海を盗む女とアルゴリズムの太陽

まさかのまさかり

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海賊たちの日々

第6話:アイスの自販機にだけ許された魔法

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 週に2回、ユウキは車を走らせて汚れた金を運んだ。
 真っ白なコインランドリーから薄暗い居酒屋へ。木村は3回目までは様子を見に来たが「お前の運転はオカマみたいやな」と言い残して来なくなった。事故でも起こして警察に発覚する心配はなさそうだという判断なのだろう。それから、1人で金を運ぶようになって1ヶ月ほどが経っていた。

 昼の仕事で疲れた体で運転する2時間強は大変ではあったが良い気分転換にもなっていた。元々ドライブが好きだった。道路の流れにうまく乗って、アクセルとブレーキを優しく踏んで、それを繰り返すうちに道路の淀みない流れの一部になる。乱さないことを繰り返す作業だった。

「時速60キロで進むバスの中で、バスの進む方向に向かって時速3キロで蝿が飛んでいたとする。蝿の速度は時速63キロになるでしょうか」

 子供の時、塾の先生からこの問題を出された。塾の中で賢こグループの中に居ることを自負していたユウキは、答えを考えて、考えて、考えて、頭がおかしくなりそうになった。

 だって、時速60キロで動くバスの中で時速3キロで飛んでいるのだから、当然それは足し算になりそうだ。実際、すごいスピードで移動しているはずだ。
 だけれども、蝿がプーーンと目の前で飛んでいるのが時速60キロ以上もあるなんて直感に反するところがある。バスで立っていて、目の前を飛んでいる蝿が時速63キロって言われても納得いかない。

 今のユウキになら、答えがわかる。
 答えというよりも、どう考えなきゃいけないかがわかる。
 大事なのは誰が誰を見ているのか。スピードではなくて立場の問題なのだ。

 バスの中を飛ぶ蝿。バスの中の乗客から見れば蝿はプーンと飛ぶだけの蝿でしかなくて、時速60キロ超えのウルトラ蝿ってことはない。乗客も時速60キロで移動しているからだ。バスの中にあるものは全て時速60キロで移動している状態にある。

 でも、道端に立つ自販機からバスを見てみれば、それは時速60キロで通り過ぎる車両だ。バスの中の物も時速60キロで見えてくる。当然、バスの中を飛ぶ蠅は時速60キロにプラスして時速3キロの時速63キロで移動しているように見えるだろう。バスが透明になったとイメージすれば高速のとんでもない蠅が飛行しているのがわかりやすくなる。乗客も座ったまま時速60キロで水平に移動する。奇妙なものだ。

 今、ユウキは座っている。アクセルペダルを踏んでいるだけだ。車のメーターは時速40キロを指している。
 あの自販機からユウキを見れば、ユウキは時速40キロで座ったまま平行移動している男になるわけだ。と、自販機に目を向けた。
 
 アイスの自販機。
 色んな種類の円筒型のアイスクリームが売られている自販機。買えばゴトンと落ちてきてパッケージの紙を回しながら剥がすと冷えたアイスが現れる。シャーベットの粒が肉眼でも捉えられて、バニラのアイスが渇いた大地みたいに小さな段差を作りながら続いている。
 食べるのはいつも土曜日のスイミングスクールが終わった後だった。泳いで怠くなった体は罪な甘さを求めていた。母にねだったら買ってもらえた。クリームソーダ味。クリームソーダ味がいちばんに美味しかった。溶けるのが早くて急いで食べた。急いで食べたらすぐに無くなってしまう。口寂しくて、いつまでもプラスチックの棒をしがんでいた。母が運転する車の中で、プラスチックを咥えていた。
 アイスの自販機は静止したまま佇んでいるわけで、ユウキのことを時速40キロで眺めたはずだ。着いて来れるわけもなくその場に取り残された、はずだった。
 窓には焼き付いたようにアイスの自販機の明かりが残り続けた。他の自販機に比べてひと際明るいその白い照明が忘れさせてくれなかった。なんであんなに眩しいのだろう。財布を振って小銭があるのか確認したくなった。いや、母を呼びたくなった、時だった。

 強い衝撃に体が前に押されたのをギリギリ腕が踏ん張ろうとした。頭が振れて、鼻の下、人中をハンドルに打ち付ける。高周波の痛みが走る。
 ガードレールに車がめり込んでいた。あまり速度が出ていなかったのもあってエアバッグが出ることは無かったが、車の前方は凹んでしまっていた。アイスの自販機が残した残像に見惚れ過ぎた。馬鹿な事故だ。慌てて車をバックさせる。フロント部分のどこかが引っかかって、鉄が割れる嫌な音がしたが車は動いてくれた。

「どうしたんだい。鼻の下が赤いけど」
 リュックを渡した時、小鼠は目敏かった。顔を逸らして隠していたのがわざとらしかったのかもしれない。車はいつもより路地の奥へ停めてきた。
「打ったんだよ」
「そんなところをかい」
「あるだろ。普通に生きてるのに、訳が分からない怪我をすること」
 たしかにな、そう言って小鼠は手を開いて差し出してきた。明らかにその左手は小指だけが短かい。

「あれは、5年前になるかな」
 短い沈黙があった。小鼠が言葉を詰まらせたのだ。ユウキは小指の不自然な先端を見ることしかできない。
 今更思い出していた。背の低い、居酒屋に化ける男であっても、海賊なんだ。銃を取ってフェリーに乗り込んだ中に小鼠も当然いた。いくつもの修羅場があったのかもしれない。想像したくないような。いや、想像すらつかないような。

「バイトしてる時にさ、トラックのドアで詰めちゃったんだよね」
 急にベロを出しておどけて笑ってくる。
「笑えないよ」
 ユウキは店を出て、そのまま車の整備工場へ向かった。事故をしてしまったことをウメちゃんや木村に知られるわけにはいかない。3日間、預けることになった。


 海賊のニュースは長い間ワイドショーを賑わせた。海賊の正体はなんなのか、資金はどう流れているのか、そもそも海上の治安はどうなっているのか、誰も答えを知らないまま騒いでいる。
 ユウキは、少なくとも1つだけわかる。資金の流れの一端にいるのがユウキだ。昨日だって無事に運んでしまった。少しずつ、流れは追えなくなるだろう。ワイドショーがいくら騒いでいたって誰にも掴めなくなっていく。海の金は、どこかで綺麗な金に変わってしまう。
 しかし、恐ろしいことだ。こんな風にして仕事をさせられているユウキですら、ウメちゃんを含め他の面子がどこで何をしているのか知る由もない。自分がいつ切り捨てられるのかもわからない。最早、恐怖も湧いてこない。まな板の上の鯉とはこのこと。


 いや、違う。

 ユウキには奥の手が残っている。




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