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第9章 ちる

ちる 7

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「なっ、なにするんじゃぁぁ!」

 想像もしていなかったその行動に我の身体は勝手に動き、ノアに向けて渾身のビンタを繰り出していた。

 ……だけど我の手がノアの頬に触れる事は無かった。
 我の手と腕はノアに触れる瞬間にまるで霧の様に消えてなくなっていた。

「……ははっ、残念だな。 最後にちるにビンタされるのも良いかと思ったんだが」

 乾いた笑いを交えてノアが振り絞る様に声を出す。 

 辛そうに目に涙を溜めるノアを見て我の心はようやく落ち着きを取り戻した。 

 ただ我の頭の中に真っ先に浮かんだのは、今のノアの気持ちでも我の消滅した手や腕の事でも無かった。

「お、お主、今何をしたんじゃ?」

「何ってキスだけど?」

「誰に?」

「ちるにだけど?」

「キ、キスをしたのか?」

「あぁ。 なんでも願いを聞いてくれるって言ったからな」

「……ほ、本当にお主が、ノアが我にキスしたのか?」

「本当だよ」

「……そ、その本気なのか?」


 自分で聞いたのにとても恥ずかしくなる、まさかノアに、いや、ノアに限らず誰かにキスされるなんて考えた事もなかった。

 心臓が大きく高鳴っている、身体が熱い、ノアの顔を直視する事が出来ない。 
 
 これは本当に自分の身体なのだろうか??
 この感覚は今まで生きてきて経験した事の無いものだった。

「も、もう一回聞くぞ?? お主が我に言いたかった事言うのは、本当にさっき言ってくれた事なのか?? これはいつもみたいな冗談ではないのか??」

「俺がこんな冗談をちるに言う訳ないだろ?? 本気さ。 
 俺がこの世界でベルやシャル、ユーノに協力したのはちるに好きだって伝える為だった。 
 実に俺らしい自分勝手な願いだろ??」

 照れた様に微笑むノアの姿に、我は昔のノアが重なって見えた。  

 無垢な少年の様な笑顔に我の心は何だかとても苦しくなる。
 だけど同時に嬉しくもあった、苦しさと嬉しさが互いに混ざり合い我の心をかき乱している様な不思議な感覚。 

 初めての感情に頭が追いつかない、これも我が神では無くなったからなのだろうか??

 それにこんな時、ノアになんて言ったら良いか我にはわからなかった。
 
「ノ、ノアよ。 我は」

「ちょっと待ちなさいよ!!」

 我の言葉を遮ってベルが声を上げる。 
 
 その声の大きさにびっくりしたし、なんだがさっきから誰かに遮られてばっかりだとも思ったが、ベルはお構い無しに話を始めた。

「ノア!! 貴方、この為に私達に協力したって言うの??」

「ん?? そうだけど??」

「さ、最初からこの為に?? 貴方一歩間違えたら死ぬかも知れなかったのよ??」 

「死ぬ事も怖くないって言ってたのはお互い様だろう??」

「そ、それは……そうだけど」

「くくっ」

「な、何笑ってるのよユーノ!!」

「いえいえ、ベル様に対して笑った訳ではありませんよ」

「じゃあ俺に対してか??」

「ええ。 私にとっての最大の謎が思わぬ形で解けたのでちょっとね。 
 あの時の問いの答えを知れて良かったです。 如何やら貴方にとってのちる様は本当に神では無かった様だ、神の様な力を持ったただの少女だったのですね」

 ユーノは満足した様に大きく笑いながら、ノアと我の方に視線を向けて続ける。

「二千年もの間、この世界を総てきたソフィア様の能力を超えたのがまさか個人の愛の力だったとは。 ふふっ、なんだかお伽話みたいですね」

「ちっ、うるせぇーよ。 そもそも最初からお伽話の様なもんだろ」

 顔を赤らめ誰がみても照れているのだとわかる表情をノアは浮かべていた。

 ノアの仕草に何だが我まで照れてしまう。

「ちょっと待ちなさいよ!?」

 またもベルが大きな声を上げた。

 いい加減わざわざ大きな声を出すのをやめて欲しい、ベルの近くにいる我はその都度驚かされるのだから。

「なんだよ!! もう邪魔すんなよ!! さっきも約束したよね?? いや、そもそも最初から約束してたよね?? 俺の話に口出しはしないって!!」

 苛つきを隠す事なく大袈裟にジェスチャーを交えてノアはベルに言葉を返す。

「仕方ないじゃない!! そんな事も言ってられなくなったのよ!!」

「さっきも言ったが俺の目的は最初からこれだったんだ!! もう他に聞きたい事も無いだろう?? 何が不満なんだよ??」
「せ、せこいのよ!!」

「……はぁ??」

「せ、せこいって言ったのよ!! 貴方がちる様を助けた理由が告白をする為ですって?? 何それ!! そんなのかっこ良すぎるじゃない!! それに絶対、私の方がちる様の事を好きだわ!! いい?? 私がちる様を愛していると言わなかったのは、そんなの当然過ぎて言葉にするまでも無いと思ったからなのよ?? 決して貴方が一番ちる様を愛しているとかってわけじゃ無いんだからね??」

 耳まで真っ赤に染めたベルは、恥ずかしいのか悔しいのかわからない表情を浮かべながらノアに指を向ける。

「べ、ベル様……」

 シャルが呆れた様に小さく呟き、ユーノはまたも静かに笑っていた。

 シャルが呆れるのも無理はない、今のベルは完全に駄々を捏ねている幼い子供の様だ。

「いや、それは違うぞベル」

「な、何が違うって言うのよ??」

「確かにちるの事を好きな奴はベルを含めて大勢いるだろうから、まぁベルの言いたい事もわかる。 だがな!! ちるを一番愛しているのは間違えなく俺だ!! 俺はちるを女として愛している!!
 それこそ人生のパートナーとしてずっと一緒に居たいと思っているくらいだ!!
 ベルが邪魔してなきゃこのままプロポーズもしようとしてたんだからな!!」 
 
 ベルの言葉にこの場で唯一本気で反応しているノアは我がここにいる事を忘れているのか、感情を爆発させる。

「け、結婚!! ちる様と?? そんなの無理に決まってるじゃない!!」

「無理かどうかなんてわからないだろ!!
 それを決めるのはベルじゃなくてちるなんだし!!」

「うっ!! だ、だったら私も結婚するわ!!」

「はぁ?? ……ベル言っている事がめちゃくちゃだぞ?? さっきは出来るわけ無いって言ってたよな??」
 
「それはそれ、これはこれよ!!」

 答えが出そうにない言い合いを二人は続ける。 
 その光景はまるで仲睦まじい兄弟のようだ。
 
 それにしてもノアがこんなに我を好いていてくれていたとは知らなかった。
 感情を出すのが苦手で奥手だった小年がこんな大声で愛を叫ぶとはな、人間の成長は凄いのぅ。

 ま、まぁ我との結婚を考えていたなど言うのはおそらく本気では無いだろうが、冗談だったとしてもプロポーズをしようとしてくれていたとは嬉しいと思う……ほ、本気なのかな??

 我は気付かれない様にノアの顔を見る。 
 未だにベルと言い争いをする姿は子供の様なのになんだかさっきよりも少しだけ格好良く見えてしまう。

「ちる様?? お顔が赤いですよ??」

「な、なんでもない!! この部屋が少し暑いだけじゃ!!」

「ふふっ、そうでしたか。 それにしてもベル様とノア様は一体いつまで続けるつもりなのでしょうね」

 シャルは笑いながら視線を二人に戻す。 

 確かに一体いつまで言い合っているのだろうかと呆れてしまう、話の内容も何故か我の好きな所を言い合っているだけの無駄なものに変わっているし。

「きっとどちらかが謝らない限り終わらんじゃろうな」

「ええ、そうですね」

 我とシャルは同時に小さくため息を吐き静かに笑い合った。

 いつだったか言われた心が満たされる感覚、きっとこれがそうなのだろうと我は思った。
 
「ちる様」
 
 笑っていて気付かなかったがユーノは我のすぐ隣まで来ており、消え入りそうな声で我を呼んだ。

「あぁ、わかっておる。 ユーノ、最後までありがとうな。 ベルの事、世界の事任せたぞ」

「……はい。 御元気で」

 涙を隠す事なくユーノは大きく頷いてくれた。 

 如何やら本当にユーノには我が消える時間がわかっているらしい、大した男だ。 
 きっと今回の件も裏で色々と手を回していたのだろう。 我はもう一度ユーノに向けてありがとうと告げた。
 
「な、なんで泣いているのユーノ??」
 
 ユーノの涙に気付いたベルは、ノアとの言い合いを止め声を震わてユーノに尋ねる。

 目に溜めている涙を見ればその質問に答える必要が無い事は我にもすぐ分かった。

「まぁなんじゃ、そう言う事じゃな。 如何やら時間の様じゃ」

「嘘ですよね?? そんな、もう少し!! もう少しだけ一緒に!!」

 必死に声を上げるベルをノアが肩に手を乗せて制止する。

「ありがとうのぅベル。 我の為に泣いてくれて、怒ってくれて、本当に嬉しかったのじゃ。 
 我はベルに会えてよかったのじゃ、心からそう思っておる。 
 ベルリン家の一員としてお主を誇りに思うぞ、期待しておるからな」

 我の言葉にベルは涙を拭って背筋を伸ばしいつもの様に気高く凛々しい姿で言葉を返してくれた。

「あ、ありがたきお言葉感謝致します!! 
 ベルリン家十一代目当主ベルリン・ベルスロット、自身の持てる力を全て出し切り、全力でちる様の期待に応えていきたいと思います!! 本当に……ほ、本当にありがとうございました!!」

「ちる様、シャルからもお礼を言わせて下さい。 ありがとうございました」

 ベルに次いでシャルが頭を下げる。

 深く頭を下げるベルとシャルにこれ以上の言葉は必要ないだろう。

 ベルは素晴らしい王になる、この世界を統べるほどの偉大な王に。 
 そしてそれをシャルが支えるのだ、その光景は神でなくなった我にも想像できたのだから。  
 
「これで本当お別れなんだなちる。 消える消えるって言って結局消えないパターンかと思ってたよ」

 ノアが悲しそうな表情を浮かべる。

 此奴のこの顔はあまり見れるもんじゃないからちょっと新鮮にも感じるが、同時に胸の奥がちくりと痛む。 
 きっとそれは我がノアと別れるのが名残惜しいからだろう。 

 我ながら告白されただけで単純だなと呆れてしまう、だけどこれで本当に最後なのだ。 

 今までのお礼とどうせ最後ならと聞きたかった台詞を尋ねてみようと我は思う。

「残念ながら今回は本当じゃよ。 むしろ良くここまで持ったと褒めてくれても良い程だと思うがのぅ??」

「そうだな」

「おっ!! 珍しいのぅ?? 嫌に素直じゃな??」

「……最後なんだろ??」

「そうじゃな」

「そうかぁ。 これで終わりか」

「まぁ、終わりじゃな。 じゃが最後にお主に会えて良かったぞ」

「俺が会いたかっただけだよ」

「それでもじゃ、わざわざ会いに来てくれて嬉しかった。 こんな最後にしてくれてありがとうのぅ、ノア。 あの日お主に会いに行って良かった」

「それは俺のセリフだよちる。 あの日ちるに会えて良かった、今日ちるに会いに来て良かった。 ありがとうな、ちる」 

「……な、なぁ。 どうせ最後なのじゃし、その、さっきの続きを聞かせて貰えないだろうかのぅ??」

「続き??」

「ほら、その、ベルに邪魔されたって言ってたやつじゃ」

「ベルに邪魔された……あぁ」

「お、思い出したか?? おいおい、そんなに顔を赤くするでない!! どっちかと言うと催促してる我の方が恥ずかしいんじゃぞ!!」

「あ、赤くなってねぇーよ!! わかった!! でもそのかわりちゃんと返事をくれよ?? いいな??」

「なっ!! そんな急に返事を出来る訳無いじゃろうが!!」

「いいや、もう決めたんだ。 返事は貰うからな!! 最後なんだし!! ちゃんと聞いとけよ」

「……わ、わかったのじゃ」

「ち、ちる!!
 お前が好きだ!! 一緒に世界中の料理を食べに行きたいと思ってる!! だから!! だから俺と結婚して欲しい!!」
 
 我に目線を合わせ瞳の中心を真っ直ぐに見据えてノアは言った。 
 
 ……今まで誰かに好きとか愛していると言って貰える日が来るなんて一生無いと思っていた。

 告白されることが、愛情を受け取ることがこんなにも幸せな事だなんて思ってもみなかった。 

 もう足も手も無い、身体さえ胸の辺りまで消えている我に向かってノアは本気で好きだと言ってくれる。

 そんなのノアを、この気持ちをくれたノアを我はとても愛おしく思う。

「ありがとうノア。 とても嬉しいのじゃ」

「ほ、本当か??」

「あぁ、我もお主の事が、ノアが好きじゃ」

「じゃあ!!」

「じゃが、結婚となると少し話が変わってくるのぅ」

「……え??」

「いや、だってこの気持ちが本当かどうか確かめないといけんじゃろ?? だからやっぱすぐに返事は出来ないのぅ」

「えー!! 話が違うじゃねぇーか!!」

「うるさい!! 仕方ないじゃろ!! 保留じゃ、返事は保留!!」

「おいおい、そりゃあ無いだろ全く……ふふっ」

「ふっははは」 
「くっくくく」


 我とノアは互いに大きく声を出して昔の様に笑いあった。
 懐かしい居心地の良さを感じる、きっと我とノアにはこの雰囲気が合っているのだろう。

「ちる!! またな!!」
 
 笑いを止めノアが笑顔で言う。 
 
「うん、またねノア!!」 
 
 薄まる意識の中、精一杯の笑顔で我はノアに言った。



 2千年前に伝えることの出来なかった別れの言葉を言えて本当に良かった……。

 
 
 
  
  
  
   
 
 
 
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