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7章◆雷光轟く七夜祭
アリアナ家のお姫様-2
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「……」
――やっぱり、そういう話なのか。
体が火照るような感覚と一気に血の気が引くような感覚が、ほとんど同時にタビトを襲う。
答えなんて最初から決まっている。タビトが恋人になりたいのはイリスだけだ。よく知りもしない貴族の娘などと付き合えるはずがない。だがこの場でそれを伝えながら、どうやって彼女に機嫌よく帰ってもらえるのか、その方法が分からない。
どうすれば彼女を傷つけずに済むのか、どうすれば彼女に非はないと思ってもらえるのか。ひとまず誰の目にも明らかな問題が一つあるので、まずはそこを突くことにした。
タビトはわざとらしくため息を吐き、深刻そうに首を振ってみせる。
「……いけませんよ、アリアナ家のお姫様。私とあなたでは身分というものが違い過ぎる。私はあなたの隣に並ぶのに相応しくない人間です」
「タビト様、もちろんわたくしだって分かっています、わたくし達が結ばれてはいけない関係だということは。ですから正式に婚姻したいとまでは言いません。ただタビト様のお傍において、可愛がって頂きたいの。だから姫様なんて他人行儀な呼び方はやめて、どうかさっきのようにマリラとお呼びになって?」
マリラの懇願するような物言いに、タビトはいっそう混乱する。
――身分差は分かっている? 婚姻はしないで傍におくだけ? それに何の意味がある? この子は本当に、何がしたいんだ?
「……マリラ。私には、あなたの言っている意味がよく……」
段々頭が痛くなってきた。タビトがこめかみを抑えると、マリラがくすりと吐息で笑う。
「そういえばタビト様って、純朴なお方でしたわね。もっとはっきり言った方がよかったかしら。……タビト様、わたくしね。あなたの体が目当てなんです」
「……は? 体……というと?」
今一つ分かってないタビトを見て、マリラは楽しそうに続ける。
「タビト様がどんなセックスをするのか、どんな風にわたくしを抱いてくださるのか、とても興味があるの。あなたはほら、ご立派なものをお持ちでしょう? それでいて手先はとても器用。きっと刺激的な夜が過ごせるんじゃないかと思って」
「……はぁ。……え?」
「だから恋人というよりかは……情夫と言った方が正しいのかしらね。ねえ、どうかしら。お望みならお賃金も出すわ。言い値で」
テーブルの下で、タビトの足に何かが触れた。マリラの履いた尖った靴の先が、タビトの足の間に割って入ったのだと少し遅れて気付いた。と同時に、彼女が求めているものをようやく理解する。
――え? 何? か、体目当てってそういうこと? そういうのって金持ちの醜男が貧しい美女に下衆い感じで持ちかけるものだと思ってた。男女逆でもあるの? いやでも。そうか。
王都では子どもが生まれない。だから性産業が盛んだし、子どもができないのをいいことに遊び呆ける節操なしが多い――というようなことは、以前イリスから聞いたことがあった。その時はなんとなくだらしない男の話と思い込んでいたが、女の節操なしだっていてもおかしくないのだ。今タビトの目の前にいる、アリアナ家の令嬢のように。
これはまずいことになったぞ、と今更ながら冷や汗をかく。彼女が最初から『金銭を伴う割り切った関係』を望んでいるのなら身分差など些末なことだ。穏便に断る言い訳にできない。
「み、……身に余る光栄ですが……マリラ、私ではあなたを満足させることはできないと存じます。何分女性の扱いには慣れていなくて」
こうなったらとことん自分を下げるしかない。いつの間にか素に戻っていた顔を引き締め苦笑してみせるが、マリラは相変わらずニコニコと微笑む。
「ええ、存じております。でも心配なさらないで、わたくしはあなたのそういうところも気に入っているの。うまくできなくても大丈夫、その時はわたくしがあなたに『女の扱い』を教えて差し上げる。そうすれば別の御婦人を口説く時もきっと役に立つと思うわ。ねえ、悪い話ではないでしょう?」
「……えっと……」
悪いどころではない。世の男達からすると垂涎ものの提案だろう。本来なら絶対に手が届かない、麗しの貴族の娘を抱いて金までもらえるのだから。けれど生憎タビトは、一般的な男からはかなり外れていた。ただこの場から逃れたい一心で頭を働かせる。しかし身分差もタビトの経験不足も彼女の障害にならないとすれば、後はもう、何も思いつかなかった。
タビトは大きく息を吐くと、ついに腹を括る。
テーブルの下で纏わりついてくるマリラの爪先を払うようにして足を組む。それについて彼女が何か言う前に、タビトは素早く口を開いた。
「大変失礼な物言いをお許しください、マリラ様。私はその提案を呑むことはできません。何故なら私にはもう既に、添い遂げたい方がいるのです」
正攻法。
こうなったら真摯に打ち明ける他ない。
得体の知れない娘ではあるが、これまでの会話でマリラに悪意がないことは分かっていた。正面から真剣に訴えれば、引き下がってくれるのではないかという僅かな希望に賭けてみたのだ。
マリラは少し驚いたようだったが、すぐに気を取り直したように微笑む。
「あら、そうなの? それは羨ましいこと。……でも別に、構いやしないでしょう? いまどき平民の方だって愛人の一人や二人、もっていて当然――」
「そういった価値観を持つ方を否定はしません。ですが正直に申し上げると、私には受け入れがたい。もちろん王都ではマリラ様のような考え方が普通で、私の方が異端なのでしょう。だからマリラ様、情夫にするにしてもどうか私のような頭の固い変人ではなく、もっとあなたに相応しい方を……」
ぱちっ、と何かが爆ぜるような音が聞こえた気がして、タビトは口を噤んだ。周囲を見渡すも特に変わったところはない。気のせいかと思って再びマリラに向き直り、ぎょっとした。
――やっぱり、そういう話なのか。
体が火照るような感覚と一気に血の気が引くような感覚が、ほとんど同時にタビトを襲う。
答えなんて最初から決まっている。タビトが恋人になりたいのはイリスだけだ。よく知りもしない貴族の娘などと付き合えるはずがない。だがこの場でそれを伝えながら、どうやって彼女に機嫌よく帰ってもらえるのか、その方法が分からない。
どうすれば彼女を傷つけずに済むのか、どうすれば彼女に非はないと思ってもらえるのか。ひとまず誰の目にも明らかな問題が一つあるので、まずはそこを突くことにした。
タビトはわざとらしくため息を吐き、深刻そうに首を振ってみせる。
「……いけませんよ、アリアナ家のお姫様。私とあなたでは身分というものが違い過ぎる。私はあなたの隣に並ぶのに相応しくない人間です」
「タビト様、もちろんわたくしだって分かっています、わたくし達が結ばれてはいけない関係だということは。ですから正式に婚姻したいとまでは言いません。ただタビト様のお傍において、可愛がって頂きたいの。だから姫様なんて他人行儀な呼び方はやめて、どうかさっきのようにマリラとお呼びになって?」
マリラの懇願するような物言いに、タビトはいっそう混乱する。
――身分差は分かっている? 婚姻はしないで傍におくだけ? それに何の意味がある? この子は本当に、何がしたいんだ?
「……マリラ。私には、あなたの言っている意味がよく……」
段々頭が痛くなってきた。タビトがこめかみを抑えると、マリラがくすりと吐息で笑う。
「そういえばタビト様って、純朴なお方でしたわね。もっとはっきり言った方がよかったかしら。……タビト様、わたくしね。あなたの体が目当てなんです」
「……は? 体……というと?」
今一つ分かってないタビトを見て、マリラは楽しそうに続ける。
「タビト様がどんなセックスをするのか、どんな風にわたくしを抱いてくださるのか、とても興味があるの。あなたはほら、ご立派なものをお持ちでしょう? それでいて手先はとても器用。きっと刺激的な夜が過ごせるんじゃないかと思って」
「……はぁ。……え?」
「だから恋人というよりかは……情夫と言った方が正しいのかしらね。ねえ、どうかしら。お望みならお賃金も出すわ。言い値で」
テーブルの下で、タビトの足に何かが触れた。マリラの履いた尖った靴の先が、タビトの足の間に割って入ったのだと少し遅れて気付いた。と同時に、彼女が求めているものをようやく理解する。
――え? 何? か、体目当てってそういうこと? そういうのって金持ちの醜男が貧しい美女に下衆い感じで持ちかけるものだと思ってた。男女逆でもあるの? いやでも。そうか。
王都では子どもが生まれない。だから性産業が盛んだし、子どもができないのをいいことに遊び呆ける節操なしが多い――というようなことは、以前イリスから聞いたことがあった。その時はなんとなくだらしない男の話と思い込んでいたが、女の節操なしだっていてもおかしくないのだ。今タビトの目の前にいる、アリアナ家の令嬢のように。
これはまずいことになったぞ、と今更ながら冷や汗をかく。彼女が最初から『金銭を伴う割り切った関係』を望んでいるのなら身分差など些末なことだ。穏便に断る言い訳にできない。
「み、……身に余る光栄ですが……マリラ、私ではあなたを満足させることはできないと存じます。何分女性の扱いには慣れていなくて」
こうなったらとことん自分を下げるしかない。いつの間にか素に戻っていた顔を引き締め苦笑してみせるが、マリラは相変わらずニコニコと微笑む。
「ええ、存じております。でも心配なさらないで、わたくしはあなたのそういうところも気に入っているの。うまくできなくても大丈夫、その時はわたくしがあなたに『女の扱い』を教えて差し上げる。そうすれば別の御婦人を口説く時もきっと役に立つと思うわ。ねえ、悪い話ではないでしょう?」
「……えっと……」
悪いどころではない。世の男達からすると垂涎ものの提案だろう。本来なら絶対に手が届かない、麗しの貴族の娘を抱いて金までもらえるのだから。けれど生憎タビトは、一般的な男からはかなり外れていた。ただこの場から逃れたい一心で頭を働かせる。しかし身分差もタビトの経験不足も彼女の障害にならないとすれば、後はもう、何も思いつかなかった。
タビトは大きく息を吐くと、ついに腹を括る。
テーブルの下で纏わりついてくるマリラの爪先を払うようにして足を組む。それについて彼女が何か言う前に、タビトは素早く口を開いた。
「大変失礼な物言いをお許しください、マリラ様。私はその提案を呑むことはできません。何故なら私にはもう既に、添い遂げたい方がいるのです」
正攻法。
こうなったら真摯に打ち明ける他ない。
得体の知れない娘ではあるが、これまでの会話でマリラに悪意がないことは分かっていた。正面から真剣に訴えれば、引き下がってくれるのではないかという僅かな希望に賭けてみたのだ。
マリラは少し驚いたようだったが、すぐに気を取り直したように微笑む。
「あら、そうなの? それは羨ましいこと。……でも別に、構いやしないでしょう? いまどき平民の方だって愛人の一人や二人、もっていて当然――」
「そういった価値観を持つ方を否定はしません。ですが正直に申し上げると、私には受け入れがたい。もちろん王都ではマリラ様のような考え方が普通で、私の方が異端なのでしょう。だからマリラ様、情夫にするにしてもどうか私のような頭の固い変人ではなく、もっとあなたに相応しい方を……」
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