銀の旅人

日々野

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7章◆雷光轟く七夜祭

暴走

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 イリスが異変に気付いたのは、小鹿の馬車亭のある通りに入った時だった。

 七夜祭も中盤の、午後七時過ぎ。混雑し過ぎず程よく賑やかで過ごしやすい頃合いだというのに、楽し気に過ごす人々に混じって何やら深刻そうな顔で立ち話をしている人々がそこかしこにいる。その割合は小鹿の馬車亭に近付くほど増えていき、イリスの中でどんどん嫌な予感が膨れてくる。

 ――まさか。そんな。よりにもよって。考えすぎだ。

 この広い王都の中で、数多くある店のうち、小鹿の馬車亭で、一ウェイターでしかないタビトが、何らかの騒動に巻き込まれるはずがない。
 そう念じながら速足で歩いていたものの、まさに小鹿の馬車亭の入口に人だかりができているのを見た時は絶望的な気持ちになった。
 不安と不満でぴりぴりした人々の話し声が、否が応にもイリスの耳に飛び込んでくる。

「おい、アリアナ家の人間はまだ来ないのか?」
「知らないよ、誰か呼びに行ったのかい?」
「メインの料理が来たばっかりたったのに」
「ねえ、もう帰らない? よそで食べましょうよ」
「ああもう、誰でもいいからあの癇癪お嬢様をなんとかしてくれよ」
「おい、滅多なこというもんじゃないぞ」
「『雷后』を俺らでどうにかできるもんか。大人しく家のもんが来るのを待つしかないだろ」

 断片的に漏れ聞こえる会話からでも、だいたい中で何があったか推測することはできた。アリアナ家の令嬢『雷后』のマリランテが、雷の魔法を制御できなくなって暴れているのだろう。同時に、そこにイリスの知っている面々――タビトはもちろんのこと、リウルや親方のシフの姿が見つからないことに胸騒ぎがした。
 ウェイター服の男が入口から中を覗き込んでいるのに気付き、声をかける。

「あの。どうかしたんですか」
「あっ、……『銀の手』のイリス様ですね。実は大変なことに……」

 三十がらみのその男はウェイター達のまとめ役でシフからの信頼も厚く、イリスも何度か話したことがあった。どうやら彼が客を店の外に避難させたらしい。

「どういう経緯があったのかは分かりませんが、『雷后』のマリランテ嬢がタビトくんと話がしたいと仰って彼をテーブルに呼んだのです。それで――」
「タビトを!? マリランテ嬢が!? ……あ、」

 つい大きな声が出てしまった。周囲で立ち話をしていた人々が一斉に聞き耳を立てる気配を感じて、イリスは口を手で押さえる。そして声を落として言った。

「何故マリランテ嬢がタビトを……いや、それで……どうなったんですか」
「私は会話を聞いていた訳ではないので、何とも言えませんが……お二人で話している途中、何かが彼女の逆鱗に触れたようで。雷の発作が始まったので、私はオーナーの指示でお客様の避難の誘導をしていました。しかし興味本位で残っておられるお客様もまだ中に……」
「タビトは? タビトはどうなったんです? マリランテの雷に打たれていないでしょうね?」
「ええ、それは」

 男は頷きつつ、入口から首を伸ばして中を窺う。

「お嬢様の元に残って何か話しているようで……あれ? いなくなって……いや、お嬢様の足元に……?」
「は? どういうことです、何が……」

 男の目が驚愕に見開き、イリスは矢も盾もたまらず店内に駆け込んだ。イリスを止めようとしたウェイターの男と、野次馬根性に駆られた客も数名中に続く。

「タビト……」

 イリスの目に最初に飛び込んできたのは、ホールの一番奥の暗闇の中で黄色い閃光をまき散らす娘だった。そしてその娘の足元に跪く、ソマリ人のウェイターの後ろ姿。彼は娘の手を甲斐甲斐しく取ると従順なしもべのように、彼女の手の甲に口付けた――ように見えた。

 バチッ――と、ひと際激しい破裂音がしたかと思うと、娘から黄色い光が迸る。かと思いきやそれを最後に彼女の体から光がふっと消え失せ、ソマリ人のウェイターの元に倒れ込む――その途中で完全に光が途絶え、あとは暗闇が広がるばかりだった。

「た、……タビト! だ、誰か明かりを……通してください、私は治癒魔法使いです。『銀の手』です!」

 騒めく人々の群れを掻き分け前に出る。こんな風に人前で名乗ったのはイリスの人生で初めてのことだったが、そんなことを気にする余裕はなかった。

「先生、ここに」

 ただ前を見て突き進むイリスの横で、誰かがオイルランプを差し出す。イリスはそれを奪うように引っ掴むと、速足で歩き始めた。闇の中でふいに現れるテーブルに何度も進行方向を遮られ、無性に苛立ちながらも進んでいくと、ぷんと焦げ臭い匂いが鼻につく。肉の焼ける嫌な臭いにますます不安を煽られ、半ば泣きそうになりながらも歩き続ける。

「あ、……せんせい……こっちです」

 聞き慣れた声が斜め前方から聞こえ、すぐその方向にランプを掲げる。闇の中丸く照らされた明かりの中心で、タビトが眩しそうに目を細めた。彼は床に座った状態から後ろに倒れ込んだようだった。そしてタビトの胸の上に、金髪の女性が伏せっていた。髪に覆われて顔は見えないが、脱力し切った肢体からみるに意識を失っているらしい。
 入口から見た光景から推測すると、倒れ込んだマリランテを跪いていたタビトが床で抱き留めた、という状態だろう。

「君、怪我は……!」

 タビトの白いシャツに血と思しき赤い染みを見つけ、一瞬でイリスの頭から血の気が引く。すぐさま駆け寄るも、タビトは苦笑しながらぽんと胸の上のマリランテの髪を撫でる。

「先生、オレよりこの子を先に……顔が酷いことになっちゃって。治してくれますか?」
「君は? 君は怪我してないの? いいからみせて」

 タビトの力を借りながら、マリランテの肩を抱いて床に寝かせる。その時にウェイター服の胸のあたりが真っ赤に染まっていることに気付いてぞっとしたが、タビトが先回りするように言った。

「いや、これ全部その子の血です。オレはちょっと火傷したくらいで」

 タビトが仰向けになったまま右手を上げる。指の関節に添うような傷と、水ぶくれのような傷ができていた。

「今治す。他に痛いところはない?」

 イリスは傷ついた手を両手で握ると、意識をそこに集中させる。けれどタビトは困ったようにその手を振り払おうとした。

「いや、オレは本当に大丈夫ですから。その子の方が重症だし、オレが暴走させちゃったようなもんなので……」
「そ、……そうなの?」

 しきりにマリランテを気遣うタビトに、イリスはほんの少し戸惑った。けれど見たところ本当にタビトの手は軽症のようだし、マリランテの流した血は少々危険な量だった。
 イリスは床に寝かせた彼女に向き直ると、ざっと全身を診たあと特に酷い頬と目から治療していく。手のひらに魔法の力を集中させ、傷ついた皮膚が正常に戻っていく様子を頭の中で強く念じる。ひとまず応急処置として傷の表面を塞ぎ、これ以上出血しないようにしてから再びタビトの方に向き直った。

「タビト、君の傷もみせて。他に怪我は……」

 そこでタビトが目を瞑っていることに気が付いた。イリスの声に、何の反応もしないことも。

「タビト? タビト……?」

 軽く肩に触れると床の上でぐらりとタビトの頭が揺れ、黒い髪の隙間で何かがランプの明かりを反射してかすかにひかる。そのぬめりを帯びた輝きを、イリスは仕事中に何度も見たことがあった。迷わずその部分に手をあてると、生ぬるく濡れたような感触が指に触れる。

「血が……」

 タビトのこめかみのあたりに、斬り付けたような傷跡が走っていた。
 指にべったりと付いた赤い血と、目を瞑ったまま動かないタビトが視界に入り、イリスの気が遠くなる。
 頭の中が真っ白になる感覚と共に、体の中で何かが弾けるのが分かった。

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