杀神(ころしがみ)

陽秀美

文字の大きさ
10 / 10

エピローグ

しおりを挟む

「安井警部補、定年退職おめでとうございます!」
浦和市内の小さな居酒屋には、生ビールのジョッキを重ねる三人の男たちの姿があった。
安井の定年退職を祝い青柳と一足先に定年退職した森本の三人でささやかな慰労会が開かれたのだ。
「いやぁ、しかし仕事が無くなるとここまで暇を持て余すとは正直思わなかったぜ。毎日家にいちゃあ嫁さんに煙たがられるし、外に出ちゃあパチンコで金ばっかり擦るし、全くどうしようもないぜ」
「いっそ喫茶店でも開いてホンモノのマスターになったらどうですか?」
「バーカ、オレに客商売なんてできる訳ねぇだろう。客をあれこれ質問責めにしてすぐに嫌われちまうのがオチだ。オメェもいつかこの苦しみを味わう日が来るんだからな。覚悟しとけ!」
久しぶりの森本と青柳の掛け合いを聞いて、安井は嬉しそうにビールに口を付けている。
「しかし…」森本が急に話題を変えた。
「最後の最後まで、本当に大変なヤマだったな」
 話題がシュウの事件のことになると、安井はとたんに難しい顔になり、軽く肩をすくめて見せた。
 六本木の街に溢れかえった通行人に被害は及ばなかったものの、捜査員二名の尊い命が犠牲となったシュウの逮捕劇は、何とも後味の悪い幕引きとなった。
 殺人と公務執行妨害の現行犯で逮捕された加納に対する取り調べでも、本人に当時の記憶は全く無く、何故そんなことをしたのかさっぱり分からないとのことで、結局過労が原因による心神喪失という形で処理せざるを得なかった。
「シュウのヤツ、いまだに目を覚まさないのか?」
「あぁ。あの日六本木で逮捕されて以来、アイツはまた昔と同じように深い闇の中に閉じこもってしまい、警察病院のベッドに寝たきりで誰が何を聞こうが一切反応しなくなっちまった。脳波を調べたり色々と手は尽くしているんだが、今のところ回復の傾向は全くみられないそうだ。可菜という女性が足繁く通ってシュウの面倒を見てくれているよ」
「そうか…そいつは残念だな。結局七年前の事件の真相は分からずじまいか…」
可菜の献身的な態度を見ていた安井は、もしかすると彼女は七年前の事件の真相を知っているかもしれないと思った。しかし安井にはもうそのことを彼女に尋ねる気持ちは無くなっていた。
大方の予想はついていたし、いずれにせよシュウがあの状態では裁きを受けさせることもできない。いや、既にシュウは裁きを受けているではないか。
六本木のビルの屋上で目撃した、シュウを連れ去っていった得体の知れない黒い影のことも含め、安井はあえて森本には説明せずに、全てを自分の胸の内に秘めておくことにした。
「しかし皮肉なモンですよね」青柳がおつまみのきんぴらごぼうに箸を付けながら言った。
「シュウは自分に取り憑いていた神を自分と一緒に葬り去ろうとして、あの爆弾で自ら命を絶とうとしたが、藤井に邪魔をされて結局死ぬことはできなかった。さすがの殺しの神様もシュウ自身を殺すことはできなかったんですから」
「だが、そのお陰でオレたちはこうしてここにいられる」安井がビールジョッキを傾けながら言った。
「そうっすよね…」青柳がポツリと呟いた。
「こら青柳! オレたちみたいなリタイアした連中ならともかく、現役警察官のお前が殺しの神様なんて不謹慎な言葉を使うんじゃねぇぞ!」早くも少し酔いが回った森本が続けてツッコミを入れた。
「そうっすよね~」青柳はうなだれた。
 殺しの神かどうかは分からないが、七年前のあの晩、確かにシュウには何かの神が宿った。それはシュウ自身が造り出したものかもしれないし、愛する息子の行く末を案じ、無念さを残したまま死んだ母親が姿を変えたものだったのかもしれない。
 そして、その神に導かれるように暗闇からこの世に這い出し、まるで翻弄されるように人を殺すためにさまよい続けたシュウと、それを追い続けたあっという間の三ヶ月間を安井は思い出した。
今再びシュウを懐に抱きながら、その神は彼にいったい何を語り掛けているのだろうか。
「ところで、例の山縣組と真龍会、どちらも解散したそうですね」青柳が再び話題を変えた。
「あぁ。オレの所にも情報が回ってきた。結局殺された若頭の一件が響いて、お互いその後組のまとまりが取れなかったのと、あとはまぁ時代の流れってヤツかな?」森本は少し寂しそうに肩をすくめた。
確かに、六本木で殺された三人組が所属する新興の犯罪組織や藤井のようなコンピュータとネットを駆使した闇のブローカーなどが暗躍するようになっては、これからのヤクザも大変だろうなと安井は思った。
そう言えばあの事件で逮捕された藤井の供述調書に、興味深いことが書いてあったのを安井は思い出した。
「今回の計画は不発に終わったけど、二00一年のアメリカ同時多発テロやその前のオウム真理教の地下鉄サリン事件などを見れば、これからもボクたちの想像を超えるような恐ろしいことが起きる可能性は十分にある。犯罪だけでなく信じられないような自然災害や疫病の流行だってあるかもしれない。だけど一番ボクが懸念するのは急速に進化を遂げるネットワーク社会だ。本格的なネット社会の到来はボクたちの生活を一変させるほどの恩恵をもたらすと同時に、人々を孤立化させ実態を持たない仮想現実でしか生きられない人間を作り出す恐れもある」
天才的な頭脳を持つ彼には、既に我々の未来が見えているのかもしれない。そう、人を殺すのは何もシュウのような人間に限ったことではない。殺しの神は全てのモノに宿っているのだ。

薄暗い病室の壁には一枚の絵が掛けられていた。
それは、定年退職後に安井が保の供養を兼ねて親不知に行った時に、引き取り手が無く処分されるところを譲り受けてきた、あの小屋に掛けられていた絵だった。
そして、まるでその絵に見守られているかのようにして、今でも病室のベッドに彼は横たわっている。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...