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エピローグ
しおりを挟む「安井警部補、定年退職おめでとうございます!」
浦和市内の小さな居酒屋には、生ビールのジョッキを重ねる三人の男たちの姿があった。
安井の定年退職を祝い青柳と一足先に定年退職した森本の三人でささやかな慰労会が開かれたのだ。
「いやぁ、しかし仕事が無くなるとここまで暇を持て余すとは正直思わなかったぜ。毎日家にいちゃあ嫁さんに煙たがられるし、外に出ちゃあパチンコで金ばっかり擦るし、全くどうしようもないぜ」
「いっそ喫茶店でも開いてホンモノのマスターになったらどうですか?」
「バーカ、オレに客商売なんてできる訳ねぇだろう。客をあれこれ質問責めにしてすぐに嫌われちまうのがオチだ。オメェもいつかこの苦しみを味わう日が来るんだからな。覚悟しとけ!」
久しぶりの森本と青柳の掛け合いを聞いて、安井は嬉しそうにビールに口を付けている。
「しかし…」森本が急に話題を変えた。
「最後の最後まで、本当に大変なヤマだったな」
話題がシュウの事件のことになると、安井はとたんに難しい顔になり、軽く肩をすくめて見せた。
六本木の街に溢れかえった通行人に被害は及ばなかったものの、捜査員二名の尊い命が犠牲となったシュウの逮捕劇は、何とも後味の悪い幕引きとなった。
殺人と公務執行妨害の現行犯で逮捕された加納に対する取り調べでも、本人に当時の記憶は全く無く、何故そんなことをしたのかさっぱり分からないとのことで、結局過労が原因による心神喪失という形で処理せざるを得なかった。
「シュウのヤツ、いまだに目を覚まさないのか?」
「あぁ。あの日六本木で逮捕されて以来、アイツはまた昔と同じように深い闇の中に閉じこもってしまい、警察病院のベッドに寝たきりで誰が何を聞こうが一切反応しなくなっちまった。脳波を調べたり色々と手は尽くしているんだが、今のところ回復の傾向は全くみられないそうだ。可菜という女性が足繁く通ってシュウの面倒を見てくれているよ」
「そうか…そいつは残念だな。結局七年前の事件の真相は分からずじまいか…」
可菜の献身的な態度を見ていた安井は、もしかすると彼女は七年前の事件の真相を知っているかもしれないと思った。しかし安井にはもうそのことを彼女に尋ねる気持ちは無くなっていた。
大方の予想はついていたし、いずれにせよシュウがあの状態では裁きを受けさせることもできない。いや、既にシュウは裁きを受けているではないか。
六本木のビルの屋上で目撃した、シュウを連れ去っていった得体の知れない黒い影のことも含め、安井はあえて森本には説明せずに、全てを自分の胸の内に秘めておくことにした。
「しかし皮肉なモンですよね」青柳がおつまみのきんぴらごぼうに箸を付けながら言った。
「シュウは自分に取り憑いていた神を自分と一緒に葬り去ろうとして、あの爆弾で自ら命を絶とうとしたが、藤井に邪魔をされて結局死ぬことはできなかった。さすがの殺しの神様もシュウ自身を殺すことはできなかったんですから」
「だが、そのお陰でオレたちはこうしてここにいられる」安井がビールジョッキを傾けながら言った。
「そうっすよね…」青柳がポツリと呟いた。
「こら青柳! オレたちみたいなリタイアした連中ならともかく、現役警察官のお前が殺しの神様なんて不謹慎な言葉を使うんじゃねぇぞ!」早くも少し酔いが回った森本が続けてツッコミを入れた。
「そうっすよね~」青柳はうなだれた。
殺しの神かどうかは分からないが、七年前のあの晩、確かにシュウには何かの神が宿った。それはシュウ自身が造り出したものかもしれないし、愛する息子の行く末を案じ、無念さを残したまま死んだ母親が姿を変えたものだったのかもしれない。
そして、その神に導かれるように暗闇からこの世に這い出し、まるで翻弄されるように人を殺すためにさまよい続けたシュウと、それを追い続けたあっという間の三ヶ月間を安井は思い出した。
今再びシュウを懐に抱きながら、その神は彼にいったい何を語り掛けているのだろうか。
「ところで、例の山縣組と真龍会、どちらも解散したそうですね」青柳が再び話題を変えた。
「あぁ。オレの所にも情報が回ってきた。結局殺された若頭の一件が響いて、お互いその後組のまとまりが取れなかったのと、あとはまぁ時代の流れってヤツかな?」森本は少し寂しそうに肩をすくめた。
確かに、六本木で殺された三人組が所属する新興の犯罪組織や藤井のようなコンピュータとネットを駆使した闇のブローカーなどが暗躍するようになっては、これからのヤクザも大変だろうなと安井は思った。
そう言えばあの事件で逮捕された藤井の供述調書に、興味深いことが書いてあったのを安井は思い出した。
「今回の計画は不発に終わったけど、二00一年のアメリカ同時多発テロやその前のオウム真理教の地下鉄サリン事件などを見れば、これからもボクたちの想像を超えるような恐ろしいことが起きる可能性は十分にある。犯罪だけでなく信じられないような自然災害や疫病の流行だってあるかもしれない。だけど一番ボクが懸念するのは急速に進化を遂げるネットワーク社会だ。本格的なネット社会の到来はボクたちの生活を一変させるほどの恩恵をもたらすと同時に、人々を孤立化させ実態を持たない仮想現実でしか生きられない人間を作り出す恐れもある」
天才的な頭脳を持つ彼には、既に我々の未来が見えているのかもしれない。そう、人を殺すのは何もシュウのような人間に限ったことではない。殺しの神は全てのモノに宿っているのだ。
薄暗い病室の壁には一枚の絵が掛けられていた。
それは、定年退職後に安井が保の供養を兼ねて親不知に行った時に、引き取り手が無く処分されるところを譲り受けてきた、あの小屋に掛けられていた絵だった。
そして、まるでその絵に見守られているかのようにして、今でも病室のベッドに彼は横たわっている。
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