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7章◆雷光轟く七夜祭
日の当たらない場所
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◆
さり、さり、さり。
何か繊細な音がして、タビトは薄く目を開けた。
寝起きでかすむ視界の真ん中に、ずんぐりとした影がある。音の出所はその影らしい。
さり、さり。ぺしゃ。
影の下の方から小さな赤い紙片のようなものが落ちる。何だろう、と目を凝らしているうちに、段々視界が鮮明になってきた。
「リウルせんぱい……?」
ずんぐりとした影はリウルだった。彼は書き物台の椅子に腰掛け、足の間に屑籠を置き、その上でリンゴを剥いていた。細長い紙のように薄く切り出されたリンゴの皮が、ぺしゃ、とかすかな音と共に屑籠に落ちる。
「おう。起きたか。具合はどうだ」
「はぁ。まあ、大丈夫だと思います……」
そういえばリウルが家に来てすぐ眠ってしまったんだっけ――と、ぼんやりと考えながら体を起こす。リウルはいつも使っている藤のバスケットの中に一旦リンゴと果物ナイフを入れると、代わりに別の皿を取り出した。
「飯、病人食じゃなくて普通のやつ食えるよな? サンドイッチ作ったから食え」
「はい。ありがとうございます……」
トーストした少し硬めのパンに、茹でた卵やトマトのスライス、ベーコン、緑色の葉野菜、ピクルスなど、定番の具を挟んで切ったものが四切れあった。その内の一つ――ベーコンとトマトと葉野菜が入っているもの――をもそもそと齧る。
「……あ。……うま……」
「そりゃよかった」
タビトの素朴な感想をリウルはふっと鼻で笑うと、再びリンゴに取り掛かり始めた。
「先生から聞いたぞ。ずいぶん無茶したそうじゃねえか」
「はぁ。無茶っていうか、オレとしてはわりと行けると思ってたんですけど……」
と言いかけてから、リウルが今――七夜祭五日目、おそらく昼時も間近という時刻――に、ここにいることの意味に気が付いた。
「リウル先輩、店行かなくてい……、っていうか、店はどうなったんですか!? あの後大変だったんじゃ……」
タビトが口の中のものを飛ばす勢いで問い詰めるのを、リウルが「あーあー」と面倒くさそうに制する。
「魔導ランプが半分駄目になったのと床の一部が焦げたくらいで大事にはなってねぇよ。さすがに今日は閉めてるけど明日からまた営業できる」
「そ、そうなんですか。よかった……ってこともないですよね、書き入れ時なのに。すみません、オレがうまくやれなくて」
「ま、仕方ねぇだろ。『雷后』のマリランテっつったら酷い癇癪持ちでその筋では有名な我儘娘らしいからな。やっと毛が揃ってきたくらいのガキには最初から荷が重すぎたんだ」
「……そうですか。……毛って何の?」
タビトの質問は無視してリウルが続ける。
「まあでも、あちらさんがどう出てくるかはまだ分からない。お前は体調が戻ってもしばらく店には来るな。そう悪いことにはならねぇとは思うが、念のためだ」
「あー、やっぱそうなりますよねぇ……」
やっと見つけた仕事だというのに、こんな形で終わってしまうとは。
タビトはがっくりと肩を落としながらも、二切れ目のサンドイッチに手を伸ばす。
「そう落ち込まなくてもそのうち復帰できるだろ。貴族なんてろくでもないやつばっかりだが、『四家』は馬鹿には務まらないって聞くぞ。まあその『四家』が具体的に何やってるのかは俺も知らねーけど」
リウルの手元からひと際細長く切られたリンゴの皮が落ちる。頭と尻の部分だけを残して綺麗に剥かれたリンゴができあがると、リウルはさも当然というように白い果肉にかぶり付いた。
「えっ。それオレのために剥いてくれてたんじゃないんですか?」
「あ? 何でだよ、食いたきゃ自分で剥け。というかお前は皮ごといく派だろ」
そう言ってリウルはバスケットの中から別のリンゴを取り出すと、ひょいとタビトの方に放り投げる。タビトの利き手はサンドイッチで塞がれていたため、空いている方の左手を伸ばしてなんとか受け取った。
「あ、危ないなぁ。もうちょっと労わってくださいよ」
「こんだけ労わられてりゃ十分だろうが。そうだそれから」
リウルが体の向きを反転させ、傍に置いてあった木箱を床の上で滑らせるようにしてタビトの方に押しやる。
「これ、例のモン持ってきたから。暇ならこれでも読んどけ」
「え。例のモンって何……」
リウルが木箱の中から無造作に一冊の本を取り出した。普通のものより小さめのその本のタイトルは、『美少年剣士イルシス、秘めた願い――
「わああああああっ! な、何持って来てんですか昼間っから! 早く仕舞って! 仕舞ってください! 誰にも見えないところに! 日の当たらない場所に!」
「ンだよ、そう騒ぐことじゃねぇだろ。先生はもう出掛けてんだから」
「いいから早く!」
リウルはうるさそうに眉間に皺を寄せながらも本を戻すと、木箱をベッドの下に押し込んだ。
「これでいいか」
「は、はい。ありがとうございます。……いや、ありがとうなのかこれは……?」
「ありがとうでいいだろ、そこは」
その後はリウルがリンゴを一つ食べ終わるまで雑談に付き合わされた。途中タイミングを見てイリス家まで運んでくれた礼も言ってみたが、「ああ。うん」と素っ気なく流されて終わった。
一通り喋り終えて満足したリウルが、芯の部分だけ残ったリンゴを屑籠に落とす。
「サンドイッチはまだ残りが下にあるし、晩飯の支度も終わってるから腹減ったら適当に済ませろ。あと先生今日は夜の鐘が鳴るまでには帰ってくるってさ」
「分かりました。なんかいつもありがとうございます、飯とか」
タビトが素直に礼を言うと、リウルは立ち上がって帰り支度を始める。
「まったくだな。先生には恩があるからいいけど、お前には別にないのにな。いつかまとめて返してもらわねぇと」
「えぇ……そ、そんな怖いこと言わないでくださいよ……」
「お前俺のことなんだと思ってんだよ……」
リウルは心外そうな表情を作りながらも、どこか面白そうに笑って帰って行った。
さり、さり、さり。
何か繊細な音がして、タビトは薄く目を開けた。
寝起きでかすむ視界の真ん中に、ずんぐりとした影がある。音の出所はその影らしい。
さり、さり。ぺしゃ。
影の下の方から小さな赤い紙片のようなものが落ちる。何だろう、と目を凝らしているうちに、段々視界が鮮明になってきた。
「リウルせんぱい……?」
ずんぐりとした影はリウルだった。彼は書き物台の椅子に腰掛け、足の間に屑籠を置き、その上でリンゴを剥いていた。細長い紙のように薄く切り出されたリンゴの皮が、ぺしゃ、とかすかな音と共に屑籠に落ちる。
「おう。起きたか。具合はどうだ」
「はぁ。まあ、大丈夫だと思います……」
そういえばリウルが家に来てすぐ眠ってしまったんだっけ――と、ぼんやりと考えながら体を起こす。リウルはいつも使っている藤のバスケットの中に一旦リンゴと果物ナイフを入れると、代わりに別の皿を取り出した。
「飯、病人食じゃなくて普通のやつ食えるよな? サンドイッチ作ったから食え」
「はい。ありがとうございます……」
トーストした少し硬めのパンに、茹でた卵やトマトのスライス、ベーコン、緑色の葉野菜、ピクルスなど、定番の具を挟んで切ったものが四切れあった。その内の一つ――ベーコンとトマトと葉野菜が入っているもの――をもそもそと齧る。
「……あ。……うま……」
「そりゃよかった」
タビトの素朴な感想をリウルはふっと鼻で笑うと、再びリンゴに取り掛かり始めた。
「先生から聞いたぞ。ずいぶん無茶したそうじゃねえか」
「はぁ。無茶っていうか、オレとしてはわりと行けると思ってたんですけど……」
と言いかけてから、リウルが今――七夜祭五日目、おそらく昼時も間近という時刻――に、ここにいることの意味に気が付いた。
「リウル先輩、店行かなくてい……、っていうか、店はどうなったんですか!? あの後大変だったんじゃ……」
タビトが口の中のものを飛ばす勢いで問い詰めるのを、リウルが「あーあー」と面倒くさそうに制する。
「魔導ランプが半分駄目になったのと床の一部が焦げたくらいで大事にはなってねぇよ。さすがに今日は閉めてるけど明日からまた営業できる」
「そ、そうなんですか。よかった……ってこともないですよね、書き入れ時なのに。すみません、オレがうまくやれなくて」
「ま、仕方ねぇだろ。『雷后』のマリランテっつったら酷い癇癪持ちでその筋では有名な我儘娘らしいからな。やっと毛が揃ってきたくらいのガキには最初から荷が重すぎたんだ」
「……そうですか。……毛って何の?」
タビトの質問は無視してリウルが続ける。
「まあでも、あちらさんがどう出てくるかはまだ分からない。お前は体調が戻ってもしばらく店には来るな。そう悪いことにはならねぇとは思うが、念のためだ」
「あー、やっぱそうなりますよねぇ……」
やっと見つけた仕事だというのに、こんな形で終わってしまうとは。
タビトはがっくりと肩を落としながらも、二切れ目のサンドイッチに手を伸ばす。
「そう落ち込まなくてもそのうち復帰できるだろ。貴族なんてろくでもないやつばっかりだが、『四家』は馬鹿には務まらないって聞くぞ。まあその『四家』が具体的に何やってるのかは俺も知らねーけど」
リウルの手元からひと際細長く切られたリンゴの皮が落ちる。頭と尻の部分だけを残して綺麗に剥かれたリンゴができあがると、リウルはさも当然というように白い果肉にかぶり付いた。
「えっ。それオレのために剥いてくれてたんじゃないんですか?」
「あ? 何でだよ、食いたきゃ自分で剥け。というかお前は皮ごといく派だろ」
そう言ってリウルはバスケットの中から別のリンゴを取り出すと、ひょいとタビトの方に放り投げる。タビトの利き手はサンドイッチで塞がれていたため、空いている方の左手を伸ばしてなんとか受け取った。
「あ、危ないなぁ。もうちょっと労わってくださいよ」
「こんだけ労わられてりゃ十分だろうが。そうだそれから」
リウルが体の向きを反転させ、傍に置いてあった木箱を床の上で滑らせるようにしてタビトの方に押しやる。
「これ、例のモン持ってきたから。暇ならこれでも読んどけ」
「え。例のモンって何……」
リウルが木箱の中から無造作に一冊の本を取り出した。普通のものより小さめのその本のタイトルは、『美少年剣士イルシス、秘めた願い――
「わああああああっ! な、何持って来てんですか昼間っから! 早く仕舞って! 仕舞ってください! 誰にも見えないところに! 日の当たらない場所に!」
「ンだよ、そう騒ぐことじゃねぇだろ。先生はもう出掛けてんだから」
「いいから早く!」
リウルはうるさそうに眉間に皺を寄せながらも本を戻すと、木箱をベッドの下に押し込んだ。
「これでいいか」
「は、はい。ありがとうございます。……いや、ありがとうなのかこれは……?」
「ありがとうでいいだろ、そこは」
その後はリウルがリンゴを一つ食べ終わるまで雑談に付き合わされた。途中タイミングを見てイリス家まで運んでくれた礼も言ってみたが、「ああ。うん」と素っ気なく流されて終わった。
一通り喋り終えて満足したリウルが、芯の部分だけ残ったリンゴを屑籠に落とす。
「サンドイッチはまだ残りが下にあるし、晩飯の支度も終わってるから腹減ったら適当に済ませろ。あと先生今日は夜の鐘が鳴るまでには帰ってくるってさ」
「分かりました。なんかいつもありがとうございます、飯とか」
タビトが素直に礼を言うと、リウルは立ち上がって帰り支度を始める。
「まったくだな。先生には恩があるからいいけど、お前には別にないのにな。いつかまとめて返してもらわねぇと」
「えぇ……そ、そんな怖いこと言わないでくださいよ……」
「お前俺のことなんだと思ってんだよ……」
リウルは心外そうな表情を作りながらも、どこか面白そうに笑って帰って行った。
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