パラレルワールドで愛を問う

松本ダリア

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第15章 Side 珠喜

第27話 あなたのために *

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長いトンネルの先に光が見える。そこに誰かが立っていることに気づいた。

「お母さん……?」

母はまばゆい光を背に受け、微笑んでいた。その姿は亡くなる直前の変わり果てた姿じゃない。美人で頼もしい、アタシがよく知っている大好きな姿だった。急いで駆け寄り、母の手を取る。

「お母さん。心の底から大好きだと思える人に出会えたよ!アタシ、絶対幸せになるからね!」

母は嬉しそうに微笑むと、大きく頷いたのだった――。

――――――

目を覚ますと、涙が頬を伝った。母はアタシのことを心配してずっと近くで見守ってくれていたのかもしれない。そう思うと、心が温かくなった。ふと、カーテンに目をやる。隙間から差し込む陽の光。隣に目をやると、彼のあどけない寝顔。酔ってアタシの体に触れ、途中で眠ってしまった時によく見た……不完全燃焼な気持ちで見た……寝顔。昨日はお互い思う存分愛し合って、心も体も満たされた。愛おしさが込み上げ思わず頬に触れると、彼がそっと目を開けた。

「ん……たまき?」

「おはよう、賢弥さん」

彼は嬉しそうに微笑み、アタシの唇にキスをした。しばらく見つめ合った後、彼はふと壁にかかっている時計に目をやり、ギョッとした顔をして飛び起きた。

「おい!もう昼だぞ!」

「えっ?!」

慌てて時計に目をやると、長い針がちょうど12時を指すところだった。サッと血の気が引いていく。

「ヤバい!早く出ないと!」

ベッドから勢いよく飛び出すと、彼が落ち着いた声で言った。

「大丈夫だ。車で2、3時間だから今から出ても余裕で間に合う」

「あ、そっか。ってか賢弥さん、今日仕事じゃないの?」

「前持って有給取った」

「マジ?もしかしてアタシの為に?」

彼は一瞬黙った後、こう言った。

「当たり前だろ?」

――――――

高速道路の上。どこまでも続く長い車の列にアタシ達は途方に暮れた。

「よりによって事故渋滞かよ……間に合うとは言ったが渋滞までは予想してなかった……」

彼は大きなため息を吐いた。重い空気を吹き飛ばそうと彼の言葉を真似してアタシはわざと明るい口調で言った。

「よりによって二人で寝坊かよってね!」

「昨日は盛り上がったからな」

「賢弥さんが我慢できねぇなんて言うから!」

「お、お前だって張り切ってたじゃねぇか!全部しぼり取られるかと思ったぞ」

「何その言い方!アタシがビッチみたいじゃん!」

「違うのか?職場で男の客はべらせてたんだろ?」

「はべらせてないから!言い方!」

彼はフッと笑った。アタシも釣られて笑う。彼はチラッとナビに目をやった。

「渋滞抜けたらスムーズらしい。深夜までに着けばいいんだから間に合う。心配いらない」

落ち着いた口調でそう言って微笑んだ。アタシを不安にさせない為に気を使ってるのだ。その優しさにまた胸がキュンとなった。本当は元の世界になんか帰りたくない。このままずっと彼と一緒にいたい。昨日、セックスが終わっても膝の上から退こうとしないアタシに彼は苦笑いしながら言った。

「いい加減降りろよ……俺、もう眠いんだけど」

「イヤ。ずっとこうしてたい」

「おいおい、あっちに戻ってケジメつけるじゃねえのかよ」

「……そうだけどさ」

名残惜しそうに俯くと、彼はアタシの頭をポンポンとしながら優しく言った。

「戻ったらまたすればいい」

「……うん!」

そう約束したものの本当は不安で堪らない。戻って来られる確証はどこにもないのだ。もし戻って来られなかったら……そう考えただけで不安で胸が押し潰されそうになる。

(決めたもん、ケジメ付けるって。大丈夫。絶対に戻って来られる)

そう自分に言い聞かせた。

――――――

その後、渋滞は抜けたものの、行く先々で何故かトラブルに巻き込まれた。飲食店で注文した料理が来なかったり、ヤクザまがいのクレーマーが登場して店内が騒然となったり。その他にも、イカつい車にあおられたり(賢弥さんが冷静に対応した)事故を目撃したりと、これでもかというぐらい行く手をはばまれた。

ようやく長野の目的地に着いたのは夜の11時過ぎだった。人気のない路上に車を停め、外に出る。頭上に浮かぶ二つの月は半月。初めて見た時はまだ三日月だった。嫌でも時の経過を実感する。

「ようやく着いた……何コレ、アタシへの試練?」

「安心しろ、お前だけじゃない。俺達二人への試練だ」

「神様、試してるのかな?愛の力ってやつ」

「クサイがそうかもしれない」

「アタシ達、神様に勝ったよね?」

「お前がこっちに戻って来ることができればな」

「そっか……」

そう言いながら目の前に建っている見覚えのある古くて上品な建物を見上げた。

「ってかさ、この旅館こっちにもあることにびっくりなんだけど」

「あっちにもあるのか?」

「うん。だって、アタシ達まさにこの旅館に泊まったんだもん」

「……そうか」

賢弥さんはそう言って眉をひそめた。

「あれ~?もしかしてヤキモチいてる?」

「そんな訳ねぇだろ!」と顔を真っ赤にしながら否定するかと思いきや、彼は何も言わずにアタシの顔をじっと見つめた後、切なげな表情を浮かべて言った。

「好きな女が他の男と旅館に泊まったって聞いてかない奴がいるか?」

思わずドキッとしてしまった。動揺しながら必死に口を開く。

「も、もう……。最近の賢弥さん、全然ツンデレじゃないからつまんない!」

「嫌か?」

「……イヤじゃない。すっごく嬉しい」

賢弥さんは楽しそうにフッと笑ってアタシを優しく抱き寄せ、背中に回した腕に力を込めた。

「賢弥さん?」

「……何でもない」

体を離し、彼はアタシの顔を見つめた。その顔はとても切なげで「行くな」と、言いたいのを必死にこらえているみたいだった。

(やっぱり離れたくない……)

心が揺れて思わず彼の胸に顔を埋めた。何かを察したのか賢弥さんはアタシの髪を撫でながら、優しくこう言った。

「珠喜。『こうしたい』と強く思うことが大事だ。自分の強い気持ちが人や環境を動かすんだ」

さっきとは打って変わって、その力強い言葉にびっくりして顔を上げる。彼はアタシの両肩に手を乗せて真剣な顔で言った。

「お前の一念で時空を動かせ。俺は信じて待ってるからな、珠喜」

「……うん。絶対戻ってくる」

見つめ合い、ゆっくりと近づく。触れるだけ、でも優しくて深いキスを交わした。体を離した後、微笑むと賢弥さんは車に戻って行った。アタシの運命をそこから見届ける為に。

横断歩道の前に立った。思えばここに立ったあの日から、アタシの運命はガラリと変わったのだ。あれから二週間。でも、もう1年ぐらい経ってるような気がする。アタシがこの世界で過ごした日々はそれだけ濃厚で熱い日々だったのだ。

でも、深夜近くの路上にトラックなんてなかなか現れない。たまに通りかかってもみんな律儀りちぎに信号を守って横断歩道の前で止まっている。なかなかチャンスはやって来ず、時間だけが過ぎて行った。

(ご丁寧に止まんなくていいから!いさぎよくかかってきなさいよ!)

車に向かって潔くかかって来い、なんてどう考えても頭がおかしい。でも、今のアタシはそれだけ焦っていた。時刻は23時50分。残された時間はあとわずか。諦めかけたその時、彼方かなたから大きな光が猛スピードで迫って来た。大きさからして明らかにトラックだ。信号が黄色に変わる。スピードは変わらない。

(……今だ!)

恐怖で体が震える。深呼吸をして、思い切り一歩を踏み出した。トラックがクラクションをけたたましく鳴らしながら迫って来る。衝撃に備え、アタシはぎゅっと目をつむったのだった。

――――――

都会のザワザワとした喧騒けんそう。そっと目を開け、辺りを見回す。見慣れた「横浜駅」の文字と、朝の暖かな陽の光。

(戻ったんだ……)

まずは第一段階クリア。すぐに攻治さんへメッセージを送ろうとスカートのポケットに入れておいたスマホを取り出し、ふと思った。

「両方の世界に同じ人間は存在しない」

賢弥さんはそう言った。アタシはスマホをポケットに戻して歩き出した。着いた先は賢弥さんのマンション……がある場所。でも、そこにマンションはなかった。大きな公園があって、子供達が伸び伸びと遊具で遊んでいる。

(やっぱりこの世界にはいないんだ……)

分かっていたけど、切なくて胸が締め付けられそうになった。

(早く戻らなきゃ。彼がいる世界に……)

アタシは再びスマホを取り出して攻治さんへ「今どこ?」と、メッセージを送った。すぐに既読になり、びっくりしている犬のスタンプが送られて来た。

「珠喜ちゃん?!どこにいたの?!仕事に来ないから皆で探したんだよ!」

「説明すると長くなるから後でね。とにかく話があるの。今から会えない?」

「今日は休みだから大丈夫。珠喜ちゃん、どこにいるの?」

「横浜駅に向かうとこ。タクシー乗り場の近くにいるからすぐ来て」

「分かった」

それから間も無くして攻治さんが来た。慌てて来たようでひたいと、茶色くて長めの襟足えりあしに汗がにじんでいる。アタシの為に急いで来てくれた、前ならそう思って胸がキュンとしたかもしれない。だけど今はびっくりするほど何も感じなかった。

「珠喜ちゃん、一体どこに……」

攻治さんの言葉をさえぎって、アタシは口を開いた。

「この間はいきなりキレて出て行ってごめん。時間がないから手短かに話するね」

「わ、分かった」

パラレルワールドに飛ばされた、なんて言っても絶対に信じてもらえない。たぶん頭がおかしくなったんじゃないかと思われる。だから、前もって用意していた言い訳をすることにした。

「あれからここを離れて、遠くの街に行ったの。そこで大切な人に出会ったんだ。その人もアタシのことを愛してくれて大事にしてくれるの」

攻治さんの表情が明らかに曇った。少し胸が痛んだけど言葉を続けた。

「攻治さんと離れて思ったの。アタシ達の関係は誰も幸せにならない。だから、もう終わりにしたいの」

「珠喜ちゃん……」

攻治さんは切なさと悲しさが入り混じったような表情を浮かべた。

「母と約束したんだ。心から大事だと思えて愛し合える人と必ず幸せになるって。アタシは攻治さんといても幸せになれない。アタシの幸せを願うなら別れて欲しい」

毅然きぜんとした態度でそう言い放つと、攻治さんは思い切り顔を歪めた。

「その男の所へ行くんだ、オレを捨てて」

「……攻治さんには大事な奥さんがいるでしょ?それにこれから子供だって生まれる。アタシはあなたの側にいちゃいけない人間だったの。捨てるんじゃない。付き合う前に戻るだけだよ」

すると、攻治さんは目を瞑って下を向いた。握った拳が震えてる。何か言いたいのを必死に堪えているみたいだった。いつも陽気な攻治さんのこんな姿を見たのは初めてだった。やがて、悲しげな微笑みを浮かべながら攻治さんは言った。

「……引き止めようとしても無駄みたいだね。分かったよ。別れよう」

駄々をこねられたらどうしようと思っていた。だから、攻治さんがすんなり受け入れてくれたことに心の底からホッとした。

「アタシ達の関係は許されないものだった。でも、あなたは母がいなくなった寂しさを埋めてくれた。それは感謝してる、ありがとう」

攻治さんは少しびっくりした表情を浮かべてそっと歩み寄ると、アタシを抱き締めた。

「珠喜ちゃん……」

その途端、お腹の辺りにとてつもない違和感を覚えた。徐々に体が震え、呼吸が浅くなる。その内に鋭い痛みが襲って来た。恐る恐る自分のお腹に目をやる。深々とナイフが突き刺さり、ドス黒い血があふれていた。

「うそ……何で……何でこんなこと……?」

痛みとショックでめまいがした。口の中に血の味が広がる。息も絶え絶えに何とか声を絞り出すと、攻治さんはアタシの体を抱き締めたまま、耳元に唇を寄せた。

「他の男の所に行くなんて絶対に許さない。君はオレだけのものだ……」

そう呟いた後、突き刺さっているナイフをもう一度深く押し込んだ。

「うぁっ……っ」

痛みが更に増して、呼吸が上手くできない。目の前がチカチカする。

(まさか刺されるなんて……ああ、賢弥さん……)

攻治さんはナイフを思い切り抜いた。その途端、大量の血が溢れ出した。立っていられず、アタシは仰向けの状態で地面に倒れ込んだ。周りにいた人達が一斉に悲鳴を上げる。男性数人が攻治さんを取り押さえ、すぐ近くにある交番に走った。数人の女性が血相けっそうを変えてアタシの顔を覗き込み、必死に何かを尋ねていた。でも、もうアタシの耳には何も聞こえなかった。

薄れゆく意識の中で目に映ったのは、どこまでも澄み渡った春の青空とポカポカの太陽。そして、愛おしい人の姿。それはいつもよりもまぶしく感じた。最後の力を振り絞り、青空に向かって震える手を伸ばした。

(約束した……例え幽霊になっても必ず戻るって……アタシは負けない……賢弥さん……待ってて……必ず戻るから……あなたの元に……)

――――――

ふと目を覚ますと、目の前に見慣れた建物があった。

「……賢弥さんのマンション……?戻って来られたんだ!」

刺されたはずなのに傷痕きずあともない。もちろん痛みもない。嬉しくて思わずやったー!と叫びながらマンションの中へと足を踏み入れた。

すっかり慣れ親しんだ玄関を抜け、リビングへ入る。開けっぱなしの窓。白いレースのカーテンが風に揺れている。その向こう側に、こちらに背を向けてベランダに立っている賢弥さんの姿があった。広くて頼もしい大きな背中に胸がキュンとなる。会いたくて仕方がなかった。「おかえり、珠喜」そう言って思い切り抱き締めてもらうことを心待ちにしていた。愛おしさが溢れそうになり、アタシは彼の背中に向かって呼びかけた。

「賢弥さん、ただいま!」
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