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リゼ様
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「なあ、なんやて? 一夏お前さっき、オレの服の匂いを嗅いだゆうてたよな」
「ご。ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「何でそんなことしたん? なあ何で?」
「ご、ごめ……」
「お前、オレのこと好きなん?」
「ごッ……」
今度こそ本当に言葉が詰まる。胸の奥に熱いのと冷たいのが同じくらいあって、気分が悪い。
一夏は千の視線から逃れるように、ぎゅっと目を瞑った。
「す、……好き……」
「……、」
暗く閉ざされた視界の向こうで、千が息を呑む。そのかすかな音で急に不安を煽られ、一夏は咄嗟に付け加えた。
「じゃ、ない」
「……いや何でやねん」
カクン、と千が肩を落としたのが気配で分かった。
一夏が恐る恐る目を開くと、千が困ったような顔で一夏を覗き込んでいる。
「……そこで好きじゃない言われたら、オレの立場がないんやけど?」
「ご。……ごめん……」
「いやごめんやなくてさぁ……」
千が溜め息を吐いて一夏の顔に手を伸ばす。何をされるのかと一瞬一夏は体を硬くしたが、千の指は一夏の頬を掠めて目元の涙を拭った。いつの間にか溢れそうになっていたそれを、千が人差し指で掬い取る。
「まあ、それでなんか納得したわ。最近のお前が様子おかしかったこと」
「……え?」
「変なところで口数少なくなったと思ったら、ハガキ一枚にやたら拘って川ん中入ってまで取りに行こうとするし。訳分からんかったけど……要は、気になって仕方なかったんやろ? 『りせ』のことが」
「……」
そんなことない。別に全然気にしてない。
という風を装わないといけないのに、今の一夏にはとてもそんな演技はできなかった。ただ黙って千を見返すと、彼はふっと疲れたように笑みを浮かべる。そしてポケットからスマホを取り出すと、何やら親指で操作し始めた。
「ほんまに気にすることなんかなんもないのに。……さてはお前、『幼馴染』とか『初恋』って言葉にやたらと夢見てるタイプやろ」
「そ。そんなことは……」
「一夏はネットで動画とかよく見る方?」
「えっ?」
いきなり話が飛んだ。尋ねられていることの真意が分からなかったが、「あんまり見ない。友達から教えられた時だけ」と素直に答える。
「じゃあ、リゼって配信者のことは知ってる? 『リゼ様』とか言われてて、けっこう人気やねんけど」
「リゼさま……? さあ、俺は知らないけど……あ、クラスの女子が騒いでたような気が……?」
「うん、せやねん。せやからあんま広めたくなかったんやけど……」
千が一夏の隣に体を寄せ、スマホの画面を見せる。
表示されていたのは世界的規模の大手動画投稿サイトの、とある個人のチャンネルのホーム画面だった。ヘッダーには白い砂浜と青い海が目に眩しい、どこか南国の風景が設定されている。そしてその中央にはポップな字体でデカデカとチャンネル名が書かれていた。
「『女バックパッカー野郎リゼ』。……え? 女の人が? バックパッカーしてるの?」
バックパッカーと言えば、その名の通りバックパック一つで低予算の旅行をする人々のことだ。国内でもそれなりに危険が伴うというのに、ホーム画面に並ぶサムネイルを見る限り彼女はどこか南の国を渡り歩いているらしい。
「うん。しかも最初に旅立ったのはオレが中学の時やから……りせが十九の頃か。ありえんやろ」
「えっ!? この人が『りせ』……さん、なの!?」
一番再生されている動画は九百万再生、他にも百万再生越えの動画がゴロゴロある。「金の盾もらいました!」というタイトルの動画まである。
「うん、そう。……お前、子どもの頃憧れてた初恋のお姉さんがおったとして、その人が海外でバックパッカーやる! 言い出したら付いていこう思うか?」
「え……えっと……」
「本気で好きやったら知らんで? でもちょっと憧れてたくらいや。『よぉやるわ』って感じにならん?」
「……な、……なるかも。……」
世界的には十分恵まれている、平和な日本国内で人並みに生きることさえ四苦八苦している一夏だ。リュック一つで海外貧乏旅行なんて、とてもじゃないが付いていける気がしない。お金をもらったってごめんだ。
「それに」
千はスマホの画面を暗くすると、ポケットに戻す。
「りせはもう結婚しとる」
「えっ?」
「うちの玄関にどっかの部族の婚礼用のマスクあったやろ。あれはりせが自分の式で使ったやつや」
「えええっ!?」
「相手は現地で知り合った日本人。関東の信用金庫に勤めとる」
「えええええっ!? ……いや、そこはけっこう堅実なんだね……?」
思わず一夏が突っ込めば、千はおかしそうに笑った。
「せやんな。結婚相手は冒険せんのかい! ってなるよな」
くつくつと肩を震わせて笑う千を見ていると、一夏もつられて笑ってしまう。
しばらく笑ってから、千がほうと息を吐いた。
「……で。これで分かったやろ? オレはりせに未練とか何もないって。安心した?」
「うん。安心した」
「そぉか、安心したか。ってことは、やっぱお前オレのことが好きなんやな?」
「うん。す……、」
はっとして顔を上げると、千がにやりと口の端をあげて笑っていた。
――か、かっこいい。いや違う、そんなこと考えてる場合じゃなくって!
高度な誘導尋問に引っかかりそうになっていたことに気付き、一夏はゴザの上で後ずさって距離をとる。
「す。好きじゃない。好きじゃないからもう帰る!」
「えぇー何でそうなんのぉ? もう認めたらええやん。こーら一夏。逃げんな」
「ウ……!」
森の中に向かって駆けだそうとする体を、後ろから強引に羽交い絞めにされる。そのまま容易く体の向きを半回転させられ、たったの数秒で一夏は千の腕の中に閉じ込められていた。
「ご。ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「何でそんなことしたん? なあ何で?」
「ご、ごめ……」
「お前、オレのこと好きなん?」
「ごッ……」
今度こそ本当に言葉が詰まる。胸の奥に熱いのと冷たいのが同じくらいあって、気分が悪い。
一夏は千の視線から逃れるように、ぎゅっと目を瞑った。
「す、……好き……」
「……、」
暗く閉ざされた視界の向こうで、千が息を呑む。そのかすかな音で急に不安を煽られ、一夏は咄嗟に付け加えた。
「じゃ、ない」
「……いや何でやねん」
カクン、と千が肩を落としたのが気配で分かった。
一夏が恐る恐る目を開くと、千が困ったような顔で一夏を覗き込んでいる。
「……そこで好きじゃない言われたら、オレの立場がないんやけど?」
「ご。……ごめん……」
「いやごめんやなくてさぁ……」
千が溜め息を吐いて一夏の顔に手を伸ばす。何をされるのかと一瞬一夏は体を硬くしたが、千の指は一夏の頬を掠めて目元の涙を拭った。いつの間にか溢れそうになっていたそれを、千が人差し指で掬い取る。
「まあ、それでなんか納得したわ。最近のお前が様子おかしかったこと」
「……え?」
「変なところで口数少なくなったと思ったら、ハガキ一枚にやたら拘って川ん中入ってまで取りに行こうとするし。訳分からんかったけど……要は、気になって仕方なかったんやろ? 『りせ』のことが」
「……」
そんなことない。別に全然気にしてない。
という風を装わないといけないのに、今の一夏にはとてもそんな演技はできなかった。ただ黙って千を見返すと、彼はふっと疲れたように笑みを浮かべる。そしてポケットからスマホを取り出すと、何やら親指で操作し始めた。
「ほんまに気にすることなんかなんもないのに。……さてはお前、『幼馴染』とか『初恋』って言葉にやたらと夢見てるタイプやろ」
「そ。そんなことは……」
「一夏はネットで動画とかよく見る方?」
「えっ?」
いきなり話が飛んだ。尋ねられていることの真意が分からなかったが、「あんまり見ない。友達から教えられた時だけ」と素直に答える。
「じゃあ、リゼって配信者のことは知ってる? 『リゼ様』とか言われてて、けっこう人気やねんけど」
「リゼさま……? さあ、俺は知らないけど……あ、クラスの女子が騒いでたような気が……?」
「うん、せやねん。せやからあんま広めたくなかったんやけど……」
千が一夏の隣に体を寄せ、スマホの画面を見せる。
表示されていたのは世界的規模の大手動画投稿サイトの、とある個人のチャンネルのホーム画面だった。ヘッダーには白い砂浜と青い海が目に眩しい、どこか南国の風景が設定されている。そしてその中央にはポップな字体でデカデカとチャンネル名が書かれていた。
「『女バックパッカー野郎リゼ』。……え? 女の人が? バックパッカーしてるの?」
バックパッカーと言えば、その名の通りバックパック一つで低予算の旅行をする人々のことだ。国内でもそれなりに危険が伴うというのに、ホーム画面に並ぶサムネイルを見る限り彼女はどこか南の国を渡り歩いているらしい。
「うん。しかも最初に旅立ったのはオレが中学の時やから……りせが十九の頃か。ありえんやろ」
「えっ!? この人が『りせ』……さん、なの!?」
一番再生されている動画は九百万再生、他にも百万再生越えの動画がゴロゴロある。「金の盾もらいました!」というタイトルの動画まである。
「うん、そう。……お前、子どもの頃憧れてた初恋のお姉さんがおったとして、その人が海外でバックパッカーやる! 言い出したら付いていこう思うか?」
「え……えっと……」
「本気で好きやったら知らんで? でもちょっと憧れてたくらいや。『よぉやるわ』って感じにならん?」
「……な、……なるかも。……」
世界的には十分恵まれている、平和な日本国内で人並みに生きることさえ四苦八苦している一夏だ。リュック一つで海外貧乏旅行なんて、とてもじゃないが付いていける気がしない。お金をもらったってごめんだ。
「それに」
千はスマホの画面を暗くすると、ポケットに戻す。
「りせはもう結婚しとる」
「えっ?」
「うちの玄関にどっかの部族の婚礼用のマスクあったやろ。あれはりせが自分の式で使ったやつや」
「えええっ!?」
「相手は現地で知り合った日本人。関東の信用金庫に勤めとる」
「えええええっ!? ……いや、そこはけっこう堅実なんだね……?」
思わず一夏が突っ込めば、千はおかしそうに笑った。
「せやんな。結婚相手は冒険せんのかい! ってなるよな」
くつくつと肩を震わせて笑う千を見ていると、一夏もつられて笑ってしまう。
しばらく笑ってから、千がほうと息を吐いた。
「……で。これで分かったやろ? オレはりせに未練とか何もないって。安心した?」
「うん。安心した」
「そぉか、安心したか。ってことは、やっぱお前オレのことが好きなんやな?」
「うん。す……、」
はっとして顔を上げると、千がにやりと口の端をあげて笑っていた。
――か、かっこいい。いや違う、そんなこと考えてる場合じゃなくって!
高度な誘導尋問に引っかかりそうになっていたことに気付き、一夏はゴザの上で後ずさって距離をとる。
「す。好きじゃない。好きじゃないからもう帰る!」
「えぇー何でそうなんのぉ? もう認めたらええやん。こーら一夏。逃げんな」
「ウ……!」
森の中に向かって駆けだそうとする体を、後ろから強引に羽交い絞めにされる。そのまま容易く体の向きを半回転させられ、たったの数秒で一夏は千の腕の中に閉じ込められていた。
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