告げられぬ思い

ぽてち

文字の大きさ
19 / 24

第十九話

しおりを挟む
「どうした、シャルバイ。溜息なんかついて」
 そう声を掛けたのはシャルバイの兄のルスランだった。
 今は民政院の法官をしている。

 シャルバイたちの両親は流行り病で若くして亡くなり、まだ幼かったシャルバイを育ててくれたのは兄のルスランとその妻のオリガだった。
 二人にはシャルバイも頭が上がらない。

「溜息なんかついていましたか?」
「朝食を食べ始めてから5回は聞いたな」
 横から口出ししたのは次兄のルファトだった。

 ルファトは王立学問院で導師をしている。
 やたらと細かく、シャルバイを揶揄うことを生きがいにしているところがある。

「女にでもフラれたか?」
 シャルバイに似た端正な顔立ちを意地悪く歪めてこちらを見る。
「フラれてはいません、手を出せるような女じゃないんで」
 思わず答えてしまったことに自分でも驚いた。
「いや、全然好みの女ではないので。胸だって小さいし」
 かなりの女性を敵に回しそうな失言をする弟に生ぬるい視線を送る。
「ほう? 美人ではないのか」
「え? いや、まあ天使が現れたのかと思うくらい……美人と言っても14歳の子供ですよ!」
「14歳ねえ、あと2年もすれば結婚適齢期だな」
 今気づいたとばかりに絶句する弟に残念な物を見る目でルファトは見る。

「どこの家の娘だ? お前が手が出せないなんてな」
 珍しい物を見る目でルスランは弟を眺める。
 女好きで19歳という年齢にしては女性経験は多すぎる弟が手を出せないと言う。
 弟馬鹿かもしれないが、見目もよく頭の回転が速く将来性もあり実家が裕福な弟が求めれば、大抵の女はものに出来るのに。

「……ガーランド家の娘です」
「ああ、それは無理だな。父親がお前がどうあれ反対するな」
 ルスランは頷き、ルファトは興味を失ったようで食事を再開する。
「……なんでこんなに嫌われなくてはいけないのでしょうか」
「知らん。昔のことだからな。ただ言えるのは当時の事を知っている、クルバン曽祖父様がどれほどの扱いをされても仕方ないと思うようなことをラスロ家はガーランドにしたと言うことだ」

 ナイジェルのことを話すクルバンは少年のように目を輝かせていた。それはファーティマも一緒だった。
 そのナイジェルに殉じたバハディルのことを聞くと酷く苦しげだった。
 理由を聞いても決して教えてくれず、この事に触れると大抵クルバンは具合を悪くする。
 小さく背中を丸めるクルバンに何も言えず、この事はラスロ家では禁句となっている。

 シャルバイはこの気持ちを忘れようと考えた。
 ほんの少し触れあっただけの少女だ、忘れることなど簡単だとこの時は思っていた。




 シャルバイは馴染みの女の所から、帰る途中つい思い立って市場を通ることにした。
 最近兄嫁のオリガが暑さ負けして、体調を崩してからやたらと白甜瓜メロンを食べたがっていたことを思い出し、美味い白甜瓜でも買っていってやろうと思ったからだ。

 王都近郊の農夫が市場の隅で白甜瓜を売っていた。
 商売下手らしく昼近いというのにほとんど残った商品に半泣きになっていた。
 味見するとなかなか美味い。
 三十個ほどもある白甜瓜を屋敷まで運ぶなら全部買い取ると言うと狂喜する。
 シャルバイの家は召使の数も多いし、近くの親族もよく出入りするので、大量に買っても問題なかろうと農夫を連れて帰路に立つ。


「シャルバイ様?」
 もう聞くことはないと思っていた可憐な声が聞こえる。
 忘れたと思っていた。
 それなのにその一言だけで誰か分かった。
 振り返るとアシュリンが驢馬ろばに乗っていて、こちらに手を振っていた。

「こんなところで何をしている?」
「散歩です」
 にこりと天使のような笑みを浮かべる。
「侍女はいないのか?」
 周りにはそれらしき召使いは誰もいない。皆類稀な美貌のアシュリンをうっとりと見ている。
「はい、一人で出てきました」
 途端に眉を顰める。
「黙って出てきたのか?」
「だって、外に出してもらえないのです」
「当たり前だ、良家の子女がそんなふらふら外に出るものじゃない。それに黙って出てきたら、お前についている侍女が咎められると考えないのか?」
「あ……」
 しょんぼりと俯いている様は雨に濡れた白い花のようで酷く頼りない。
「仕方ない、送って行こう」
 驢馬の幉をとって歩こうとすると
「あ、あの、シャルバイ様。シャルバイ様の御屋敷はこの近くですか?」
「まあ、そうだが」
 ここからなら目と鼻の先だ。
「あの、あのですね」 
 何か言いづらそうにもじもじとする。俯いて頬を赤らめている様は可憐だ。
「か、厠をお貸しください」
「あ、ああ」
 これ以上ないくらい真っ赤に染まった顔で涙目になって訴えるアシュリンに無表情のまま心の中で「可愛い」をシャルバイはずっと呟いていた。

 時々、心の呟きが声に出ていたらしく、後からついてくる農夫に
「許婚様と仲がよろしいのですね」
 と言われ、違う!上官の娘だ!と顔を真っ赤にしながら、全力で否定しているのをアシュリンが悲しそうに見ていたことにシャルバイは気づかなかった。




 屋敷に着くと白甜瓜を運び込むように召使いに指示するとアシュリンをまた肩にのせる。
 やはりシャルバイの頭にしがみ付いて来る。頭に時々当たる柔らかい感触をあまり考えないようにする。
 そうでないと服の下にある白い身体を勝手に想像してしまいそうになるからだ。

「シャルバイ、お帰りなさい。あらそのお嬢さんはどなた?」
 にこりとオリガが笑顔で出迎える。
「前に話していたトーマ大隊長の娘のアシュリンだ。足が悪いから世話してやってほしい」
「はじめまして、アシュリン・ガーランドです」
 オリガの顔を見ると少し悲しそうな顔をアシュリンはした。
「オリガ・ラスロよ。このシャルバイの長兄の妻ですわ」
「え! あの、シャルバイ様の奥様ではないのですね」
「誰がこんな年増」
「あらあら、おほほほほほ。シャルバイったら、おむつを換えて差し上げた恩を忘れた様ね」
 オリガの白い額に青筋が立ったような気がして、シャルバイは流石に分が悪いと視線を逸らす。
「そんなに小さくなかっただろうが」
「失礼、おねしょした布団だったわね。おほほほほ、いやねえと・し・をとると」
「……申し訳ありませんでした」
 これ以上怒らせるとどんな暴露が始まるのか分からないので、素直に謝罪する。
「分かれば宜しい」
 ビシッと言うと厠を貸してほしいというアシュリンの世話をする。


 戻ってきたアシュリンを送って行こうとすると
「せっかくいらしたのだし、白甜瓜でも食べてらっしゃいな」
「だが、あまり遅いと誘拐だと思われそうだしな」
「もう、今更でしょう。少しくらい大丈夫よ、お嬢さんも喉が渇いたでしょう」
「はい、ありがとうございます」
 にこりと笑うと光が差したように見える。
「可愛いわねえ、こんな妹が欲しいわあ」
「娘の間違いだろう」
 何を図々しい事をと思っているとまたもや青筋を立てたオリガがいる。
「おほほほほ、……まだ分かってないようね」
「……大変申し訳ございません」
「何度も同じ間違いをするのは愚か者のすることでしてよ」
「肝に銘じます」
 二人のやり取りを見ていたアシュリンはくすりと笑った。


 オリガが持ってきた白甜瓜と果実水を美味しそうにアシュリンは食べていた。
 白い指先で白甜瓜をつまみ、淡紅色の口元に持っていくのをぼうとシャルバイは見ていた。
 そんな動作の一つ一つが流麗で艶かしく、見ていると妙な気分になる。

「なんで一人で散歩なんかしていたんだ?」
「え?」
 食べる手を止めてシャルバイを見つめる。それだけでドキリと心臓が跳ねる。
「危ないだろう、お前のような……その、娘が」
 美人がと言いかけて、何となく照れくさくて言い換えた。
「私は体が弱いし、足が悪いので、父様が外に出してくれないのです。この間の兄の結婚式も少し体調を崩したら、寝ているように言われて。大事にされているのは分かるのですが」
 少しだけ大人びた表情で寂しそうに言うアシュリンを抱き寄せたくなる。
「護衛はつかないのか?」
 ガーランド家ほどの家ならアシュリンに付けることは可能だろうに。
「……前に襲われかけました」
 眉を寄せ、苦しそうに言う。

 護衛対象の少女を襲うような者を擁護するつもりはないが、無理もないと思った。
 この娘と二六時中一緒にいて理性を保てる者は少ないだろう。
 あと二年ほどで結婚適齢期の来るアシュリンには降るように縁談が来るだろう。いやもう来ているのかもしれない。
 名門ガーランド家の娘で類稀な美貌を持つ少女。
 多少の体が弱いとはいえ、寝たきりでもないからあまり問題にはならないだろう。
 二年後には誰かに隣に立ち、笑っているのだろう。
 そして、自分以外の男に寝所で組み敷かれ……。想像すらしたくない。
 
 また、同じことを繰り返すのか。

 何かが囁いたように思えた。
「シャルバイ様?」
 アシュリンに声を掛けられ、ハッとする。
「ああ、そろそろ行こう」
 アシュリンの体を抱き上げて肩にのせる。慣れた様子で、シャルバイに頭に抱き付く。
 オリガはその様子にあらあら仲が良いわねとシャルバイの心を見透かすような笑みを向ける。
「アシュリン、また来てちょうだいな」
「はい、お世話になりました」
 アシュリンを驢馬にのせて幉をとる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...