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6章◆触れてはいけない、触れてほしい
極楽睡眠落とし
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◆
同じの日の夜。一日の家事と湯浴みを済ませ、後は寝るばかりという時間帯。タビトはイリスの寝室の前に来ていた。
ノックをする前に、大きく深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
「せ、……先生。まだ起きてますか?」
緊張で最初の「せ」が裏返ってしまったが、なんとか最後まで言い切る。程なくしてぱたぱたと足音が聞こえ、内側からドアが開いた。
「どっ、……どうしたの? 珍しいね、こんな時間に」
寝間着姿のイリスが、どこか焦ったような様子でタビトを出迎える。
部屋の中からは煌々と魔導ランプの明かりが漏れていたが、金の髪は一房あらぬ方向に跳ねているし、頬にシーツの痕がくっきりと残っている。うたた寝していたことは一目瞭然だった。
イリスはそれを誤魔化そうとしているのだろうか。そういうところもかわいいなぁ、などと思いつつ、タビトは下腹部に力を込める。
「ちょっと、入っていいですか? 試したいことがあるんです」
「……いいけど。試したいこと……?」
ぽやんとした顔で首を傾げつつも、イリスは体を引いてタビトを部屋に導いた。
「それじゃ先生、ベッドに座ってくれますか」
「えっ。……べ、ベッドに? 私が?」
「はい」
タビトの言葉に、イリスは何故か過剰に反応した。ぎくしゃくとやたら角張った動きで、ちょこんとベッドの端に腰掛ける。
「……あ、そうじゃなくて。反対向きで、なんというかこう……」
「え、わ、」
口で説明するのが面倒になり、タビトはぐいとイリスの肩を掴む。そして一緒にシーツの上に乗り上げると、イリスの体を枕の方に向かせた。タビトはイリスの背中側に座ったまま、そっと両手を肩に乗せる。
「た、……タビト? 何をする気なのかな……?」
「……ごめんなさい。オレ、馬鹿だから大事なこと忘れてました。せっかく教えてもらったのに……」
「……タビト……?」
タビトの胸の裡に、後悔の波が押し寄せていた。サンサリーズでのあの日々のことを、どうして自分は忘れていたのだろう。せっかく大事なことを、教えてもらったのに。
アンジュの言葉が耳の奥で木霊する。
――イリス先生が不在の間、先生の力になれることをわしが教えてやろう。君はイリス先生の役に立ちたいんだろう?
「先生っ見てください! これがオレの……必殺、『極楽睡眠落とし』です!」
「はっ? ごくらく……? うっ!?」
ぎゅうっと指先に力を込めて、イリスの肩を揉みしだく。手のひら全体でイリスの肩を包むようにしながら、ゆっくり力を加えていくと、イリスの口から「はわぁ」という聞いたことのないくらい情けない声が漏れた。
「な、……にこれぇ……気持ちい……」
「ふふ、アン爺さん直伝のマッサージ法です。帰ったらすぐにでも試すはずだったのに、なんかバタバタしてて今日まで忘れちゃってました」
「そ……うなんだ。……あーそこ、きもちぃ……」
「ここですか? いや~凝ってますね先生、ガチガチですね」
「はぅぅ……」
凝り固まった肩から背中の筋肉の間に指を入れ、丹念に解していく。時には指先を小刻みに揺らし、時にはじっくりと手のひらを押し当てて温める。そのたびイリスが「はひぃ」とか「ふぁあ」とか気持ちよさそうに息を吐くのが面白く、タビトは夢中になってアンジュの教えを実行した。
肩を中心に背中の上半分と首、二の腕を解し終わる頃には、タビトはうっすらと汗をかいていた。
「よし、こんなもんですかね。あんまり一度にやり過ぎると逆によくないらしいんで、今日はこのへんで」
最後にぽん、と軽く肩を叩いて終了の合図をする。イリスは名残惜しそうにちょっとだけ肩越しに振り返ったが、こっくりと頷いた。
「うん、ありがとう。すごく気持ち良かった。アンジュ先生、こんなことまで君に教えてたんだね」
「はい、筋がいいって褒められたんですよ。今まで忘れてたくせに何言ってんだって感じですが……」
「君、手が大きいし体温も高いから向いてるんだろうね。マッサージ師にもなれるんじゃない?」
「あ、それも言われました、一回ちゃんと学んでみないかって。まあでも、オレは先生に気持ちいいって言ってもらえたらそれで十分なんですけど」
あはは、と笑ってみせるも、イリスは何故か反応しなかった。
「……先生? 眠いんですか?」
「え? ……あ、うん、そうだね、眠いかも……『ナントカ睡眠落とし』だっけ? 効果抜群だ」
「はぁ……、」
「それじゃ、私はこのまま寝るとするよ。明かり、消していってくれる?」
イリスが笑顔で入口のスイッチを指す。マッサージの直後で血の巡りが良くなっているはずなのに、イリスの表情にはどこか影が落ち、言葉には有無を言わさぬ圧があった。
タビトは釈然としないものを感じながらも「おやすみなさい」と告げ、明かりを消して部屋を出た。
同じの日の夜。一日の家事と湯浴みを済ませ、後は寝るばかりという時間帯。タビトはイリスの寝室の前に来ていた。
ノックをする前に、大きく深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
「せ、……先生。まだ起きてますか?」
緊張で最初の「せ」が裏返ってしまったが、なんとか最後まで言い切る。程なくしてぱたぱたと足音が聞こえ、内側からドアが開いた。
「どっ、……どうしたの? 珍しいね、こんな時間に」
寝間着姿のイリスが、どこか焦ったような様子でタビトを出迎える。
部屋の中からは煌々と魔導ランプの明かりが漏れていたが、金の髪は一房あらぬ方向に跳ねているし、頬にシーツの痕がくっきりと残っている。うたた寝していたことは一目瞭然だった。
イリスはそれを誤魔化そうとしているのだろうか。そういうところもかわいいなぁ、などと思いつつ、タビトは下腹部に力を込める。
「ちょっと、入っていいですか? 試したいことがあるんです」
「……いいけど。試したいこと……?」
ぽやんとした顔で首を傾げつつも、イリスは体を引いてタビトを部屋に導いた。
「それじゃ先生、ベッドに座ってくれますか」
「えっ。……べ、ベッドに? 私が?」
「はい」
タビトの言葉に、イリスは何故か過剰に反応した。ぎくしゃくとやたら角張った動きで、ちょこんとベッドの端に腰掛ける。
「……あ、そうじゃなくて。反対向きで、なんというかこう……」
「え、わ、」
口で説明するのが面倒になり、タビトはぐいとイリスの肩を掴む。そして一緒にシーツの上に乗り上げると、イリスの体を枕の方に向かせた。タビトはイリスの背中側に座ったまま、そっと両手を肩に乗せる。
「た、……タビト? 何をする気なのかな……?」
「……ごめんなさい。オレ、馬鹿だから大事なこと忘れてました。せっかく教えてもらったのに……」
「……タビト……?」
タビトの胸の裡に、後悔の波が押し寄せていた。サンサリーズでのあの日々のことを、どうして自分は忘れていたのだろう。せっかく大事なことを、教えてもらったのに。
アンジュの言葉が耳の奥で木霊する。
――イリス先生が不在の間、先生の力になれることをわしが教えてやろう。君はイリス先生の役に立ちたいんだろう?
「先生っ見てください! これがオレの……必殺、『極楽睡眠落とし』です!」
「はっ? ごくらく……? うっ!?」
ぎゅうっと指先に力を込めて、イリスの肩を揉みしだく。手のひら全体でイリスの肩を包むようにしながら、ゆっくり力を加えていくと、イリスの口から「はわぁ」という聞いたことのないくらい情けない声が漏れた。
「な、……にこれぇ……気持ちい……」
「ふふ、アン爺さん直伝のマッサージ法です。帰ったらすぐにでも試すはずだったのに、なんかバタバタしてて今日まで忘れちゃってました」
「そ……うなんだ。……あーそこ、きもちぃ……」
「ここですか? いや~凝ってますね先生、ガチガチですね」
「はぅぅ……」
凝り固まった肩から背中の筋肉の間に指を入れ、丹念に解していく。時には指先を小刻みに揺らし、時にはじっくりと手のひらを押し当てて温める。そのたびイリスが「はひぃ」とか「ふぁあ」とか気持ちよさそうに息を吐くのが面白く、タビトは夢中になってアンジュの教えを実行した。
肩を中心に背中の上半分と首、二の腕を解し終わる頃には、タビトはうっすらと汗をかいていた。
「よし、こんなもんですかね。あんまり一度にやり過ぎると逆によくないらしいんで、今日はこのへんで」
最後にぽん、と軽く肩を叩いて終了の合図をする。イリスは名残惜しそうにちょっとだけ肩越しに振り返ったが、こっくりと頷いた。
「うん、ありがとう。すごく気持ち良かった。アンジュ先生、こんなことまで君に教えてたんだね」
「はい、筋がいいって褒められたんですよ。今まで忘れてたくせに何言ってんだって感じですが……」
「君、手が大きいし体温も高いから向いてるんだろうね。マッサージ師にもなれるんじゃない?」
「あ、それも言われました、一回ちゃんと学んでみないかって。まあでも、オレは先生に気持ちいいって言ってもらえたらそれで十分なんですけど」
あはは、と笑ってみせるも、イリスは何故か反応しなかった。
「……先生? 眠いんですか?」
「え? ……あ、うん、そうだね、眠いかも……『ナントカ睡眠落とし』だっけ? 効果抜群だ」
「はぁ……、」
「それじゃ、私はこのまま寝るとするよ。明かり、消していってくれる?」
イリスが笑顔で入口のスイッチを指す。マッサージの直後で血の巡りが良くなっているはずなのに、イリスの表情にはどこか影が落ち、言葉には有無を言わさぬ圧があった。
タビトは釈然としないものを感じながらも「おやすみなさい」と告げ、明かりを消して部屋を出た。
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