あの日、君は笑っていた

紅蘭

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第二章

旅行Ⅵ

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「先にお風呂入りますね」


スーツケースから着替えを取り出して浴室に入る前に私は弘介さんを振り返った。


「お葬式の日、あなたはちゃんと紗苗さんと向き合わなければならなかったんです。変な罪悪感など捨てて、一冊だけ特別扱いされたあの本をめくってみるべきだったんです」

「え……?」


それだけ言って弘介さんの顔も見ずに浴室に入る。

やっぱりあの手紙は五年前に弘介さんに渡すべきだったのか。

だけど弘介さんがあれを読んだら紗苗さんのことが吹っ切れてしまいそうで、読んで欲しくないと思う私もいる。

だけどそんなこと私には関係ないことだ。

これは紗苗さんと弘介さんの二人の問題。

中途半端に首を突っ込んでいる私はもう終わらせるべきだ。


蛇口をひねると冷たい水が出て、段々とお湯に変わっていく。

今はただひろ君に会いたかった。


最初の日に色々と話をしたからか、次の日以降は特に気まずいことも、居心地の悪いこともなく過ごした。

五年前のことは一切口に出さずに、ただ十年前の紗苗さんの影を追って移動した。

帰りの飛行機の中で弘介さんは言った。


「麗奈ちゃんは行きたいところなかったの? 全部付き合ってもらったけど」


行きたいところがなかったわけではない。

それ以上に紗苗さんが好きだったものを知りたいと思ったのだ。

だけどそうは言わなかった。


「またひろ君と来るから大丈夫です」

「そっか」


弘介さんが頷く。

窓から下を見ると来た時と同じく雲が見える。

私たちはそれっきり何も話さずに空港に着くまでの間を過ごした。

その空間はやっぱり心地のいいものだった。


飛行機を降りてロビーへ行くと突然声をかけられた。


「おかえり」


全然気が付いていなかった私は驚いて振り返る。


「楽しかった?」


そこに立っていたひろ君はいつものように笑った。

たった三日しか経っていないというのに、すごく久しぶりに会ったような気がした。

言いたいことも話したいこともたくさんあった。

だけど文句すら言えないままに涙が出そうになった。

ぐっとこらえていると、ひろ君は呆れたように笑った。


「早く帰ろうな」


横にいた弘介さんにひろ君が言う。


「わざわざすみませんでした」

「いや、僕の方こそごめんね。大事な旅行の邪魔をしちゃって」


本当にその通りだ。

邪魔なんて生ぬるいものじゃないし。

心の中で文句を言っているが、二人は私の方を見ない。


「じゃあ、また」


少ししてひろ君がそう切り上げて、弘介さんが歩いて行く。

それまでぼーっと会話を聞いていた私はハッとして弘介さんの背に叫んだ。


「明日また会いましょう!」


驚いたように振り返った弘介さんは、首だけで頷くとそのまま歩いて行った。


「ちゃんと話せたみたいだな」

「うん」


ひろ君の手を取ってひっぱって歩き出す。

ひろ君はさりげなく私の持っていたスーツケースを取って、手を握り返してくれる。


「早く帰ろう」


それなりには楽しかった。だけど早く帰りたかった。

ひろ君と私のあの部屋へ。
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