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7章◆雷光轟く七夜祭
CO-1
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◆
もう午後四時過ぎだというのに、太陽がじりじりと肌を焦がす。
足を動かすたびに汗が後ろに流れる。向かってくる風は生温かく肌の表面を撫でるだけで、決して火照った体を冷ましてはくれない。
整然とした通りを黙々と走りながら、タビトは七夜の月ってこんなに暑いものだったけ――と考え、すぐに思い当たった。
タビトが今まで暮らしてきた村々と違い、王都には影になるような木々が少ない。道も綺麗に整備された石畳が中心で、容赦なく光が下から照り返してくるから、余計に暑く感じるのだろう。夏の間、走り込みはもう少し遅い時間帯でするべきなのかもしれない。
暑さでへとへとになりながら帰宅する。水を求めてまっすぐにキッチンに向かうと、意外なことにイリスがいた。
「あれ、先生。今日は早いですね。おかえりなさい」
「ああ、君もね。おかえり」
ソファに座ったイリスの膝の上には、短足でやや太り気味のリウルの愛犬、アンコがいた。
「おっ、アンコじゃん。久しぶりだなー」
一時期はアンコを重りのように抱いて毎晩走ったものだった。久しぶりの再会に嬉しくなり、うりうりと首をかいてやると、アンコも嬉しそうに尻尾を振って腹を見せる。
「お前はほんと賢いなぁ。また一人で来たのか?」
白い腹をわしゃわしゃと撫でながら尋ねる。ほとんど独り言のように呟いたのだが、アンコの代わりにイリスが答えた。
「ううん、今日はリウと一緒に来たよ」
「えっ、そうなんですか? リウル先輩はもう帰ったんですか?」
「いやまだ……あ。そうだ、君に用があるって言って君の部屋に行ったんだった。待ってる間家探ししてやるとか言ってたけど……ちょっ、タビト?」
イリスの言葉の途中でタビトは立ち上がっていた。何かとてつもなく嫌な予感、胸騒ぎのようなものを覚えた。階段を二段飛ばしで上がり、ものの数秒で自室にたどり着く。ノックもせずにドアを開けると、果たしてそこにはタビトが予期した通りの光景が広がっていた。
ベッドの手前の床であぐらをかいたリウルが、気まずそうな顔でタビトを振り返る。
「……あ。……」
「……」
「……いや、悪い。……まさか本当に……こんなにベタなところに隠してあるとは思わなくて……」
「……」
リウルの手にあったのは、日焼けにより変色して状態の悪くなった小さめの本――『美少年剣士イルシス』の五巻だった。その体の横には全七巻が詰められた古い木箱もある。どちらも『ジグマルドの間』からこっそり持ちだし、普段はベッドの下に隠している品だった。
タビトは気が遠くなるような感覚に襲われながらも、必死で頭を働かせる。
――見られた。よりによってリウル先輩に。男同士のいかがわしいエッチな本を見られてしまった。どうする? 『牙』を使ってみるか? 一日くらい気を失ってくれたら都合よく誤魔化せたりするんじゃないか? やれるかオレ? 牙出せるか? 全く美味そうとは思えないけどとりあえず噛んでみるか?
タビトの目が据わっていることには気付かない様子で、リウルが乾いた笑みを浮かべる。
「まあでも、……正直驚いたよ。お前がこういうの読むなんて意外というか……でもある意味納得というか……」
「……」
――もう駄目だ。一か八か、やってみるしかない。
タビトが大股で一歩踏み出したその瞬間、リウルが続けて言った。
「名前とか雰囲気とか、ちょっと似てるもんな。イリス先生とイルシスって」
「……え、」
「なんかこう……華奢で健気で可憐なんだけど、妙に我が強いとことか……普通に過ごしてるだけでなんかやらしいとことか……」
「えっ、えっ? ……リウル先輩?」
リウルの口からつらつらと出てくる言葉達に、タビトは信じられない思いで立ち尽くす。今目の前で起こっていることに対して、理解が追い付かなかった。
リウルはその場に立ち上がると、タビトの方に手を差し伸べる。そして厳かに言った。
「タビト。心配するな。……俺もリッチモンド・キャロライン先生の、愛読者だ」
「……リウル先輩……」
リウルの目にはタビトを茶化すような気配は全くなく、むしろ真剣な色を湛えていた。タビトはその目を信じ、自分も手を差し伸べる。リウルのごつごつした硬い手と握手を交わしながら、タビトは思った。
――リッチモンド・キャロラインって、誰だっけ。
もう午後四時過ぎだというのに、太陽がじりじりと肌を焦がす。
足を動かすたびに汗が後ろに流れる。向かってくる風は生温かく肌の表面を撫でるだけで、決して火照った体を冷ましてはくれない。
整然とした通りを黙々と走りながら、タビトは七夜の月ってこんなに暑いものだったけ――と考え、すぐに思い当たった。
タビトが今まで暮らしてきた村々と違い、王都には影になるような木々が少ない。道も綺麗に整備された石畳が中心で、容赦なく光が下から照り返してくるから、余計に暑く感じるのだろう。夏の間、走り込みはもう少し遅い時間帯でするべきなのかもしれない。
暑さでへとへとになりながら帰宅する。水を求めてまっすぐにキッチンに向かうと、意外なことにイリスがいた。
「あれ、先生。今日は早いですね。おかえりなさい」
「ああ、君もね。おかえり」
ソファに座ったイリスの膝の上には、短足でやや太り気味のリウルの愛犬、アンコがいた。
「おっ、アンコじゃん。久しぶりだなー」
一時期はアンコを重りのように抱いて毎晩走ったものだった。久しぶりの再会に嬉しくなり、うりうりと首をかいてやると、アンコも嬉しそうに尻尾を振って腹を見せる。
「お前はほんと賢いなぁ。また一人で来たのか?」
白い腹をわしゃわしゃと撫でながら尋ねる。ほとんど独り言のように呟いたのだが、アンコの代わりにイリスが答えた。
「ううん、今日はリウと一緒に来たよ」
「えっ、そうなんですか? リウル先輩はもう帰ったんですか?」
「いやまだ……あ。そうだ、君に用があるって言って君の部屋に行ったんだった。待ってる間家探ししてやるとか言ってたけど……ちょっ、タビト?」
イリスの言葉の途中でタビトは立ち上がっていた。何かとてつもなく嫌な予感、胸騒ぎのようなものを覚えた。階段を二段飛ばしで上がり、ものの数秒で自室にたどり着く。ノックもせずにドアを開けると、果たしてそこにはタビトが予期した通りの光景が広がっていた。
ベッドの手前の床であぐらをかいたリウルが、気まずそうな顔でタビトを振り返る。
「……あ。……」
「……」
「……いや、悪い。……まさか本当に……こんなにベタなところに隠してあるとは思わなくて……」
「……」
リウルの手にあったのは、日焼けにより変色して状態の悪くなった小さめの本――『美少年剣士イルシス』の五巻だった。その体の横には全七巻が詰められた古い木箱もある。どちらも『ジグマルドの間』からこっそり持ちだし、普段はベッドの下に隠している品だった。
タビトは気が遠くなるような感覚に襲われながらも、必死で頭を働かせる。
――見られた。よりによってリウル先輩に。男同士のいかがわしいエッチな本を見られてしまった。どうする? 『牙』を使ってみるか? 一日くらい気を失ってくれたら都合よく誤魔化せたりするんじゃないか? やれるかオレ? 牙出せるか? 全く美味そうとは思えないけどとりあえず噛んでみるか?
タビトの目が据わっていることには気付かない様子で、リウルが乾いた笑みを浮かべる。
「まあでも、……正直驚いたよ。お前がこういうの読むなんて意外というか……でもある意味納得というか……」
「……」
――もう駄目だ。一か八か、やってみるしかない。
タビトが大股で一歩踏み出したその瞬間、リウルが続けて言った。
「名前とか雰囲気とか、ちょっと似てるもんな。イリス先生とイルシスって」
「……え、」
「なんかこう……華奢で健気で可憐なんだけど、妙に我が強いとことか……普通に過ごしてるだけでなんかやらしいとことか……」
「えっ、えっ? ……リウル先輩?」
リウルの口からつらつらと出てくる言葉達に、タビトは信じられない思いで立ち尽くす。今目の前で起こっていることに対して、理解が追い付かなかった。
リウルはその場に立ち上がると、タビトの方に手を差し伸べる。そして厳かに言った。
「タビト。心配するな。……俺もリッチモンド・キャロライン先生の、愛読者だ」
「……リウル先輩……」
リウルの目にはタビトを茶化すような気配は全くなく、むしろ真剣な色を湛えていた。タビトはその目を信じ、自分も手を差し伸べる。リウルのごつごつした硬い手と握手を交わしながら、タビトは思った。
――リッチモンド・キャロラインって、誰だっけ。
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