あの日、君は笑っていた

紅蘭

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第二章

五年前Ⅴ

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私は全部話し終わるとまたコーヒーを口に含んだ。

苦い。

もう五年も前のことなのに意外と覚えていたことに驚いた。

もっと忘れているかと思っていた。

ひろ君がコーヒーに口をつける。私が話す間ひろ君は何も言わず、真剣に聞いてくれていた。

ふと部屋の中が暗いことが気になった。いつの間にか日が落ちていたのだ。

それに気が付かなかったことにまた驚く。

電気をつけようと立ち上がろうとするが、ひろ君は私の肩を抱いたまま離してくれない。


「ひろ君、電気つけないと……」

「いいよ」


全く離してくれそうな気配のない大きな手に触れる。


「どうしたの?」


そう聞くがひろ君は何も言わない。何かを考えているようだ。

まあいいか。私は立ち上がるのはやめてそのままひろ君に身を預けた。

そうだ、ギターがないからだ。この部屋に足らないのはギターだ。

ぼんやりとそう思った。だけどそれ以上深くは考えられなかった。

静かな部屋の中で私とひろ君の鼓動だけが聞こえる。

それに言いようのない幸福を感じた。

目を閉じてその音だけに集中する。ひろ君は動かない。私も動かない。

いつまでもずっとこうしていたい。

ふわふわとした気分のまま私はしばらくそうしていた。


気が付いた時には私は床で寝ていた。

ばっと起き上がるとひろ君はキッチンに立っていて、私を見て笑いかけてくれた。


「おはよう」

「私、寝てた……?」

「うん」


いつから寝ていたのか全然分からない。

起き上がると薄い布団が掛けられていた。

ひろ君がかけてくれたんだ。胸が温かくなる。

キッチンへ向かうとひろ君はご飯を作っていた。

時計を見る。もう八時だ。


「ごめんね」


ひろ君の隣に立つ。

何を作っているのだろうと鍋を覗き込むと、ひろ君は「肉じゃがだよ」と教えてくれた。

味噌汁とサラダでも作ろう。


「起こしてくれたらよかったのに」

「気持ちよさそうに寝てたから起こせなかった」


エプロンをつけながらそう言うと思った通りの答えが返ってきた。

ひろ君は私が寝ていてもいつも起こしてくれない。

起こしてって頼んだ時も何も用事がなければ起こしてくれない。

それがひろ君の優しさなのだと思う。


「ひろ君は私を甘やかしすぎだよ」


玉ねぎの皮をむきながらそう言うと、ひろ君は肉じゃがの味付けをしながら言った。


「いいんだよ。俺がいるときは俺に寄りかかって。俺がいない時一人で立てるならそれでいい」


ひろ君はどうしてこんなに優しいのだろう。

どうしてこんな面倒ごとにも首を突っ込んでくれるのだろう。

どうして私のすべてを許してくれるのだろう。

いつも気になっている。

ひろ君は優しいから聞いたらきっと答えてくれる。

だけど私は聞かない。気にはなるけど聞きたいとは思わないから。


「ありがとう」


私は玉ねぎのせいでにじんだ涙を拭いながらそう言った。
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