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最終話 ※
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微睡みから目を覚まして格子越しに窓の外を見る。
薄墨色の冬の空は雪が降ってきそうな天気だった。
上掛けから出ている裸の肌に触れる空気は酷く冷たかった。
身震いするとそれに気づいたのか夫が後ろから抱き込んできた。首筋に熱い吐息がかかる。
「起きたのか、アシュリン」
「……はい」
「昨日は…すごかったな」
くすくすと笑う夫に居た堪れなくなる。
普段もそうだが、寝室での夫はアシュリンをこれ以上ないくらい気遣ってくれる。
体が弱いからと挿入も穏やかで愛撫もついばむように優しいものだった。
無理強いや乱暴な仕草は一切なかった。
大切にされていると嬉しかったが、男の性を知っている身としては満足しているのだろうかと不安だった。
アシュリン自身物足りなさを感じてもいた。
昨日も終始優しく抱いてくる夫の上に焦れたように馬乗りになって、腰を落とすと官能を刺激するように腰を振った。
艶やかな砂色の髪が乱れて、裸の白い胸に張り付き、宝石のような翡翠色の瞳を情欲に潤ませて、驚く夫を見下ろした。
「ふぅ、ああ。もっ……と激し…くしても、大…丈夫だか」
最後まで言う前につながったまま、布団に押し倒された。
激しく突き上げてくる夫に安堵したように身を任せていた。
自分の中で果てた夫が、ぎらつく目でアシュリンを見下ろしてきた。
「我慢してきた俺を煽ったからには覚悟があるんだろうな」
獰猛な笑みを浮かべて聞く夫にアシュリンは恥ずかしそうに頷いた。
今までの優しく穏やかな夜の営みは何だったのかと思うほど、激しく求められた。
あまり大きくない家に義母と同居しているので、上がりそうになる甘い嬌声を唇を噛んで我慢する。
気がつくと朝日が差し込むまで揺さぶられ、終わると気絶するように眠りに落ちて行った。
もぞもぞと動いて夫の方を向く。
鍛え上げられたしなやかな体に抱き付く。
見上げると空色の瞳が笑っていた。
「お早うございます、レーネル」
アシュリンは慣れない手つきでパンの生地を捏ねていた。あまり家事ができないアシュリンを叱るでも無く義母は優しく教えてくれる。
義母に見てもらって竈にパンを入れると出来上がるまで竈の前に置かれた小さな椅子に座る。
他の料理は手際よく義母と嫁ぐ際に母がつけてくれた下女が疾うに作り終えていた。
ボンヤリと焼き上がるまで待っていながら、いろいろあったなあと思い起こしていた。
あの後三日ほどアシュリンは完全に目覚めるまでかかった。
三日の間、時々覚醒して水をとっていたが、その間悪夢の中にいた。
目覚めた時、レーネルが傍らにいたことに驚いた。
「エルギンに帰ったのではなかったのですか?」
黙って座っているレーネルの頬には刀傷があり、殺気だった様子に気付いた。
「アシュリン殿あの言葉は本当か?」
「あの言葉とは?」
「……俺の妻となってエルギンに行きたいと」
レーネルの問いに目を見開き、視線を逸らした。
「……迷惑を掛けてしまします」
「そんなことを聞いている訳ではない」
「貴方は私の事をどう思っているのですか?」
「愛している。妻としてエルギンに連れて行きたい」
その言葉に涙が出そうになった。
「でも、シャルバイが」
「俺は貴方の気持ちを聞いているんだ」
ぽろぽろと涙を流すアシュリンを優しく抱き寄せた。唇に触れるだけの優しい接吻をしてくる。
その時ソーマが入ってきた。今まで見たことも無い恐ろしい笑顔でレーネルを引き摺っていった。
ぽかんと見送った後、ホゼイラが入ってきた。
アシュリンが目覚めていることに驚き、喜びの声を上げて嬉し涙を流して抱き付いてきた。
母を宥めているうちにレーネルの事を聞くことが出来なくなった。
あとから聞いたことによると内乱一歩手前まで行ったらしい。
父のソーマはあの後、アシュリンを王宮にあげろと言った王太子を諌めてくれた部隊長たちに味方になってくれるように頼み込んだ。
今は右翼の大隊長をしているヤムリカの族長にも頼んだ。
ヤムリカの族長はナイジェルの墓の墓守でもあった。
ナイジェルの墓は王家の霊廟の隣にあった。
ロークの強い意向でヤムリカが密かに守っていたアクサルの遺体とともに葬られ、ガーランドの家の者でもヤムリカと王家の許可がないと墓所に入ることは出来なかった。
ソーマはその事に不満を言うことがあったが、ヤムリカの族長は頑として譲らなかった。
彼らのナイジェルに対する忠誠心は亡くなった後も変わらなかった。
その彼に頭を下げて助けを乞うたのだ。
ヤムリカの者たちはナイジェルの墓守となることと引き換えに部族の者が全て近衛大隊に入り、アジメール王家に忠誠を誓ったのだ。
じっと黙って聞いていたヤムリカの族長は口を開いた。
「アシュリン様にはナイジェル様の記憶があるのか?」
「! 何故それを」
「……あの方の子孫なのに知らされていないのか? ナイジェル様はアクサル様の生まれ変わり。その記憶を引き継がれた。我らの竜騎士はお戻りになったようだな」
「娘は確かにナイジェル軍総司令官の記憶を持っているようだが、軍総司令官のようになるのは無理だろう。それを望んでもいない。ただ、好いた相手に嫁ぐことを望んでいるようだ」
「それは……随分とお可愛らしいな望みだな。あの方の意志を無下にするつもりはない。シャルバイにはお前たちがナイジェル様を囲い込んでいると言われたが」
「シャルバイが!」
「ああ、部族の者にナイジェル様を助け出したいと言って回っている。ラスロも動いているようだな」
絶句するソーマに族長は苦笑いを浮かべる。
「お前たちがあの方の意志を踏みにじるのであればともかく、俺たちも王家にはアクサル様を手厚く葬って頂いた恩義がある。騒乱をわざわざ起こす必要もない」
どうしたものかと考え込む族長に娘に会ってくれるように言った。
「外に出すことも厭うていたくせに良いのか?」
「信じてもらうにはそうするしかないからな。それに娘を閉じ込めていたわけではない。守る為だ」
目の前に座ったヤムリカの族長にアシュリンは首を傾げた。
「俺がナイジェルだとどうやって信じるのだ?」
「そうですな、そちらで示して頂けるとありがたいですな」
「そうだな、俺が知っているヤムリカの者は」
そう言って、所属と名前、得意な武器など特徴を上げていく。
その数は数十人にも及んでいた。唖然とするソーマと族長に不思議そうに首を捻る。
「お前の知っている者はいたか?」
「大叔父と曽祖父がおりました」
「そうか、俺の直属の部隊に所属していたわけではないから、あまり覚えていなかったのだが」
「……疑いましたことお許しください、我らの竜騎士」
「ところで、俺の刀はどこにある? この家を探したのだがなかったのだが」
「御遺体と一緒に墓所にございます」
「それでは錆びだらけになっているだろうな」
寂しそうに笑うと慌てた様に族長が首を振る。
「滅相もございません。定期的に手入れをしております」
「ならばよかった」
微笑むアシュリンにほうと嘆息すると姿勢を正す。
「貴方様の望みは何でしょうか?」
「今はもう剣を振るうこともできない。当たり前の女として過ごしていきたいだけだ」
嘆息するアシュリンに族長はまじまじと見つめる。
当たり前とは程遠い美貌の持ち主だから騒乱が起こりかけているのではないだろうかと思ったがそれは言わなかった。
「部族の者には余計な手出しをしないように申しましょう」
「すまないな」
にこりと笑う姿に見惚れ、慌てて頭を下げる。
レーネルが怪我をしていた理由はシャルバイと言い合いになり、決闘まで発展していたからだった。
レーネルが圧倒するかと思われたが、ほぼ五分五分の戦いで中隊長以上の人間が数人間に入って何とか収めたとのことだった。
ラスロの屋敷に私兵が集まりだした時点で、先代の国王が調停に乗り出した。
このままでは近衛大隊の武官の代表とラスロは審刑院と民政院の法官が数多くいるので文官との争いになりかねなかったからだ。
双方を説得して回り、アシュリンの好きにさせるように他の者は手出し無用と言い渡した。
その礼を言う為にアシュリンは王宮に上がった。
丁度御前会議の場で特別にアシュリンが青の間に入ることが許された。
丁重に頭を下げたアシュリンの美貌にその場にいた部隊長たちは見惚れた。
先代国王は懐かしそうに見つめ、現国王は陶然と見惚れ、愚か者の王太子の父親らしく好色の混じった視線でアシュリンの肢体を見ていた。
「父上が言っていた。軍総司令官の美貌は国を傾けると言っていたが、本当になったのう」
先代国王の言にアシュリンは目を丸くしてムッとした表情になった。
「相変わらずローク陛下は口が悪かったのですね。第一、殿下。殿下が王宮の庭で迷子になっているところをお助けしたのに酷い仰りようですね」
殿下と呼ばれた先代国王はほろ苦く笑った。
「本当にナイジェルなのだな。お前を失った時の父上の嘆き様は幼心にも胸が痛かった。その所為でナイジェルの墓所を王墓の隣に作ってしまったのは家族には申し訳なかった。父上は出来れば、王墓に入れたかっただろうがな」
「ローク陛下は人使いの荒いお方でしたからね。亡くなってからも臣下として使うつもりでしたのでしょう」
そう言いつつアシュリンは穏やかな笑みを浮かべる。
先代国王は噴き出すと
「父上とナイジェルの口喧嘩でどれほど侍従たちが迷惑したか知らぬだろう?」
「いえ、侍従に文句をよく言われていました」
困ったように笑うアシュリンを眩しそうに見つめる。
「儂が出来る礼はこの程度だ。今世は達者で暮らせよ」
アシュリンは曖昧に笑ったまま丁寧に頭を下げた。
その後、無事アシュリンはレーネルに嫁ぐこととなった。
シャルバイは騒乱の首謀者として降格され、近衛大隊を去った。
アシュリンはそっとお腹に手をやる。ここしばらく月のものが来ていない。
子供が出来たのだろうか。
レーネルに似た子だと良い。
食事の時、アシュリンが焼いたパンをレーネルが褒めてくれた。
その時に薔薇の香油を強請った。
嫁ぐ際に幾つも持ち込んだが、終わってしまった。
義母はレーネルは少しはお金があるのよ、もっと高い物を強請ったらと笑っていたがレーネルは顔色を変えていた。
その意味が分かったのだろう、泣きそうな顔になった。
腹の子を産むまでは生きていられるだろう。
レーネルであれば、いくらでも後妻が来る。
こんなことを言ったら、彼はどんな顔をするのだろう。
少しは、悲しんでくれるだろうか。
アシュリンは散歩に行くために外に出た。
近所に冬薔薇で埋まった中庭を持つ家がある。
そこの家を管理している老女はアシュリンが通りがかると招き入れてくれて、薔薇水と果物をいつもご馳走してくれる。
人嫌いの隠居が住んでいるのだと言う。
寂しいので相手して欲しいと言われ、散歩に出るとその家に寄るのが日課となった。
今日も中庭の四阿で他愛もない世間話をしていると視線を感じる。
視線の先を見つめるとさっと隠れてしまう。
溜息が出るが、最近幻臭が酷くなってきてどうしてもここに来てしまう。
すうと薔薇の香りを吸い込む。
立ち上がると老女に引き止められる。
「まあ、もう帰るの? もう少しいらしたら?」
にこにこと笑う老女に笑みを浮かべる。
「今日は旦那様が早く帰ってくるので。実は子を身籠ったようなの。報告して喜んでいただきたいのです」
ガタリと奥で音がした。
「まあそう、おめでたいわね」
薔薇水と果物のお礼を言って四阿を出る。
じっと先ほど音がしたあたりを見る。
どうして彼とはうまくいかないのか、ほんの少しの行き違いで共にいることが出来ない。
「貴方は私が死んだら、また共に来るの?」
すうっと奥から手が伸びてきてアシュリンを抱き込む。
「……子が出来たのか」
「はい、レーネルに似た子になるでしょうね」
見上げた顔はやつれ、狂おしいほどの愛しさに溢れた灰色の瞳は濡れていた。
「いつも、言ってくれないのですね」
「……」
「幸せになって、お願いだから」
「行くな、行かないでくれアシュリン」
苦しいほどに抱きしめて来る、それでも彼に応えられらない。
「もう、ここには来ない。有難うシャルバイ」
顔が下りてきて、唇が重なる。耳を翳めるのは愛しているの言葉だった。
「なんでもっと!」
アシュリンはぼろぼろと泣きだした。
なぜ、もっと早く言ってくれないのか?
そうしたら貴方の手を取ったのに。
そっと体を離すと笑いかけて家から出て行く。
もう振り返ることはなかった。
頬を伝う涙を拭う。泣いた顔を見せればレーネルが心配するから。
数ヶ月後、アシュリンは男の子を産み落とした。
翌日、アシュリンは大量の吐血をして、消えるように息を引き取った。
レーネルは気が触れたように泣き喚き、いつまでも妻の遺体に取り縋っていたという。
アシュリンが亡くなった日に近くの薔薇の咲いた家の主が息を引き取った。薔薇に埋もれるように喉を掻き切って亡くなっていた。
遺族がひっそりと遺体を引き取っていったという。
薄墨色の冬の空は雪が降ってきそうな天気だった。
上掛けから出ている裸の肌に触れる空気は酷く冷たかった。
身震いするとそれに気づいたのか夫が後ろから抱き込んできた。首筋に熱い吐息がかかる。
「起きたのか、アシュリン」
「……はい」
「昨日は…すごかったな」
くすくすと笑う夫に居た堪れなくなる。
普段もそうだが、寝室での夫はアシュリンをこれ以上ないくらい気遣ってくれる。
体が弱いからと挿入も穏やかで愛撫もついばむように優しいものだった。
無理強いや乱暴な仕草は一切なかった。
大切にされていると嬉しかったが、男の性を知っている身としては満足しているのだろうかと不安だった。
アシュリン自身物足りなさを感じてもいた。
昨日も終始優しく抱いてくる夫の上に焦れたように馬乗りになって、腰を落とすと官能を刺激するように腰を振った。
艶やかな砂色の髪が乱れて、裸の白い胸に張り付き、宝石のような翡翠色の瞳を情欲に潤ませて、驚く夫を見下ろした。
「ふぅ、ああ。もっ……と激し…くしても、大…丈夫だか」
最後まで言う前につながったまま、布団に押し倒された。
激しく突き上げてくる夫に安堵したように身を任せていた。
自分の中で果てた夫が、ぎらつく目でアシュリンを見下ろしてきた。
「我慢してきた俺を煽ったからには覚悟があるんだろうな」
獰猛な笑みを浮かべて聞く夫にアシュリンは恥ずかしそうに頷いた。
今までの優しく穏やかな夜の営みは何だったのかと思うほど、激しく求められた。
あまり大きくない家に義母と同居しているので、上がりそうになる甘い嬌声を唇を噛んで我慢する。
気がつくと朝日が差し込むまで揺さぶられ、終わると気絶するように眠りに落ちて行った。
もぞもぞと動いて夫の方を向く。
鍛え上げられたしなやかな体に抱き付く。
見上げると空色の瞳が笑っていた。
「お早うございます、レーネル」
アシュリンは慣れない手つきでパンの生地を捏ねていた。あまり家事ができないアシュリンを叱るでも無く義母は優しく教えてくれる。
義母に見てもらって竈にパンを入れると出来上がるまで竈の前に置かれた小さな椅子に座る。
他の料理は手際よく義母と嫁ぐ際に母がつけてくれた下女が疾うに作り終えていた。
ボンヤリと焼き上がるまで待っていながら、いろいろあったなあと思い起こしていた。
あの後三日ほどアシュリンは完全に目覚めるまでかかった。
三日の間、時々覚醒して水をとっていたが、その間悪夢の中にいた。
目覚めた時、レーネルが傍らにいたことに驚いた。
「エルギンに帰ったのではなかったのですか?」
黙って座っているレーネルの頬には刀傷があり、殺気だった様子に気付いた。
「アシュリン殿あの言葉は本当か?」
「あの言葉とは?」
「……俺の妻となってエルギンに行きたいと」
レーネルの問いに目を見開き、視線を逸らした。
「……迷惑を掛けてしまします」
「そんなことを聞いている訳ではない」
「貴方は私の事をどう思っているのですか?」
「愛している。妻としてエルギンに連れて行きたい」
その言葉に涙が出そうになった。
「でも、シャルバイが」
「俺は貴方の気持ちを聞いているんだ」
ぽろぽろと涙を流すアシュリンを優しく抱き寄せた。唇に触れるだけの優しい接吻をしてくる。
その時ソーマが入ってきた。今まで見たことも無い恐ろしい笑顔でレーネルを引き摺っていった。
ぽかんと見送った後、ホゼイラが入ってきた。
アシュリンが目覚めていることに驚き、喜びの声を上げて嬉し涙を流して抱き付いてきた。
母を宥めているうちにレーネルの事を聞くことが出来なくなった。
あとから聞いたことによると内乱一歩手前まで行ったらしい。
父のソーマはあの後、アシュリンを王宮にあげろと言った王太子を諌めてくれた部隊長たちに味方になってくれるように頼み込んだ。
今は右翼の大隊長をしているヤムリカの族長にも頼んだ。
ヤムリカの族長はナイジェルの墓の墓守でもあった。
ナイジェルの墓は王家の霊廟の隣にあった。
ロークの強い意向でヤムリカが密かに守っていたアクサルの遺体とともに葬られ、ガーランドの家の者でもヤムリカと王家の許可がないと墓所に入ることは出来なかった。
ソーマはその事に不満を言うことがあったが、ヤムリカの族長は頑として譲らなかった。
彼らのナイジェルに対する忠誠心は亡くなった後も変わらなかった。
その彼に頭を下げて助けを乞うたのだ。
ヤムリカの者たちはナイジェルの墓守となることと引き換えに部族の者が全て近衛大隊に入り、アジメール王家に忠誠を誓ったのだ。
じっと黙って聞いていたヤムリカの族長は口を開いた。
「アシュリン様にはナイジェル様の記憶があるのか?」
「! 何故それを」
「……あの方の子孫なのに知らされていないのか? ナイジェル様はアクサル様の生まれ変わり。その記憶を引き継がれた。我らの竜騎士はお戻りになったようだな」
「娘は確かにナイジェル軍総司令官の記憶を持っているようだが、軍総司令官のようになるのは無理だろう。それを望んでもいない。ただ、好いた相手に嫁ぐことを望んでいるようだ」
「それは……随分とお可愛らしいな望みだな。あの方の意志を無下にするつもりはない。シャルバイにはお前たちがナイジェル様を囲い込んでいると言われたが」
「シャルバイが!」
「ああ、部族の者にナイジェル様を助け出したいと言って回っている。ラスロも動いているようだな」
絶句するソーマに族長は苦笑いを浮かべる。
「お前たちがあの方の意志を踏みにじるのであればともかく、俺たちも王家にはアクサル様を手厚く葬って頂いた恩義がある。騒乱をわざわざ起こす必要もない」
どうしたものかと考え込む族長に娘に会ってくれるように言った。
「外に出すことも厭うていたくせに良いのか?」
「信じてもらうにはそうするしかないからな。それに娘を閉じ込めていたわけではない。守る為だ」
目の前に座ったヤムリカの族長にアシュリンは首を傾げた。
「俺がナイジェルだとどうやって信じるのだ?」
「そうですな、そちらで示して頂けるとありがたいですな」
「そうだな、俺が知っているヤムリカの者は」
そう言って、所属と名前、得意な武器など特徴を上げていく。
その数は数十人にも及んでいた。唖然とするソーマと族長に不思議そうに首を捻る。
「お前の知っている者はいたか?」
「大叔父と曽祖父がおりました」
「そうか、俺の直属の部隊に所属していたわけではないから、あまり覚えていなかったのだが」
「……疑いましたことお許しください、我らの竜騎士」
「ところで、俺の刀はどこにある? この家を探したのだがなかったのだが」
「御遺体と一緒に墓所にございます」
「それでは錆びだらけになっているだろうな」
寂しそうに笑うと慌てた様に族長が首を振る。
「滅相もございません。定期的に手入れをしております」
「ならばよかった」
微笑むアシュリンにほうと嘆息すると姿勢を正す。
「貴方様の望みは何でしょうか?」
「今はもう剣を振るうこともできない。当たり前の女として過ごしていきたいだけだ」
嘆息するアシュリンに族長はまじまじと見つめる。
当たり前とは程遠い美貌の持ち主だから騒乱が起こりかけているのではないだろうかと思ったがそれは言わなかった。
「部族の者には余計な手出しをしないように申しましょう」
「すまないな」
にこりと笑う姿に見惚れ、慌てて頭を下げる。
レーネルが怪我をしていた理由はシャルバイと言い合いになり、決闘まで発展していたからだった。
レーネルが圧倒するかと思われたが、ほぼ五分五分の戦いで中隊長以上の人間が数人間に入って何とか収めたとのことだった。
ラスロの屋敷に私兵が集まりだした時点で、先代の国王が調停に乗り出した。
このままでは近衛大隊の武官の代表とラスロは審刑院と民政院の法官が数多くいるので文官との争いになりかねなかったからだ。
双方を説得して回り、アシュリンの好きにさせるように他の者は手出し無用と言い渡した。
その礼を言う為にアシュリンは王宮に上がった。
丁度御前会議の場で特別にアシュリンが青の間に入ることが許された。
丁重に頭を下げたアシュリンの美貌にその場にいた部隊長たちは見惚れた。
先代国王は懐かしそうに見つめ、現国王は陶然と見惚れ、愚か者の王太子の父親らしく好色の混じった視線でアシュリンの肢体を見ていた。
「父上が言っていた。軍総司令官の美貌は国を傾けると言っていたが、本当になったのう」
先代国王の言にアシュリンは目を丸くしてムッとした表情になった。
「相変わらずローク陛下は口が悪かったのですね。第一、殿下。殿下が王宮の庭で迷子になっているところをお助けしたのに酷い仰りようですね」
殿下と呼ばれた先代国王はほろ苦く笑った。
「本当にナイジェルなのだな。お前を失った時の父上の嘆き様は幼心にも胸が痛かった。その所為でナイジェルの墓所を王墓の隣に作ってしまったのは家族には申し訳なかった。父上は出来れば、王墓に入れたかっただろうがな」
「ローク陛下は人使いの荒いお方でしたからね。亡くなってからも臣下として使うつもりでしたのでしょう」
そう言いつつアシュリンは穏やかな笑みを浮かべる。
先代国王は噴き出すと
「父上とナイジェルの口喧嘩でどれほど侍従たちが迷惑したか知らぬだろう?」
「いえ、侍従に文句をよく言われていました」
困ったように笑うアシュリンを眩しそうに見つめる。
「儂が出来る礼はこの程度だ。今世は達者で暮らせよ」
アシュリンは曖昧に笑ったまま丁寧に頭を下げた。
その後、無事アシュリンはレーネルに嫁ぐこととなった。
シャルバイは騒乱の首謀者として降格され、近衛大隊を去った。
アシュリンはそっとお腹に手をやる。ここしばらく月のものが来ていない。
子供が出来たのだろうか。
レーネルに似た子だと良い。
食事の時、アシュリンが焼いたパンをレーネルが褒めてくれた。
その時に薔薇の香油を強請った。
嫁ぐ際に幾つも持ち込んだが、終わってしまった。
義母はレーネルは少しはお金があるのよ、もっと高い物を強請ったらと笑っていたがレーネルは顔色を変えていた。
その意味が分かったのだろう、泣きそうな顔になった。
腹の子を産むまでは生きていられるだろう。
レーネルであれば、いくらでも後妻が来る。
こんなことを言ったら、彼はどんな顔をするのだろう。
少しは、悲しんでくれるだろうか。
アシュリンは散歩に行くために外に出た。
近所に冬薔薇で埋まった中庭を持つ家がある。
そこの家を管理している老女はアシュリンが通りがかると招き入れてくれて、薔薇水と果物をいつもご馳走してくれる。
人嫌いの隠居が住んでいるのだと言う。
寂しいので相手して欲しいと言われ、散歩に出るとその家に寄るのが日課となった。
今日も中庭の四阿で他愛もない世間話をしていると視線を感じる。
視線の先を見つめるとさっと隠れてしまう。
溜息が出るが、最近幻臭が酷くなってきてどうしてもここに来てしまう。
すうと薔薇の香りを吸い込む。
立ち上がると老女に引き止められる。
「まあ、もう帰るの? もう少しいらしたら?」
にこにこと笑う老女に笑みを浮かべる。
「今日は旦那様が早く帰ってくるので。実は子を身籠ったようなの。報告して喜んでいただきたいのです」
ガタリと奥で音がした。
「まあそう、おめでたいわね」
薔薇水と果物のお礼を言って四阿を出る。
じっと先ほど音がしたあたりを見る。
どうして彼とはうまくいかないのか、ほんの少しの行き違いで共にいることが出来ない。
「貴方は私が死んだら、また共に来るの?」
すうっと奥から手が伸びてきてアシュリンを抱き込む。
「……子が出来たのか」
「はい、レーネルに似た子になるでしょうね」
見上げた顔はやつれ、狂おしいほどの愛しさに溢れた灰色の瞳は濡れていた。
「いつも、言ってくれないのですね」
「……」
「幸せになって、お願いだから」
「行くな、行かないでくれアシュリン」
苦しいほどに抱きしめて来る、それでも彼に応えられらない。
「もう、ここには来ない。有難うシャルバイ」
顔が下りてきて、唇が重なる。耳を翳めるのは愛しているの言葉だった。
「なんでもっと!」
アシュリンはぼろぼろと泣きだした。
なぜ、もっと早く言ってくれないのか?
そうしたら貴方の手を取ったのに。
そっと体を離すと笑いかけて家から出て行く。
もう振り返ることはなかった。
頬を伝う涙を拭う。泣いた顔を見せればレーネルが心配するから。
数ヶ月後、アシュリンは男の子を産み落とした。
翌日、アシュリンは大量の吐血をして、消えるように息を引き取った。
レーネルは気が触れたように泣き喚き、いつまでも妻の遺体に取り縋っていたという。
アシュリンが亡くなった日に近くの薔薇の咲いた家の主が息を引き取った。薔薇に埋もれるように喉を掻き切って亡くなっていた。
遺族がひっそりと遺体を引き取っていったという。
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靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
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