銀の旅人

日々野

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6章◆触れてはいけない、触れてほしい

毒を撒く力

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 目を開くと、真っ白い空間の中で横たわっていた。
 上下左右、どこまでも白が続く空間に既視感を覚えて体を起こすと、目の前に黒い靄に覆われた人物がいる。

「よく来たな。『海と大地の子』、『エロガキの』タビト」

 顔も姿も未だによく分からないが、こんな人物は二人といない。魔人だ。
 タビトはうんざりしながらも、とりあえず口を開いてみる。

「……その呼び方、やめてくれない? エロガキの方」
「何故だ? 貴様を現すのに丁度よい名ではないか。寝ても覚めても接吻接吻接吻と頭の中はそればかり。貴様は発情期の獣か」
「えっ」

 思いがけない反論を喰らい、夢の中なのに目が覚めた。

「寝ても覚めても……って、あんた、オレの頭の中が見えてんの?」

 信じられない思いで尋ねれば、魔人は靄の中で呆れたように笑う。

「当然だろう。今の俺は貴様の中、貴様の一部と言っても過言ではないのだから。まあ、すべてを覗き見している訳ではないから安心しろ。貴様の中のひと際強い思いがここまで沁み出してくるのだ。まっこと鬱陶しいことに」
「はぁ……そういうもんなんだ……」
「そんなことより」

 魔人は腕を組むと、不機嫌そうに言った。

「貴様。牙はどうした? あれだけ『あかしを見せろ』と喚くから授けてやったのに、たったの一度しか使っていないではないか」
「え? あー……」

 ――そういえば牙とかもらってたな。

 最近はイリスとのキスのことで頭がいっぱいで、存在ごと忘れていた。

「もらいはしたけど……あれ、三秒以上噛んだら死ぬかもしれないんだろ? そんなの危なっかしくて使えないって。オレの妄想じゃないって証明にはなったからいいじゃん」

 正しくは一秒で眩暈、二秒で立っていられなくなり、三秒で昏倒する。よって三秒未満であってもそう易々と他人に使えるものではない。それにそもそも、タビトが日常的に触れ合う人間はイリスくらいしかいないのだ。そのイリスを頻繁に噛んだりすれば、生活自体が立ち行かなくなる。というかその前にリウルに殺される。
 けれどそんな事情は関係ないとばかりに、魔人は首を振る。

「よくない。牙は研がねば鈍る、鍛錬せよ。いざという時使い物にならなくなるぞ」
「そうは言ってもなぁ……たしかに使いこなせれば役立つ時もあるだろうけど、鍛錬するにもどうやって……」

 タビトとしても、予期せぬタイミングで牙が出てきてキスの最中にイリスを噛んでしまう――などという事故は絶対に避けたい。かと言って、誰を練習台にすればいいというのか。
 そのようなことを切々と訴えれば、魔人は心底呆れたように息を吐いた。

「まったく。何故分からぬ。たった一人、牙の影響を受けない者がいるではないか」
「えっ。だれだれ、誰のこと?」

 思わずタビトが前のめりになるも、魔人は大儀そうに人差し指を持ち上げる。そしてその指先を、まっすぐにタビトへ向けた。

「え。……オレ?」
「他に誰がいる。貴様ならばいくら吸っても貴様の体に戻るだけ。生気が循環することで体の隅々にまでゆき渡り、むしろ調子が上がるくらいだ」
「そ……そっか。それなら誰にも迷惑かけないだろうけど……でもそれ、本当に鍛錬になるのか?」
「何もしないよりはずっとましだ。だいたい貴様、未だに牙を自在に出すこともままならぬのだろう。量の調節よりもまずは己の意志で牙を使うことを覚えろ。話はそれからだ」
「な、なるほど」

 なんだか初めて魔人に『ためになること』を言われた気がして、素直に感嘆の声が出た。もしかしてこの魔人、実は凄い人なんじゃないか。いや、人なのか?

「それからもう一つ」
「え。まだ何かあるの」
「呆れたことに己に宿ったもう一つの力について、貴様は何も気付いていないと見える。その力を使えば、貴様の願望など容易く叶うというのに」
「えっ? 何、何の話……?」

 話が読めず首を傾げる。『もう一つの力』に関しては全く心当たりがないが、『願望』ならば最近はイリスのことばかりだ。まさかイリスの心を掴むような、夢のような力でも宿ったのかと期待したが、魔人が言ったのはまったく別のことだった。

「『毒を撒く力』。貴様が今まで喰らった俺の残骸を、接触を介して他者に付与する力だ。いいか、分かるか? 貴様は触れるだけで他人を麻痺させたり視界を奪うことができるのだ。『楽園行き』や『妖精の目隠し』のように」
「え、……」
「いつでも使えるよう鍛錬しておけ……と言いたいところだが、『牙』でさえ使うことを躊躇する腑抜けには荷が重いか。まあ、いざという時のために名と効果はくらいは覚えておくのだな。貴様のおつむでどこまでできるか見物だが」
「……」

 想像以上に大きく、恐ろしい力に、しばし言葉を失った。

 ――魔人の残骸……つまり、今まで呑んだ毒のことだよな? 他に何があったっけ? 頭が真っ白になって思い出せない。『湿地の紅姫』……は、何だっけ? 『未亡人』……の、正式な名前は何だっけ。駄目だ、『強烈回転眼』と『激烈腹下し』くらいしか名前と効果が一致しない。「分かりやすいから好き」と言った先生の言葉、今なら心から共感できる。いや、今はそんなこと考えてる場合じゃなくて……。

「おい、何か返事をしたらどうだ。黙りこくって気色悪い」

 タビトが何の反応もしないことに、魔人は気分を害したらしい。不機嫌そうに腕を組み、爪を噛んでいるのが仕草で分かった。

「ああ、ごめん、びっくりして……でもそれ、牙みたいに勝手に出てきたりはしないよな? だとしたらすげー困るんだけど」
「さてな。俺には保証はできん。だが怒りで我を忘れるようなことがなければ暴発することはなかろう。おそらくな」
「え、えぇ……何そのあやふやな感じ……」

 ――命を吸い取る牙の次は、毒を撒く力?

 牙だけでも身に余る力だというのに、毒など一体どうしろというのだろう。何らかの間違いがあったとしても、牙の場合は三秒以内に顔を離せば大事には至らないことが分かっている。だが、毒の場合は? うっかり誰かに触れて何らかの毒を与えてしまった場合、ものによっては取り返しのつかないことになる。
 自分がどんどん人間離れしていくのを感じながら、もう一つ気になったことを聞いてみる。

「そういやさっき、もう一つの力を使えばオレの願望が叶うって言ったよな。あんたの毒を使えってことか? それで何が叶うんだよ」
「……貴様は……」

 魔人は今日何度目かのため息を吐く。

「本当に頭が悪いな。貴様のその止めどない肉欲、性欲、支配欲。すべてを解決する力が既に貴様の内にあるだろう」
「へ? だから何が……」
「第三番。『夜の蝶』」

 どくん――と、タビトの心臓が大きく跳ねた。魔人はその反応を見て、靄の中でにんまりと口の端を上げる。

「後はもう分かるな? せいぜいうまくやることだ」

 魔人はふっと吐息だけで笑うと、白い空間の中に黒い霧となって霧散した。
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