海を盗む女とアルゴリズムの太陽

まさかのまさかり

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海賊たちの日々

7話:フロントライン(松井の場合)

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 松井が署に戻れたのは午後の3時を回ったところで、昼休みの時間に予定されていた新署長の挨拶はとっくに終わっていた。廊下で松井の顔を見た神城は一度すれ違ってから「おお」と振り返って「新しい署長がお呼びだぞ。ご挨拶をすっぽかすとはな」と松井に声をかけてきた。松井は手をひらひら上げて無言のままに返事した。

「君が松井くんか。聞いてるよ」
 ラウンドフレームの眼鏡をかけた痩せた男だ。新署長が一人掛けのソファに座る隣には副署長まで立っている。待ち構えていた、といった感じだ。
「随分と海賊騒ぎに入れ込んでるそうじゃないか」
 なるほど、やはりそれだったか。
「入れ込んじゃいませんよ、仕事なだけですから」
「あれは本庁の方で追ってるんだからさ。あまり掻き回すと睨まれるんだよ」
 新署長は本庁から来ると誰かが言っていたな。
「ほどほどにします」
 副署長は女に振られたらしい。時計が変わっている。
「君の活躍は聞いてるんだ。期待してるよ」
 新署長はうっすらと笑みを浮かべた。

 新聞がいくら飾り立てて海賊騒ぎを書いてみても、それは憶測に次ぐ憶測に過ぎなかった。
 別に海での犯罪なんて珍しくはない。毎日、日本近海では密漁や密輸で逮捕者が出ているし、停泊中の船に押し入っての強盗事件も時々発生している。
 海で盗みがある。なんてことは常識なんだ。
 今回の事件が世間の関心を集めるのは、マスコミの連中が勝手にドラマチックなものに仕立てているからに過ぎない。クルーズ旅行中の金持ちたちがまんまと金を奪われたのだ。国民の大半は、どこか痛快な気分だろう。自分が知ることもできない優雅な船旅をぶち壊されたセレブリティたちの姿は憂さ晴らしにちょうどいい。
 馬鹿な話だが、テレビでの取り上げ方がクルーズ旅行の詳細やら被害者へのインタビューに終始するところを見ると、国民心情は上手く利用されているように思える。

 問題は、そう華々しくも面白くもない。むしろ誰も金の流れを追えていないのはかなり深刻だった。
 算出された被害総額は約9千万円。乗客が脅し取られた金の割合は微々たるもので、フェリー内の各設備の盗難による被害が大きかった。グランドピアノというのは金になるらしい。発電設備も被害に遭った。
 海上保安庁が当初発表したのは、犯人は沖合に逃げたのではなく、国内の沿岸へ逃げた可能性が高いということだ。どこまで信用できるかわからなかったが、いくつかの港から不審な漁船が発見されたことで国内逃亡は有力視されている。 
 しかし、そこから先、捜査に発展はない。防犯カメラに不審者が映ることはなく、でかい金の動きも見当たらない。(正確には防犯カメラに映るのはほとんどが不審者で判別がつかない)

 新聞を畳んでデスクに投げる。
 刑事課の人間は半分以上が出払っていた。ここ数ヶ月で犯罪件数が増えていた。つまらないものが多いから目立ちはしないが、通報件数も増えている。色々と回らされているのかもしれないな。

「おう、挨拶してきたのか」
 缶コーヒーを片手に神城がタバコから戻ってきた。
 神城は松井のひとつ先輩だった。あまり媚びない松井に話しかけてくる数少ない人間だった。
「してきましたよ。坊ちゃんタイプですね」
「新署長がか」神城は声を抑えもしないで聞いてくる。
「家にピアノがあったって感じでしょう、ありゃ」
 家では皆がスリッパを履いていて、白い長靴下を履いていたようなタイプですね、と付け加えた。
「知らんのか。警視の息子さんだよ。苗字は違うが、前妻との間のご子息らしい」
 署長になるにしては随分と若いと思っていたが、謎が解けた。
 神城は空いている松井の向かいのデスクに腰を下ろした。顔を寄せてくる。内密の話だ、と暗に示している

「釘を刺されただろ。例の件」
 海賊騒ぎのことだろう。最も、松井には釘を刺されたようなつもりはない。
「ええ、本庁の方でやるからってね。乗客に話を聞いて回ってただけなんですけど」
「それだよ。聞いてないだろうが、どうやら本庁もそろそろ手を引くらしい」
「手を引く?」
「捜査本部は残すらしいが、実質的な捜査は終わらせるんだと」

 松井は体の中で血が巡り始めるのを感じた。
 体温が上がって、汗が作られるような沸き立ち。
 さっきの新署長の顔が思い出される。汚れの無い綺麗なシルバーの眼鏡。

「ちょっと、出ましょうよカミさん」



 カーラジオはデイゲームの詳細を伝えていた。首位争いは投手戦になって、空間を割るような気持ちいい打球音は聞こえてこない。

「ってことは、乗客のほとんどに会ってきたのか。大したもんだねえ」
「応援の役割なんてそんなもんですからね」
「何人か聞いて終わればいいじゃねえか。どうせ同じようなことしか言わねえんだから」
「俺より、カミさんのほうが足使ってたでしょうが」

 神城は昔は一線級の刑事だった。署内よりも街の中で名を馳せていた。どこから仕入れてくるのか見当もつかないような情報を使って捜査を進める。そして、犯罪が起きる寸前で阻止する。ケチな窃盗から大規模な詐欺まで相手にした。一人でだ。禁じられているおとり捜査までやってしまう度胸もあった。

 この10年ほど、静かになってしまった神城のことを寂しく思う気持ちが松井にはあった。妹さんのことがなければ、松井も愚痴の一つや二つを本人にぶつけたかもしれない。それほどに、苛烈な神城の姿には胸打たれるものがあった。

「カミさんは、犯人がどんな連中だと思いますか」
 ふむ、神城は顎を出して無精髭を掻いた。
「組織的で、大胆。勢いだけの馬鹿って感じでもない。正直なとこ、日本人て感じはしないな。連中は英語を使ってたって話なんだろ。外国のマフィア関連ってところか…」 
 神城は自分が作り上げたばかりの犯人像に、自分自身で釈然としないものを抱えることになった。

「ねえ、不思議でしょう。そんなに賢い連中なら手のかかる海賊なんてやりゃしない。船を狙うにしたって停泊中を襲えばいい。次の日には寄港する予定だったんですから」
 その通りだ。金が欲しいだけなら派手なことをしないでいい。神城が聞いたところでは海上保安庁の初動にも結構な混乱があったらしい。

「俺はね、こいつは、海賊って行為自体に目的があったと思ってるんです。連中はいくら儲かったとかじゃなくて、海賊を堂々とやってやるってところがゴールだったんじゃないかな。まあ、ただの酔狂なだけかもしれませんが」
 話を聞いた神城には驚きというよりも呆れがあった。盗む物が目的なんじゃなくて、盗み自体が目的。そんな仮説をもとに松井は動いていたのか。なるほど。

「で、これからどうするんだ」
 
「船員の中の数人が、日本語を喋る女が犯人たちの中に居たって言うんです。人質に向かって日本語を言っていたらしい。ほら、一人だけいたでしょ。陸地でさらわれてたって兄ちゃんが。あいつに日本語で何か言ってたって」

「女で、日本語を使う、か」

「そいつがボスなのか、変わり者なのかはわかりませんが、俺はこいつを探すつもりですよ」

「探すって、どうやって」

 観客の沸き立つ音が聞こえてくる。どうやら四番の選手が特大のホームランを放ったらしい。

「黒崎祐樹。陸地でさらわれた兄ちゃんです。こいつが良い入り口になってくれます」





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