竜騎士の末裔

ぽてち

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ベルナルドの憂鬱 後編

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「久しぶりだな、スライ。養父上も遠路お疲れでしょう」
 親しみを込めた笑みを浮かべて、ナイジェルが迎えた。
「何、ファーティマに会うためだ。大したことではない」
 そう言いつつ、バスターの顔は疲労の色が濃い。もう、無理の出来いない年なのだろう。
 それ以上にスライの変わりようにナイジェルは驚きを隠せない。
 こめかみの部分だけだった白髪は全体に広がり、瞳には覇気がなかった。たった三年しかたっていないのに十以上年を取ったようだ。
「それが軍総司令官セルアスケルの軍装か」
 バスターは感歎してナイジェルを見る。後ろにいたスライも眩しそうに目を細めている。
「ええ、職人に無理を言いまして、今日仕上がりました。明日の御前会議には着用するようにローク陛下から言われていましたから」

 ナイジェルはそれほどの手間がかかるとは思っていなかったが、刺繍の位置が可笑しくなる余分な皺が寄ると職人には我慢が出来ない見目になると言うことで結局作り直しになった。
 布地自体厳選された物なので、なかなか手に入る物ではないので時間がかかった。
 職人に申し訳ない事をしたナイジェルは思っていたが、職人の方は満足気だった。

 部屋に入ると乳児用の木製の寝台の中に綺麗な刺繍の入ったおくるみに包まれたファーティマがすやすやと眠っていた。傍らにはアナイリンとアイーシャがファーティマの服を嬉しそうに作っている。
 今は仔馬大に成長したファルハードがファーティマの眠る寝台を囲い込むように寝そべり、入ってきたスライたちを認めると首を上げて威嚇する。
「ファルハード、敵ではない」
 ナイジェルが苦笑しながら言うと分かったのか、また寝そべり、目を閉じる。
「あの時の翼竜ですか」
「ああ、ファーティマが生まれてから、なぜかそばを離れようとしない」
 ナイジェルは眠るファーティマを抱き上げて、バスターに手渡す。
 バスターは相好を崩し、不器用な手つきでファーティマをあやしている。
 貴方、ファーティマが起きますよとアイーシャに叱られていた。

「部隊長、遅くなりましたが、ファーティマ様の誕生おめでとうございます」
「ありがとう、スライ」
 スライは穏やかに笑うナイジェルが酷く遠く感じられた。
 初めて会ったのは13歳の頃だった。
 第一印象は綺麗な顔立ちだが、気が弱い少年。
 それがとんでもない猫かぶりだと知ったのは暫くしてから。
 その少年が15年経って、アジメール全土を指揮下に置く軍総司令官に上り詰めようとしている。
「ナイジェル部隊長、私は中隊長の職を辞しようと思っております」
「何故? まだそんな年でもないだろう」
「いえ、もう疲れたのです」

 ナイジェルがエルギンを離れてからの三年。
 スライはまるで靄の中を漂うような毎日だった。
 カーディルが亡くなってからナイジェルがいなくなった原因がスライだと非難されるようになった。

 スライには三人の息子がいて、いずれも馬術と特に弓術に優れている。
 長男の弓術は特にエルギンでも指折りだったが、ナイジェルについて近衛大隊に入ってしまった。
 次男も三男も同様に従卒として近衛大隊に入り、次男はもう騎兵となっている。
 スライに相談があったわけではなく、三人ともに自身の考えでの決断だった。

 だがそれも非難を助長させるものだった。
 非難はスライの家族にも及んでいた。
 スライには二人の妻がいて、娘も二人いたが先日スライの前で泣きだしたのだ。
 もうエルギンにはいたくないと。
 妻たちは気丈な女だが、息子たちの元に行きたいと零していた。
 それもいいのかもしれないと思った。
 贅沢な生活はしていなかったから蓄えはある。王都の片隅で生活するのも悪くはないのかもしれない。

「そうか」
 その時ファーティマがむずがるような声を上げて、ナイジェルはそちらに顔を向けた。
 ナイジェルの横顔を見ながら、スライは目の前が暗くなっていくように感じた。
 己は既にナイジェルの視界に入っていないのかと思ったのだ。
 ほんの少しだけ期待したのだ。
 ナイジェルに近衛大隊に来るように言われるのではないかと。
 だから本当はバスターに付き従う予定だったカーディルの元側近に頼み込んで代わってもらったのだ。
 その男はカーディルの代わりに大隊長につき、珍しくスライに同情的だった。
 それゆえにか代わって欲しいと頭を下げるスライに快諾してくれたのだ。

 何故ここに来たのだろうとぼんやり思っているとナイジェルは手を上げて庭を指差す。
「あの男をどう思う、スライ?」
 ナイジェルの指差す先には下男が庭を掃除している。
「……部隊長の護衛ですか?」
 下男を装っているが、ふとした動きに隙がない。身体つきも細いようで鍛え上げられているのが分かる。
「いや、下男として雇ったのだがな」
 ナイジェルは苦笑いしている。スライは一気に緊張した。
「部隊長」
「恐らく、バハディルの差し金だろうな。俺が護衛を置きたがらないから」
 比類ない剣技を誇るナイジェルは自分の身辺に無頓着なことをバハディルたちは案じていたのは知っていた。
 ホッと力を抜くと茶を飲むナイジェルの顔を見る。
「わかっているのだが、どうも居心地が悪くてな」
「これからはそうもいきますまい」
「ああ、……ファーティマが生まれたしな」
 軍総司令官になればその権力は今までの比ではない。
 それを不愉快に思う者、排除しようとする者はそれ以上だ。ナイジェル本人に手が出せなければ、それは大切な者に向かうだろう。

 ナイジェルは茶碗を両掌で挟み、何か逡巡しているようだった。
「俺はローク陛下の剣であり、盾だ。必要があれば、命を掛けなければならない。……大切な者を切り捨てることもだ」
「……はい」
「それでも、出来る限りそういう事態を起こしたくはない」
「ベルナルドがいるでしょう。あの者は部隊長の護衛を含めた副官なのでしょう?」
「あいつは近衛大隊の兵士だから、私的なことでは使い辛い。それにバハディルと何やらこそこそやっていて、副官の範疇を越えてきている」
「でしたら」
「……俺が心から信用できる者は少ない。出来ればそういう者に任せたい」
 ゆっくりとナイジェルは息を吐きだすと
「スライ、アナイリンとファーティマを守ってくれないか?」
 スライは息を呑んでナイジェルを見つめた。
「中隊長を辞するといったから、丁度いいかと思ったんだが。エルギンを離れることになるが」
 逡巡しているのはスライの生活を壊すことになると思っているからだろう。
「いえ、家族も王都に来たいと申しておりました。三人の息子がこちらに居りますので」
「そうか、ならばよかった」
 心底ほっとしたように笑顔になる。
「これからよろしく頼むな、スライ」
 スライは目の前が晴れて行くのを感じた。

 こんなにもここは明るかったのか。

「はい、承知いたしました。ナイジェル様」
 皺の増えた顔に笑みを刻んだ。


「良かったな、スライ」
 バスターはしみじみと言う。ナイジェルはこのあと近衛兵の槍術訓練の視察があると言って出て行った。
「はい、閣下」
 思わず涙ぐみそうになる。
「ところで、貴方奥様はいらっしゃるの?」
 アイーシャが口を挟んできた。
「はい、二人おります」
「そう、出来れば、奥様にもここで働いて欲しいのだけど。どうかしら?」
「それは、願ってもないことですが」
 スライには老いた両親がいて、妻の母親も引き取っている。
 王都に来る話になった時二人の妻もできれば働きたいと言っていた。娘二人の持参財が心許ないからだ。
「下女がね……居つけないのよ」
 困ったように言うアイーシャについファルハードの方を見る。まあ、あんなものがいる屋敷に若い女はいたくないだろうと思った。
 スライの視線に気づいたアイーシャは複雑そうな顔をした。アナイリンも困ったように視線を伏せている。
「そう、ファルハードもなのだけどね。……悪気はないのよ」
「そうだな、あれは意図してやっているわけではないな」
「……ナイジェル様はそういうつもりではないのです」
 三人の複雑そうな言い訳にスライは首を捻った。
 ナイジェルは口が悪いが、使用人をひどく扱うような人間ではない。

 それが分かったのは、中隊長を辞め、様々な後始末をして家族を伴って王都に来た時だった。
 娘たちもぜひ挨拶したいと言いだしたので、連れて行くと丁度ナイジェルが戻って来ていた。
 ナイジェルと面識のある妻たちは懐かしそうで、煌びやかな軍装を纏ったナイジェルに眩しそうに挨拶をしていたが、娘たちは真っ赤になって俯いてしまった。
「久しぶりだな、王都に住むのだから気軽に遊びに来るといい」
 柔らかな笑みを浮かべ、優しく声を掛けるナイジェルに娘たちは必死に頷いていた。
「……ナイジェル様、娘たちを誘惑しないでいただきたい」
 額を抑え、苦言を呈するスライにナイジェルは不思議そうに首を傾げていた。
 アイーシャとアナイリンは申し訳なさそうな顔をしていた。ベルナルドは半笑いだった。

 ベルナルドに聞くとナイジェルの世話をめぐって、若い女の使用人たちの争いが起きたらしい。
 ナイジェルの服が盗まれたり、挙句の果てはアナイリンが妊娠中独り寝するナイジェルの床に忍び込もうとしたりと雇っておけなくなって辞めさせたらしい。
「部隊長は稀代の女ったらしですよ。まあ、女だけではありませんがねえ」
 ほとんど悪口のような上官の評価をしみじみと言うのに、確かになと心当たりが有り過ぎるスライは苦笑いするしかなかった。


 はああとベルナルドは溜息をついた。
 バハディルはちらりと見ただけで何も言わなかった。
「いや、落ち込んでいるんですから、理由を聞いてくれてもいいじゃないですか?」
「聞くだけ時間の無駄だ」
「俺、部隊長に信用されていなかったんですかね?」
 相手にしてもらえないので、強引に話を始める。
 ベルナルドは私的な部分でのナイジェルの護衛の任を解かれた。
 代わりにナイジェルとアナイリン達の護衛をスライが担っている。
 王宮へはともかく、兵舎に来る際はスライを伴ってくる。バハディルたちが心配して潜り込ませた武術の長けた下男たちを集めて、訓練を施し、警護の穴がないように配置している。
 スライの妻たちももともと遊牧民で馬と弓は一通りできる。短剣を持たせて、護身術を習わせている。
 空いた時間は近衛大隊の従卒たちに弓術を教えている。
 中隊長の地位にいただけに統率力があり、教え方もうまい。

「三年と十五年の差は大きいだろう?」
 面倒臭そうにバハディルが答える。
「俺たちとしては、スライが部隊長やアナイリン様たちを護衛してくれる方が安心だ」
 穏やかに笑う。エルギンに行くことの多かったバハディルは会うたびに生気を失っていく馴染みの同僚に何とも言えない気分だった。
 自身がナイジェルについていったことが後ろめたい気もしていたからだ。
 今は生き生きとナイジェルに付き従う様子に安堵していた。
「お前にはがあるだろう?」
「……その事なんですが、メルツァーの本家の長男が花街で暴行されて、ちょっと気の毒なところに怪我を負ったそうです。しかも、裏の顔役の妻にちょっかいを出したとかでえらい金額の詫び料を要求されているとか」
「ほう、それは気の毒だな」
 ほんの一瞬寒気がするほどの冷たい笑みを浮かべ、その後は興味を失ったように書類に没頭している。
「知らないふりをしたほうがいいですか?」
「わかっているなら黙っていることだな、俺でも大叔父上は敵に回せない」
 なぜそこまでと思うが、多分答えないのだろう。
 用は終わったとばかりに手を振るバハディルに促されて、不承不承部屋を出る。

 
 兵舎を出て従卒に自分の馬を持ってくるように言ったところで、スライを連れたナイジェルに会った。
 煌びやかな軍総司令官の軍装が眩しいほどだった。
 軍総司令官となり、王宮にも執務室を与えられた。
 とはいえ、あまりそちらは使っていない。
 ナイジェルからしたら、無駄のようだが、ロークとしては軍総司令官としての権威というものを知らしめたいようだった。
「では、ナイジェル様お気をつけて」
 そう言うとスライが丁寧に辞儀をして下がっていく。やや丸まった背中が残念そうな気配がする。
 今日は昼頃に執務が終わる予定で、ナイジェルが視察などが入っていない時はスライはここで待っているのだが。
「ベルナルド、急遽昼過ぎに王宮に上がることになった。付いて来い……と思ったが、用事がありそうだな。他の者を」
「いえ、大丈夫です」
 慌ててナイジェルに言葉を遮るように了解を伝える。
「悪巧みに出かけるのではなかったのか?」
 うっすらと笑うナイジェルに
「はは、何のことでしょう?」
 とへらりと笑い、惚ける。
「恨みは買うなよ。やった側は忘れてもされた側は死ぬまで忘れないものだ」
 ベルナルドを心底案じる気配にほんの僅かに真顔になる。
「そんなことは致しませんので、ご安心ください」
 涙が滲みそうになって隠すように頭を下げる。

 少なくとも貴方に向かうことは決してしない。

 じっとナイジェルはベルナルドの下げた頭を見つめていた。
「……頼むぞ」
 やや諦めたように嘆息するとベルナルドの肩に手を置くと外套を翻して立ち去った。
 ナイジェルの背後にいた部下に目をやると笑みを消していた。
「二刻ほどで戻る」
「はっ」
 ナイジェルが触れた肩に手をやる。それだけで心が温かくなるようだった。
 サッサとを終わらせるべく自分の馬に跨った。
 彼の傍らに戻る為に。
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