『婚約破棄だ』と王子が告げた瞬間、王城の花が枯れ、泉が涸れ、空が曇った——令嬢に宿る精霊の加護を、誰も知らなかった

歩人

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花が枯れた日

 王城の精霊庭園には、四季がなかった。

 春の薔薇と夏の向日葵と秋の竜胆と冬の山茶花が、同じ花壇で肩を寄せ合うように咲いている。常識外れの光景だった。百年以上前から「永遠に咲く庭」として知られ、他国の賓客《ひんきゃく》が必ず案内される王国の至宝。
 庭師たちは口々に言う。「我々の技術の賜物です」と。

 エレオノーラ・フォン・ブリューメンタールは、その庭園で花に話しかけていた。

「今日も綺麗に咲いてくれて、ありがとうございます」

 淡い亜麻色の髪が風にそよぐ。若草色の瞳が細められ、白い指先が薔薇の花弁にそっと触れた。その瞬間、薔薇がほんの少しだけ——もう一輪、蕾を綻ばせた。
 エレオノーラは気づかない。いつものことだったから。
 肩に小鳥が止まった。蝶が周りを舞う。花がざわめくように揺れる。
 この庭園に来ると、花も虫も鳥も、なぜかエレオノーラに集まってくる。理由は知らない。昔からそうだった。
 社交界では「地味な公爵令嬢」と陰で呼ばれていた。華やかな衣装よりも土まみれの手袋を好み、舞踏会よりも花壇の手入れに心が躍る。婚約者の王子が別の令嬢と踊っている間、エレオノーラは決まって庭園にいた。
 花だけが、自分の話を聞いてくれた。
 花だけが、自分がいることを喜んでくれた。——少なくともそう感じていた。
 それが、精霊の声であるとは知らずに。

「エレオノーラ」

 冷たい声が庭園に響いた。
 振り向くと、金髪碧眼の青年が従者を連れて立っていた。ラインハルト・フォン・アルヴァイン——この国の第一王子にして、エレオノーラの婚約者。
 いつもと様子が違った。青い目に温度がない。

「殿下。おはようございます。今日の薔薇は——」
「エレオノーラ。お前との婚約を破棄する」

 花に話しかけようとした言葉が、途中で止まった。

「お前は地味で退屈だ。王妃にふさわしくない」

 ラインハルトの声に躊躇いはなかった。背後には数人の貴族が控えている。公開の場で、見せしめのように。

「俺にはもっとふさわしい女性がいる。お前はもう必要ない」

 庭園の花が、かすかに震えた。風のせいだと、誰もが思った。

 エレオノーラは息を吸った。吐いた。それだけの時間で、心を整えた。
 ——やっぱり。
 ずっと感じていたことだった。殿下の目が自分を見ていないこと。社交界で華やかな侯爵令嬢と笑い合う殿下の横顔を、何度も見ていた。
 最初は自分が至らないのだと思った。もっと華やかにすれば、もっと巧みに話せば。けれど社交界の花形になることは、エレオノーラにはできなかった。できないまま三年が過ぎ——こうなることは、どこかでわかっていた。

「……そうですか。殿下がそうお決めになったのなら」

 声は震えなかった。涙も出なかった。ただ——胸の奥で、何かがしん、と冷えた。
 三年間。真面目に務めようとした三年間。殿下の好みの茶菓子を覚え、外交の書物を読み、王妃教育を一日も欠かさなかった三年間が、「地味で退屈」の一言で消えた。

(やっぱり、私は……何も持っていなかったんだ)

「今日中に王城から出ていけ。荷物はまとめさせる」

 エレオノーラは深く一礼した。顔を上げたとき、若草色の瞳は穏やかだった。

「お世話になりました、殿下。どうかお元気で」

 背を向けた。歩き出した。振り返らなかった。
 エレオノーラの後ろで、足元の花が——一輪、萎《しお》れた。
 また一輪。また一輪。
 彼女が歩くたびに、花が色を失っていく。
 見送る貴族の一人が眉をひそめた。「あの花……枯れて——」
 しかし誰も足を止めなかった。婚約破棄の衝撃のほうが大きかったからだ。

 エレオノーラが王城の門をくぐった瞬間——精霊庭園の花が、一斉に頭《こうべ》を垂れた。
 永遠の泉の水面が、かすかに揺れた。



 翌朝。
 エレオノーラはわずかな荷物を馬車に積み、王都を出た。

 着替えが数着と、好きだった植物図鑑が一冊。それだけだった。三年間、王子の婚約者として過ごした王城での暮らしは、荷物にすると驚くほど少なかった。

 馬車の窓から、流れていく王都の風景を見つめた。見慣れた石畳、並木道、噴水広場。
 エレオノーラが通り過ぎた後、街路樹の葉がひらりと落ちた。まだ夏なのに。
 彼女は気づかない。前だけを見ていたから。

(お父様には申し訳ないけれど……公爵家に戻って、ご迷惑をかけるわけにはいきません)

 父からの手紙は馬車の中で読んだ。「すぐに戻れ」と書いてあった。しかしエレオノーラは小さく首を振った。

(どこか遠くで、静かに暮らそう。私がいなくなれば、誰にも迷惑はかからない)

 ——そう思っていた。自分がいなくなっても、何も変わらないと。
 馬車が王都の門を抜けた。街の喧騒が遠ざかり、畑が広がる街道に出る。
 窓の外を眺めながら、エレオノーラはぼんやりと考えた。三年間、王城で何をしていただろう。花の世話をして、殿下のお茶の用意をして、誰にも注目されない日々を過ごして——。
 結局、自分がいてもいなくても同じだったのだ。
 植物図鑑を膝に乗せた。表紙をそっと撫でる。母が買ってくれた一冊だった。

(お花さえあれば、どこでも生きていけます)

 その独白に、聞こえないはずの声が重なった。——大丈夫よ、エレオノーラ。
 風が馬車の窓を揺らした。それだけのことだと、エレオノーラは思った。



 エレオノーラが知らない場所で、世界が狂い始めていた。

 追放の翌朝。精霊庭園を見回った庭師長が、声を失った。

「花が……花が、全部……」

 数百種の花が一夜にして萎れていた。色を失い、茎が折れ、花弁が地面に散っている。昨日まで咲き誇っていた薔薇も向日葵も竜胆も山茶花も——全てが、まるで魂を抜かれたように。
 庭師たちは水をやり、肥料を足し、陽当たりを確認した。何をしても花は蘇らなかった。

 永遠の泉の水位が目に見えて下がっていた。百年涸れなかった泉が。

 ラインハルトに報告が上がった。

「庭の花が枯れた? 庭師に何とかさせろ。俺に報告するようなことか」

 王子は取り合わなかった。新しい令嬢との舞踏会の準備で忙しかったのだ。
 侯爵令嬢の華やかな笑い声が、枯れた庭園の横を通り過ぎていった。花のない庭園を、彼女は見もしなかった。

 二日後。庭園の泉が完全に涸れた。百年以上、一度も涸れなかった「永遠の泉」が。石造りの泉盤《せんばん》の底に、ひび割れた泥だけが残っていた。
 庭師長が城の廊下を走り回った。大臣に訴え、学者を呼び、あらゆる手を打った。誰にも原因がわからなかった。

 三日後。空に雲がかかり始めた。王都はここ数年、驚くほど天候に恵まれていた。雨が降っても穏やかな小雨で、嵐など一度もなかった。
 その記録が途切れた。

 一週間後。暴風雨が王都を叩いた。城壁の一部が崩れ、街路の木が何本も倒れた。井戸の水位が下がり、郊外の農地で作物が枯れ始めた。
 王都に噂が広がった。——呪いだ、と。

「呪いだ! 誰かがこの城に呪いをかけたに違いない!」

 ラインハルトは魔法使いを呼んだ。宮廷魔法師が調査に入り——首を振った。

「殿下……これは呪いではありません」

「ならば何だ!」

「何かが『失われた』のです。この城を、この土地を支えていた何かが。……しかし、それが何であるかは、わかりません」

 ラインハルトの隣で、老臣がぽつりと呟いた。

「あの庭園が美しくなったのは……エレオノーラ様が王城にお見えになるようになってから、ではありませんでしたかな」

 沈黙が落ちた。
 ラインハルトの唇が震えた。

「……まさか。あの地味な女に——」

 否定したかった。しかしできなかった。時系列が、残酷なまでに一致していた。
 エレオノーラが王城に来る前——庭園は普通の庭だった。花は咲いていたが、「永遠に咲く」奇跡はなかった。泉も涸れることがあった。嵐も来た。
 全てが変わったのは、十五歳のエレオノーラが王城に通い始めてからだった。
 そして全てが壊れたのは、彼女が去った日からだった。

「……偶然だ。偶然に決まっている」

 しかしラインハルトの声は、自分自身を説得できていなかった。

 宰相が口を開いた。

「殿下。もしエレオノーラ様の存在がこの城を支えていたのだとしたら——殿下はこの国を支えていた柱を、ご自身の手で折ったことになります」

「黙れ」

「黙れと仰られましても、花は咲きません。泉も涸れたままでございます」



 そのころ、エレオノーラは何日もかけてたどり着いた辺境の地に立っていた。

 目の前に広がるのは、灰色の大地だった。草一本生えていない。風が砂埃を巻き上げ、空は白く霞んでいる。「灰の大地」——かつては緑豊かだったという言い伝えだけが残る、アルヴァイン王国北東の果て。

 遠くに、小さな村が見える。家の数は二十にも満たないだろう。

(あそこで暮らそう。誰にも迷惑をかけない場所で、静かに)

 旅の間、不思議なことがあった。
 街道沿いの宿に泊まると、宿の庭先に花が咲いた。野営した森の木陰で眠ると、翌朝、周囲に見たことのない花が群れ咲いていた。
 エレオノーラは首をかしげた。——きっと、季節がよかったのだろう。

 一歩、踏み出した。

 足元で——小さな花が、咲いた。

「……え?」

 立ち止まった。灰色の土の中から、白い花がひょっこりと顔を出している。

 もう一歩。
 今度は青い花が咲いた。

 振り返った。
 足跡に沿って、花の道ができていた。白と青と黄色の花が、灰色の大地に色を落としている。

「嘘……どうして……」

 花だけではなかった。足元の地面から、草が芽吹いていた。蔓《つる》が伸び、蕾が膨らみ、次々と花が開いていく。
 エレオノーラを中心に、灰色の大地が緑に染まっていく。同心円状に、命が広がっていく。

 風が吹いた。——しかし不思議な風だった。砂塵を巻き上げるのではなく、花びらを舞い上げる、温かく柔らかな風。

 光の粒が集まった。花びらの中から、風の中から、光が凝縮して——小さな少女の姿になった。

 透き通った緑色の髪。エメラルドグリーンの瞳に小さな光の粒が浮かんでいる。背中に薄い光の翅《はね》。足元に小さな花が咲く。半透明に光る、幼い少女。

「やっと——やっと、あなたに話しかけられる」

 少女の声は、見た目の幼さに不似合いなほど穏やかで、深かった。

「ずっと、ずっと待っていたの。エレオノーラ」

「あなたは……誰、ですか」

 エレオノーラの声が震えた。恐怖ではない。少女から溢れるのは、圧倒的な温かさだった。

「わたしはシルフィード。あなたが生まれた日に、あなたの魂に惹かれて——十八年間、あなたの中にいたの」

 シルフィードはエレオノーラの前に降り立った。足元に花が輪になって咲く。

「あなたに伝えたいことがあるの。ずっと——十八年間、伝えたくて伝えられなかったこと」

 エレオノーラは膝を折り、少女と目線を合わせた。

「王城のあの庭園——花が咲いていたのは、庭師のおかげじゃないわ。あなたがいたから、咲いていたの」

「……え?」

「泉が涸れなかったのも。空が穏やかだったのも。嵐が来なかったのも。全て——あなたの存在が、もたらしていたの」

 エレオノーラの目が大きく見開かれた。

「あなたのお父様の領地が『花の公爵家』と呼ばれたのは、あなたが幼い頃にあの土地にいたから。あなたが王城に通うようになって、庭園が奇跡のように美しくなったのも——全部、あなたの力なの」

「そんな……私は、何も……」

「あなたが『何もない』ですって?」

 シルフィードの声が、わずかに震えた。エメラルドグリーンの瞳に、光の粒が揺れている。

「十八年間、あなたの中から世界を見てきたの。あなたが花に話しかけるたび、わたしは嬉しくて——花を咲かせた。あなたが泣くたび、わたしも泣いた。あなたが『自分には何もない』と俯くたび、わたしは叫びたかった。嘘よ、嘘よって」

 シルフィードの頬を、光の涙が伝った。

「エレオノーラ。あなたは世界で最も美しいものを持っているのよ。あなたを『退屈』と呼んだあの王子は、目の前にある宝物に気づけなかっただけ。見る目がなかったのは、あの人間のほうよ」

 エレオノーラの目から涙が溢れた。
 同時に——周囲の花が一斉に咲き誇った。大地が鳴動し、灰色の荒野がどんどん緑に変わっていく。水が湧き出した。細い流れが集まって小川になり、草の間を縫って流れていく。鳥が飛んできた。蝶が舞った。風が歌った。

「……あなたが、ずっと一緒にいてくれたのですね」

「ええ。ずっと、ずっと。これからも——あなたが望む限り」

 シルフィードが泣き笑いの顔でエレオノーラの手を取った。小さな手は温かかった。

 エレオノーラは手のひらを見つめた。そっと指を伸ばすと——指先から淡い光の粒が零《こぼ》れ、空中で花びらに変わった。

「この力は……私のものなのですね」

 十八年間、ずっと一人だと思っていた。花だけが友達で、誰にも必要とされない、地味で退屈な令嬢だと。
 でも違った。ずっと、そばにいてくれた存在があった。そしてこの手には——自分でも知らなかった、世界を花で満たす力があった。

 涙を拭った。微笑んだ。——追放されてから初めての、心からの笑顔だった。



 辺境の村に、エレオノーラが来てから数週間が過ぎた。

 村は見違えるように変わっていた。

 枯れていた畑に作物が芽吹き、実をつけ始めた。地面から水が湧き、井戸の水位が回復し、村の中心に小さな泉ができた。家々の周りに花が咲き、蝶や鳥が飛び交っている。
 灰色だった大地が、見渡す限りの花畑に変わった。

 村長のヨハン・グラオヴァルトは、毎朝庭に出ては目をこすった。

「……すげえな。何度見ても、すげえ」

 エレオノーラがこの村に足を踏み入れた日のことを、ヨハンは一生忘れないだろう。枯れた大地に花が咲き乱れ、水が湧き出し、灰色の世界に色が戻ったあの瞬間。あの日、ヨハンは泣いた。村人たちも泣いた。

 今、エレオノーラは村の子供たちに花の冠を作ってやっていた。

「エレオノーラ様、見て見て! お花がまた増えた!」

「本当ですね。向日葵も咲き始めましたよ。もうすぐ種が取れますから、来年はもっとたくさん咲きますよ」

 ヨハンが近づいて、日焼けした顔に深い皺を刻んで笑った。

「エレオノーラ様。あんたがこの村にいてくれるだけで、俺たちは幸せなんだ。……こんな言い方しかできなくて、すまねえが」

「いいえ。……ありがとうございます、ヨハンさん。私も——ここにいられて、幸せです」

 ——その言葉に、嘘はなかった。王城にいた三年間より、この数週間のほうが、よほど息ができた。
 ここには、自分を「地味で退屈」と呼ぶ者はいない。花の冠を喜ぶ子供たちがいて、水汲みの帰りに笑い合う女たちがいて、畑仕事の合間に空を見上げる男たちがいる。
 身分ではなく、存在そのものに「ありがとう」と言ってくれる人たちがいる。
 エレオノーラが庭先に座ると、シルフィードが見えない椅子に腰掛けるように隣に浮かんだ。

「ねえ、エレオノーラ。あなた、最近よく笑うわね」

「……そうですか?」

「王城にいたときは、花に話しかけるときしか笑わなかった。今は人間相手に笑えている」

 エレオノーラは少し驚いて、それから静かに頷いた。

「……そうかもしれません。初めてかもしれません、こんなに安心して笑えるの」



 ある日、村の入口に馬が一頭、砂埃を上げて駆け込んできた。

 王城の紋章を掲げた使者だった。

「エレオノーラ・フォン・ブリューメンタール嬢に、ラインハルト殿下よりの書状をお届けにまいりました」

 村人たちがざわめいた。ヨハンが真っ先に使者の前に立ちふさがった。

「王城の使者か。エレオノーラ様に何の用だ」

「殿下のご命令です。エレオノーラ嬢に王城への帰還を——」

「帰還だと? 追い出しておいて、今さら帰れだと?」

 ヨハンの目に静かな怒りが灯った。村人たちが使者を取り囲む。鍬《くわ》を持った農夫、斧を抱えた木こり。誰も武器のつもりはないが、使者は顔を青くした。

「エレオノーラ様はこの村の恩人だ。あんたらに渡すもんか」

 そのとき、背後から穏やかな声が響いた。

「ヨハンさん。大丈夫です」

 エレオノーラが静かに前に出た。使者から書状を受け取り、封を切って読む。

 ——『エレオノーラ、戻れ。王城の庭園が枯れた。泉が涸れた。お前の力が必要だ。これは命令だ』

 ラインハルトの、あの断定的な筆跡。「命令」という言葉。
 エレオノーラは——微笑んだ。悲しい笑みではなかった。

「殿下は、私を『地味で退屈な女』と仰いましたね」

 使者が口を開きかけたが、エレオノーラの声は静かに続いた。

「私もそう思っていました。自分には何もない、と」

 書状を丁寧に折りたたんだ。

「でも——この力は、私のものでした。殿下が見ようとしなかっただけです」

 エレオノーラの若草色の瞳は、もう俯いていなかった。あの庭園で花に話しかけていた少女はもういない。自分の足で立ち、自分の言葉で語る女性がそこにいた。

「殿下にお伝えください。——私はもう、あの場所には戻りません」

 風が吹いた。温かく、柔らかい風。花びらが舞い上がる。光の粒が集まり——シルフィードが姿を現した。
 使者には幼い少女の姿は見えない。しかし——異常な風と、溢れる光を感じた。

「な、何だ……この風は……!」

 シルフィードの声が、冷たく静かに響いた。使者には聞こえない。しかし風が伝えた——骨の髄まで凍るような、大精霊の怒り。

「帰りなさい」

 暴風が吹き荒れた。使者の馬がいななき、後ずさる。

「彼女を傷つけた場所に、わたしは彼女を戻さない。あの城が枯れたのは呪いではないわ——彼女を失った、当然の報いよ」

 使者は蒼白になって馬に飛び乗り、砂埃を上げて逃げ帰っていった。



 使者が去った後、花畑に静寂が戻った。

「よかったの?」

 シルフィードが隣に浮かんで、エレオノーラの顔を覗き込んだ。

「ええ。……もう、迷いません」

 エレオノーラは空を見上げた。辺境の空は、どこまでも青かった。王城の空はもう曇っているのだろう。泉は涸れ、花は枯れ、嵐が吹き荒れているのだろう。
 胸は痛まなかった。

 ヨハンが駆け寄ってきた。大きな手で新しい苗木を抱えている。

「エレオノーラ様! 南の集落から果樹の苗が届きましたぜ。果樹園を作りませんか?」

「はい。この村を——もっと、素敵な場所にしましょう」

 子供たちがエレオノーラの周りを走り回った。花が笑うように揺れた。去っていた村人が噂を聞いて戻ってき始めている。新しい家が建ち始めている。

 シルフィードが小さく笑った。

「ねえ、エレオノーラ。あなた、今——とても綺麗よ」

 エレオノーラは笑った。
 花が咲くように。風が歌うように。心から——笑った。

 王城の花は枯れたまま。泉は涸れたまま。空は曇ったまま。
 しかしこの辺境の荒野は——大精霊と少女が選んだ新天地は——永遠に花が咲き続ける。

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みんなの感想(1件)

なごみ
2026.03.23 なごみ

百年以上枯れることのなかった永遠の泉なのに主人公が来る前には枯れることもあった?

解除

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