主に鞭打つことが許される。このペアリングは『月の満ち欠けの指輪』。女性の月のもの……つまり月経の状態を夫や恋人に伝えるためのものですな。どうです、一口に奴隷の装具と言っても色々あって面白いでしょう」
老人はいかにも楽しくてたまらない、というように語るが、タビトは恥ずかしいを通り越して呆れてきた。少し前まで持っていた『奴隷の首輪』というもののイメージがどんどん崩れていく気がする。元々日陰に生きる者のための道具であることは分かっていたが、そんな目的で使われていたとは。ほとんどシモの話ばかりではないか。
タビトの表情から察したのか、老人が「おや、興味ありませんでしたか」と眉を下げる。
「いや、興味というか……奴隷の装具って、もっと怖くて危ないものだと思ってたので。なんか思ってたよりしょうもないんだなって……」
「なんと」
老人は一度目を丸くすると、今度は人の悪い笑みを浮かべる。
「お兄さん、それは早合点というものです。お兄さんが思っている以上に怖くて危ない奴隷の装具ももちろんありますよ。ただそういった類のものはうちみたいな街の古道具屋には回ってきません。真に優秀で危険な魔導具というものは、昔から一部の貴族と教会ががっちり握り込み、存在すら秘匿して、ここぞという時にだけ使うんです」
「はぁ……」
そういえばアンジュも、ラギのために『訓練生の首輪』を求めていたが手に入らなかったと嘆いていた。ああいったものこそ広く出回れば助かる人が大勢いるのに、そうはできないようになっているらしい。よく分からない世の中だ。
「よく分からない世の中ですね」
思ったことをそのまま言えば、老人はくすりと吐息だけで笑った。
「お兄さんはまだ若い。これから学んでいけばいいのです」
「はぁ。……」
何をどうやって学ぶというのか。タビトがなんとも答えあぐねていると、店の奥からイリスの声がした。
「タビトー、終わったよー! 荷物持ち頼める?」
「あっ。はーい! 今行きます!」
タビトも首を伸ばして返事をし、老人に「それじゃ」と軽く挨拶をする。そのまま横を通り抜けようとしたのだが、その瞬間に老人が早口でぼそりと言った。
「お兄さんの綺麗なご主人様。ずっと一緒にいたいのなら、ただ大事にしてるだけじゃ駄目ですよ」
「えっ、……」
数歩進んでから振り返るも、老人は意味深な笑みを口元に浮かべるだけで、タビトとは目も合わさない。
「今のどういう……」
「タビトー? 何か欲しいもの見つけた?」
イリスの声が追加で飛び、老人は手で軽く払うような仕草をする。イリスを待たせているのに、話したがらない老人に構っている暇はない。タビトは後ろ髪を引かれる思いをしながらも、イリスの元へ速足で向かった。
「ずっとあっちにいたの? 何か面白そうなものあった?」
「いえ、特に」
いかがわしい装具の話などできないので、誤魔化しながらイリスの前に立つ。床に明らかに目当てのものと思しき黒い鉄の塊があったので、腰を屈めて掴めそうな場所を探した。
「これ……ですよね。けっこう重そうだな。どうやって持とう」
「それがね、荷台貸してくれるって。今裏に取りに行ってくれてるから少し待ってて」
「ああ、それは助かる……」
言いながら目線を上に上げたところで、イリスの額のあたりで何かがきらりと光った。レジの奥にある部屋を覗き込むイリスは、タビトの視線に気付いていない。
その額にある乳白色の石は、タビトの位置からだと少し肌から盛り上がり、なだらかな輪郭線を遮る不自然な出来物のように見えた。そしてその柔らかな石の色は、さっき見た奴隷の装具に付いていた石とよく似ている……気がする。
――まさか。
咄嗟に思いついてしまった空想を頭を振って追い払う。そんなはずはない。たしかに今まであれが何なのか、ちゃんと聞いたことがなかった。他の人も誰も何も言わなかった。だからもうそういうものとして、すっかり日常に馴染んでいた。それに先生はオレとはまるで違う。普通に仕事をして食事して、今もこうやって買い物して……
「お待たせしましたー! 荷台の貸出料は今回はおまけしときますね。その代わり返却の際にはまたよろしくお願いします」
「ありがとう。また来ます。……タビト?」
「えっ! あっ、はい。荷物持ちですよね。はい、今持ちます!」
タビトがぐいと鉄の塊を持ち上げようとするのを、イリスが慌てて止める。
「うわ、そんな持ち上げなくて大丈夫だから! 荷台にちょっと載せるだけでいいんだよ、タビト!」
「あ。はい。そうでした」
古道具屋を出ると、イリスは「私はこれから顔を出さなきゃいけないところがあるからあとお願い」とだけ言い残し、足早で雑踏の中に消えていった。
今日も一日イリスと一緒にいられると思ってたので少し残念だったが、仕方がないので一人荷台を押しながら家路につく。結局この黒い塊が何なのか聞くのを忘れていた。まあ、じきに分かることなのだろうけど。
タビトは家に着いて荷台ごと荷物を玄関に入れると、自分は自室にあがって二度寝することにした。今朝叩き起こされた時に「荷物持ちが終わったら今日は何もしないで寝てていい」と言われていたのだから、これくらいの『ぐうたら』は構わないだろう。でもイリスが帰ってくるまでには起き出して、キッチンとイリスの部屋を少し掃除しておこう。あの人は大抵の家事はできるが、片付けだけは本当に苦手だから……。
まだ前日までの疲労が残っていたのだろう、ベッドに横たわるとものの数呼吸で、タビトは深い眠りに落ちていった。
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