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コンプレス、コンバート、アンプリファイ、リリース
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チャプン、と音が聞こえた。液体が容器の中で、狭苦しそうに動いている音。分子はもっと動き回りたいのか、それともつながり合いたいのか、その意思は確認出来ないけれど、ただ、今の状態に不満を抱いていそうなのだけはわかった。その狭小な空間から解き放たれる気配、それが自分との距離を縮めていく気配。そして……
「っくぁっ!」
吸い込んだ液体が気道を塞ぐ苦しさに、目がカッと開いた。俺は大量の水を顔にかけられていた。目の前には人が一人、バケツを持って立っていた。
「っみ、みずっ? う、わっ!」
無防備な目にLEDの青白い光が刺さる。急に襲って来た焼けるような痛みと光の残像、体に残る痺れ。静かすぎて頭の中に鳴り響く血流の音。前後不覚の暗闇。突然の混乱についていけない。言葉も発せず、ただ激しく鳴り響く心臓の音に、更なる不安を煽られて気が狂いそうになった。
そいつは、俺の声を聞くと、バケツを後ろに放り投げた。ガンっ! と短い衝突音がして、俺の耳がビリビリと振動した。ただ、その音はそこまで激しくない。何か不自然に、音が吸い込まれて消えていく。そういえば、明るさも不自然だ。いくら冬の田舎とはいえ、こんなにも真っ暗になることはそうそう無い。ここは一体どこなんだろう。今は一体何時なんだ……。
「やあっと目が覚めたか? 真面目な未成年センチネル様は、お酒を嗅ぐだけで気絶するんだねえ。大変ですこと」
ケラケラと笑い声が響いた。いや、正確に言うと響いてはいない。この不自然に音が減衰していく感じ……どうやら、この部屋は吸音材に囲まれているみたいだった。俺はパニックに陥った割には、冷静になるのも早かった。それだけは、自分がセンチネルなんじゃないかと疑い始めた時点で、我流で訓練していたから。パニックはセンチネルのゾーンアウトを助長する。冷静になれる速さは、身の安全の保証と比例する。何もなかった頃の自分にとって、とても大切な防衛方法だった。だから真っ先に習得したんだ。
「あんた、だれ?」
喉がカラカラで、なかなか声になりにくかったからか、出てきた声は掠れていて、いつも以上にか細くなっていた。すると、相手はチッと舌打ちをして、ヌッと顔を近づけてきた。軽くウエーブのかかったロングヘアの、化粧の濃い女だった。……女? だよな? なんだかわからないけれど、何かに不自然さを感じた。
「お前さあ、なんか全然変わってなく無い? ちょっと気持ち悪いくらいなんだけど。てか、忘れてんの、俺のこと」
そいつは俺の顎をぐいっと引っ張ると、ジロジロと悪意の籠った目で値踏みをするように睨みつけてきた。そして、乱暴に手を離して離れていったかと思うと、突然部屋の電気を全て点けた。
「うわああああ!」
暗闇からの照明全開は、普通の人でも目に痛みを感じる。俺はセンチネルで、今はカラコンしかしてない。サングラスが無い状態で拉致されたようで、光に対する防御がいつもより甘かった。激痛と生命の危機に対する嫌悪感が身体中を駆け抜けていった。そいつはそんな俺を見て酷く楽しそうに笑っていた。なんとなくだけど、頭がおかしくなってるんだろうなというのはわかった。
「はい、しっかり顔見てごらんよ。見ても思い出せない?」
そう言って、俺の髪の毛を掴んで顔を引き寄せた。俺はそいつの顔をしっかり見てみた。ショコラブラウンとでも言うのだろうか、チョコレートっぽい茶色い髪にゆるゆるとしたウエーブがかかって、腰のあたりまで伸びていた。前髪が目の辺りで切り揃えられていて、目鼻立ちのはっきりした顔。白くて綺麗な肌、華奢な体つき。でも、なぜだかわからないけれど、この人は女性では無いのでは無いかという疑問が付き纏っていた。そして、いくら顔を見ようが全く誰なのか見当もつかない。返答に困っていると、そいつは俺の髪を離し、ドンっと強く胸を突いて弾き飛ばした。
「相変わらずムカつく女だな。あれだけ嫌がらせしてやったのに、もう忘れてんの!? わかった、じゃあ、思い出させればいいんだよな?」
そいつはそう言うと、突然俺の制服を脱がせようとした。一瞬訳が分からず固まっていたけれど、こいつが男だろうが女だろうが危険だと言うことへ理解が及んだので、唯一動かせた頭を振って、思いっきり頭突きをした。ただでさえ頭突きは痛いけれど、ガイドのいない状況でセンチネルが頭突きをかますなんて自殺行為だなと思った頃には、もう遅かった。
「ぐあっ! ……やっべ、目がチカチカする……」
「いってえ! 何すんだこのやろう!」
そういって掴みかかってきたそいつを、力のかぎり蹴飛ばした。片方の手で耳を塞ぎながらだし、痺れて動きにくい中の反撃だ。あまり威力は期待出来なかった。それでも、そいつは後ろに吹っ飛ばされて、倒れ込んだ。音からして、床にはカーペットが敷かれているらしい。そこに肉がぶつかる音と、少しだけ擦れる音が聞こえた。
「……のやろ。女のくせにどんだけ足ぐせ悪いんだよ!」
俺はその一言で、ブチっと何かが切れるのを感じた。
「あんたなんなんだ! 誰かと間違えてないか!? 拉致って来ておいて、相手が男か女かもわかんないのかよ! 俺は男だ! つか、それよりも、あんたは誰なんだよ!」
俺はよく中性的だと言われる。確かにステレオタイプな男性性は無い顔であるように思う。全体的に色素が薄いから儚く見えるって言われがちだし、日焼けすると触覚が大変だからあまり焼けないようにしている。だから、年中色白だ。身長は結構ある方だけれど、刺激に弱いから筋トレもあまり出来ないせいで、体重はかなり軽い。それと、背中から骨盤にかけて、一般的な男性には現れにくいカーブがある。俺はそれがコンプレックスだ。ただ、細いなりに筋張っているし、喉仏もある。ぱっと見は男性に見られることが多い。それなのに、わざわざ拉致っておいて、性別を間違えるやつってなんなんだ!? と怒りが湧いてきた。
ただ、それも一瞬でどうでも良くなるほど視覚的に困惑することが起きた。目の前の、女だと思っている奴が、悶絶して腹を守って座っているスカートの下……そこにあったのは、どう見ても男の持つものだった。しかも、履いてない。
「はあ!? え? え? え? ……えっ? それっ……いやそれより、なんで履いてないんだ? お、俺のこと襲う気で……?」
状況的に色々パニック気味だった俺は、いつもより低レベルに饒舌だった。あたふたしていると、相手がゆらりと立ち上がった。そして、わなわなと怒りに震えているのであろう手を振り上げて、殴りかかろうとしていた。
「世間体気にして晶を振ったような女は、俺がめちゃくちゃにしてやる! 吐き気がする出産、もう一度経験してこい、つばさあ!」
そう言って、一歩踏み出した。俺は、そいつの言った言葉の意味が理解できずに固まっていた。いや、最後の一言に気を取られてしまった。そのまま殴られてもいいかなと思うくらいには、混乱していた。
——翼? 母さんのことか?
もしそのまま殴られていたら、気絶していたのかもしれない。ただ、そうなる前に、そいつは真っ黒い影に制圧されていた。俺の目の前に現れたのは、いつもの黒いスーツに黒い手袋と黒い帽子を被って、あっという間に敵を縛り上げてしまった、トップレベルのガイドだった。倒した敵が気絶したのを確認すると、俺の方へ駆け寄ってきてくれた。
「翔平くん、大丈夫かい? 翔平くん?」
手袋を外しながら果貫さんが声をかけてくれた。いつものように、大きすぎずはっきり聞こえる、センチネルを最大限に気遣った優しい声だった。俺はその声が聞こえてとても嬉しかった。ほっとして、気が抜けてしまった。ふにゃりと力が抜ける。
「はい。大丈夫です。ありがとうございます」
果貫さんが差し出してくれた手を取って立ち上がった。俺の手を引いて体を引き寄せた後、軽くハグをしてくれた。俺は今、ピアス穴を増やして、消音装置のピアスとマメンツのピアスをしている。だから、果貫さんに触れられても、拒否反応は起きない。ケアの効果しかないから、抱きしめられるととても安心した。心の防御も緩くなって、俺の気持ちが不安定に揺れているのが、果貫さんに伝わったらしい。
「エンパスが何か動揺を拾ってるんだけど、テレパスしてもいい? 嫌ならやめておくけど」
どうしようかと悩んでいた。俺が気にしているのは、敵の言った最後の言葉だ。だけど、それを確認するには、母さんのプライバシーに触れる話題を果貫さんにしないといけなくなる。果貫さんは知ってるんだろうか、母さんの秘密を……。そう考えると、言うに言えなかった。
「あ、ちょっと、まず自分で考えたい事なので、そこはテレパスしないでください。お願いします」
大きくて綺麗で意志の強い目で俺をじっと見つめた後、「わかったよ」と頷いて、果貫さんは俺から離れた。
外に出るために俺が衣服を整えている間に、だんだん外から足音が近づいて来た。あの音は聞き覚えがある。左右のばらつき方、歩幅、リズム……見なくてもわかる。鉄平だ。鉄平の顔が見れる……と安心した後、突然とてつもない動悸が始まった。
「うっ! ……か、ぬき、さ……」
肺が潰れたように、息が出来なくなった。どれほど落ち着こうとしても、その集中がうまくいかない。
——なんで? 鉄平の顔が見たくないのか、俺……
焦りがじわじわと俺の心臓を潰していくような感覚が襲ってきた。一度経験したことがある……これは……ゾーンアウトしかかってるんだ……
「翔平くん? どうした? 喋れない? テレパスするよ!?」
「翔平!?」
果貫さんがテレパスで俺にどうしたのか聞こうとしてきたタイミングで、鉄平が俺の近くまでやってきた。俺は、どうしても鉄平に今の焦りを知られたく無かった。まだ、果貫さんの方がビジネスとして捉えてくれて、守秘義務を守ってくれそうな気がした。そんな打算で思わず鉄平を突き飛ばしてしまった。それも、必死だったから大きな悲鳴に似た声を上げながら、思いっきり突き飛ばしてしまった。
「嫌だああああああああ!」
ドンっと突き飛ばされた瞬間、鉄平は俺の悲しみだけをエンパスしたようだった。胸をぎゅっと握って、辛そうな顔をした。俺のことを心配して来てくれたのだろうってことはわかってた。それなのに、突き飛ばしてしまった。しかも、あんな顔をさせて……。その罪悪感が、俺をさらに追い詰めていった。
「ゔ、ううぅ、あああああー!」
「翔平くん? どうした!? 鉄平、分からないけど、何かされてるかもしれない。迂闊に近寄るな。いいな!」
「は、はい。翔平……なんで……」
鉄平は、俺にあからさまに拒絶されたことでショックを受けていた。普段言葉が足りなくて、無遠慮にものを言っては人を傷つけているけれど、本人はとても繊細だってことを、俺はよく知っている。それなのに、今は俺が鉄平を傷つけてしまった。それでも、はっきりどうしたらいいかわかってないことで、整理のついてない感情で、みんなを困らせたくなかった。気が狂ったとしても、誰かに自分の苦しみを押し付けて生きていくのは、俺には耐えられない事だから。
俺は、割れそうに痛む頭を抱えて身を捩り、逃げ出そうとした。ただ、その俺よりも果貫さんの判断が数倍早かった。果貫さんは俺の腹を打ち、静かにさせる道を選んだ。
「うっ……」
ガクッと頽れた俺を抱き抱えた果貫さんは、そっと床に下ろしてくれた。俺は薄れゆく意識の中で、二人の姿を眺めていた。黙ってツカツカと鉄平の方へ歩いていった果貫さんは、驚く鉄平に有無を言わせずに顔を引き寄せると、最初から遠慮のない深いキスをした。
「んっ、んんっ」
突然の果貫さんからのキスに鉄平は狼狽えていた。ぼーっと霞む視界に映る二人がディープなキスをしている光景は、嫉妬すらさせてくれないほど綺麗なものだった。果貫さんは、鉄平が逃げられないように片手で鉄平の腰を抱き寄せていて、もう片方の手で後頭部をガッチリホールドしていた。力が抜けてしまった俺の耳にさえ、ジュルジュルと響く濡れた音が、さっきとは違う胸の高鳴りを生んでいた。
随分長いこと、そのキスは続いていた。果貫さんのハグで一旦落ち着いたけれど、鳩尾を打たれて痛みが体を駆け抜け続けている俺は、その痛みに集中することでゾーンアウトせずに済んだようだった。それでも、その痛みがだんだんと落ち着いてくると、またさっきの不安からくる動揺が首を擡げて来て、再び過呼吸になりつつあった。その小さな焦りの向こうで、ピピッという小さな電子音が聞こえた。それを待っていたかのように、果貫さんは鉄平を解放した。
「か、果貫さん、なんでこんなタイミングでいきなりキス……しかもあんな……」
鉄平はどうやら果貫さんのキスに腰砕けにされたようで、手を離されるとそのままヘナヘナと床に座り込んだ。果貫さんは鉄平の問いに答える前に、自分の口の中に人差し指と中指を突っ込んだ。そして、その指をぐるんと回すと、口の中から一枚の透明なフィルムを取り出した。
「翔平くん、今、どうしても鉄平くんのケアを受けたくないんだよね。今だけなんだよね?」
果貫さんは、そのフィルムを中指に巻き付けながら、俺に問いかけてきた。俺は、鉄平の方を見ながらコクンと頷いた。そう、今だけ。もう少し俺の中の疑問と痛みが解決してからじゃないと嫌だ。この気持ちを、読み取られるのが嫌だ。なんとなく、果貫さんにはそれが伝わったようで安心した。
鉄平も、俺が鉄平を断固拒否しているわけではなく、理由があって今は鉄平が嫌なんだということを理解してくれたらしい。その顔を見て少し安心した。でも、動悸はだんだん強さを増す。不安感が迫ってくる。どんどん、耳鳴りが大きくなってくる。さっきよりもさらに大きな波がやって来そうだった。
「う、あ、あ……んぐ、う……」
また頭痛がしてきた。頭を抱えてへたり込むと、果貫さんが俺に近づいてきた。そして俺を抱き抱えると、鉄平に向かって厳しい表情を見せながらきっぱりと言った。
「ガイドは、どんな状況でもボンディングしたセンチネルを守るんだ。例え本人が嫌がってもな。その覚悟が足りてないぞ。最終的なガイディングはお前に任せる。それまでのケア、そこで見てろ」
「えっ……翔平がケアされるの、ここで見てないといけないんですか?」
鉄平は絶望的な声を出していた。そうだ、他の人にケアしてもらうってことは、鉄平以外の人に体を預けるってことになる。俺は果貫さん相手になら、覚悟はしている。鉄平も、それを覚悟してマメンツを作ることを提案してきた。でも、それを目の前で見ないといけないなんて……。俺だって、それは嫌だった。
「あの、あの……果貫さん、俺もそれは恥ずかしい……」
割れそうな頭を抱えて、痺れる唇を必死に動かしながら俺は訴えた。助けて欲しい、でもしたくないことはしないで欲しい。それがどれほどわがままなのかもわかってる。でも、鉄平の目の前でなんて……どうしても嫌だった。
「聞いていただろう? 最終的なケアは鉄平くんに任せるよ。でも、君たちはお互いに覚悟が足りない。マメンツを持つということは、他人のケアを受け入れるってことだ。ボンディングしてしまった以上、逃げられない道なんだよ。それでも鉄平くんのケアは嫌なんだろう?」
そう言われると、迷ってしまう。鉄平も、強く出るべきかどうかを迷っていた。俺たちがお互いに何も言えずにいると、果貫さんは肚を決めたような冷たい顔をして、俺の制服のボトムとパンツを一気に下ろしてしまった。
「ちょっと……果貫さんっ! やめっ……」
そう言うか言わないかのタイミングで、果貫さんの長い指がズブリと中に入って来てしまった。
「……あっ!」
そのままずるずると奥へ向かって侵入して来る。途中、痛みが起こらないようにか、入り口の近くのフニフニしたところを優しく撫でてくれていた。
「ああっ、あ……ン、ふうン」
揺ら揺らと腰を揺らしながらも、そこに鉄平がいることが気になって仕方が無い。少しでも声を抑えようと、口に手を当てて耐えていた。鉄平はどんな顔をしているんだろう……怖くて振り向くことも出来なかった。何度も指がナカをクルクルと撫でながら、でもすごいスピードで奥へ奥へと入ってくる。シートは鉄平と果貫さんの唾液で濡れていて、それが擦れるたびに甘い刺激が体をかけていった。
「あっ、あっ、やあっ」
空いていた方の手が、上の方へ伸びてきて、胸の突起に触れた。ぎゅっと締まっていくのがわかって、果貫さんの指に絡みつく。その狭い隙間をクチュリと音を立てて、また奥へと入ってきた。
「あああ、あ、なん、か、それ……は、あン」
濡れた音がさらに大きくなっていく。だんだん身体中に、甘い刺激が巡ってくるような、温かい不思議な感覚がして来た。気がつくと前が熱を持っていた。鉄平のいる方からは、きっと見えているはず。それが恥ずかしくて、余計に熱が増した。
「よし、もういいかな。どう? 翔平くん。今なら冷静に鉄平くんと話せない?」
そう言って、果貫さんはズルリと指を引き抜いてしまった。抜ける時、ゾクゾクっとするほど気持ちよくて、思わず「ああんっ!」と声を出してしまった。中途半端に引き上げられた熱が、行き場を失って身体中を巡っていた。
「え? あ、え、えと……話せるかも知れません……」
そう言われればそんな感じがしていた。さっきよりも、すごく気分が落ち着いている。興奮してはいるけれど、落ち込んではいない。さっき入れたフィルムのせいかな。なんだか鉄平が抱きしめてくれているような気がした。
「その状態なら、俺が最後までケアをすることも可能だよ。でも、それよりも、鉄平の唾液を直接ナカに入れたことで、翔平くんの気持ちが安定したから、冷静に話が出来るようになったんだ。しばらく効果は続くけど……多分十分くらいだろうね。その間にどっちにケアを任せるか、決めて。冷静に、だよ。じゃあ、俺はしばらく席を外すから。決めたらメッセージちょうだい」
そう言って、果貫さんは倒したヤツを抱えて外へ出ていった。
「っくぁっ!」
吸い込んだ液体が気道を塞ぐ苦しさに、目がカッと開いた。俺は大量の水を顔にかけられていた。目の前には人が一人、バケツを持って立っていた。
「っみ、みずっ? う、わっ!」
無防備な目にLEDの青白い光が刺さる。急に襲って来た焼けるような痛みと光の残像、体に残る痺れ。静かすぎて頭の中に鳴り響く血流の音。前後不覚の暗闇。突然の混乱についていけない。言葉も発せず、ただ激しく鳴り響く心臓の音に、更なる不安を煽られて気が狂いそうになった。
そいつは、俺の声を聞くと、バケツを後ろに放り投げた。ガンっ! と短い衝突音がして、俺の耳がビリビリと振動した。ただ、その音はそこまで激しくない。何か不自然に、音が吸い込まれて消えていく。そういえば、明るさも不自然だ。いくら冬の田舎とはいえ、こんなにも真っ暗になることはそうそう無い。ここは一体どこなんだろう。今は一体何時なんだ……。
「やあっと目が覚めたか? 真面目な未成年センチネル様は、お酒を嗅ぐだけで気絶するんだねえ。大変ですこと」
ケラケラと笑い声が響いた。いや、正確に言うと響いてはいない。この不自然に音が減衰していく感じ……どうやら、この部屋は吸音材に囲まれているみたいだった。俺はパニックに陥った割には、冷静になるのも早かった。それだけは、自分がセンチネルなんじゃないかと疑い始めた時点で、我流で訓練していたから。パニックはセンチネルのゾーンアウトを助長する。冷静になれる速さは、身の安全の保証と比例する。何もなかった頃の自分にとって、とても大切な防衛方法だった。だから真っ先に習得したんだ。
「あんた、だれ?」
喉がカラカラで、なかなか声になりにくかったからか、出てきた声は掠れていて、いつも以上にか細くなっていた。すると、相手はチッと舌打ちをして、ヌッと顔を近づけてきた。軽くウエーブのかかったロングヘアの、化粧の濃い女だった。……女? だよな? なんだかわからないけれど、何かに不自然さを感じた。
「お前さあ、なんか全然変わってなく無い? ちょっと気持ち悪いくらいなんだけど。てか、忘れてんの、俺のこと」
そいつは俺の顎をぐいっと引っ張ると、ジロジロと悪意の籠った目で値踏みをするように睨みつけてきた。そして、乱暴に手を離して離れていったかと思うと、突然部屋の電気を全て点けた。
「うわああああ!」
暗闇からの照明全開は、普通の人でも目に痛みを感じる。俺はセンチネルで、今はカラコンしかしてない。サングラスが無い状態で拉致されたようで、光に対する防御がいつもより甘かった。激痛と生命の危機に対する嫌悪感が身体中を駆け抜けていった。そいつはそんな俺を見て酷く楽しそうに笑っていた。なんとなくだけど、頭がおかしくなってるんだろうなというのはわかった。
「はい、しっかり顔見てごらんよ。見ても思い出せない?」
そう言って、俺の髪の毛を掴んで顔を引き寄せた。俺はそいつの顔をしっかり見てみた。ショコラブラウンとでも言うのだろうか、チョコレートっぽい茶色い髪にゆるゆるとしたウエーブがかかって、腰のあたりまで伸びていた。前髪が目の辺りで切り揃えられていて、目鼻立ちのはっきりした顔。白くて綺麗な肌、華奢な体つき。でも、なぜだかわからないけれど、この人は女性では無いのでは無いかという疑問が付き纏っていた。そして、いくら顔を見ようが全く誰なのか見当もつかない。返答に困っていると、そいつは俺の髪を離し、ドンっと強く胸を突いて弾き飛ばした。
「相変わらずムカつく女だな。あれだけ嫌がらせしてやったのに、もう忘れてんの!? わかった、じゃあ、思い出させればいいんだよな?」
そいつはそう言うと、突然俺の制服を脱がせようとした。一瞬訳が分からず固まっていたけれど、こいつが男だろうが女だろうが危険だと言うことへ理解が及んだので、唯一動かせた頭を振って、思いっきり頭突きをした。ただでさえ頭突きは痛いけれど、ガイドのいない状況でセンチネルが頭突きをかますなんて自殺行為だなと思った頃には、もう遅かった。
「ぐあっ! ……やっべ、目がチカチカする……」
「いってえ! 何すんだこのやろう!」
そういって掴みかかってきたそいつを、力のかぎり蹴飛ばした。片方の手で耳を塞ぎながらだし、痺れて動きにくい中の反撃だ。あまり威力は期待出来なかった。それでも、そいつは後ろに吹っ飛ばされて、倒れ込んだ。音からして、床にはカーペットが敷かれているらしい。そこに肉がぶつかる音と、少しだけ擦れる音が聞こえた。
「……のやろ。女のくせにどんだけ足ぐせ悪いんだよ!」
俺はその一言で、ブチっと何かが切れるのを感じた。
「あんたなんなんだ! 誰かと間違えてないか!? 拉致って来ておいて、相手が男か女かもわかんないのかよ! 俺は男だ! つか、それよりも、あんたは誰なんだよ!」
俺はよく中性的だと言われる。確かにステレオタイプな男性性は無い顔であるように思う。全体的に色素が薄いから儚く見えるって言われがちだし、日焼けすると触覚が大変だからあまり焼けないようにしている。だから、年中色白だ。身長は結構ある方だけれど、刺激に弱いから筋トレもあまり出来ないせいで、体重はかなり軽い。それと、背中から骨盤にかけて、一般的な男性には現れにくいカーブがある。俺はそれがコンプレックスだ。ただ、細いなりに筋張っているし、喉仏もある。ぱっと見は男性に見られることが多い。それなのに、わざわざ拉致っておいて、性別を間違えるやつってなんなんだ!? と怒りが湧いてきた。
ただ、それも一瞬でどうでも良くなるほど視覚的に困惑することが起きた。目の前の、女だと思っている奴が、悶絶して腹を守って座っているスカートの下……そこにあったのは、どう見ても男の持つものだった。しかも、履いてない。
「はあ!? え? え? え? ……えっ? それっ……いやそれより、なんで履いてないんだ? お、俺のこと襲う気で……?」
状況的に色々パニック気味だった俺は、いつもより低レベルに饒舌だった。あたふたしていると、相手がゆらりと立ち上がった。そして、わなわなと怒りに震えているのであろう手を振り上げて、殴りかかろうとしていた。
「世間体気にして晶を振ったような女は、俺がめちゃくちゃにしてやる! 吐き気がする出産、もう一度経験してこい、つばさあ!」
そう言って、一歩踏み出した。俺は、そいつの言った言葉の意味が理解できずに固まっていた。いや、最後の一言に気を取られてしまった。そのまま殴られてもいいかなと思うくらいには、混乱していた。
——翼? 母さんのことか?
もしそのまま殴られていたら、気絶していたのかもしれない。ただ、そうなる前に、そいつは真っ黒い影に制圧されていた。俺の目の前に現れたのは、いつもの黒いスーツに黒い手袋と黒い帽子を被って、あっという間に敵を縛り上げてしまった、トップレベルのガイドだった。倒した敵が気絶したのを確認すると、俺の方へ駆け寄ってきてくれた。
「翔平くん、大丈夫かい? 翔平くん?」
手袋を外しながら果貫さんが声をかけてくれた。いつものように、大きすぎずはっきり聞こえる、センチネルを最大限に気遣った優しい声だった。俺はその声が聞こえてとても嬉しかった。ほっとして、気が抜けてしまった。ふにゃりと力が抜ける。
「はい。大丈夫です。ありがとうございます」
果貫さんが差し出してくれた手を取って立ち上がった。俺の手を引いて体を引き寄せた後、軽くハグをしてくれた。俺は今、ピアス穴を増やして、消音装置のピアスとマメンツのピアスをしている。だから、果貫さんに触れられても、拒否反応は起きない。ケアの効果しかないから、抱きしめられるととても安心した。心の防御も緩くなって、俺の気持ちが不安定に揺れているのが、果貫さんに伝わったらしい。
「エンパスが何か動揺を拾ってるんだけど、テレパスしてもいい? 嫌ならやめておくけど」
どうしようかと悩んでいた。俺が気にしているのは、敵の言った最後の言葉だ。だけど、それを確認するには、母さんのプライバシーに触れる話題を果貫さんにしないといけなくなる。果貫さんは知ってるんだろうか、母さんの秘密を……。そう考えると、言うに言えなかった。
「あ、ちょっと、まず自分で考えたい事なので、そこはテレパスしないでください。お願いします」
大きくて綺麗で意志の強い目で俺をじっと見つめた後、「わかったよ」と頷いて、果貫さんは俺から離れた。
外に出るために俺が衣服を整えている間に、だんだん外から足音が近づいて来た。あの音は聞き覚えがある。左右のばらつき方、歩幅、リズム……見なくてもわかる。鉄平だ。鉄平の顔が見れる……と安心した後、突然とてつもない動悸が始まった。
「うっ! ……か、ぬき、さ……」
肺が潰れたように、息が出来なくなった。どれほど落ち着こうとしても、その集中がうまくいかない。
——なんで? 鉄平の顔が見たくないのか、俺……
焦りがじわじわと俺の心臓を潰していくような感覚が襲ってきた。一度経験したことがある……これは……ゾーンアウトしかかってるんだ……
「翔平くん? どうした? 喋れない? テレパスするよ!?」
「翔平!?」
果貫さんがテレパスで俺にどうしたのか聞こうとしてきたタイミングで、鉄平が俺の近くまでやってきた。俺は、どうしても鉄平に今の焦りを知られたく無かった。まだ、果貫さんの方がビジネスとして捉えてくれて、守秘義務を守ってくれそうな気がした。そんな打算で思わず鉄平を突き飛ばしてしまった。それも、必死だったから大きな悲鳴に似た声を上げながら、思いっきり突き飛ばしてしまった。
「嫌だああああああああ!」
ドンっと突き飛ばされた瞬間、鉄平は俺の悲しみだけをエンパスしたようだった。胸をぎゅっと握って、辛そうな顔をした。俺のことを心配して来てくれたのだろうってことはわかってた。それなのに、突き飛ばしてしまった。しかも、あんな顔をさせて……。その罪悪感が、俺をさらに追い詰めていった。
「ゔ、ううぅ、あああああー!」
「翔平くん? どうした!? 鉄平、分からないけど、何かされてるかもしれない。迂闊に近寄るな。いいな!」
「は、はい。翔平……なんで……」
鉄平は、俺にあからさまに拒絶されたことでショックを受けていた。普段言葉が足りなくて、無遠慮にものを言っては人を傷つけているけれど、本人はとても繊細だってことを、俺はよく知っている。それなのに、今は俺が鉄平を傷つけてしまった。それでも、はっきりどうしたらいいかわかってないことで、整理のついてない感情で、みんなを困らせたくなかった。気が狂ったとしても、誰かに自分の苦しみを押し付けて生きていくのは、俺には耐えられない事だから。
俺は、割れそうに痛む頭を抱えて身を捩り、逃げ出そうとした。ただ、その俺よりも果貫さんの判断が数倍早かった。果貫さんは俺の腹を打ち、静かにさせる道を選んだ。
「うっ……」
ガクッと頽れた俺を抱き抱えた果貫さんは、そっと床に下ろしてくれた。俺は薄れゆく意識の中で、二人の姿を眺めていた。黙ってツカツカと鉄平の方へ歩いていった果貫さんは、驚く鉄平に有無を言わせずに顔を引き寄せると、最初から遠慮のない深いキスをした。
「んっ、んんっ」
突然の果貫さんからのキスに鉄平は狼狽えていた。ぼーっと霞む視界に映る二人がディープなキスをしている光景は、嫉妬すらさせてくれないほど綺麗なものだった。果貫さんは、鉄平が逃げられないように片手で鉄平の腰を抱き寄せていて、もう片方の手で後頭部をガッチリホールドしていた。力が抜けてしまった俺の耳にさえ、ジュルジュルと響く濡れた音が、さっきとは違う胸の高鳴りを生んでいた。
随分長いこと、そのキスは続いていた。果貫さんのハグで一旦落ち着いたけれど、鳩尾を打たれて痛みが体を駆け抜け続けている俺は、その痛みに集中することでゾーンアウトせずに済んだようだった。それでも、その痛みがだんだんと落ち着いてくると、またさっきの不安からくる動揺が首を擡げて来て、再び過呼吸になりつつあった。その小さな焦りの向こうで、ピピッという小さな電子音が聞こえた。それを待っていたかのように、果貫さんは鉄平を解放した。
「か、果貫さん、なんでこんなタイミングでいきなりキス……しかもあんな……」
鉄平はどうやら果貫さんのキスに腰砕けにされたようで、手を離されるとそのままヘナヘナと床に座り込んだ。果貫さんは鉄平の問いに答える前に、自分の口の中に人差し指と中指を突っ込んだ。そして、その指をぐるんと回すと、口の中から一枚の透明なフィルムを取り出した。
「翔平くん、今、どうしても鉄平くんのケアを受けたくないんだよね。今だけなんだよね?」
果貫さんは、そのフィルムを中指に巻き付けながら、俺に問いかけてきた。俺は、鉄平の方を見ながらコクンと頷いた。そう、今だけ。もう少し俺の中の疑問と痛みが解決してからじゃないと嫌だ。この気持ちを、読み取られるのが嫌だ。なんとなく、果貫さんにはそれが伝わったようで安心した。
鉄平も、俺が鉄平を断固拒否しているわけではなく、理由があって今は鉄平が嫌なんだということを理解してくれたらしい。その顔を見て少し安心した。でも、動悸はだんだん強さを増す。不安感が迫ってくる。どんどん、耳鳴りが大きくなってくる。さっきよりもさらに大きな波がやって来そうだった。
「う、あ、あ……んぐ、う……」
また頭痛がしてきた。頭を抱えてへたり込むと、果貫さんが俺に近づいてきた。そして俺を抱き抱えると、鉄平に向かって厳しい表情を見せながらきっぱりと言った。
「ガイドは、どんな状況でもボンディングしたセンチネルを守るんだ。例え本人が嫌がってもな。その覚悟が足りてないぞ。最終的なガイディングはお前に任せる。それまでのケア、そこで見てろ」
「えっ……翔平がケアされるの、ここで見てないといけないんですか?」
鉄平は絶望的な声を出していた。そうだ、他の人にケアしてもらうってことは、鉄平以外の人に体を預けるってことになる。俺は果貫さん相手になら、覚悟はしている。鉄平も、それを覚悟してマメンツを作ることを提案してきた。でも、それを目の前で見ないといけないなんて……。俺だって、それは嫌だった。
「あの、あの……果貫さん、俺もそれは恥ずかしい……」
割れそうな頭を抱えて、痺れる唇を必死に動かしながら俺は訴えた。助けて欲しい、でもしたくないことはしないで欲しい。それがどれほどわがままなのかもわかってる。でも、鉄平の目の前でなんて……どうしても嫌だった。
「聞いていただろう? 最終的なケアは鉄平くんに任せるよ。でも、君たちはお互いに覚悟が足りない。マメンツを持つということは、他人のケアを受け入れるってことだ。ボンディングしてしまった以上、逃げられない道なんだよ。それでも鉄平くんのケアは嫌なんだろう?」
そう言われると、迷ってしまう。鉄平も、強く出るべきかどうかを迷っていた。俺たちがお互いに何も言えずにいると、果貫さんは肚を決めたような冷たい顔をして、俺の制服のボトムとパンツを一気に下ろしてしまった。
「ちょっと……果貫さんっ! やめっ……」
そう言うか言わないかのタイミングで、果貫さんの長い指がズブリと中に入って来てしまった。
「……あっ!」
そのままずるずると奥へ向かって侵入して来る。途中、痛みが起こらないようにか、入り口の近くのフニフニしたところを優しく撫でてくれていた。
「ああっ、あ……ン、ふうン」
揺ら揺らと腰を揺らしながらも、そこに鉄平がいることが気になって仕方が無い。少しでも声を抑えようと、口に手を当てて耐えていた。鉄平はどんな顔をしているんだろう……怖くて振り向くことも出来なかった。何度も指がナカをクルクルと撫でながら、でもすごいスピードで奥へ奥へと入ってくる。シートは鉄平と果貫さんの唾液で濡れていて、それが擦れるたびに甘い刺激が体をかけていった。
「あっ、あっ、やあっ」
空いていた方の手が、上の方へ伸びてきて、胸の突起に触れた。ぎゅっと締まっていくのがわかって、果貫さんの指に絡みつく。その狭い隙間をクチュリと音を立てて、また奥へと入ってきた。
「あああ、あ、なん、か、それ……は、あン」
濡れた音がさらに大きくなっていく。だんだん身体中に、甘い刺激が巡ってくるような、温かい不思議な感覚がして来た。気がつくと前が熱を持っていた。鉄平のいる方からは、きっと見えているはず。それが恥ずかしくて、余計に熱が増した。
「よし、もういいかな。どう? 翔平くん。今なら冷静に鉄平くんと話せない?」
そう言って、果貫さんはズルリと指を引き抜いてしまった。抜ける時、ゾクゾクっとするほど気持ちよくて、思わず「ああんっ!」と声を出してしまった。中途半端に引き上げられた熱が、行き場を失って身体中を巡っていた。
「え? あ、え、えと……話せるかも知れません……」
そう言われればそんな感じがしていた。さっきよりも、すごく気分が落ち着いている。興奮してはいるけれど、落ち込んではいない。さっき入れたフィルムのせいかな。なんだか鉄平が抱きしめてくれているような気がした。
「その状態なら、俺が最後までケアをすることも可能だよ。でも、それよりも、鉄平の唾液を直接ナカに入れたことで、翔平くんの気持ちが安定したから、冷静に話が出来るようになったんだ。しばらく効果は続くけど……多分十分くらいだろうね。その間にどっちにケアを任せるか、決めて。冷静に、だよ。じゃあ、俺はしばらく席を外すから。決めたらメッセージちょうだい」
そう言って、果貫さんは倒したヤツを抱えて外へ出ていった。
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