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7章◆雷光轟く七夜祭
お説教-1
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◆
タビトが目を開けると、頭の上には見知った天井があった。
間違うはずもない、イリス家の二階、自室の天井だ。窓から差す光の加減から、時刻は朝と昼の間か。ごく普通の風景なのに、その時は時間が飛んでいるようなおかしな感覚があった。
首を捻りながら体を起こそうとして、体の左側に何か重たいものが載っていることに気付く。その正体に気付いたのは一瞬だった。
「いっ……! りす、先生……?」
イリスがタビトの左半身に抱き着くようにして、一緒にベッドに横たわっていた。急激に鼓動が早くなるのを感じながら、タビトは必死に頭を働かせる。
――あれ? なんでこうなってんだっけ。昨日寝た時はどんな感じだった? 昨日? あれ? どうやって寝たんだっけ?
頭の中が疑問符で埋め尽くされる。覚えている限り一番新しい記憶を掘り返そうとして、小鹿の馬車亭での一件を思い出した。
そうだ――たしか、幻楼狼の牙でマリラから生気を吸い取った。彼女は魔人の説明通り三秒で気を失い、雷の発作も同時に収まった。上から倒れ込んできたマリラを抱き留めてすぐ先生がやってきて、ちょうどいいから治してもらおうとして、その後は……。
「あそこで気絶したのかなオレ。……やっぱ頭を近付けたのはまずかったか」
マリラは自分に触れると火傷だけでなく、体の内側にも傷を負うと言っていた。見た目には手の傷しか見当たらなかったが、知らぬ間に頭の内側も負傷していたのかもしれない。
「ん、……」
顔のすぐ横でイリスが呻き、再びタビトの意識が自室に戻る。
あの後イリスが治療してくれたことは検討が付いたが、だからと言って彼が腕に抱き着いて眠っている理屈までは分からない。イリスを起こすべきか寝かせておくべきか迷っていると、うっすらとその目が開いた。
「……タビト?」
「あ。……おはようございます……」
「……」
寝起きでぼうっとしているのか、イリスは数秒の間沈黙した。けれどきゅっと口を一文字に結んだかと思うと、がばりとタビトの首に抱き着く。
「もう、おはようじゃないよ……! どうして『雷后』にあんなに近付いたの! 雷は本当に危ないんだからね!?」
「いや、それがその、これには事情が……せ、先生。くるしい……」
首が締まる勢いでイリスが縋りついてくれることが、苦しい反面嬉しくてタビトでは引き剥がせない。ぽんぽん、と促すように頭をたたくと、イリスは渋々といった様子で少しだけ力を緩める。そして拗ねるように上目遣いで言った。
「何があったのか、ちゃんと全部話してくれるんだよね?」
――うわ。かわいい。
と内心思いつつも、そんなことを考えている場合じゃないことはタビトにも分かった。
相変わらず他人を看病する時だけは準備がいいイリスは、タビトの部屋に銀の水差しとガラスのコップを持ち込んでいた。タビトはそれで喉を潤した後、イリスと並んでベッドに座り、小鹿の馬車亭での顛末を最初から全て語った。
マリラに情夫になれと持ちかけられたこと、穏便に断ろうとタビトなりに頑張ったこと、結局うまい言い訳が思いつかず怒らせてしまったこと。それから雷の発作を起こしたマリラを鎮めるために、牙の力を使ったこと。
「……なるほど、あれは牙の力だったのか。それもそうか、忠誠の口付けで姫君の怒りが鎮まるだなんて、そんな御伽噺みたいなことあるはずないと思ってた」
「忠誠の口付け? ……って何の話です?」
タビトの言葉に、イリスは疲れたようにため息を吐く。
「あの様子を見ていた野次馬達がそう触れ回ってるんだよ。実際私にもそう見えた。君がマリランテ嬢の足元に跪き、彼女の手の甲に口付けた瞬間雷の発作が収まったと」
「あ……あー、そうか。たしかに……」
「私としてはまったく面白くないけどね。君が他の女性に忠誠だなんて」
「……」
ぎゅ、とイリスがタビトの腕を強く握る。
何故だか分からないが、イリスはタビトが話している間もずっと、タビトの腕に抱き着いて離れなかった。
ぴったりとくっついてくるのが可愛らしく、タビトは尻のあたりがむずむずするような感覚を覚える。
――何だろう、先生のこの可愛い感じ。聞いてみていいのかな。でもそれで恥ずかしがって離れちゃったら勿体ないな。うん。しばらくこのままにしておこう。かわいい。
「それで、……なんだけど。……タビト? 聞いてる?」
「えっ? あ、はい。何でしょう」
明らかに聞いていなかったタビトを見て、イリスがムッと眉間に皺を寄せる。すると今度は言い聞かせるように、タビトの方に体ごと向き直った。
「だから。もう絶対、二度とあんな危険な真似はしちゃいけないよ。今回はたまたまうまくいったけど、感電すると即座に気を失ってその場から動けなくなることもあるんだ。そうなったらずっと雷を浴び続けることになる。その先は言わなくても分かるね?」
イリスが『たまたま』の部分をわざとらしく強調する。いつになく嫌味な言い方だがそのぶん彼が本気で怒っていることが伝わり、タビトは素直に頭を下げた。
「……はい。……ごめんなさい」
「本当に本当だからね? まったく、何だってこんな無茶なことを……」
そこでイリスは少し黙った。不自然に訪れた沈黙が気になり、タビトが顔を上げようとした時、頬に温かいものが触れた。それがイリスの手だと気付くと同時に、今度は唇に柔らかいものが触れる。
タビトが一度まばたきをした時には、その感触は離れていた。鼻先が触れるほどの距離でイリスが囁く。
「……、もう絶対、あんなことしちゃ駄目だよ?」
「……」
「返事は」
「アッ、ハイ」
タビトが声を裏返させながら答えると、イリスが今日初めて微笑んだ。
その笑顔でタビトの胸の内が、日の光が差しこんだようにほっと温かくなる。その温もりから離れたくなくて、タビトはイリスの腕を掴んでいた。そのまま手前に引いてイリスの体を抱き留め、遠ざかろうとしていた唇を再び合わせる。
タビトが目を開けると、頭の上には見知った天井があった。
間違うはずもない、イリス家の二階、自室の天井だ。窓から差す光の加減から、時刻は朝と昼の間か。ごく普通の風景なのに、その時は時間が飛んでいるようなおかしな感覚があった。
首を捻りながら体を起こそうとして、体の左側に何か重たいものが載っていることに気付く。その正体に気付いたのは一瞬だった。
「いっ……! りす、先生……?」
イリスがタビトの左半身に抱き着くようにして、一緒にベッドに横たわっていた。急激に鼓動が早くなるのを感じながら、タビトは必死に頭を働かせる。
――あれ? なんでこうなってんだっけ。昨日寝た時はどんな感じだった? 昨日? あれ? どうやって寝たんだっけ?
頭の中が疑問符で埋め尽くされる。覚えている限り一番新しい記憶を掘り返そうとして、小鹿の馬車亭での一件を思い出した。
そうだ――たしか、幻楼狼の牙でマリラから生気を吸い取った。彼女は魔人の説明通り三秒で気を失い、雷の発作も同時に収まった。上から倒れ込んできたマリラを抱き留めてすぐ先生がやってきて、ちょうどいいから治してもらおうとして、その後は……。
「あそこで気絶したのかなオレ。……やっぱ頭を近付けたのはまずかったか」
マリラは自分に触れると火傷だけでなく、体の内側にも傷を負うと言っていた。見た目には手の傷しか見当たらなかったが、知らぬ間に頭の内側も負傷していたのかもしれない。
「ん、……」
顔のすぐ横でイリスが呻き、再びタビトの意識が自室に戻る。
あの後イリスが治療してくれたことは検討が付いたが、だからと言って彼が腕に抱き着いて眠っている理屈までは分からない。イリスを起こすべきか寝かせておくべきか迷っていると、うっすらとその目が開いた。
「……タビト?」
「あ。……おはようございます……」
「……」
寝起きでぼうっとしているのか、イリスは数秒の間沈黙した。けれどきゅっと口を一文字に結んだかと思うと、がばりとタビトの首に抱き着く。
「もう、おはようじゃないよ……! どうして『雷后』にあんなに近付いたの! 雷は本当に危ないんだからね!?」
「いや、それがその、これには事情が……せ、先生。くるしい……」
首が締まる勢いでイリスが縋りついてくれることが、苦しい反面嬉しくてタビトでは引き剥がせない。ぽんぽん、と促すように頭をたたくと、イリスは渋々といった様子で少しだけ力を緩める。そして拗ねるように上目遣いで言った。
「何があったのか、ちゃんと全部話してくれるんだよね?」
――うわ。かわいい。
と内心思いつつも、そんなことを考えている場合じゃないことはタビトにも分かった。
相変わらず他人を看病する時だけは準備がいいイリスは、タビトの部屋に銀の水差しとガラスのコップを持ち込んでいた。タビトはそれで喉を潤した後、イリスと並んでベッドに座り、小鹿の馬車亭での顛末を最初から全て語った。
マリラに情夫になれと持ちかけられたこと、穏便に断ろうとタビトなりに頑張ったこと、結局うまい言い訳が思いつかず怒らせてしまったこと。それから雷の発作を起こしたマリラを鎮めるために、牙の力を使ったこと。
「……なるほど、あれは牙の力だったのか。それもそうか、忠誠の口付けで姫君の怒りが鎮まるだなんて、そんな御伽噺みたいなことあるはずないと思ってた」
「忠誠の口付け? ……って何の話です?」
タビトの言葉に、イリスは疲れたようにため息を吐く。
「あの様子を見ていた野次馬達がそう触れ回ってるんだよ。実際私にもそう見えた。君がマリランテ嬢の足元に跪き、彼女の手の甲に口付けた瞬間雷の発作が収まったと」
「あ……あー、そうか。たしかに……」
「私としてはまったく面白くないけどね。君が他の女性に忠誠だなんて」
「……」
ぎゅ、とイリスがタビトの腕を強く握る。
何故だか分からないが、イリスはタビトが話している間もずっと、タビトの腕に抱き着いて離れなかった。
ぴったりとくっついてくるのが可愛らしく、タビトは尻のあたりがむずむずするような感覚を覚える。
――何だろう、先生のこの可愛い感じ。聞いてみていいのかな。でもそれで恥ずかしがって離れちゃったら勿体ないな。うん。しばらくこのままにしておこう。かわいい。
「それで、……なんだけど。……タビト? 聞いてる?」
「えっ? あ、はい。何でしょう」
明らかに聞いていなかったタビトを見て、イリスがムッと眉間に皺を寄せる。すると今度は言い聞かせるように、タビトの方に体ごと向き直った。
「だから。もう絶対、二度とあんな危険な真似はしちゃいけないよ。今回はたまたまうまくいったけど、感電すると即座に気を失ってその場から動けなくなることもあるんだ。そうなったらずっと雷を浴び続けることになる。その先は言わなくても分かるね?」
イリスが『たまたま』の部分をわざとらしく強調する。いつになく嫌味な言い方だがそのぶん彼が本気で怒っていることが伝わり、タビトは素直に頭を下げた。
「……はい。……ごめんなさい」
「本当に本当だからね? まったく、何だってこんな無茶なことを……」
そこでイリスは少し黙った。不自然に訪れた沈黙が気になり、タビトが顔を上げようとした時、頬に温かいものが触れた。それがイリスの手だと気付くと同時に、今度は唇に柔らかいものが触れる。
タビトが一度まばたきをした時には、その感触は離れていた。鼻先が触れるほどの距離でイリスが囁く。
「……、もう絶対、あんなことしちゃ駄目だよ?」
「……」
「返事は」
「アッ、ハイ」
タビトが声を裏返させながら答えると、イリスが今日初めて微笑んだ。
その笑顔でタビトの胸の内が、日の光が差しこんだようにほっと温かくなる。その温もりから離れたくなくて、タビトはイリスの腕を掴んでいた。そのまま手前に引いてイリスの体を抱き留め、遠ざかろうとしていた唇を再び合わせる。
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