銀の旅人

日々野

文字の大きさ
129 / 183
7章◆雷光轟く七夜祭

アリアナ家のお姫様-1

しおりを挟む
「お待たせして申し訳ございません。私をお呼びですか、アリアナ家のお姫様」

 闇の中から音もなく姿を現したタビトを見て、娘はぱっと顔を輝かせた。

「ああタビト様、来てくださったのですね。わたくしこそごめんなさい、お仕事中いきなり押しかけてしまって」

 娘が体をくねらせると、頭の高いところで結んだ金の髪が優雅に揺れる。薄紫色のドレスはぴったりと彼女の体に纏わりつき、豊かな胸や細く引き締まったくびれを際立たせていた。世の男達を一目で骨抜きにしそうな過激な衣装にタビトはひるみかけたが、何食わぬ様子で彼女の向かいの席に回る。

「私に何かお話があると聞きました。座っても?」
「ええ、もちろん。何か注文しようかしら」
「姫がお望みなら私が聞きましょう。今はしがない給仕ですから」
「ふふ。色んな顔をお持ちなのね、あなたは。では今はわたくしのお客様になってもらおうかしら」

 そう言って娘が軽く手を挙げると、影の中で控えていた付き人の男がぬっと彼女の隣に現れる。娘は男に何か耳打ちをすると、その男が別のウェイターを呼んだ。

 付き人が注文を済ませている間、娘はニコニコと微笑みながらタビトを見つめる。暗がりの中でも分かる、はっとするほど白い肌の上を、柔らかそうな金の髪が流れている。人形のように整った顔立ちの娘だった。その上若くて色っぽい服を着ているとなれば、大抵の男は彼女に夢中になるだろう。けれどタビトには、いかにも用意されたご馳走のようなこの娘が、胡散臭く思えてならなかった。

 ――一体この子は何を考えている? 何をそんなに楽しそうにしているんだろう。訳が分からない。

 若い女性にまるで免疫のないタビトには、彼女の表情の意味が分からない。黙っていれば際限なくこの無駄な時間が続きそうで、タビトから口を開く。

「あの。アリアナ家のお姫様、私に一体何の御用が――」
「マリランテ」
「は?」
「わたくし、マリランテ・ルイズ・ノクト・アリアナと申します。どうかマリランテと呼んでくださいな。あ、やっぱりマリラの方がいいわ」

 そう言いながら、恥じらうように頬を染め口元を手で隠す。
 名前を名乗るだけで恥じらう意味が分からないが、無茶な要望ではない限りなるべく叶えた方がいいだろう。優しく丁重に、機嫌よく帰ってもらえとシフも言っていた。

「承知しました。ではマリラ、御用件を聞かせて頂い――」
「んんッ……ああ、本当にそう呼んでくださるのね。いいわぁ……」

 そこでマリラは突然びくりを肩を震わせたかと思うと、己の体をひしと抱く。何かに感じ入ったような姿に、ついタビトの口から「ひぇ」と情けない声が漏れた。慌てて咳払いで誤魔化す。

「……あの。御用件を聞かせて頂いても?」
「そう急かさないでタビト様。せっかくの機会なんですから、ワインでも呑みながらゆっくりお話しましょう」
「……そうですね」

 こっちは仕事中なんだからさっさと言ってくれないか――という言葉が出そうになったが、……なるべく、優しく、丁重に。どこかで様子を窺っているシフの姿を頭に描きながら、タビトは椅子に深く座り直した。
 程なくしてタビトも見知ったウェイターがやってきた。タビトより一回り年上で、ウェイター達の指導役も担っている中年の男だ。おそらくシフの指示で呼ばれたのだろう。落ち着いた様子でマリラの隣に立つ。

「お待たせしました。こちらプロヴァーニュ地方のラ・トレワ――」
「説明は結構よ」

 しかし彼女はウェイターに一瞥もくれずぴしゃりと遮る。その様子で彼も悟ったのだろう、「失礼しました」とだけ言うと黙ってワインを注ぎ、薄く切ったパンとチーズの皿を手早く置くと、一礼して去っていった。
 ウェイターの気配がなくなると、マリラは嬉しそうにグラスを手に取る。

「さあタビト様、乾杯しましょう。わたくしたちの運命的な再会に」
「は、……はあ。……」

 運命的も何もあんたが調べて呼びつけたんだろうが――とは思ったが、タビトも大人しくグラスを手に取る。その場で掲げるだけの乾杯をすると、ひとまず一口だけ口に含んだ。おそらく上等なワインなのだろうが、タビトは仕事中の身だし、得体の知れない貴族の娘と呑んでも落ち着かない。だからすぐにグラスをテーブルに置こうとしたのだが、マリラは不満そうに口を尖らせる。

「あらタビト様、ワインはお嫌い? それともお気に召さなかったかしら」
「いえ、そういう訳では。……こう見えて勤務中ですので」
「あら、真面目なのね。そういうところも素敵……」
「……」

 女性に免疫のないタビトでも、ここまで言われるとさすがにマリラが何を考えて会いに来たのか、段々と分かり始めていた。同時に、とてつもなく嫌な予感も。

「ええ、ですので……御用件があれば、早めに仰って頂けると助かります。私はここでは新参者ですから、あなたのように美しい御婦人と堂々とさぼっていると、後で先輩方に何を言われるか分かったものではありませんから」
「まあ、そうなの? だったらタビト様、こんなところ辞めてしまいなさいな。お金ならわたくしがいくらでも融通して差し上げますから」
「いえ、金が欲しい訳ではなく……」

 ――ああこれ、どうすればいいんだ。何て言えばうまく逃げられるんだ。こんなの難しすぎる! 助けて先生!

 噛み合わない会話に内心で悲鳴を上げながらも、冷静な表情だけは崩さないよう顔に力を入れる。

「有難い申し出ですが、御婦人に養って頂くというのは男として褒められたことではありません。それにせっかく頂いた仕事を投げ出すような真似もしたくありませんから」
「まあ、タビト様……。男としての矜持をお持ちなのね。それに責任感も。わたくし、そういう殿方大好き。いざという時頼りになるのはそういう方ですもの。タビト様ったら、やっぱりわたくしが見込んだ通りのお方」
「そ、……う、デスカ?」

 ――ああ駄目だ、なんか変な方向行っちゃった! いや機嫌は取れてるからいいのか? もうよく分からん、女の子の会話難しすぎる!

 両手で頭を掻きむしりたい衝動に駆られる。しかしあくまで冷静に見えるよう、その手をテーブルの上で組むだけに留めた。

「それではタビト様が馘になってはいけませんから、本題に入りますね」

 マリラがグラスを置き、すうと背筋を伸ばす。
 タビトはようやく話が進展することに安堵と恐怖の両方を覚えながら、同じく姿勢を正した。マリラがタビトの目をまっすぐに見つめながら言う。

「タビト様。どうかわたくしの恋人になってください」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ヤンキーDKの献身

ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。 ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。 性描写があるものには、タイトルに★をつけています。 行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

fall~獣のような男がぼくに歓びを教える

乃木のき
BL
お前は俺だけのものだ__結婚し穏やかな家庭を気づいてきた瑞生だが、元恋人の禄朗と再会してしまう。ダメなのに逢いたい。逢ってしまえばあなたに狂ってしまうだけなのに。 強く結ばれていたはずなのに小さなほころびが2人を引き離し、抗うように惹きつけ合う。 濃厚な情愛の行く先は地獄なのか天国なのか。 ※エブリスタで連載していた作品です

忠犬だったはずの後輩が、独占欲を隠さなくなった

ちとせ
BL
後輩(男前イケメン)×先輩(無自覚美人)  「俺がやめるのも、先輩にとってはどうでもいいことなんですね…」 退職する直前に爪痕を残していった元後輩ワンコは、再会後独占欲を隠さなくて… 商社で働く雨宮 叶斗(あめみや かなと)は冷たい印象を与えてしまうほど整った美貌を持つ。 そんな彼には指導係だった時からずっと付き従ってくる後輩がいた。 その後輩、村瀬 樹(むらせ いつき)はある日突然叶斗に退職することを告げた。 2年後、戻ってきた村瀬は自分の欲望を我慢することをせず… 後半甘々です。 すれ違いもありますが、結局攻めは最初から最後まで受け大好きで、受けは終始振り回されてます。

先輩、可愛がってください

ゆもたに
BL
棒アイスを頬張ってる先輩を見て、「あー……ち◯ぽぶち込みてぇ」とつい言ってしまった天然な後輩の話

聖獣は黒髪の青年に愛を誓う

午後野つばな
BL
稀覯本店で働くセスは、孤独な日々を送っていた。 ある日、鳥に襲われていた仔犬を助け、アシュリーと名づける。 だが、アシュリーただの犬ではなく、稀少とされる獣人の子どもだった。 全身で自分への愛情を表現するアシュリーとの日々は、灰色だったセスの日々を変える。 やがてトーマスと名乗る旅人の出現をきっかけに、アシュリーは美しい青年の姿へと変化するが……。

給餌行為が求愛行動だってなんで誰も教えてくれなかったんだ!

永川さき
BL
 魔術教師で平民のマテウス・アージェルは、元教え子で現同僚のアイザック・ウェルズリー子爵と毎日食堂で昼食をともにしている。  ただ、その食事風景は特殊なもので……。  元教え子のスパダリ魔術教師×未亡人で成人した子持ちのおっさん魔術教師  まー様企画の「おっさん受けBL企画」参加作品です。  他サイトにも掲載しています。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

処理中です...