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第十八話
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シャルバイは面倒臭そうに目の前で説教する上官を見つめた。
「シャルバイ! お前真面目に聞いているのか!」
「いいえ」
褐色の髪に緑の混じった灰色の瞳を持つ顔は端麗で、鍛え上げられた長身はしなやかな強さがあり、十人中七、八人がシャルバイを美丈夫と認めるだろう。
愛想よくにこりと笑い、平然と否定する男に上官のへキムは溜息をついた。
「お前あのラスロ家の人間だろう? 少しはだな」
「ああ、兄貴たちと違って俺は大したことないんで。寧ろこの年で小隊長とか、いやあ一生分の運を使い果たしたんじゃないかと家族も言ってますよ」
シャルバイは否定するが、そんなことはないとへキムは知っている。
19歳のシャルバイが小隊長になったことは同期の中ではまあまあの出世だ。
剣技や馬術はそれほど飛び抜けたものは無いが、とにかく頭が切れる。
人望もあり、統率力もある。
確かにシャルバイの兄たちは民政院と王立学問院にいて法官と導師という高い地位にいる。
ラスロ家は代々文官、武官共に高官を輩出してきた。
特にシャルバイの高祖父は軍神とも讃えられるナイジェル軍総司令官に従い、近衛大隊の改革を実行した人物だ。
周りの評価はそれに匹敵する逸材と言われている。
「むしろ、よくあの大隊長が俺を小隊長にしたもんだと感心しています」
笑いながら、どこか冷ややかに言うシャルバイにヘキムは顔を強張らせる。
大隊長のソーマ・ガーランドはシャルバイをことのほか嫌っている。
シャルバイがラスロ家の人間だからだ。
ナイジェル軍総司令官の生家であるガーランド家は、ナイジェル以降も武官の名門で曾孫にあたるソーマも次の右翼部隊長になるとみられている。
剣の達人で普段は穏やかで部下には情が厚い人間だが、シャルバイに対しては冷ややかだった。
小隊長になってから部隊内の会議などで意見を求められることがあるが、シャルバイの意見は全否定の勢いで細部にわたり突っ込まれる。
シャルバイもムキになって、反論して凄まじい応酬となった。
ヘキムが見るところ、シャルバイの意見はなかなか鋭く合理的な物だった。これがシャルバイでなければソーマも素直に頷いていただろう。
シャルバイはかなり女癖が悪く、斜に構えたところがあるのでそんなところも生真面目なソーマは気に入らないのだろう。
ヘキムは溜息をつくと
「ソーマ大隊長の息子が今月結婚するそうだ。小隊長以上は全員招待されている。お前もな。ともかく問題を起こすなよ」
「いや、行きませんよ。そうすれば、問題は起きませんから」
「駄目だ、勅命だ」
「はあ! そんな馬鹿な勅命がありますか!」
「お前とソーマ大隊長の不仲が陛下の耳に入った。ガーランド家もラスロ家もアジメール王家を支える名門の家柄。密かに嫌いあってる分には黙認されていたが、表立って喧嘩されると問題だ」
「あー、そこは否定させてください。嫌っているのはガーランドの方でラスロ家の人間でガーランドを嫌っている者などいませんから!」
シャルバイの曽祖父クルバンの妻はナイジェルの娘ファーティマだ。
ファーティマの母親が生きていたころはまだ良かったが、亡くなった後はファーティマですらガーランド家に入れなかった。
クルバンはせめてファーティマに父であるナイジェルの墓参りだけでも許して欲しいと何度も頭を下げに行っても叶わなかった。
それでもクルバンもファーティマもガーランド家に対して恨み言など一言も言ったことがない。
墓参りも叶わず、肩を落として帰ってくる二人を何度見たことか。
「ともかくだ。これは決定事項だ。ソーマ大隊長も了承している」
ぶすっと黙り込んだシャルバイにヘキムは宥めるように言う。
「美味い料理と酒を飲んで、祝いの言葉を一言言う。それだけだ。出来るだろう?」
「向こうが喧嘩を売ってこなければ、です」
「お前も売るなよ」
「それはソーマ大隊長に言ってください」
はあとヘキムは溜息をついた。
美味い料理だ、酒もいい。
ただ針の筵とはこの事かとシャルバイは内心溜息をついた。
集まった大隊の人間の中でも、最も若く端麗な容姿は目立つため、あれは誰だとなりラスロ家の人間と分かるといがみ合っていると思われる家の祝い事によく来れるなという感じでひそひそとされる。
来たくもない自分が招待され、泣くほど来たかったであろう曽祖母のファーティマが来られなかった。
なんとなく、理不尽に感じて、面白くも無く、ひたすら酒を飲んでいた。
「態々祝いに来てくれて、ありがとう」
穏やかな笑みを浮かべるソーマが大隊が集まった席に来た。
皆口々に祝いの言葉を述べ、シャルバイも無難に祝いの言葉を述べる。
ソーマのシャルバイを見る視線は冷たかったが、流石に祝いの席では嫌味は言わず、ありがとうと短く返していた。
ソーマが去るとこの日の主役の一人であるソーマの息子カークが立っていた。
「やあ、カークおめでとう」
隣に座ったヘキムが祝いを述べる。
ソーマに似た黒髪黒い瞳の男で近衛大隊右翼の小隊長だと言う。
ソーマよりは幾分愛想のいい男だった。
「ありがとうございます、ヘキム中隊長」
「そう言えば、妹さんはどうした?」
「ああ、アシュリンは少し体調を崩していて今日は出ていないのです」
「えっ、アシュリンさんいないんですか?」
ヘキムの隣に座っていた男が酷く残念そうに言う。
「アシュリン?」
「ああ、カークの妹だよ。大変な美少女だな、将来が楽しみだよ」
「ええ、アシュリンはナイジェル軍総司令官にそっくりだと曽祖父のトーマが言っていましたよ。ナイジェル軍総司令官は男でも見惚れるほどの美貌だったそうです」
どこか誇らしげに語るカークに何故か苛立ちを隠せない。
「シャルバイも気になるか?」
「いえ、別に」
「なんだなんだ、右翼部隊で知らぬものがいない女好きが照れているのか?」
そう揶揄ったのは同じ小隊長だった。
年齢はシャルバイよりも二十は年上で若くして小隊長になったシャルバイをやっかんでいるのか、何かと揶揄ってくる。
「幾つ何ですか、その妹さんは」
目の前のカークはシャルバイとそうは変わらないだろう。
「今年で14だ」
少し柔らかい笑顔でカークが答える。妹が可愛いのだろう。
シャルバイは鼻で笑った。
「まだ子供じゃないですか、そんな胸のない女なんて御免ですよ」
普段より飲み過ぎていたのだろう、そうでなければこんな暴言は吐かなかった。
思わず言ってしまったシャルバイの言葉にシンと静まり返る。
カークは無表情でシャルバイを見る。
「妹を侮辱するな。第一お前のような女癖の悪い男がいるから妹を出せないんだ」
「ああ、それは申し訳ありませんでした」
シャルバイも言い過ぎたと思ったが、素直に謝れる状況ではなかった。
皮肉な口調で返すシャルバイに更にカークは表情を固くする。
「シャルバイ、酔い過ぎだぞ。少し頭を冷やしてこい」
ヘキムが慌てて助け舟を出す。
シャルバイもさすがにこれ以上拗らせたくなかったので、素直にそれに従うことにした。
宴会がおこなわれている広間から出ると塀に沿って歩き出す。さすがに広い敷地でぐるっと一周してくるころには酔いが醒めているだろうと思い、そのまま歩き続ける。
暫く行くと暗闇に座り込んでいる人影があった。
シャルバイと同じように酔い覚ましかと思って声を掛ける。
「どうかしたのか?」
人影はピクリと動き、振り返る。
暗闇なので分かりづらいが、若い女のようだった。
「具合でも悪いのか?」
「……足が痛くて」
鈴を振るような可憐な声だった。その声にぞくりとした。
幼さを感じる声なのにずっと聞いていたいような、どこかで聞いたような懐かしさを感じた。
「誰か呼ぼうか?」
「あ……いえ、黙ってきたので、……叱られます」
しょんぼりと項垂れる様子にふうと溜息をつくと
「叱られるのは気の毒だな、どこまで連れて行けばいい?」
ホッとしたような気配がして顔を上げたようだ。
「右奥の部屋までお願いします」
どうやらこの家の人間のようだ。
さすがにシャルバイは渋い顔になる。
見つかれば、何を言われるか分からない。だが、このまま放っておくこともできない。
失礼と言うと膝裏を抱えて肩にのせる。
両腕に抱いているより、マシな体制だろうと思ったが、女は小さい悲鳴を上げてシャルバイの頭に縋り付いてきた。
柔らかなものが頭に当たる。
胸が当たっているようだ。
「……お前ワザとやっているのか?」
「え? 何がでしょう」
きょとんとした気配に再び溜息をつく。
サッサと連れて行った方が無難だ。
女の指示通りに部屋に入っていく。壁にはモザイクタイルで飾られ、綺麗な花の刺繍がされた壁掛けや花がふんだんに飾られて、女性らしい華やかな部屋だった。
幸い部屋には誰もいなかった。
「ここでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
下ろして初めて明るい所で抱えてきた人物の顔を見た。
シャルバイは息を呑んだ。
天使がいるのかと思った。
艶やかで癖のない砂色の髪が背中を覆い、切れ長の瞳は見たことも無い輝く様な翡翠色だった。白磁に薔薇の花弁を落とした様な白皙の顔は愛らしく整い、笑みを形作る淡紅色の唇は可憐だった。
小柄な体はすんなりとして姿が良い。
つばのない平たい帽子を薄布で顎の下で結び、刺繍の入った上衣とスカートは上質な絹でできている。
アジメールの上流階級の未婚の女性の服装だ。
これが話に出た妹だなと思った。
「あの、お名前は?」
「シャルバイ・ラスロだ」
邪気のない笑顔につられて思わず答えてしまった。
「シャルバイ様ですね、私はアシュリン・ガーランドです。この家の娘です」
ラスロの名前を聞いても、特に表情を変えなかった。ホッとした。
彼女に険悪に満ちた顔で見られたら酷く辛いからと考え、そう思い至ったことに愕然とする。
アシュリンを見る、胸は小さい。
大丈夫だ、俺の好みの女じゃない。
「もう、大丈夫だな、では俺はこれで」
そう言って颯爽と出て行こうとして、入口の柱にぶつかる。
勢いをつけていただけにかなり痛い。
蹲るような失態はしなかったが、痛みに動きが止まる。
「シャルバイ様!」
慌ててアシュリンが足を引き摺り、水差しの水で手巾を濡らすと持ってきてくれた。
アシュリンはどうやら足が悪いようだ。
「いや、問題ない」
「でも、顔が赤くなっていますよ」
内心格好悪すぎて泣きたくなった。
「本当に大丈夫だ、あまり未婚の女性の部屋にいるのは良くないからな。じゃあな」
「あの! 本当にありがとうございます」
嬉しそうに微笑んだアシュリンを見て、顔に血が上ってくるのが分かる。
心臓はうるさいくらいどきどきと脈打っている。
何とか宴席に戻ったが、アシュリンの顔がちらつき、飲み過ぎてしまい、ヘキムに迷惑を掛けてしまった。
お前も少しは可愛げがあるんだなと笑われ、余計に落ち込んだ。
「シャルバイ! お前真面目に聞いているのか!」
「いいえ」
褐色の髪に緑の混じった灰色の瞳を持つ顔は端麗で、鍛え上げられた長身はしなやかな強さがあり、十人中七、八人がシャルバイを美丈夫と認めるだろう。
愛想よくにこりと笑い、平然と否定する男に上官のへキムは溜息をついた。
「お前あのラスロ家の人間だろう? 少しはだな」
「ああ、兄貴たちと違って俺は大したことないんで。寧ろこの年で小隊長とか、いやあ一生分の運を使い果たしたんじゃないかと家族も言ってますよ」
シャルバイは否定するが、そんなことはないとへキムは知っている。
19歳のシャルバイが小隊長になったことは同期の中ではまあまあの出世だ。
剣技や馬術はそれほど飛び抜けたものは無いが、とにかく頭が切れる。
人望もあり、統率力もある。
確かにシャルバイの兄たちは民政院と王立学問院にいて法官と導師という高い地位にいる。
ラスロ家は代々文官、武官共に高官を輩出してきた。
特にシャルバイの高祖父は軍神とも讃えられるナイジェル軍総司令官に従い、近衛大隊の改革を実行した人物だ。
周りの評価はそれに匹敵する逸材と言われている。
「むしろ、よくあの大隊長が俺を小隊長にしたもんだと感心しています」
笑いながら、どこか冷ややかに言うシャルバイにヘキムは顔を強張らせる。
大隊長のソーマ・ガーランドはシャルバイをことのほか嫌っている。
シャルバイがラスロ家の人間だからだ。
ナイジェル軍総司令官の生家であるガーランド家は、ナイジェル以降も武官の名門で曾孫にあたるソーマも次の右翼部隊長になるとみられている。
剣の達人で普段は穏やかで部下には情が厚い人間だが、シャルバイに対しては冷ややかだった。
小隊長になってから部隊内の会議などで意見を求められることがあるが、シャルバイの意見は全否定の勢いで細部にわたり突っ込まれる。
シャルバイもムキになって、反論して凄まじい応酬となった。
ヘキムが見るところ、シャルバイの意見はなかなか鋭く合理的な物だった。これがシャルバイでなければソーマも素直に頷いていただろう。
シャルバイはかなり女癖が悪く、斜に構えたところがあるのでそんなところも生真面目なソーマは気に入らないのだろう。
ヘキムは溜息をつくと
「ソーマ大隊長の息子が今月結婚するそうだ。小隊長以上は全員招待されている。お前もな。ともかく問題を起こすなよ」
「いや、行きませんよ。そうすれば、問題は起きませんから」
「駄目だ、勅命だ」
「はあ! そんな馬鹿な勅命がありますか!」
「お前とソーマ大隊長の不仲が陛下の耳に入った。ガーランド家もラスロ家もアジメール王家を支える名門の家柄。密かに嫌いあってる分には黙認されていたが、表立って喧嘩されると問題だ」
「あー、そこは否定させてください。嫌っているのはガーランドの方でラスロ家の人間でガーランドを嫌っている者などいませんから!」
シャルバイの曽祖父クルバンの妻はナイジェルの娘ファーティマだ。
ファーティマの母親が生きていたころはまだ良かったが、亡くなった後はファーティマですらガーランド家に入れなかった。
クルバンはせめてファーティマに父であるナイジェルの墓参りだけでも許して欲しいと何度も頭を下げに行っても叶わなかった。
それでもクルバンもファーティマもガーランド家に対して恨み言など一言も言ったことがない。
墓参りも叶わず、肩を落として帰ってくる二人を何度見たことか。
「ともかくだ。これは決定事項だ。ソーマ大隊長も了承している」
ぶすっと黙り込んだシャルバイにヘキムは宥めるように言う。
「美味い料理と酒を飲んで、祝いの言葉を一言言う。それだけだ。出来るだろう?」
「向こうが喧嘩を売ってこなければ、です」
「お前も売るなよ」
「それはソーマ大隊長に言ってください」
はあとヘキムは溜息をついた。
美味い料理だ、酒もいい。
ただ針の筵とはこの事かとシャルバイは内心溜息をついた。
集まった大隊の人間の中でも、最も若く端麗な容姿は目立つため、あれは誰だとなりラスロ家の人間と分かるといがみ合っていると思われる家の祝い事によく来れるなという感じでひそひそとされる。
来たくもない自分が招待され、泣くほど来たかったであろう曽祖母のファーティマが来られなかった。
なんとなく、理不尽に感じて、面白くも無く、ひたすら酒を飲んでいた。
「態々祝いに来てくれて、ありがとう」
穏やかな笑みを浮かべるソーマが大隊が集まった席に来た。
皆口々に祝いの言葉を述べ、シャルバイも無難に祝いの言葉を述べる。
ソーマのシャルバイを見る視線は冷たかったが、流石に祝いの席では嫌味は言わず、ありがとうと短く返していた。
ソーマが去るとこの日の主役の一人であるソーマの息子カークが立っていた。
「やあ、カークおめでとう」
隣に座ったヘキムが祝いを述べる。
ソーマに似た黒髪黒い瞳の男で近衛大隊右翼の小隊長だと言う。
ソーマよりは幾分愛想のいい男だった。
「ありがとうございます、ヘキム中隊長」
「そう言えば、妹さんはどうした?」
「ああ、アシュリンは少し体調を崩していて今日は出ていないのです」
「えっ、アシュリンさんいないんですか?」
ヘキムの隣に座っていた男が酷く残念そうに言う。
「アシュリン?」
「ああ、カークの妹だよ。大変な美少女だな、将来が楽しみだよ」
「ええ、アシュリンはナイジェル軍総司令官にそっくりだと曽祖父のトーマが言っていましたよ。ナイジェル軍総司令官は男でも見惚れるほどの美貌だったそうです」
どこか誇らしげに語るカークに何故か苛立ちを隠せない。
「シャルバイも気になるか?」
「いえ、別に」
「なんだなんだ、右翼部隊で知らぬものがいない女好きが照れているのか?」
そう揶揄ったのは同じ小隊長だった。
年齢はシャルバイよりも二十は年上で若くして小隊長になったシャルバイをやっかんでいるのか、何かと揶揄ってくる。
「幾つ何ですか、その妹さんは」
目の前のカークはシャルバイとそうは変わらないだろう。
「今年で14だ」
少し柔らかい笑顔でカークが答える。妹が可愛いのだろう。
シャルバイは鼻で笑った。
「まだ子供じゃないですか、そんな胸のない女なんて御免ですよ」
普段より飲み過ぎていたのだろう、そうでなければこんな暴言は吐かなかった。
思わず言ってしまったシャルバイの言葉にシンと静まり返る。
カークは無表情でシャルバイを見る。
「妹を侮辱するな。第一お前のような女癖の悪い男がいるから妹を出せないんだ」
「ああ、それは申し訳ありませんでした」
シャルバイも言い過ぎたと思ったが、素直に謝れる状況ではなかった。
皮肉な口調で返すシャルバイに更にカークは表情を固くする。
「シャルバイ、酔い過ぎだぞ。少し頭を冷やしてこい」
ヘキムが慌てて助け舟を出す。
シャルバイもさすがにこれ以上拗らせたくなかったので、素直にそれに従うことにした。
宴会がおこなわれている広間から出ると塀に沿って歩き出す。さすがに広い敷地でぐるっと一周してくるころには酔いが醒めているだろうと思い、そのまま歩き続ける。
暫く行くと暗闇に座り込んでいる人影があった。
シャルバイと同じように酔い覚ましかと思って声を掛ける。
「どうかしたのか?」
人影はピクリと動き、振り返る。
暗闇なので分かりづらいが、若い女のようだった。
「具合でも悪いのか?」
「……足が痛くて」
鈴を振るような可憐な声だった。その声にぞくりとした。
幼さを感じる声なのにずっと聞いていたいような、どこかで聞いたような懐かしさを感じた。
「誰か呼ぼうか?」
「あ……いえ、黙ってきたので、……叱られます」
しょんぼりと項垂れる様子にふうと溜息をつくと
「叱られるのは気の毒だな、どこまで連れて行けばいい?」
ホッとしたような気配がして顔を上げたようだ。
「右奥の部屋までお願いします」
どうやらこの家の人間のようだ。
さすがにシャルバイは渋い顔になる。
見つかれば、何を言われるか分からない。だが、このまま放っておくこともできない。
失礼と言うと膝裏を抱えて肩にのせる。
両腕に抱いているより、マシな体制だろうと思ったが、女は小さい悲鳴を上げてシャルバイの頭に縋り付いてきた。
柔らかなものが頭に当たる。
胸が当たっているようだ。
「……お前ワザとやっているのか?」
「え? 何がでしょう」
きょとんとした気配に再び溜息をつく。
サッサと連れて行った方が無難だ。
女の指示通りに部屋に入っていく。壁にはモザイクタイルで飾られ、綺麗な花の刺繍がされた壁掛けや花がふんだんに飾られて、女性らしい華やかな部屋だった。
幸い部屋には誰もいなかった。
「ここでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
下ろして初めて明るい所で抱えてきた人物の顔を見た。
シャルバイは息を呑んだ。
天使がいるのかと思った。
艶やかで癖のない砂色の髪が背中を覆い、切れ長の瞳は見たことも無い輝く様な翡翠色だった。白磁に薔薇の花弁を落とした様な白皙の顔は愛らしく整い、笑みを形作る淡紅色の唇は可憐だった。
小柄な体はすんなりとして姿が良い。
つばのない平たい帽子を薄布で顎の下で結び、刺繍の入った上衣とスカートは上質な絹でできている。
アジメールの上流階級の未婚の女性の服装だ。
これが話に出た妹だなと思った。
「あの、お名前は?」
「シャルバイ・ラスロだ」
邪気のない笑顔につられて思わず答えてしまった。
「シャルバイ様ですね、私はアシュリン・ガーランドです。この家の娘です」
ラスロの名前を聞いても、特に表情を変えなかった。ホッとした。
彼女に険悪に満ちた顔で見られたら酷く辛いからと考え、そう思い至ったことに愕然とする。
アシュリンを見る、胸は小さい。
大丈夫だ、俺の好みの女じゃない。
「もう、大丈夫だな、では俺はこれで」
そう言って颯爽と出て行こうとして、入口の柱にぶつかる。
勢いをつけていただけにかなり痛い。
蹲るような失態はしなかったが、痛みに動きが止まる。
「シャルバイ様!」
慌ててアシュリンが足を引き摺り、水差しの水で手巾を濡らすと持ってきてくれた。
アシュリンはどうやら足が悪いようだ。
「いや、問題ない」
「でも、顔が赤くなっていますよ」
内心格好悪すぎて泣きたくなった。
「本当に大丈夫だ、あまり未婚の女性の部屋にいるのは良くないからな。じゃあな」
「あの! 本当にありがとうございます」
嬉しそうに微笑んだアシュリンを見て、顔に血が上ってくるのが分かる。
心臓はうるさいくらいどきどきと脈打っている。
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