銀の旅人

日々野

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8章◆少年タビトの物語

森の中-2

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「えっ? たび……」

 オードが息を呑む。タビトはオードの左腕に唇を付けると、口を窄めて思い切り傷口を吸った。三秒ほど強く吸い上げてから、即座に斜め下の地面に向かって唾を吐く。口内の唾液を入れ替えるように数回続けて唾を吐き、顔を上げると、オードがぽかんとした表情でタビトを見つめていることに気付いた。……どうやらこの都会っ子、今の行動を見ても意味が分かっていないらしい。教えるのも面倒だが、放置すればあらぬ誤解を受けてしまう。
 タビトは仕方なく、訊かれてもいないのに答える。

「……今のは毒抜き。あの蛭は体に白い線が入ってたから『黒炭蛭こくたんびる』ってやつだ。黒炭蛭は無理やり剥がそうとすると噛みついて黒い毒液を吐く。命に関わるような毒じゃないけど、万が一症状が出たら嫌だろ」
「っあ。どく……なんですか。……ど、どんな症状が出るんスか?」
「傷口から体内に入ると噛まれた周辺の皮膚が黒炭みたいに黒くなる。それ以外は何も変わらないけど、元の色に戻すのにはけっこう手間暇かかった面倒な薬が必要になるから……平民だとそのままほったらかし、ってことも多い。この村はアン爺さんがいるから治してくれるかもしれないけど」
「そ、……そうだったんですか。……なんだ、そういうことかー! ありがとうございます、アニキ! 助かりました!」

 オードはいやに大きな声を出しながらその場に屈み、地面に散らばった枯れ枝や木の実を拾い出す。

「一応、あれが応急処置になってると思うけど。後で先生にも看てもらった方がいい。先生なら傷もすぐ塞いでくれるし」
「はいっ、そうします! あっでも焚き木集めは最後まで手伝いますよ、今戻ってもイリス先生おれを看るどころじゃないでしょうし!」
「まあ……それもそうか」

 イリスならば頼めばすぐ治療してくれるだろうが、今はあまり負担はかけたくない。毒の危険性が低いこともあり、タビトも強く言うことは辞めて落ちた枯れ枝を拾い始めた。それらをオードの腕の中に載せていく。
 落としたぶんをすべて回収し終えると、タビトの後ろにオードが続くという形で森の中を歩き出した。数歩も進まないうちに、オードがタビトの背後で探るように言う。

「あの。……タビトのアニキって、山歩きに詳しいんスね。さっきの蛭の毒とかも。そういうのも全部、イリス先生に教わったんスか?」
「いや」

 タビトは先が二股に別れた太めの枝を見つけると、膝で折ってからオードに渡す。

「自分で繰り返し試してなんとなく学んだことも多いけど……森での暮らし方の基本は、全部黒爺に教わった」
「……くろじい? ……って、誰でしたっけ。最近どっかで聞いたような」
「最近に決まってる。昨日話したろ。オレが山賊団で雑用してた時の……まあ、炊事班のボスみたいな人だな。で、いつも煤や埃で真っ黒だったから黒爺」
「ああ、そういえば!」

 どこか遠慮がちだったオードの声が、いつもの調子を取り戻す。

「でもその頃のタビトのアニキって、色んな仕事押っつけられて大変って言ってませんでした? それに加えて森のことも教わってたんなら、ものすごく忙しかったんじゃないです?」
「あー。いや、それは途中からそうでもなくなって……」
「途中から? 何かあったんスか?」
「……」

 背後から聞こえるオードの声は、寝物語に冒険譚をねだる子どものように弾んでいて、タビトはちょっとむず痒い気持ちになった。なんせこれまでの人生、純粋に興味や好意からタビト自身の話を聞きたがる人間に出会ったことがなかったからだ。大抵の大人がタビトに過去を訊ねる時は警戒心から――「荒っぽい仕事をしていなかったか」とか、「悪い人間と繋がりはないか」とか、そういうことを中心に訊きたがる。そしてイリスのような優しい大人は、訊こうとしない。九歳で天涯孤独になった少年のその後の人生など、辛いことの連続だと分かり切っているからだ。
 事実その通りなのだが、自分が「可哀そうな子ども」のように扱われるのもなんだか居心地が悪い。かと言ってこちらから話すのもおかしい気がして、なんとなくそのままになっているが――オードにはもう、途中までは話してある。ならばもう、ついでのようなものだ。

「別に、そんなに面白い話じゃないけど」

 そう前置きしてから、タビトは九歳の頃の自分を目蓋の裏に思い浮かべる。
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