告げられぬ思い

ぽてち

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第二十三話

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「レーネル中隊長、お願いがあるのですが」
 目の前に立つシャルバイに眉を顰めた。

 お願いと言いつつ太々しい表情だった。
 周りが彼の昨日の言動に冷たい視線を投げているのにあまり気にした様子もない。

「なんだ?」
「アシュリン殿に謝りたいのです、会わせてもらえるようにソーマ大隊長に口添えの願いたいのです」
「無理だな、父親が許さないのに会うことなど難しいだろう?」
「そこを曲げてお願いしたい」
 それでも引かないシャルバイに顔を顰める。
「何をしているシャルバイ」
 ソーマが侮蔑に満ちた目でシャルバイを睨んだ。

 そんな目で見られているというのにシャルバイは薄笑いを浮かべる。その表情にソーマは鼻白む。
「アシュリン殿に謝罪をしたいと言っておりました」
「必要ない。娘に関わるな」
「無理ですな」 
 拒絶されたにもかかわらず、壮絶な笑顔を返す。その態度に二人とも気圧される。
「貴方がたは分かっていないようだ。『アシュリン』であるならそれが可能でも『ナイジェル』であるならそれが出来ないことを」
「何を言っている?」
「貴方がたは何も知らないようだ。ラスロとヤムリカを敵に回したくなければ、アシュリン殿に会わせてもらいましょう」
「今までだとて」
「違います。ラスロは唯々バハディルが主に対して行ったことに遠慮していただけだ。敵に回ったことなど一度としてない。あの方が望まれないからだ。だが、あの方の意向を無視して囲い込むようなことをするならば話は別だ」
 気配を変え、口元は笑みを浮かべて暗い眼差しでこちらを見るシャルバイに圧倒された。




 アシュリンは中庭の中に有る四阿で寝かされていた。
 薔薇に囲まれたそこは噎せ返るような薔薇の香りに囲まれている。

 丁度四阿からホゼイラが出てきた。
 ソーマが連れている人物の驚きの表情を浮かべ、次いで夫に対してきつい咎める様な視線を送る。
「……旦那様」
「アシュリンの具合はどうだ?」
「だいぶ落ち着きました。朝は水も摂れないほど吐いてしまって。やっと薔薇水を少し飲みました」
「相変わらず、薔薇がお好きなのですな」
 そう口を挟んだのはシャルバイだった。

 四阿に入ろうとするのをソーマは阻む。
「会わせるのは了承したが、二人きりにするつもりも近づけさせるつもりもない」
「……承知いたしました」
 皮肉な笑みを浮かべる男をその場に残してソーマは四阿に入っていく。それにレーネルが続く。

 アシュリンは眠っていた。
 瞳を閉じた顔に長い睫毛が影を落とし、艶のある砂色の髪は布団の上に広がり薄い肩が穏やかに上下している。
 薔薇の花に囲まれ、微睡みの中にいる花の精のようだ。
 気配に気づいたのかすうと目を開く。
 ソーマを認め、次いでレーネルを見る。
 花のような笑顔を浮かべるアシュリンにレーネルは彼女を愛していることに気付いた。
「アシュリン、シャルバイがお前に謝りたいと来ているのだが、どうする?」
 アシュリンは目を見開き、苦しそうな表情になる。
「嫌なら追い返す。遠慮する必要はない」
「……シャルバイはお父様を脅しているのでしょう。ラスロが敵に回ると」
 娘の口から出た言葉にソーマは絶句した。
「アシュリン殿」
 彼女を会わせたくないと思ったが、悲しそうに笑うアシュリンに何も言えなくなった。
「シャルバイを通してください」
 起き上がったアシュリンは薄物を纏っただけだった。ホゼイラが慌てて上衣を着せかける。
 入ってきたシャルバイは無言のまま座り、丁寧に辞儀をした。
 両拳つ床につけ恭順を示す姿勢のまま、顔を上げない。
 アシュリンは溜息をつく。

「バハディルか?」
「左様にございます、我らの竜騎士ファーリス
「父を…ソーマを脅したのか?」
「彼らは貴方の意志を無視しています。それを排除するのは我らの役目にございます」
「グラムかドミトリーが生きていたらお前を止めてくれるのにな」
 黙ったまま嗤う男にまた溜息をつく。

 ホゼイラは茫然とした。
 体は弱いが自慢の娘がいきなり男のような言葉でしゃべりだしたからだ。
 本来なら咎めるのだが、とても十代の少女とは思えない迫力がある。

 ソーマとレーネルは目を見開いたまま固まっている。
「ところで、謝りに来たのではないのか?」
「はい、失言をいたしました。お許しください」
「……これでもリンカよりましなんだが」
 少し膨れてみせる。
「貴方も奥方様に対し失礼な言いようですな」
「あれの価値はそんなところにはない。構わないだろう?」
 肩を竦めるたところで正面からシャルバイを見据える。
「それで? そんな話をしに態々来たのか?」
「貴方を妻に娶りたい」
 アシュリンはその言葉に茫然として、ゆっくり腑に落ちてきたのか顔を歪めた。
 そのまま中庭に視線をやると黙り込んだ。

「バハディル」
「はい」
「お前は俺が薔薇の花が何故好きなのか理由は知っているな?」
「……はい」
「お前はあれ以来俺に会いたがらなかったからわからないだろうが、死ぬ一年ほど前から幻臭が酷くなって眠れなくなった。仕方なく、酒を飲むようになった。気絶するようにして何とか眠った。リンカとアナイリンは必死で止めてきたけどな。ユタとドミトリーがいろいろ調べてくれたがどうにもならなかった」
 ふうと息をつくと横たわる。
「アシュリンはもう月のものがあるから、血の匂いは分かるが、人が腐敗した匂いなど嗅いだことがない。そんなものとはまるで縁のない生活だからな。もう、何年も前からここで過ごすことが増えてきた。幻覚だから誰にも言えなかった」
 シャルバイは黙って聞いていた。
「ナイジェルの体でさえ、もって七年だった。アシュリンではどれくらい持つか」
「それでも構いません。貴方を側に置いておきたい」
「……考えさせて欲しい。後、家族には手を出すな」
「承知致しました」
 そう言うとシャルバイは名残惜しそうに帰っていった。


「……ソーマ。お前の気持ちは分かるがあれを敵に回すな。『ナイジェル』の名前を使って、ラスロとヤムリカを動かすかもしれない」
 恐ろしい物を見る目でアシュリンを見つめるソーマに笑いかける。
「俺が近衛大隊の部隊長になった時、近衛大隊は右翼と左翼だけだった。まったく軍隊として機能していなかった。その中から有能な人材を引き抜き、抵抗する部隊長や大隊長の弱みを握って黙らせたのはバハディルだ。その後の軍制改革もあれがいなかったら出来なかっただろう。シャルバイだけならまだしも、バハディルの記憶があるのなら敵にするのは得策ではない。剣を使わない戦いであれほど頼りになる男はいなかったからな」
 アシュリンは疲れた様に目を閉じた。
「明日、彼の元に行きます。今まで育てて頂き有難うございます」
「ア、アシュリン、さっきの話は本当なの?」
「さっきとは?」
 ホゼイラが真っ青な顔で話しかけた。
「な、何年も持たないって」
「はい、気のせいだと思ってましたが、最近は段々強く血と人の腐臭がするようになってきました」
「アシュリン、シャルバイの所に行くと言うが、お前はそれでいいのか?」
「……彼は大事にしてくれると思います」
「では何故考えるなどと言ったのだ」
「……」
 アシュリンは上掛けを頭までかぶった。
「アシュリン、嫌ならやめるんだ」
「……ナイジェルの中に有るエルギンにまつわる記憶はとても楽しいものでした。久しぶりにエルギンの話が聞けて行ってみたいと思いました。レーネルのお嫁さんになって……でも、あと何年も生きられない私に中隊長のレーネルを支えることは出来ないと判断しました」
「アシュリン殿」
「もし……また機会があったら、エルギンの話を聞かせてくださいね」
 上掛けをかぶったアシュリンからはすすり泣く声が聞こえた。

 そのままアシュリンは目を閉じた。
 また、悪夢にうなされるのだろう。それでもいい。
 その悪夢には慣れているから。
 でも、現実の辛さは慣れないから。そのままアシュリンは夢の世界に落ちて行った。
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