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墓穴
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「一夏、こっちや。急ぐで」
「え? えっ?」
今度は腕を引かれて歩き出す。しかも今まで一夏が頭から被っていたのは千のジャージだったらしい。千はくしゃくしゃになったそれを、今度は自分の腰に巻いてざっくりと縛っていた。
「千、なんで……」
「いーから。もうちょっとやから」
何が何だか分からないまま、暗い山道を一列になって進んで行く。少し進むと、千は慣れた手つきで山道脇の柵の切れ目に体を滑り込ませた。これも以前使った、地元民だけが知る秘密の道だ。ここまで来たらもうとやかく言っても仕方ないだろう。一夏も黙って付いていく。
濃い緑の匂いで立ち込める森の中、闇の中にうっすらと浮かぶ杣道を進めば、程なくして山の中腹にある小さな高台に出る。前回も使ったゴザが、既に敷いてあるのが暗がりの中でも見えた。千が一度だけ振り返り、歩みを緩めた。
最後の数歩は、二人並んで歩く。前方から吹き付ける風を浴びながら高台の縁に出たところで、一夏は息を呑んだ。
目の前に広がる景色が、前回とまるで違っていた。
村のあちこちに、無数の光がともされている。電灯の白でも提灯の赤でもない、もっと柔らかくて揺らぎのある、蝋燭の光――灯華会の灯りだった。一つ一つは小さな弱々しい灯りだ。だけどそれが道に、地面に、家々の前に、温かな影を落とし一つの線となって繋がっていく。
それは人の手でつくられた、優しい炎の道だった。風が吹くと灯りはゆらりと身じろぎし、村全体が呼吸しているかのように見える。夜の闇の中で、心臓のように脈打っている。
初めて目にするのに、同時にどこか懐かしさを覚える。胸の奥に、静かに訴えてくるような景色だった。
「……すごい」
思わず一夏の口から零れ落ちたのは、ごくごく単純な感想だった。あまりに単純すぎて、口にした直後一夏は少し恥ずかしくなったのだが、千が嬉しそうに振り返る。
「せやろ」
その笑顔を見たら、どうでもよくなった。
「……うん。すごい。綺麗」
もう一度馬鹿みたいに繰り返せば、千は満足げに笑い、やっと一夏の手を解放した。そして一人ゴザの上に座るので、一夏もなんとなく隣に腰を下ろす。少し目線の位置が下がっただけで、眼下の灯りがより近くなった気がした。
一夏が隣で落ち着いたのを見計らい、千が切り出す。
「どうしてもこれ、一夏に見せたかってん」
「……なんで?」
「なんでって。そりゃ綺麗やから……喜ぶと思ったし」
千は一度言葉を区切ると、照れ臭そうに呟く。
「お前にこの村、好きになってほしいから。……そしたら来年もまた、帰ってきてくれるかなって」
「……」
灯華会の灯りで温まった胸が、かすかに震える。
――なんで、千はそんな風に言ってくれるの? 俺なんて、友達の服の匂い嗅いで喜んでる変態なのに。『普通の高校生』じゃないのに、なんで千はまだ、友達みたいなことを言ってくれるの。
「……なんで?」
「えっ。いや、なんでゆわれても……」
一夏の問いに、千は困ったように頭をかく。けれど意を決したように息を吐くと、体ごと一夏の方に向き直った。
「その、……ごめんな? オレ無神経で。お前がそんな気にすると思わんくて」
「……え?」
「でもよぉ考えたら一夏、繊細やもんな。悪かったわほんま。だからいい加減、機嫌直して?」
「え? え……?」
――なんで千が謝ってるの……? え? 何の話?
一夏の頭の中が疑問符でいっぱいになる。謝罪が足りないと思ったのか、千が両手を合わせて頭を下げようとしたので、一夏は慌てて止めた。
「ちょ、ちょっと、そんなんいいって。何で千が謝るの? 悪いのは俺じゃん」
「え? そうなん?」
「そうなんって……そうだよ。むしろ千は被害者でしょ? 俺が千の服の匂い嗅いでたんだから……、」
「え? そんなんしてたん?」
と、千が驚いたように目を見開く。そんな事実は今初めて知った――とでも言うように。
「……え。してたん、って……え、……え?」
――なにこれ。どういうこと。
頭の中でいっぱいになっていた疑問符がぐるぐるとすごい勢いで回り始める。強烈な眩暈を覚え、一夏はゴザの上によろよろと手をついた。
「い、一夏? 大丈夫か?」
「……ちょ、ちょっと待って。じゃあ千は何で……今、何に対して俺に謝ってたの?」
「え。そりゃまあ……」
千は口元を手で押さえ、気恥ずかしそうに目を逸らす。
「オレがノックせんかったせいで、お前の半裸見てもうたこと……やけど……」
「……」
「ゆうて男同士やから別にええやろって思ってたから、まさか泣いて逃げ出すとは思わんくて。でもよぉ考えたら一夏かわいい顔してるし、本気で嫌やったんかなぁって思って反省を……」
「……」
「あれ? でも違うんやっけ? なあさっきなんてゆうたお前、オレの服の匂いを……?」
「う、わあああああ! ごめんなさいごめんなさいっさよならっ!」
――墓穴。自白。勘違い。
一夏は即座にその場から逃げ出そうとしたのだが、
「待てこら」
「ウッ」
首根っこを掴まれゴザの上に引き戻される。千は一夏の両腕をしっかりと抑えて座らせると、正面から顔を寄せる。
「え? えっ?」
今度は腕を引かれて歩き出す。しかも今まで一夏が頭から被っていたのは千のジャージだったらしい。千はくしゃくしゃになったそれを、今度は自分の腰に巻いてざっくりと縛っていた。
「千、なんで……」
「いーから。もうちょっとやから」
何が何だか分からないまま、暗い山道を一列になって進んで行く。少し進むと、千は慣れた手つきで山道脇の柵の切れ目に体を滑り込ませた。これも以前使った、地元民だけが知る秘密の道だ。ここまで来たらもうとやかく言っても仕方ないだろう。一夏も黙って付いていく。
濃い緑の匂いで立ち込める森の中、闇の中にうっすらと浮かぶ杣道を進めば、程なくして山の中腹にある小さな高台に出る。前回も使ったゴザが、既に敷いてあるのが暗がりの中でも見えた。千が一度だけ振り返り、歩みを緩めた。
最後の数歩は、二人並んで歩く。前方から吹き付ける風を浴びながら高台の縁に出たところで、一夏は息を呑んだ。
目の前に広がる景色が、前回とまるで違っていた。
村のあちこちに、無数の光がともされている。電灯の白でも提灯の赤でもない、もっと柔らかくて揺らぎのある、蝋燭の光――灯華会の灯りだった。一つ一つは小さな弱々しい灯りだ。だけどそれが道に、地面に、家々の前に、温かな影を落とし一つの線となって繋がっていく。
それは人の手でつくられた、優しい炎の道だった。風が吹くと灯りはゆらりと身じろぎし、村全体が呼吸しているかのように見える。夜の闇の中で、心臓のように脈打っている。
初めて目にするのに、同時にどこか懐かしさを覚える。胸の奥に、静かに訴えてくるような景色だった。
「……すごい」
思わず一夏の口から零れ落ちたのは、ごくごく単純な感想だった。あまりに単純すぎて、口にした直後一夏は少し恥ずかしくなったのだが、千が嬉しそうに振り返る。
「せやろ」
その笑顔を見たら、どうでもよくなった。
「……うん。すごい。綺麗」
もう一度馬鹿みたいに繰り返せば、千は満足げに笑い、やっと一夏の手を解放した。そして一人ゴザの上に座るので、一夏もなんとなく隣に腰を下ろす。少し目線の位置が下がっただけで、眼下の灯りがより近くなった気がした。
一夏が隣で落ち着いたのを見計らい、千が切り出す。
「どうしてもこれ、一夏に見せたかってん」
「……なんで?」
「なんでって。そりゃ綺麗やから……喜ぶと思ったし」
千は一度言葉を区切ると、照れ臭そうに呟く。
「お前にこの村、好きになってほしいから。……そしたら来年もまた、帰ってきてくれるかなって」
「……」
灯華会の灯りで温まった胸が、かすかに震える。
――なんで、千はそんな風に言ってくれるの? 俺なんて、友達の服の匂い嗅いで喜んでる変態なのに。『普通の高校生』じゃないのに、なんで千はまだ、友達みたいなことを言ってくれるの。
「……なんで?」
「えっ。いや、なんでゆわれても……」
一夏の問いに、千は困ったように頭をかく。けれど意を決したように息を吐くと、体ごと一夏の方に向き直った。
「その、……ごめんな? オレ無神経で。お前がそんな気にすると思わんくて」
「……え?」
「でもよぉ考えたら一夏、繊細やもんな。悪かったわほんま。だからいい加減、機嫌直して?」
「え? え……?」
――なんで千が謝ってるの……? え? 何の話?
一夏の頭の中が疑問符でいっぱいになる。謝罪が足りないと思ったのか、千が両手を合わせて頭を下げようとしたので、一夏は慌てて止めた。
「ちょ、ちょっと、そんなんいいって。何で千が謝るの? 悪いのは俺じゃん」
「え? そうなん?」
「そうなんって……そうだよ。むしろ千は被害者でしょ? 俺が千の服の匂い嗅いでたんだから……、」
「え? そんなんしてたん?」
と、千が驚いたように目を見開く。そんな事実は今初めて知った――とでも言うように。
「……え。してたん、って……え、……え?」
――なにこれ。どういうこと。
頭の中でいっぱいになっていた疑問符がぐるぐるとすごい勢いで回り始める。強烈な眩暈を覚え、一夏はゴザの上によろよろと手をついた。
「い、一夏? 大丈夫か?」
「……ちょ、ちょっと待って。じゃあ千は何で……今、何に対して俺に謝ってたの?」
「え。そりゃまあ……」
千は口元を手で押さえ、気恥ずかしそうに目を逸らす。
「オレがノックせんかったせいで、お前の半裸見てもうたこと……やけど……」
「……」
「ゆうて男同士やから別にええやろって思ってたから、まさか泣いて逃げ出すとは思わんくて。でもよぉ考えたら一夏かわいい顔してるし、本気で嫌やったんかなぁって思って反省を……」
「……」
「あれ? でも違うんやっけ? なあさっきなんてゆうたお前、オレの服の匂いを……?」
「う、わあああああ! ごめんなさいごめんなさいっさよならっ!」
――墓穴。自白。勘違い。
一夏は即座にその場から逃げ出そうとしたのだが、
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「ウッ」
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