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8章◆少年タビトの物語
少年タビトの物語・破-1
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◆
先輩山賊達の『可愛がり』を避けるようになって、二か月程経ったころ。
タビトはある日突然、自分に暇な時間があることに気付いた。
いつもは仕事をしている間に「次はこれをやれ」と言いつけられ、その仕事が終われば息つく間もなく「じゃあ次はあれをしろ」「それが終わればこれ」……。こんな具合でタビトは絶えずあらゆる雑用をこなしていたが、その日は朝の水汲みを終えても、誰も「次はこれを」を言わなかった。そして日が経つにつれこの現象は、タビトが先輩達の『可愛がり』を避けた回数に比例して増えていくということも、段々と分かってきた。
つまり、こういうことだ。本当は山賊団の親分がタビトに任せた仕事は、「炊事班の手伝い」「朝の水汲み」「便所小屋の掃除」の三つだけだった。そこへ平の山賊団員達が、自分に割り振られた仕事を「一番弱くて何も知らない新入り」に、好き勝手押し付けていただけだったのだ。しかしタビトが『可愛がり』を避けるようになってから、空気が変わってきた。ある意味本当の意味で団の一員として認められ始めたということだろう。タビトが一番の新入りという事実は未だ変わっていないものの、ただの弱くて無知な子どもでもないということが少しずつ団内に広まり始め、雑用を押し付けられる回数が減ったという訳だ。
しかしタビトがその理屈に気付いたのはもう少し時が経ってからのこと。その日は突然振って沸いた自由時間を前に何をすればいいのか分からず、ただ寝床である炊事場に戻ってきた。昼餉の準備に取り掛かるのには中途半端な時間に、勝手口からそろそろと中を覗き見る。辺りを森に囲まれているせいで日中でも薄暗い炊事場には、相変わらず黒爺が影のように蹲っていた。
黒爺はその名の通り、本当に黒い。煤と埃と垢と――とにかく本人が水浴びや湯浴みの類を徹底的に嫌がるせいでいつしか汚れが層のように肌を覆い、こうなったらしい。もじゃもじゃの長髪だけは灰色だったが、加齢で白くなったのか、元々白に近い色だったのかも分からない。
そんな黒爺が一人で漆喰の壁に凭れて座っていると、誰かが影だけを置き去りにしたような錯覚を覚えてぎくりとしてしまう。タビトは反射的に逃げようと足に力を入れたが、よく見ると黒爺があぐらをかいた足の上に何かを載せ、手の中でくるくると回していることに気付いた。
更に注視してみると、黒爺の体の横には木の蔓がとぐろを巻いた状態で積まれていた。どうやら彼は蔓で円形の何かを編んでいる最中のようだ。手のひらほどの平たい円から四方に蔓が突き出している様は、まるで巨大な蜘蛛のようで少し気味が悪い。しかし黒爺が中央の円を抑えながら全体を回し編んでいく内に、ゆっくりとだが確実に円が大きくなっていく。タビトは知らず知らずのうちに魅入られていった。
あれはどこまで大きくするんだろう。あんなに大きくして何に使うんだろう――というようなことをわくわくしながら見守っていたが、突如背後から飛んできた先輩の『可愛がり』により、その日の自由時間は終わった。
――あれはどこまで大きくするんだろう。あんなに大きくして何に使うんだろう。
その謎は意外にも、翌日の朝明らかになった。
日の出と共に目覚めたタビトが水瓶の底に残ったわずかな水で口をゆすぎ、朝の水汲みに出掛けようとしたとき、炊事場の中央にある岩の作業台の上にそれを見つけた。
それは子どもの両腕で囲えるくらいの大きさの笊で、中央から緻密に組まれた円が外側に向かうにつれて幅が広がっていた。蜘蛛の脚のように放射線状に飛び出していた蔓は縁のところでぐにゃりと曲がって折り返し、また内側に戻ることで全体の強度を上げている。
出来上がった瞬間を見た訳でもないし、同じような笊や籠は炊事場にいくつもあるのに、一目で「昨日のあれだ」と確信した。他のものと比べてまだ蔓が瑞々しかったし、黒爺が何度も手のひらで抑えつけ、回していた円形の部分に見覚えがあった。
――こんなのがたった一日で作れるのか。特別な材料も道具も使っていないのに。
タビトはこの時初めて、黒爺のことをすごいと思った。
それからは自由時間ができるたび、黒爺を探して観察することがタビトの習慣になった。最初の方は、また蔓で笊を作っているところを盗み見て作り方を覚えてやる――と意気込んでいたが、黒爺は日々色々なことをやっていた。古い茶壷を木の棒でかき回していたり、紙煙草を巻いていたり、鉈や包丁を研いでいたり、あるいはただ横になって眠っていたり……。炊事場から姿を消し、日が傾くまで帰って来なかった日もたびたびあった。
そしてタビトが黒爺の観察を始めておよそ二週間後、ようやくその日は訪れた。
黒爺がなかなか二回目の笊作りをしてくれないことに、この頃のタビトはヤキモキしていた。そんな折、前回とほとんど同じ頃合いに自由時間ができて、タビトは炊事場にすっ飛んだ。そしてまさしくタビトの期待通り、黒爺が前回と同じように蔓を膝の上に載せて座っているのを見た瞬間――タビトは喜びのあまり、勝手口に入ってすぐのところで「あっ!」と声をあげてしまったのだ。
こっそり盗み見て、作り方を覚えてやるつもりだったのに。
タビトは大慌てて口を抑えたが、当然後の祭りである。しかしここで逃げるのもおかしい気がして、ただその場に硬直していたら、黒爺が座った姿勢のまましわがれた声で言った。
「坊主。お前もやるか」
そう言う黒爺の目線は手元の蔓に注がれ、黒い指先は動き続け、作業を止める気配がない。タビトのことなど微塵も気にしていないようだった。タビトが誘いに乗ろうと乗るまいとどうでもいい――というその素っ気ない態度が、逆にタビトには取っつきやすかった。
「……やる」
「そうか」
自分から誘ったくせに、黒爺はそれすら興味がないようだった。
何はともあれこうしてタビトはこの日、黒爺からヤマブドウの蔓で笊を編む方法を教わった。そしてこの日以来、黒爺を探して観察する時間が全部、黒爺にくっついて何かを学ぶ時間になった。
先輩山賊達の『可愛がり』を避けるようになって、二か月程経ったころ。
タビトはある日突然、自分に暇な時間があることに気付いた。
いつもは仕事をしている間に「次はこれをやれ」と言いつけられ、その仕事が終われば息つく間もなく「じゃあ次はあれをしろ」「それが終わればこれ」……。こんな具合でタビトは絶えずあらゆる雑用をこなしていたが、その日は朝の水汲みを終えても、誰も「次はこれを」を言わなかった。そして日が経つにつれこの現象は、タビトが先輩達の『可愛がり』を避けた回数に比例して増えていくということも、段々と分かってきた。
つまり、こういうことだ。本当は山賊団の親分がタビトに任せた仕事は、「炊事班の手伝い」「朝の水汲み」「便所小屋の掃除」の三つだけだった。そこへ平の山賊団員達が、自分に割り振られた仕事を「一番弱くて何も知らない新入り」に、好き勝手押し付けていただけだったのだ。しかしタビトが『可愛がり』を避けるようになってから、空気が変わってきた。ある意味本当の意味で団の一員として認められ始めたということだろう。タビトが一番の新入りという事実は未だ変わっていないものの、ただの弱くて無知な子どもでもないということが少しずつ団内に広まり始め、雑用を押し付けられる回数が減ったという訳だ。
しかしタビトがその理屈に気付いたのはもう少し時が経ってからのこと。その日は突然振って沸いた自由時間を前に何をすればいいのか分からず、ただ寝床である炊事場に戻ってきた。昼餉の準備に取り掛かるのには中途半端な時間に、勝手口からそろそろと中を覗き見る。辺りを森に囲まれているせいで日中でも薄暗い炊事場には、相変わらず黒爺が影のように蹲っていた。
黒爺はその名の通り、本当に黒い。煤と埃と垢と――とにかく本人が水浴びや湯浴みの類を徹底的に嫌がるせいでいつしか汚れが層のように肌を覆い、こうなったらしい。もじゃもじゃの長髪だけは灰色だったが、加齢で白くなったのか、元々白に近い色だったのかも分からない。
そんな黒爺が一人で漆喰の壁に凭れて座っていると、誰かが影だけを置き去りにしたような錯覚を覚えてぎくりとしてしまう。タビトは反射的に逃げようと足に力を入れたが、よく見ると黒爺があぐらをかいた足の上に何かを載せ、手の中でくるくると回していることに気付いた。
更に注視してみると、黒爺の体の横には木の蔓がとぐろを巻いた状態で積まれていた。どうやら彼は蔓で円形の何かを編んでいる最中のようだ。手のひらほどの平たい円から四方に蔓が突き出している様は、まるで巨大な蜘蛛のようで少し気味が悪い。しかし黒爺が中央の円を抑えながら全体を回し編んでいく内に、ゆっくりとだが確実に円が大きくなっていく。タビトは知らず知らずのうちに魅入られていった。
あれはどこまで大きくするんだろう。あんなに大きくして何に使うんだろう――というようなことをわくわくしながら見守っていたが、突如背後から飛んできた先輩の『可愛がり』により、その日の自由時間は終わった。
――あれはどこまで大きくするんだろう。あんなに大きくして何に使うんだろう。
その謎は意外にも、翌日の朝明らかになった。
日の出と共に目覚めたタビトが水瓶の底に残ったわずかな水で口をゆすぎ、朝の水汲みに出掛けようとしたとき、炊事場の中央にある岩の作業台の上にそれを見つけた。
それは子どもの両腕で囲えるくらいの大きさの笊で、中央から緻密に組まれた円が外側に向かうにつれて幅が広がっていた。蜘蛛の脚のように放射線状に飛び出していた蔓は縁のところでぐにゃりと曲がって折り返し、また内側に戻ることで全体の強度を上げている。
出来上がった瞬間を見た訳でもないし、同じような笊や籠は炊事場にいくつもあるのに、一目で「昨日のあれだ」と確信した。他のものと比べてまだ蔓が瑞々しかったし、黒爺が何度も手のひらで抑えつけ、回していた円形の部分に見覚えがあった。
――こんなのがたった一日で作れるのか。特別な材料も道具も使っていないのに。
タビトはこの時初めて、黒爺のことをすごいと思った。
それからは自由時間ができるたび、黒爺を探して観察することがタビトの習慣になった。最初の方は、また蔓で笊を作っているところを盗み見て作り方を覚えてやる――と意気込んでいたが、黒爺は日々色々なことをやっていた。古い茶壷を木の棒でかき回していたり、紙煙草を巻いていたり、鉈や包丁を研いでいたり、あるいはただ横になって眠っていたり……。炊事場から姿を消し、日が傾くまで帰って来なかった日もたびたびあった。
そしてタビトが黒爺の観察を始めておよそ二週間後、ようやくその日は訪れた。
黒爺がなかなか二回目の笊作りをしてくれないことに、この頃のタビトはヤキモキしていた。そんな折、前回とほとんど同じ頃合いに自由時間ができて、タビトは炊事場にすっ飛んだ。そしてまさしくタビトの期待通り、黒爺が前回と同じように蔓を膝の上に載せて座っているのを見た瞬間――タビトは喜びのあまり、勝手口に入ってすぐのところで「あっ!」と声をあげてしまったのだ。
こっそり盗み見て、作り方を覚えてやるつもりだったのに。
タビトは大慌てて口を抑えたが、当然後の祭りである。しかしここで逃げるのもおかしい気がして、ただその場に硬直していたら、黒爺が座った姿勢のまましわがれた声で言った。
「坊主。お前もやるか」
そう言う黒爺の目線は手元の蔓に注がれ、黒い指先は動き続け、作業を止める気配がない。タビトのことなど微塵も気にしていないようだった。タビトが誘いに乗ろうと乗るまいとどうでもいい――というその素っ気ない態度が、逆にタビトには取っつきやすかった。
「……やる」
「そうか」
自分から誘ったくせに、黒爺はそれすら興味がないようだった。
何はともあれこうしてタビトはこの日、黒爺からヤマブドウの蔓で笊を編む方法を教わった。そしてこの日以来、黒爺を探して観察する時間が全部、黒爺にくっついて何かを学ぶ時間になった。
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