憂鬱女と吸血鬼

ちより

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 草木も眠る丑三つ時。静かさを示す時刻に、一人暮らし向けのこじんまりとした部屋に響くのは、不釣り合いなうめき声だった。
 
「うえぇ......ま、まずい......」
 
 ぼそぼそと小さな悪態が響く。嘔吐を堪える様子があまりにも不憫で、部屋の主である女はのそりと身体を起こした。
 
「..................なにしてるの?」
「吐きそう、なの、我慢してる」
「それは見たら分かるから。そうじゃなくて、どうしてここに」
 
 眠気を振り払いながら、床に座り込んで苦しむ人物に声を掛ける。検討違いの返答にそう返したところで、現状の不自然さに気付く。体感温度が10度は下がったような気がした。
 
「――誰」
 
 声に震えが混じる。一人暮らしの女の部屋に、見知らぬ存在がある。それだけで全身が不思議なくらいに強張って、布団を掴む指先が震えた。
 
「俺?  俺は佐野貴也。お前は?」
「はぁ?!」
「いや、ごめん。待って、その手に持ったスマホ置いて。警察は止めてください」
「それ以上近付かないで!」
 
 真っ暗な部屋の光源は、風邪に揺れるカーテンの隙間から射し込む月明りだけだ。暑くて網戸にして寝た、つい数時間前の判断を心の底から後悔した。いくら田舎だとはいえ、女の一人暮らし、用心に越したことはないとあれほど言われていたのに。
 
「なに、なんなの、自分の家でもゆっくりできないって、なに」
「あ、それ」
 
 壁に背中を張り付けるようにして、微かな明かりを頼りに不審者の動向を伺う。緊張に身を固くする女とは逆に、不審者は場違いなほどに明るく声を発する。それがよりこの状況の異質さを際立たせているようで、怖かった。
 
「君、なんでそんなにストレスたまってんの?」
「......はぁ??」
 
 薄暗がりのなか、ピッと指を突き付けられたのが分かった。反射的に体が震えるも、それとは別に疑問符が頭上を飛び交う。この状況下でストレスを感じない人間がいるのなら、それは余程の馬鹿か腕に自信のある者くらいだろう。
 
「ここ数日観察させてもらったけど、君、日がな一日お家にいて食っちゃ寝してるのに、なんで?」
「は、」
「外出しても行くのはスーパーと本屋。あとはテレビ見て漫画読んで寝て......それで、どうしてストレスが溜まるの?」
 
 佐野貴也と名乗る不審者の言葉に、恐怖とは別の感情が沸き上がる。
 
「うるさい」
 
 女――山崎柚菜は、大学を卒業し就職してようやっと1年を過ぎたばかりの人間だ。ゼミやサークル、バイトの仲間が次々と内定を勝ち取るなか、一人売れ残っていた。そんななか、年が明けてからようやく他よりは遅い内定を貰えた。嬉しくて嬉しくて、自分が認められたようで、精一杯頑張ろうと意気込んで、けれど職場で上手く立ち回れなかった。
 
「なんっにも知らないくせに」
 
 過去を悔いて、反省して、それらを取り消そうと奔走して、そして失敗した。ふとした瞬間に耳に届く陰口に、大声でなされる叱責に、簡単に心は折られてしまった。休職申請を出したのは、つい1週間ほど前のことだ。不審者に対する恐怖よりも、自分自身の不甲斐なさと、好き勝手述べる様子に対する怒りが勝る。ただでさえ覚束無い視界がじわりと滲む。
 
「俺ね、おいしい血が飲みたいんだよね」
「は?」
「現代人ってストレス感じすぎ。ストレスがある方が好きな奴なら最高だろうけど、俺みたいな味覚からしたら最悪。甘いの好きなのにずっと中辛食べてるみたいな状況なの、わかる?」
「何を言ってるの......?」
「俺ね、吸血鬼なの。バンパイアっていった方がわかる?」

 あまりの唐突さに、柚菜は言葉を失った。反応に困り、まばたきをすると、浮かんでいた涙が頬を伝う。
 
「ね、ストレスフリーな日々を送ってみない?」
 
 相も変わらず暗い室内では、そう告げる不審者がどこに立っているかという大雑把なことしか分からない。けれど、声の調子から、彼が笑顔でそう言っているだろうことは想像がついた。
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