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一章
お互いの本心
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痛みがないくらいの強さで手を握られた花耶は、真剣にそう告げられて暫く動けなかった。何かを言おうにも、驚きすぎて奥野を見上げる事しか出来ない。プロジェクトに参加するまで接点などなかったし、そんな前から自分の事を知っていたのも想定外だったが、好きになったのがそんな些細な事だというのも意外過ぎて、どう受け止めていいのかがわからない。
「そ、そんな…事で…」
「自分でもそう思う。けど、好きになるって理屈とかじゃないだろう?」
「それは…でも…私、美人でもないですし、地味だし、気の利いた会話とかも出来ないですし…」
「そんな事はない。花耶は可愛いし真面目で控えめで、そのままで十分魅力的だ」
「な…」
急に褒められた花耶は、面食らって言葉が出なかった。イケメンに可愛いなどと言われても逆に褒め殺しかと思ってしまう。面と向かって褒められるのも、慣れない花耶には面映ゆくて罰ゲームにしか思えなかった。そんな花耶を奥野は熱のこもった愛で見つめ、花耶の鼓動が上がってきた。まだ体調も万全じゃないし、お願いだからこの状況ではやめて欲しい…
「…花耶は好きな動物とかいるか?」
「好きな…動物?」
「ああ」
「えっと…」
奥野の色気に当てられて混乱していた花耶は、急に関係のない話を振られて益々混乱した。好きな動物と言われても、花耶はペットを飼ったこともないし、動物園なども学校の遠足以外では行った事がないので、好きと思うほどに思い入れがある動物もいなかった。
「すずめ…とか?」
色々考えた末に出てきたのは、いつも身近にいたすずめだった。ペットが飼えず友達も少なかった花耶は、昔済んでいたアパートに来るすずめにパンくずなどを与えていた時期があった。毎日パンやご飯粒を置いておくと、警戒しながらもやってきて、その仕草を静かに眺めているのが好きだったのだ。
「じゃ、なんですずめなんだ?他にもきれいなインコとか喋るオウムとかいるだろう?」
「それは…」
「もし今、すずめとインコ、どっちかが飼えるとしたらどっちを選ぶ?」
「それはすずめです。別に優れてるとか関係なく、仕草とか見てる間に好きになったから…」
「だろう?俺も優れているから好きになった訳じゃない。勿論、花耶は俺から見ても十分可愛いし、仕事だって有能だが、心惹かれるのはそこじゃないだろう?」
「…」
どうして好きな動物の話を…と思ったが、ここにきてやっと花耶は奥野が言いたい事が分かった。奥野は条件や見た目で好きになるわけではないと花耶に伝えたかったのだ。それは、花耶が奥野を信じていないせいなのだが、この例えは不思議と花耶の中に納まった気がした。奥野はすずめにはない能力があり見た目が綺麗なインコやオウムよりもすずめの花耶がいいのか…自分がすずめが好きと言った手前、花耶は奥野のいう事を否定する言葉が浮かばなかった。
「俺が好きなのは花耶だし、花耶しか欲しくない」
「そ…そうですか…」
熱を込めた目で再びそう言われた花耶は、否定するだけの材料も気力もなかった。もし体調が万全なら言い返したかもしれないが、今はそんな気力は奥野の色気を前に枯れる寸前だ。こんな時にやめて欲しい…と切に思ったが、逃げ癖のある花耶が逃げられない今を奥野が狙っていったとは気が付かなかった。
「で、でも…」
「何だ?」
「でも、怒っていたんじゃないんですか?」
「何の事だ?」
「だって…その…、じゃ、どうして…昨日、出て行ったんですか?」
何とか回避する材料を探そうと頭を必死に回転させた花耶は、昨日の奥野の態度に思い至った。昨日は花耶の話を聞いた後、険しい表情で出て行ったではないか。あれは怒っていたのではないか?花耶はそう思っていたからこそ、伊東の電話があっても怖くて奥野に連絡出来なかったのだ。
「あれは…別に怒っていたわけじゃ、ない」
「え?」
あの状況下であの会話で、怒る以外の選択肢など考えられなかった花耶は、それこそどういう事だとまた混乱した。だって花耶は奥野の好意を全く信じようともせず、ただ仕事がやりにくくなると困るから受け入れていて、それも奥野の本命が見つかるまでだと言ったのだ。本気なら怒って当然だし、一時的な関係だったとしてもそこまではっきり言えば気分を害しても仕方ないだろう。なんせ服やアクセサリーなどの贈り物もたくさん受け取っていたし、その時だけでも大切に扱ってくれていたのだから。
「あれは…」
花耶が奥野の答えを待つようにじっと奥野の顔をみていると、奥野が急にそれまでの強気の表情を崩して、気まずそうに花耶から視線を外して目を伏せた。そんな表情もそれはそれで絵になるんだな…と思いながら花耶は奥野の次の言葉を待った。
「あれは…自分が情けなくて…」
「情けなく?」
思いもかけない返事に花耶は戸惑った。別に奥野が情けなく感じる要素などあっただろうかと思う。自分は情けない事ばかりやらかした感満載だが…
「だって…そうだろう?部下を手籠めにしたんだぞ?それも一度だけならまだしも何回も。花耶からすれば、俺は上司である事を笠に着て関係を強いた強姦魔だろうが…」
「あ…」
「それって滅茶苦茶酷い話だろう?しかも自分だけ相思相愛で上手くいっていると思い込んでるって、どんだけ間抜けなんだ…自分をこんなに情けないと思ったのは初めてだった…」
これで落ち込まないわけがないだろう…と言って奥野はうなだれてしまった。そう言われてしまえば確かにそうとも言えて、花耶は奥野の態度に納得した。確かにその通りで、花耶もつい最近まではそう思っていたのだ。
「あのまま一緒に居たら自分でも何を言い出すかわからなくて…気を落ち着かせたくて外に出たんだ。で、車走らせながら色々考えていたんだが、考えれば考えるほど自分のした事が酷く思えて…これじゃ好かれなくて当然だろう…って。夜になったら帰ろうと思ったんだが、どんな顔して花耶に会えば…って思ったら、怖くて…完全に軽蔑されたと思ったし、許せないと思っているだろう…って」
「そ、それは…その、私もずるかったので…」
奥野の正直な気持ちを聞けば、やはりこうなった原因は自分にもあったのだ、と改めて花耶は感じた。きちんと謝らないととも思っていたが、今がその時だと感じた花耶は、正直に話そうと心に決めた。もしかすると奥野は自分の狡さを知れば気持ちが離れていくかもしれない。このままの方が奥野の目には被害者としての自分だけが残るだろうし、先を考えればこの方がいいのかもしれないが、正直に話してくれた奥野を騙すようなことはしてはいけないと感じた。
「私も…ちゃんと言わなかった事があるんです。その…私も狡かったんです。課長の事、信じてなかったのも傷つきたくないからだったし…」
「それでも、花耶が俺を信じられないのは当たり前だろう?」
「でも、それだけじゃなくて…あの…」
「花耶…花耶は優しいんだな。だが、悪いのは俺で花耶が気にすることはないんだ」
そう言って奥野は、優しい手つきで想いを伝えるかのように花耶の手を優しく繊細な手つきで撫でた。
実際、奥野はそう思っているのだろう、と思う。奥野はこれまで花耶の気持ちを無視していたことを真剣に後悔しているのだ。それは奥野の誠実さの表れであり、精いっぱいの謝罪でもあるのだろう。優しい人なのだ、本当は…その外見からは想像できないほどに。
奥野の優しさに、花耶の心が嫌な風を運んだ。言わないでこのまま被害者面していればいいと、自分が頭の中でもう一人の自分が囁く…奥野の罪悪感に乗っかって許すと言えば、奥野はきっとこれまでの事に責任と罪の意識を感じて、より一層自分を大切にするだろう。そうなれば今までの様な甘い砂糖菓子の様な時間がまた手に入るのだ。奥野なら伊東や会社の女性陣からも必死に守ってくれるし、そうなれば花耶は安泰だ…
「私…も、狡いんです」
次にくるものを想像してどうしても言葉を出すのを身体が拒否しているのか、次の言葉が出てこなかった。でも、花耶は狡い自分でいる事の罪悪感に耐えられそうもなかった。
「私…嫌だったけど、嫌じゃなかったんです…」
やっと出てきた言葉は、何言っているんだと自分でも突っ込みたくなるような内容で、花耶は自分の語彙力にがっかりした。とはいえ、今はそんな事を気にしている場合ではない。
「私…課長といる時間は、ほんとは嫌じゃなかった、んです…凄く優しくて丁寧に扱って貰って…あんな風にしてもらった事なかったから…」
言いながら目の奥が熱くなってきて、花耶はこんな時に…と自分の涙腺の勝手な動きにイラっとした。こんな時に泣くなんて卑怯だし、自分には泣く資格もないのに。花耶は奥歯を噛んで目の奥の熱を何とかやり過ごそうとした。顔を見たら泣いてしまいそうな気がして、花耶は奥野から視線を外した。
「その…すみません、私…卑怯なんです。だから…課長が謝る必要なんてないんです…」
「そ、そんな…事で…」
「自分でもそう思う。けど、好きになるって理屈とかじゃないだろう?」
「それは…でも…私、美人でもないですし、地味だし、気の利いた会話とかも出来ないですし…」
「そんな事はない。花耶は可愛いし真面目で控えめで、そのままで十分魅力的だ」
「な…」
急に褒められた花耶は、面食らって言葉が出なかった。イケメンに可愛いなどと言われても逆に褒め殺しかと思ってしまう。面と向かって褒められるのも、慣れない花耶には面映ゆくて罰ゲームにしか思えなかった。そんな花耶を奥野は熱のこもった愛で見つめ、花耶の鼓動が上がってきた。まだ体調も万全じゃないし、お願いだからこの状況ではやめて欲しい…
「…花耶は好きな動物とかいるか?」
「好きな…動物?」
「ああ」
「えっと…」
奥野の色気に当てられて混乱していた花耶は、急に関係のない話を振られて益々混乱した。好きな動物と言われても、花耶はペットを飼ったこともないし、動物園なども学校の遠足以外では行った事がないので、好きと思うほどに思い入れがある動物もいなかった。
「すずめ…とか?」
色々考えた末に出てきたのは、いつも身近にいたすずめだった。ペットが飼えず友達も少なかった花耶は、昔済んでいたアパートに来るすずめにパンくずなどを与えていた時期があった。毎日パンやご飯粒を置いておくと、警戒しながらもやってきて、その仕草を静かに眺めているのが好きだったのだ。
「じゃ、なんですずめなんだ?他にもきれいなインコとか喋るオウムとかいるだろう?」
「それは…」
「もし今、すずめとインコ、どっちかが飼えるとしたらどっちを選ぶ?」
「それはすずめです。別に優れてるとか関係なく、仕草とか見てる間に好きになったから…」
「だろう?俺も優れているから好きになった訳じゃない。勿論、花耶は俺から見ても十分可愛いし、仕事だって有能だが、心惹かれるのはそこじゃないだろう?」
「…」
どうして好きな動物の話を…と思ったが、ここにきてやっと花耶は奥野が言いたい事が分かった。奥野は条件や見た目で好きになるわけではないと花耶に伝えたかったのだ。それは、花耶が奥野を信じていないせいなのだが、この例えは不思議と花耶の中に納まった気がした。奥野はすずめにはない能力があり見た目が綺麗なインコやオウムよりもすずめの花耶がいいのか…自分がすずめが好きと言った手前、花耶は奥野のいう事を否定する言葉が浮かばなかった。
「俺が好きなのは花耶だし、花耶しか欲しくない」
「そ…そうですか…」
熱を込めた目で再びそう言われた花耶は、否定するだけの材料も気力もなかった。もし体調が万全なら言い返したかもしれないが、今はそんな気力は奥野の色気を前に枯れる寸前だ。こんな時にやめて欲しい…と切に思ったが、逃げ癖のある花耶が逃げられない今を奥野が狙っていったとは気が付かなかった。
「で、でも…」
「何だ?」
「でも、怒っていたんじゃないんですか?」
「何の事だ?」
「だって…その…、じゃ、どうして…昨日、出て行ったんですか?」
何とか回避する材料を探そうと頭を必死に回転させた花耶は、昨日の奥野の態度に思い至った。昨日は花耶の話を聞いた後、険しい表情で出て行ったではないか。あれは怒っていたのではないか?花耶はそう思っていたからこそ、伊東の電話があっても怖くて奥野に連絡出来なかったのだ。
「あれは…別に怒っていたわけじゃ、ない」
「え?」
あの状況下であの会話で、怒る以外の選択肢など考えられなかった花耶は、それこそどういう事だとまた混乱した。だって花耶は奥野の好意を全く信じようともせず、ただ仕事がやりにくくなると困るから受け入れていて、それも奥野の本命が見つかるまでだと言ったのだ。本気なら怒って当然だし、一時的な関係だったとしてもそこまではっきり言えば気分を害しても仕方ないだろう。なんせ服やアクセサリーなどの贈り物もたくさん受け取っていたし、その時だけでも大切に扱ってくれていたのだから。
「あれは…」
花耶が奥野の答えを待つようにじっと奥野の顔をみていると、奥野が急にそれまでの強気の表情を崩して、気まずそうに花耶から視線を外して目を伏せた。そんな表情もそれはそれで絵になるんだな…と思いながら花耶は奥野の次の言葉を待った。
「あれは…自分が情けなくて…」
「情けなく?」
思いもかけない返事に花耶は戸惑った。別に奥野が情けなく感じる要素などあっただろうかと思う。自分は情けない事ばかりやらかした感満載だが…
「だって…そうだろう?部下を手籠めにしたんだぞ?それも一度だけならまだしも何回も。花耶からすれば、俺は上司である事を笠に着て関係を強いた強姦魔だろうが…」
「あ…」
「それって滅茶苦茶酷い話だろう?しかも自分だけ相思相愛で上手くいっていると思い込んでるって、どんだけ間抜けなんだ…自分をこんなに情けないと思ったのは初めてだった…」
これで落ち込まないわけがないだろう…と言って奥野はうなだれてしまった。そう言われてしまえば確かにそうとも言えて、花耶は奥野の態度に納得した。確かにその通りで、花耶もつい最近まではそう思っていたのだ。
「あのまま一緒に居たら自分でも何を言い出すかわからなくて…気を落ち着かせたくて外に出たんだ。で、車走らせながら色々考えていたんだが、考えれば考えるほど自分のした事が酷く思えて…これじゃ好かれなくて当然だろう…って。夜になったら帰ろうと思ったんだが、どんな顔して花耶に会えば…って思ったら、怖くて…完全に軽蔑されたと思ったし、許せないと思っているだろう…って」
「そ、それは…その、私もずるかったので…」
奥野の正直な気持ちを聞けば、やはりこうなった原因は自分にもあったのだ、と改めて花耶は感じた。きちんと謝らないととも思っていたが、今がその時だと感じた花耶は、正直に話そうと心に決めた。もしかすると奥野は自分の狡さを知れば気持ちが離れていくかもしれない。このままの方が奥野の目には被害者としての自分だけが残るだろうし、先を考えればこの方がいいのかもしれないが、正直に話してくれた奥野を騙すようなことはしてはいけないと感じた。
「私も…ちゃんと言わなかった事があるんです。その…私も狡かったんです。課長の事、信じてなかったのも傷つきたくないからだったし…」
「それでも、花耶が俺を信じられないのは当たり前だろう?」
「でも、それだけじゃなくて…あの…」
「花耶…花耶は優しいんだな。だが、悪いのは俺で花耶が気にすることはないんだ」
そう言って奥野は、優しい手つきで想いを伝えるかのように花耶の手を優しく繊細な手つきで撫でた。
実際、奥野はそう思っているのだろう、と思う。奥野はこれまで花耶の気持ちを無視していたことを真剣に後悔しているのだ。それは奥野の誠実さの表れであり、精いっぱいの謝罪でもあるのだろう。優しい人なのだ、本当は…その外見からは想像できないほどに。
奥野の優しさに、花耶の心が嫌な風を運んだ。言わないでこのまま被害者面していればいいと、自分が頭の中でもう一人の自分が囁く…奥野の罪悪感に乗っかって許すと言えば、奥野はきっとこれまでの事に責任と罪の意識を感じて、より一層自分を大切にするだろう。そうなれば今までの様な甘い砂糖菓子の様な時間がまた手に入るのだ。奥野なら伊東や会社の女性陣からも必死に守ってくれるし、そうなれば花耶は安泰だ…
「私…も、狡いんです」
次にくるものを想像してどうしても言葉を出すのを身体が拒否しているのか、次の言葉が出てこなかった。でも、花耶は狡い自分でいる事の罪悪感に耐えられそうもなかった。
「私…嫌だったけど、嫌じゃなかったんです…」
やっと出てきた言葉は、何言っているんだと自分でも突っ込みたくなるような内容で、花耶は自分の語彙力にがっかりした。とはいえ、今はそんな事を気にしている場合ではない。
「私…課長といる時間は、ほんとは嫌じゃなかった、んです…凄く優しくて丁寧に扱って貰って…あんな風にしてもらった事なかったから…」
言いながら目の奥が熱くなってきて、花耶はこんな時に…と自分の涙腺の勝手な動きにイラっとした。こんな時に泣くなんて卑怯だし、自分には泣く資格もないのに。花耶は奥歯を噛んで目の奥の熱を何とかやり過ごそうとした。顔を見たら泣いてしまいそうな気がして、花耶は奥野から視線を外した。
「その…すみません、私…卑怯なんです。だから…課長が謝る必要なんてないんです…」
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