クラヴィーアの罪(Vector Design Supporters Ⅱ)

皆中透

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竜胆

シロタエギク

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 そのスピーカーから聞こえてきた声は、俺の記憶の中から一人の女性の顔を思い出させた。
 常に微笑んでいて、永心家の家長の隣で静かに控えていたあの女性。かと言って気弱なわけでも控えめ過ぎるわけでもなく、強く意見するときはしていた、あの人だった。
 俺が最後に会ったのは、もう十六年前になる。その頃よりは若干声質に変化はあるが、基本的には変わっていないようだ。

 彼女からの連絡は、それまで俺たちが話していた内容が吹っ飛んでしまうほど衝撃的だった。生きていることを知って数ヶ月が経ったが、だからと言って探すことを許されていなかったため、こちらからは何のアプローチも出来なかった。照史氏からまだそれを許可されていなかったたからだ。それが、この大きな問題を抱えいるタイミングで向こうから連絡が来るとは、全く予想もしていなかった。

「今実はVDSの敷地内にいるの。センターのミーティングルームで会いましょう。お話したいことがあります。今そちらにいらっしゃる方皆さんおいでになって。ああ、澪斗と和人も呼んでちょうだい。翔平さんはお母様もお呼びになって」

 そういうと、その後にこちらが話す間も与えてくれずに電話は切られた。あまりにも突然のことで呆然としていると、こう言う時に最も冷静に動ける男がすぐにミーティングルームを手配した。そして「この間使った食堂奥のミーティングルームだ。準備してくるからあとから来てくれ。ミチ、行くぞ」

 そう言うと、ミチを連れて飛び出していった。

「晴翔兄さん、本当に母さんだったんですか? 電話に出たって言うことは、知ってる方からの電話だったんですよね? 父さんからですか? でも澪斗兄さんに連絡が必要だと言うことは父さんと一緒にいるわけではありませんよね……」

 永心は電話の向こう側の人物が母親であったという事実が信じ難いようで、狼狽えていた。だが、晴翔さんは俺のことを信用してくれているから、微塵も疑っていないようで「母さんだった。それに翠くんがそう言っているなら間違いない」と答えてくれた。

「番号……かけて来たのは、所長だった。菊神所長と母さんが知り合いってことだろうか……そんな話これまで一度も聞いたことがなかったけれど……」

 珍しく動揺しているのか、晴翔さんのコーヒーを飲む手が震えていた。

「兄さん、溢すよ……とりあえず、澪斗兄さんに連絡しよう」

「俺がするよ。三人はゆっくりしてて。和人には田崎から連絡入れてもらうから。」

 蒼はスマホを耳に当てながらにっこりと微笑んだ。そして、俺の背中をポンと叩くと「永心の気持ちをわかってやれるのはお前だけだろ?」と言ってその場を離れた。

「母さん……どんな顔をして会えばいいんだろう」

 俯いてそうこぼした永心の手を、野本がぎゅっと握りしめた。これと言って言葉をかけるわけでもなくただ握りしめたその手から、永心へとケアが行われているのがわかる。野本の深い愛が永心の手を通じて心へと届く。温度の下がった胸の辺りを、じわじわと熱が包み込んでいくのが見えた。

「多英おばさんがお前たちを疎ましがっているわけではないことははっきりしてるんだ。素直に母親として甘えさせてもらったらいいんじゃないか?」

 すると永心はギョッとした顔をして俺を見た。

「この年になって甘えるって何だよ。どうすれば甘えたことになるんだ?」

 小さい頃に甘える機会を失っていた永心は、親に甘えるとはどうすることなのかが全くわからないらしい。それに関しては俺も同じなので、気持ちはよくわかった。

「素直に会いたかったって言えばいいんじゃないか? 言える相手がいるだけ幸せだろう?」

 俺がそう返すと、珍しく痛みを堪えるような顔をして「そうだな。悪い、そんなこと言わせて」と絞り出すように言う。
 家族がいない俺に向かって、家族がいるにもかかわらずに寂しいと言う自分を恥じているとここ最近はよく言うようになった。
 でも、寂しいものは寂しいのだから仕方がない。言いたいなら言うしか無い。
 俺も家族がいないのは寂しい。寂しいと思ったら我慢せずに言う。
 そして、蒼の胸で泣くようにしている。

 だから、最終的には蒼がいればいい。俺には蒼がいればいい。

「別にいいぞ。俺には蒼がいるからな」

 ちょうど蒼が電話を終えて戻って来た。そしてふんわりと微笑むと「そう、翠は俺がいればいいんだもんな?」と言いながら額にキスを落とした。
 俺が「おう」と答えると、それを見ていた野本が真っ赤になって目を逸らしているのが目の端に映った。

「野本、永心が甘え下手なのってお前の責任じゃねえ?」

「えっ? そ、そんな……俺は親じゃありませんし……」

 そう言って慌てる姿を見て微笑んでいると、「先輩で遊ぶなって!」と永心に怒られてしまった。
 俺たちのそのやり取りを見て、少し離れたところから晴翔さんが楽しそうに微笑んでいた。


◇◇◇


「はい。そうです。食堂奥のミーティングルームです。はい、お待ちしてます」

 永心四兄弟に緊張が走るのが、こちらまで伝わってきた。
 修学旅行に行って戻ってきたら母親がいなくなっていたという永心の言葉を聞いてから十六年だ。
 両親不仲で出て行ったのだと思っていた三人は、その事を照史おじさんに深く追求でき無いままだった。
 和人くんに至っては、アメリカで何度か顔を合わせていたのに、産みの母だと知らされていなかったため、親子らしいことは何もしていないらしい。
 そしてようやく、本当の関係を知ってから数ヶ月。
 渦中の人である多英さんが、今ドアを開けて入ってきた。

 十六年間、野明未散として生きてきた彼女は、幸せだったのだろう。とても穏やかな笑顔を讃えて、そこに立っていた。そして、ずらっと並ぶ我が子たちを見ると、途端に涙を流し始めた。

「澪斗、晴翔、咲人、和人……立派になったのね……」

 小さな頃に別れた子供たちが、立派な大人の男性になっている姿を見て、一体どんな感情が巻き起こるのだろうか。
 それは俺には全くわからないことだが、一つはっきりしていることがある。

 やはり多英さんは子供達を愛していたのだ。今、彼女の周りに漂っている感情のもやは、暖色の光に溢れている。
 好意がある場合にのみ現れる光のもや。
 俺はこれが見えることにとても感謝してる。

「永心くん、お待たせしました。多英、あちらまで行きましょう。頑張って」

「菊神所長……」

 多英さんの後ろには、菊神さんというこのセンターの所長がついていた。
 VDSの人間はもちろんみんな面識がある。
 経営会議に参加する時には毎度挨拶をするし、彼女は俺の思想に深く感銘を受けてくれていて、抑制剤の研究に力を入れられるように方々に掛け合ってくれたりしていた。
 その所長が、多英さんと暮らしていた人だったと言うのか……。
 にわかには信じ難い話だった。

「改めまして、お久しぶりね、みなさん。多英です。この顔じゃあもう誰だかわからないだろうけれど……」

 その顔は、サラスヴァティで見せてもらった写真に写っていた野明未散と全く同じ顔だった。そして、照史さんが言う通りに服装だけは全く違っていた。
 野明はフリルやレースの多い服を着ていたようだが、多英さんはシンプルで動きやすそうな服装をしていた。

「母さん……」

 永心は、目に涙を溜めていたのだが、今やそれが零れ落ち、シャツをベッタリと肌に張り付くほどに濡らしていた。
 とめどなく流れていく涙が気にならないくらいに、目の前に母がいることに衝撃を受けていた。そして、それは澪斗さんも晴翔さんも同じだった。

「そんなに泣かないで……咲人はまだ小さかったものね。たくさん誤解させていたと聞きました。ごめんなさいね」

 多英さんはそう言って永心に近づくと、ほんの少し躊躇ったものの、優しく体を包み込むように抱きしめた。

「ううっ……わああー! かっ、母さんだ! 匂いが……匂いがかあさんっ……うううー」

 センチネルになって嗅覚が鋭くなった永心は、おそらく今強烈な懐かしさに襲われているのだろう。
 足りなかった愛情が満ちることで、体をオレンジ色の光が包み込んでいった。
 それはプラスの感情だけれど、下手をするとそれでもアウトする可能性はある。
 俺は野本に目配せをして、永心を多英おばさんからそっと離すように指示した。

 さらに、俺が驚いたのは、和人くんも目を見開いてポカンとしていたことだった。何をそんなに驚いているのだろうと思っていると、突然菊神さんを指さし、「彩女さん!?」と大声をあげた。

「和人、所長を知ってるのか?」

 晴翔さんが驚いて和人くんの方を見ると、和人くんはずっと菊神さんを指さして口をぱくぱくとさせたままだった。

「あ、あれ? 多英さんは、俺の育ての親の彩女さんと確か……え、その多英さんが父さんのお母さんで、えっと……それってつまり……あ、だからか!」

 和人くんが一人で百面相をしているのを見て、ミチが痺れを切らしたらしい。この話ともっとも遠い位置にいるであろうミチが突然話に割って入ってきた。

「ちょっと! 何一人で納得してんの? みんなわかってないよ! 早く説明してあげてよ!」

 すると、和人くんは「いや、だって、それは僕が言っちゃいけないだろうし……」急にモゴモゴと口ごもり始めた。
 それを見ていた多英さんが、「大丈夫よ、説明するから」と言って庇った。
 
 スーッと息を吸い込み、ふっと勢いよく吐き出した。ほんの一瞬、どこかしら諦めたような、腹をくくったような目をして、何かに思いを馳せたあとに、ゆっくりと口を開いた。

「私ね、彩女とパートナーシップ宣誓したんです。あなたたちと別れてからすぐに。私たちははレズビアンカップルなの。つまり、照史さんとの結婚は、隠れ蓑だったというわけ」

「……え!? あ、え!?」

「母さんが同性愛者?」

「確かにそれなら母さんが野明の子を産んだのも納得かも……」

「父さんと子作りするのは無理だけど、産むのは産めるから父さんと野明の子である僕らを産んでくれたってこと?」

 多英おばさんは、微笑みながら「そうね。そう言う事になるわ」と言った。

「いや、理屈ではそう言う事になるのかも知れないけどさ……」

 永心兄弟は、とても混乱していた。
 それはそうだろう。知らなかったらそうなるはずだ。他人の俺だって驚いた。まさかそんな共闘のような話しだったなんて。

 勝手な思い込みだとは思うけれど、多英おばさんは照史おじさんとインフィニティの望みを、見返りなく叶えてあげていたんだとばかり思っていた。
 
 お互いの利益が一致しているから、それはとても合理的といえば合理的な発想だった。叶わない願いをお互いにうまく利用し合うことで、叶え合ったというわけだ。
 そう聞くと至極当然のような話しだけれど、それを実行してやり切ってしまっている事に驚いた。
 
「私と照史さんの結婚は、最初からそうやって途中で終わりを迎える約束の上でしたことなの。照史さんと未散さん、私と彩女。二組の許されないカップルが協力しあって、生きる道を探した結果がそれだったのよ」

 多英さんは特に焦りもせず、淡々と話していた。その口調と同じように、心も全く揺らがず凪いだ状態で、そこにはたくさんの葛藤と苦労を超えたであろうあとが滲んでいた。

「そ、れは、つまり……母さんは、好いている彩女さんと同性であるために結婚出来ないから、父さんと結婚して周囲からの声を潰したと言うことですよね? 周囲からと言うより……拓史お祖父様からの声を、ですね?」

 澪斗さんが動揺しながらも、必死に思考を整理してそう尋ねた。多英おばさんは、それに「そうね」と答えた。そして、ややキツイ目をしながら「そうでもしないと逃げられなかったのよ」と呟く。それはとても痛みを含んだ音をしていた。

「でも、彩女さんは嫌じゃなかったんですか? 代理母とはいえ、他人の子を自分の恋人が出産するなんて。しかも四人も。母さんが父さんと誰の子を産むかと言う詳細な事情はご存知だったのですか?」

 永心が菊神さんにそう尋ねると、彼女はとても不敵な笑みを浮かべた。そして、驚くべきことを言ったのだった。

「知るも何も、未散と私は親友だ。未散は高ランクセンチネルの優遇措置で私と同じ医学部に通っていたからな。全て知っているし、拓史氏の無茶な要求に応えるための性転換は、私が仲介してうちの親が執刀している。もちろんそんな事実はどこにも記録されていないよ? 拓史氏が全部闇に葬ったからな。でもそれが事実だ。そして、代理母出産の提案をした張本人は、私だよ」

 兄弟は四人で大パニックに陥った。性転換前に受精卵を凍結保存したのは、野明の意思によるものだと思っていたからだ。それが他人からの提案だったなんて……それでは自分たちは本当に望まれて生まれてきたのかさえあやしくなってしまう。

「それじゃあ未散母さんと父さんが望んで生まれてきたんじゃ無いような感じがする……」

 和人くんがそう呟くと、菊神さんは即座に「それは無い」と答えた。

「そうよ。照史さんも未散さんも、それはそれは子供を欲しがってたの。だって、性別を変えてまでそばにいることを選んだのよ? どれほどの想いなのかわかるでしょう? その二人がどうにかして二人の子を持ちたいと思った。だから、彩女は知りうる知識を提供しただけよ」

 多英おばさんはやや怒気を孕んだ声で息子たちに言う。

「でも、なぜそこまでして協力を?」

 確かにそれが疑問だった。全てがバレてしまえば、菊神さんの人生はどうなっていたかわからない。それでも協力したのは、なぜだろうか。

「不思議か? でも照史さんと出会う前の未散を知っていれば、なんでもしてあげたいと思うとはずだよ。頼るものもなく、高レベル過ぎてケアの相手がいなかった。どれほどケアを受けても苦痛が残るばかりなんだ」

 俺はそれを聞いて昔の自分を思い出していた。俺も当時は高レベル過ぎて、周りに合うガイドがいなかった。ランク下のガイドからケアを受けても、回復が不十分で苦痛が残るし、何より知らない人とのセックスは心が荒んだ。
 ほとんどのセンチネルはそういうのを気にしないらしいけれど、俺は本当に嫌だった。

——あの思いをインフィニティもしてたってことか……。

 その気持ちを思うと、胸が潰れるような気がした。

「照史さんと出会う前は、当時完成したばかりのクラヴィーアを飲ませていた。もちろんそれでも完全ではなかったんだよ。そうやって長く苦しんでからようやく出会った運命の人だったんだ。それもお互いに好き合っていた。それなのに一緒になれないなんて、どうにかして助けてあげたくなるだろう? なあ、翠くん」

 菊神さんは、俺の信念と同じものを持つ。愛する人との子供をどうにかして持ちたいと言われたら、確かに協力するに決まっている。しかも、照史さんの許嫁は自分の恋人だ。四人で結託しようと思うのは自然なのかもしれない。

——全ての能力者に、安穏を。非能力者に、社会的地位を。その助けを、テクノロジーと制度で行う。

 俺も覚悟を決めていたつもりだった。ただ、今目の前で微笑む人を見ていると、自分の覚悟の小ささを痛感して居た堪れなくなっていた。
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