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幕間
初恋 前編
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「こんにちは、スライさん」
「クルバンか、今日は随分連れてきたな」
クルバンの後ろには数人の近衛大隊右翼の従卒がいた。おどおどとこちらを見ている。
「クルバンさん、串焼き肉奢ってくれるって」
少し不満そうにクルバンに言う。
「もちろん、だがその前に弓術の特訓をしてからな」
ええ~と非難の声が上がる。
「お前らなあ、そんなんだからいつまでも騎兵になれないんだぞ。ほら、文句言わずにやれ!」
従卒たちの頭を小突いて、短弓を持たせる。ぶうぶう文句言いながらも、始めると真剣に取り組む。
クルバンは面倒見が良いのか、こうやって時々同僚や従卒たちを連れて来る。
近衛大隊は良家の子弟が多いと言っても、良家が必ずしも裕福とは限らない。
跡取りになれない次男三男など口減らしのように近衛大隊に放り込まれる者もいる。ベルナルドもその口だった。
クルバンの母親ヴェーラの父はロスレア平原の大馬主でエルギンや近衛大隊にも馬や馬具を納める大商人でもあった。商売熱心で抜け目のない男だが、孫のクルバンには甘く相当額の小遣いを渡している。
その潤沢な小遣いを使って、金のない従卒たちに食事を奢ったりしている。
平の兵士なのに子分のような騎兵や従卒がやたらといる。
父親のバハディルも偉そうに踏ん反り返っていたが、そういうところがあったなとスライは思いだしていた。
「すらい~」
舌っ足らずな愛らしい声が、屋敷の方から聞こえた。
ちょこちょこと金褐色の巻き毛を揺らした小さな女の子がやや危なっかしい足取りでやって来た。後ろからスライの妻もついて来る。
「ファーティマ様!」
「あっ、くるばんだあ」
すかさず跪くとクルバンはファーティマを抱き上げた。
「どうされました?」
「とうさまのおむかえなの」
「ナイジェル様はまだお戻りではありませんよ」
スライの言葉にファーティマはしゅんと項垂れる。ナイジェルは南方へ視察に向かっていた。
出かけてから十日ほど経っており、ここのところファーティマは日に何度も門のところまで来る。
苦笑すると
「今日にはお戻りになると思いますよ。ナイジェル様が帰ってこられたら、お知らせしますのでお部屋にお戻りください」
「……ここでまつ」
翡翠色の瞳に涙を溜めて言う。
「スライさん、俺がファーティマ様を見てますよ。ファーティマ様、俺たちはここで弓の練習しますが一緒にお父上を待ってますか?」
「うん!くるばん、ゆみがんばってね」
「すまんな」
スライは従卒たちに一通り指導すると屋敷内の巡回を始めた。
最近アナイリンは二人目の子を身籠った。
その頃から頻繁に嫌がらせが始まった。
屋敷内にゴミが投げ込まれたり、塀の外側が汚されていたりだ。先日は鼠の死体が投げ込まれた。
庭掃除をしていた下男がすぐに発見して片づけたられたので、アナイリンの目に入らずに済んだ。
それを報告した時のナイジェルは今思い出しても血の気が引く。
途中掃除をしている下男に会うと少し塀の上の部分が壊れているところがあるという。
案内されると確かに日干し煉瓦の塀にヒビが入り、下に数個の石が落ちている。
溜息をつくとすぐに片付けと修復をする職人を呼ぶように命じる。
門のところに来ると門番の老爺が誰かと揉めている。少し離れたところにクルバンとファーティマがいる。
門のところが騒がしいからナイジェルが帰ってきたと思い、来たのだろう。
「どうした?」
「あ、スライ様、いやこの娘っ子が」
「ナイジェルはいるか?」
老爺の言葉を遮るように言う。スライは不快そうに顔を顰めた。
軍総司令官に就任したナイジェルを公の場で呼び捨てに出来るのは国王ロークただ一人だ。義父のオスウィンや養父のバスターも敬称をつけて呼ぶ。
普段温和な門番が真っ赤になっているのも分かる。
「ナイジェル様はまだお戻りではない。お前は何者で、ナイジェル様に何の用がある?」
「そうか。私はナイジェルの友人でリンカという。ちょっと頼みごとがあるんだ、待たせてもらう」
屋敷内に入ろうとするのを阻んで、ふと異国訛りのある言葉とその腰に有る物に気がついた。
「お前、頭がおかしいのか! ナイジェル様にお前のような友人がいる訳ないだろう!」
門番は頭に血が上ったのか手にした棒で追い払おうとしたが、それを止める。
「申し訳ないが、ナイジェル様が貴女を友人と認めるまで、屋敷内に入れる訳にはいかない」
少しだけ丁寧な言葉に変えて、改めて相手を見る。
明らかに異国人の十代と思しき少女だった。
陽に焼けた顔は切れ長の一重の黒い瞳と小さな鼻と口は整っている。黒髪は手入れが悪いのかぼさぼさで一つに縛って背中に流している。
小柄な体は女性らしい膨らみに乏しいがしなやかで、異国風の上衣とズボンを履いている。腰にはナイジェルが持つ剣と似た少し短めのものを差している。
「わかった、ここで待たせてもらおう」
そう言った瞬間盛大に腹の虫が泣いた。
真っ赤になって腹を押さえるが、まだ腹の虫が騒いでいる。
スライも真っ赤になって怒っていた門番も呆気にとられたようにリンカを見詰めている。
「……お茶の時食べようと思った干し棗なら有るんだが」
基本人の良い門番がリンカに言うが一瞬考え込み、きっと顔を上げると
「施しは受けぬ!」
憤然と踵を返すと少し離れた場所に座り込んだ。
「スライ様」
「ナイジェル様が戻ればわかるだろう。もしかしたら本当に知り合いなのかもしれん」
苦笑を浮かべ、ファーティマとクルバンの所に向かう。
「スライさん、あの者は何者でしょう?」
「わからないが、ナイジェル様と似た剣を持っていた。ナイジェル様が以前言っていた剣の師匠とかかわりのある者かもしれない」
「すらい、とうさまは?」
「まだです。部屋に戻りますか?」
ふるふると首を振って、クルバンの手をキュッと握る。
俺がついていますからとクルバンはまた従卒たちが弓の練習をしている場所にファーティマを連れて行く。
その時馬蹄の響きが耳に入る。
門番と共に外を覗くと鼻筋と四肢の先が白い黒鹿毛が見えた。
ナイジェルだった。この馬も軍総司令官の礼装と共にロークから送られたものだ。
後ろにはベルナルドと数名の騎兵が付き従っている。
「お帰りなさいませ、ナイジェル様」
「ああ、スライ変わりないか?」
「はい、アナイリン様たちは恙なくお過ごしでした」
「そうか、ならいい」
見事な挙措で馬から降りると幉をスライに渡す。
「ナイジェル様、それが、友人と名乗る者が訪ねてきたのですが」
「友人? 俺のか?」
心当たりがないのか首を傾げている。やはり虚言だったのか内心溜息をつきそうになるが次のスライの言葉にナイジェルの顔色が一変する。
「リンカと名乗っておりました」
目を見開き、茫然とした様子だ。
「どこだ?」
あそこにと手を上げるや否やナイジェルはそちらに走り出していた。
座り込んだ少女の前に立つと
「リンカ?」
呼びかけられて、空腹のためかボンヤリと顔を上げる少女を見て絶句した。
少女も目の前に立った男にぽかんと口を開けている。
「え、ナイジェルなの?」
「ああ、久しぶりだなリンカ」
ふらりと立ち上がった少女をきつく抱きしめた。
「生きていたんだな」
「勝手に殺すな」
減らず口を叩く少女に苦笑する。
ぐうとまたも腹の虫がなく。ナイジェルが目を丸くしてリンカを見詰めた。
「……ナイジェル、ご飯食べさせて欲しいのだが」
「わかった」
ナイジェルから体を離そうとして、眩暈でも起こしたのかふらついて塀に手をつく。
「リンカ、どれくらい食べてないんだ?」
「……3日」
あまり体に力がない様子にナイジェルが問い質す。気まずそうに視線を逸らして答えるリンカにナイジェルは眉を顰めた。
溜息をつくと迷わず抱え上げる。
門のところには門番とスライ、ベルナルドら護衛の騎兵たちが茫然とナイジェルの行動を見ていた。
「こんな状態なのに食事をさせなかったのか?」
ナイジェルの厳しい口調に門番とスライは顔を蒼褪めさせた。
「申し訳ありません、カティスは勧めたのですが『施しは受けぬ』と拒否されました」
言い訳をせずにありのままに報告するとナイジェルは更に溜息をつく。
「相変わらず、頑固だな」
足早にリンカを抱えたまま屋敷に向かうナイジェルを追いながら、スライは動揺していた。
17年近い歳月を共にしていた自分が知らない友人の出現に。
ナイジェルが帰ってきたことに気付いたファーティマが満面の笑みでこちらに走ってきた。
「とうさま、おかえりなさいませ」
「ただいま、ファーティマ」
嬉しそうに両手を上げるファーティマを一瞥して、そのまま通り過ぎる。
父親に素通りされてファーティマは手を上げた状態のまま固まった。
ふうぅ、グスと泣き始め、クルバンが慌てて抱き上げて宥めている。
萌黄色と水色のモザイクタイルで飾られた表広間にナイジェルを出迎えるために出ていたアイーシャとアナイリンはその様子に茫然としていた。
「母上只今戻りました、アナイリン食事の用意をしてくれ。出来れば消化の良い物を」
早口で挨拶を済ませるナイジェルに何も言えず、後から追いかけてきたスライに問いかける様な視線を送る。
「ナイジェルが抱えているあの女性は一体」
「ナイジェル様の御友人の様です」
「友人? ナイジェルの?」
アイーシャも心当たりがないのだろう、首を捻っている。アナイリンは少し蒼い顔で膨らみかけた腹を押さえている。
居間に入ると座蒲団を並べた上にリンカを寝かせる。
「食事ができるまで少し横になっていろ」
「……世話を掛ける」
「まったくだな」
そう言って苦笑すると額に手を当てる。熱はなさそうだった。
自分の額を覆う男の手を取り、上にずらしてナイジェルを見上げる。
「どうかしたか?」
「いや、なんというか。ものすごく好い男になったんだなと思って」
語尾は消えるように言うリンカにナイジェルは華やかに笑う。
「リンカに言われるとはな、嬉しいよ」
「……」
リンカはナイジェルの笑顔に眩しそうに目を細めるとナイジェルの手を持ったまま両手で顔を覆った。
「……ナイジェル様、お召し替えをされては」
後ろに控えたスライが控えめにナイジェルに言う。
「そうだな。リンカ、動くなよ」
「動けないよ」
可愛げない言葉を返すリンカにナイジェルは声を上げて笑い、着替えるために部屋から出て行った。
「リンカ様、先ほどを失礼致しました。ご無礼をお許しください」
「構わない。不審人物を止めるのは当然だからな」
真面目に言うのに苦笑する。どこかしらナイジェルに似た口調だった。
「うぇぇ、とうさまとうさま、ひ…う……だっこぉ」
「スライさん、すみません。ファーティマ様が泣き止まなくて」
ファーティマを抱えたクルバンが弱り切った様子で入ってきた。
「ファーティマ様、今ナイジェル様がいらっしゃいますから」
「ふぁーのとうさまなのぉ、だめなのぉ」
リンカが目に入ったのか、さらに激しく泣きだす。
着替えて戻ってきたナイジェルが、ファーティマの泣き声に驚いていた。
「ファーティマ、どうしたんだ」
しゃくり上げて、喋れない様子にクルバンから抱き取る。ナイジェルの紺色の上衣に涙の染みを作ってぐずぐずとすすり泣く。
食事を持ってきたアナイリンとアイーシャはナイジェルがファーティマを宥めている様子にホッとした表情を浮かべていた。
リンカは起き上がると震える手で両掌を合わせる変わった仕草をするとショルバーを口に入れた。
一瞬泣きそうな顔になると後は無心で食べ始めた。
ショルバーをすべて胃に納めると人心地着いたのか、視線をナイジェルに向ける。
「その子ナイジェルの子供か?」
「ああ、ファーティマと言う。ファーティマ、挨拶をしなさい」
「……」
「ファーティマ?」
ナイジェルの胸に顔を埋めたまま動こうとしないファーティマに溜息をつく。
「普段はもう少しちゃんと挨拶ができるのだが、すまんなリンカ」
「いや、問題ない。小さいナイジェルが泣いているみたいで面白い」
ニヤリと笑い、慎重に串焼き肉を咀嚼している。
「そんなに似ているか?」
「ああ、色が違うけど。それに可愛げがあるな」
「俺は可愛げがなかったか?」
「当然だろう、突然師匠の剣を奪って自殺しようとする奴なんて」
リンカの言葉に周りは凍り付く。
それには気付かずナイジェルは苦笑する。
「そんなこともあったな」
「あんなあせった師匠は後にも先にもなかった。一瞬でも遅れていたら死んでいた」
「そうかもな。ところで師匠は亡くなったのか?」
「ああ、地回りの親分の情婦に手を出して、酔い潰されたところをめった刺しだった。……遺体を何とか回収できたのは幸運だった。私もしばらくこの国から離れざるを得なかった」
「……師匠らしいな」
しみじみと亡き師匠の死に様を語り合う二人に何とも言えない空気となる。
「今師匠がいたら、ナイジェルを娼館に連れて行っただろうな」
くすりと笑いながら、手元の皿に揚げ餃子を山のように積み上げている。
大皿に三つほど残った揚げ餃子を残そうか逡巡しながら、結局口の中に小皿に乗りきらない揚げ餃子を放り込んでいく。
「奢らされそうだな」
「は? ああ、それもあるだろうけど。お前を連れて行けば娼婦たちに群がられるだろう?」
「そこまで派手に金を使ったことはないし、たとえ師匠でもそんなことはしない」
「え? いや、あの……ナイジェル?」
なんだか話が通じないなとナイジェルの顔を見る。
白皙の顔は柔らかな笑みを浮かべている。
涼やかな声も武人らしい凛とした挙措も自然と人を従わせる威厳に溢れていた。
周りの人間も彼に従順だ。それは地位や身分に従っているという雰囲気ではない。
「ところで、俺に何か用があったのか? ただ懐かしむ為だけで訪ねてきたわけではないだろう」
「ああ、うん」
そうであれば、どれほど良かっただろう。
彼の腕の中にいる愛らしい幼子と後ろに控えた少し顔色の悪い綺麗な女性に視線をやるが、罪悪感でいっぱいになりそうな心に蓋をする。
姿勢を正すとナイジェルに改めて向き合う。
「二人だけで話をしたいのだが」
「構わない、俺の部屋へ行こうか」
ナイジェルは何とも思っていないのだろうが、リンカはぞくりと背中が震えた。
まるで睦言の合図のようだ。
「クルバンか、今日は随分連れてきたな」
クルバンの後ろには数人の近衛大隊右翼の従卒がいた。おどおどとこちらを見ている。
「クルバンさん、串焼き肉奢ってくれるって」
少し不満そうにクルバンに言う。
「もちろん、だがその前に弓術の特訓をしてからな」
ええ~と非難の声が上がる。
「お前らなあ、そんなんだからいつまでも騎兵になれないんだぞ。ほら、文句言わずにやれ!」
従卒たちの頭を小突いて、短弓を持たせる。ぶうぶう文句言いながらも、始めると真剣に取り組む。
クルバンは面倒見が良いのか、こうやって時々同僚や従卒たちを連れて来る。
近衛大隊は良家の子弟が多いと言っても、良家が必ずしも裕福とは限らない。
跡取りになれない次男三男など口減らしのように近衛大隊に放り込まれる者もいる。ベルナルドもその口だった。
クルバンの母親ヴェーラの父はロスレア平原の大馬主でエルギンや近衛大隊にも馬や馬具を納める大商人でもあった。商売熱心で抜け目のない男だが、孫のクルバンには甘く相当額の小遣いを渡している。
その潤沢な小遣いを使って、金のない従卒たちに食事を奢ったりしている。
平の兵士なのに子分のような騎兵や従卒がやたらといる。
父親のバハディルも偉そうに踏ん反り返っていたが、そういうところがあったなとスライは思いだしていた。
「すらい~」
舌っ足らずな愛らしい声が、屋敷の方から聞こえた。
ちょこちょこと金褐色の巻き毛を揺らした小さな女の子がやや危なっかしい足取りでやって来た。後ろからスライの妻もついて来る。
「ファーティマ様!」
「あっ、くるばんだあ」
すかさず跪くとクルバンはファーティマを抱き上げた。
「どうされました?」
「とうさまのおむかえなの」
「ナイジェル様はまだお戻りではありませんよ」
スライの言葉にファーティマはしゅんと項垂れる。ナイジェルは南方へ視察に向かっていた。
出かけてから十日ほど経っており、ここのところファーティマは日に何度も門のところまで来る。
苦笑すると
「今日にはお戻りになると思いますよ。ナイジェル様が帰ってこられたら、お知らせしますのでお部屋にお戻りください」
「……ここでまつ」
翡翠色の瞳に涙を溜めて言う。
「スライさん、俺がファーティマ様を見てますよ。ファーティマ様、俺たちはここで弓の練習しますが一緒にお父上を待ってますか?」
「うん!くるばん、ゆみがんばってね」
「すまんな」
スライは従卒たちに一通り指導すると屋敷内の巡回を始めた。
最近アナイリンは二人目の子を身籠った。
その頃から頻繁に嫌がらせが始まった。
屋敷内にゴミが投げ込まれたり、塀の外側が汚されていたりだ。先日は鼠の死体が投げ込まれた。
庭掃除をしていた下男がすぐに発見して片づけたられたので、アナイリンの目に入らずに済んだ。
それを報告した時のナイジェルは今思い出しても血の気が引く。
途中掃除をしている下男に会うと少し塀の上の部分が壊れているところがあるという。
案内されると確かに日干し煉瓦の塀にヒビが入り、下に数個の石が落ちている。
溜息をつくとすぐに片付けと修復をする職人を呼ぶように命じる。
門のところに来ると門番の老爺が誰かと揉めている。少し離れたところにクルバンとファーティマがいる。
門のところが騒がしいからナイジェルが帰ってきたと思い、来たのだろう。
「どうした?」
「あ、スライ様、いやこの娘っ子が」
「ナイジェルはいるか?」
老爺の言葉を遮るように言う。スライは不快そうに顔を顰めた。
軍総司令官に就任したナイジェルを公の場で呼び捨てに出来るのは国王ロークただ一人だ。義父のオスウィンや養父のバスターも敬称をつけて呼ぶ。
普段温和な門番が真っ赤になっているのも分かる。
「ナイジェル様はまだお戻りではない。お前は何者で、ナイジェル様に何の用がある?」
「そうか。私はナイジェルの友人でリンカという。ちょっと頼みごとがあるんだ、待たせてもらう」
屋敷内に入ろうとするのを阻んで、ふと異国訛りのある言葉とその腰に有る物に気がついた。
「お前、頭がおかしいのか! ナイジェル様にお前のような友人がいる訳ないだろう!」
門番は頭に血が上ったのか手にした棒で追い払おうとしたが、それを止める。
「申し訳ないが、ナイジェル様が貴女を友人と認めるまで、屋敷内に入れる訳にはいかない」
少しだけ丁寧な言葉に変えて、改めて相手を見る。
明らかに異国人の十代と思しき少女だった。
陽に焼けた顔は切れ長の一重の黒い瞳と小さな鼻と口は整っている。黒髪は手入れが悪いのかぼさぼさで一つに縛って背中に流している。
小柄な体は女性らしい膨らみに乏しいがしなやかで、異国風の上衣とズボンを履いている。腰にはナイジェルが持つ剣と似た少し短めのものを差している。
「わかった、ここで待たせてもらおう」
そう言った瞬間盛大に腹の虫が泣いた。
真っ赤になって腹を押さえるが、まだ腹の虫が騒いでいる。
スライも真っ赤になって怒っていた門番も呆気にとられたようにリンカを見詰めている。
「……お茶の時食べようと思った干し棗なら有るんだが」
基本人の良い門番がリンカに言うが一瞬考え込み、きっと顔を上げると
「施しは受けぬ!」
憤然と踵を返すと少し離れた場所に座り込んだ。
「スライ様」
「ナイジェル様が戻ればわかるだろう。もしかしたら本当に知り合いなのかもしれん」
苦笑を浮かべ、ファーティマとクルバンの所に向かう。
「スライさん、あの者は何者でしょう?」
「わからないが、ナイジェル様と似た剣を持っていた。ナイジェル様が以前言っていた剣の師匠とかかわりのある者かもしれない」
「すらい、とうさまは?」
「まだです。部屋に戻りますか?」
ふるふると首を振って、クルバンの手をキュッと握る。
俺がついていますからとクルバンはまた従卒たちが弓の練習をしている場所にファーティマを連れて行く。
その時馬蹄の響きが耳に入る。
門番と共に外を覗くと鼻筋と四肢の先が白い黒鹿毛が見えた。
ナイジェルだった。この馬も軍総司令官の礼装と共にロークから送られたものだ。
後ろにはベルナルドと数名の騎兵が付き従っている。
「お帰りなさいませ、ナイジェル様」
「ああ、スライ変わりないか?」
「はい、アナイリン様たちは恙なくお過ごしでした」
「そうか、ならいい」
見事な挙措で馬から降りると幉をスライに渡す。
「ナイジェル様、それが、友人と名乗る者が訪ねてきたのですが」
「友人? 俺のか?」
心当たりがないのか首を傾げている。やはり虚言だったのか内心溜息をつきそうになるが次のスライの言葉にナイジェルの顔色が一変する。
「リンカと名乗っておりました」
目を見開き、茫然とした様子だ。
「どこだ?」
あそこにと手を上げるや否やナイジェルはそちらに走り出していた。
座り込んだ少女の前に立つと
「リンカ?」
呼びかけられて、空腹のためかボンヤリと顔を上げる少女を見て絶句した。
少女も目の前に立った男にぽかんと口を開けている。
「え、ナイジェルなの?」
「ああ、久しぶりだなリンカ」
ふらりと立ち上がった少女をきつく抱きしめた。
「生きていたんだな」
「勝手に殺すな」
減らず口を叩く少女に苦笑する。
ぐうとまたも腹の虫がなく。ナイジェルが目を丸くしてリンカを見詰めた。
「……ナイジェル、ご飯食べさせて欲しいのだが」
「わかった」
ナイジェルから体を離そうとして、眩暈でも起こしたのかふらついて塀に手をつく。
「リンカ、どれくらい食べてないんだ?」
「……3日」
あまり体に力がない様子にナイジェルが問い質す。気まずそうに視線を逸らして答えるリンカにナイジェルは眉を顰めた。
溜息をつくと迷わず抱え上げる。
門のところには門番とスライ、ベルナルドら護衛の騎兵たちが茫然とナイジェルの行動を見ていた。
「こんな状態なのに食事をさせなかったのか?」
ナイジェルの厳しい口調に門番とスライは顔を蒼褪めさせた。
「申し訳ありません、カティスは勧めたのですが『施しは受けぬ』と拒否されました」
言い訳をせずにありのままに報告するとナイジェルは更に溜息をつく。
「相変わらず、頑固だな」
足早にリンカを抱えたまま屋敷に向かうナイジェルを追いながら、スライは動揺していた。
17年近い歳月を共にしていた自分が知らない友人の出現に。
ナイジェルが帰ってきたことに気付いたファーティマが満面の笑みでこちらに走ってきた。
「とうさま、おかえりなさいませ」
「ただいま、ファーティマ」
嬉しそうに両手を上げるファーティマを一瞥して、そのまま通り過ぎる。
父親に素通りされてファーティマは手を上げた状態のまま固まった。
ふうぅ、グスと泣き始め、クルバンが慌てて抱き上げて宥めている。
萌黄色と水色のモザイクタイルで飾られた表広間にナイジェルを出迎えるために出ていたアイーシャとアナイリンはその様子に茫然としていた。
「母上只今戻りました、アナイリン食事の用意をしてくれ。出来れば消化の良い物を」
早口で挨拶を済ませるナイジェルに何も言えず、後から追いかけてきたスライに問いかける様な視線を送る。
「ナイジェルが抱えているあの女性は一体」
「ナイジェル様の御友人の様です」
「友人? ナイジェルの?」
アイーシャも心当たりがないのだろう、首を捻っている。アナイリンは少し蒼い顔で膨らみかけた腹を押さえている。
居間に入ると座蒲団を並べた上にリンカを寝かせる。
「食事ができるまで少し横になっていろ」
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「まったくだな」
そう言って苦笑すると額に手を当てる。熱はなさそうだった。
自分の額を覆う男の手を取り、上にずらしてナイジェルを見上げる。
「どうかしたか?」
「いや、なんというか。ものすごく好い男になったんだなと思って」
語尾は消えるように言うリンカにナイジェルは華やかに笑う。
「リンカに言われるとはな、嬉しいよ」
「……」
リンカはナイジェルの笑顔に眩しそうに目を細めるとナイジェルの手を持ったまま両手で顔を覆った。
「……ナイジェル様、お召し替えをされては」
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「そうだな。リンカ、動くなよ」
「動けないよ」
可愛げない言葉を返すリンカにナイジェルは声を上げて笑い、着替えるために部屋から出て行った。
「リンカ様、先ほどを失礼致しました。ご無礼をお許しください」
「構わない。不審人物を止めるのは当然だからな」
真面目に言うのに苦笑する。どこかしらナイジェルに似た口調だった。
「うぇぇ、とうさまとうさま、ひ…う……だっこぉ」
「スライさん、すみません。ファーティマ様が泣き止まなくて」
ファーティマを抱えたクルバンが弱り切った様子で入ってきた。
「ファーティマ様、今ナイジェル様がいらっしゃいますから」
「ふぁーのとうさまなのぉ、だめなのぉ」
リンカが目に入ったのか、さらに激しく泣きだす。
着替えて戻ってきたナイジェルが、ファーティマの泣き声に驚いていた。
「ファーティマ、どうしたんだ」
しゃくり上げて、喋れない様子にクルバンから抱き取る。ナイジェルの紺色の上衣に涙の染みを作ってぐずぐずとすすり泣く。
食事を持ってきたアナイリンとアイーシャはナイジェルがファーティマを宥めている様子にホッとした表情を浮かべていた。
リンカは起き上がると震える手で両掌を合わせる変わった仕草をするとショルバーを口に入れた。
一瞬泣きそうな顔になると後は無心で食べ始めた。
ショルバーをすべて胃に納めると人心地着いたのか、視線をナイジェルに向ける。
「その子ナイジェルの子供か?」
「ああ、ファーティマと言う。ファーティマ、挨拶をしなさい」
「……」
「ファーティマ?」
ナイジェルの胸に顔を埋めたまま動こうとしないファーティマに溜息をつく。
「普段はもう少しちゃんと挨拶ができるのだが、すまんなリンカ」
「いや、問題ない。小さいナイジェルが泣いているみたいで面白い」
ニヤリと笑い、慎重に串焼き肉を咀嚼している。
「そんなに似ているか?」
「ああ、色が違うけど。それに可愛げがあるな」
「俺は可愛げがなかったか?」
「当然だろう、突然師匠の剣を奪って自殺しようとする奴なんて」
リンカの言葉に周りは凍り付く。
それには気付かずナイジェルは苦笑する。
「そんなこともあったな」
「あんなあせった師匠は後にも先にもなかった。一瞬でも遅れていたら死んでいた」
「そうかもな。ところで師匠は亡くなったのか?」
「ああ、地回りの親分の情婦に手を出して、酔い潰されたところをめった刺しだった。……遺体を何とか回収できたのは幸運だった。私もしばらくこの国から離れざるを得なかった」
「……師匠らしいな」
しみじみと亡き師匠の死に様を語り合う二人に何とも言えない空気となる。
「今師匠がいたら、ナイジェルを娼館に連れて行っただろうな」
くすりと笑いながら、手元の皿に揚げ餃子を山のように積み上げている。
大皿に三つほど残った揚げ餃子を残そうか逡巡しながら、結局口の中に小皿に乗りきらない揚げ餃子を放り込んでいく。
「奢らされそうだな」
「は? ああ、それもあるだろうけど。お前を連れて行けば娼婦たちに群がられるだろう?」
「そこまで派手に金を使ったことはないし、たとえ師匠でもそんなことはしない」
「え? いや、あの……ナイジェル?」
なんだか話が通じないなとナイジェルの顔を見る。
白皙の顔は柔らかな笑みを浮かべている。
涼やかな声も武人らしい凛とした挙措も自然と人を従わせる威厳に溢れていた。
周りの人間も彼に従順だ。それは地位や身分に従っているという雰囲気ではない。
「ところで、俺に何か用があったのか? ただ懐かしむ為だけで訪ねてきたわけではないだろう」
「ああ、うん」
そうであれば、どれほど良かっただろう。
彼の腕の中にいる愛らしい幼子と後ろに控えた少し顔色の悪い綺麗な女性に視線をやるが、罪悪感でいっぱいになりそうな心に蓋をする。
姿勢を正すとナイジェルに改めて向き合う。
「二人だけで話をしたいのだが」
「構わない、俺の部屋へ行こうか」
ナイジェルは何とも思っていないのだろうが、リンカはぞくりと背中が震えた。
まるで睦言の合図のようだ。
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無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。
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