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2章、汝、善良であれ
24、自由の風、大地駆ける獣、篭絡合戦、星の下
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東方では、森を巡り、色の異なる旗が幾つも風に靡いていた。
中央からわざわざ足を運んで視察にきた病公爵は北西の旗と陣容を確認して、その病み上がりの整った顔立ちに不快のいろを露わにしたのだと伝えられている。
公爵の痩せた手がつづる対抗陣営への文はいささか悪意的で、いわく、『汝は中央人に劣等意識を抱き、我が子を服従させ溜飲をさげているに違いあるまいな』――、
文には嘲笑うようなお気持ち表明の声が返されて、木々の間に木霊した。
「おお義父殿! 一度くれてやると仰ったものをやはり気が変わったから返せとは、秋空もたまげる不誠実なご注文。ならぬならぬ、そんな道理はあり得ませぬ! 公にしかと約定を交わしたならば、安易にみだりに覆すこと、一切合切まかり通らぬ、許されぬ。それが通ってしまうとなれば、俺とて明日は我が身、賜った褒美をいつ返せと言われるやら心配でならぬ。ついでに酷い言いがかりまで頂いては、俺の繊細なハートがいたく傷付いてあな哀し――これは遺憾」
24、自由の風、大地駆ける獣、篭絡合戦、星の下
保護者不在中となったクレイだが、今回は以前とは異なり起床時間や食事といった生活習慣をばっちりきっちり管理されていた。
誰にかというと、なぜか帝国旧臣勢のヘルマン将軍にである。
それも、バヤンをお供みたいに連れて。
ヘルマン将軍といえば、クレイがリーン砦という名前の北西との国境防衛砦に居た頃に『歩兵』が「1ヘルマン、2ヘルマン」とカウントするくらい遊んでいた相手でもあったので、クレイは「この人に管理される日がくるとは」としみじみとした。
そして、隙あればハンカチを落としてみたり、本を落としてみたりしてバヤンに拾ってもらい、お礼として宝石などを渡してみたり、当たり障りのない話題を振ってコミュニケーションをはかってみたりした――何度か試しても、あまり親しくなった手応えはないが。
きっちりと改善される生活習慣に徐々に慣れるうち、やがて呪術師のレネンが手紙を渡してくれる。
「僕の人生は手紙を読んでお返事するだけで終わるんじゃないだろうか」
それもまたよし、と遠い目をしながら一通一通確認すれば、まず一通目は実父である中央のアクセルからだった。
メイドのマナが紅茶をとぷとぷ注いでいる。
今日は普通の紅茶だ――なんとなく憩いのメンバーみたいになったヘルマンとバヤンが同じテーブルに落ち着いていて、ティータイムを共にしている。
クレイはそれに慣れた自分を自覚しながら手紙を読んだ。
アクセルは、最初にたいそう雅やかに、回りくどく、遺憾の意を表明していた。
文面はくどくどとした表現だったが、シンプルに意訳すると、『騎士王』がこっちに顔をつっこんできたぞ、お前は何をしてるんだ、あれを外で遊ばせるな、遊ばせるとしても中央に敵対させるな、というのだ。
(アクセル、それは無理というものだ。うん。僕にそれを期待してはいけない)
表情を微笑に保ったまま、優雅につづきを楽しむと、今度は『できなかったものは仕方ない』とすこしやんわりとした風情になる。
そして、『離れている時間が燃やす情愛というものもあるので、お前の恋愛遊びにも利益がある。ゆえに、今度はできるだけ膠着状態を長引かせるよう協力せよ』というのだ。
つまり、状況は膠着しているらしい。
そして、アクセルはそれを長引かせたいらしい。
なにより、僕が自分の味方だと思ってるんだ――それを感じて、クレイの胸にはすこしだけ罪悪感が芽生えた。
(僕は、はやめに中央が退くようにしようとおもって、すでにミハイに手紙を送ったんだけどな)
東に関わっている間に西に侵攻されたら、中央はあわてて退くと思ったんだ。
なのに、ミハイときたら、のーんびりしているのだ。
手紙に返事すら寄こさない……。
さらに続きを読むと、「今度エリック殿下とユージェニーが揃ってお前に会いたいと言っている」などと書いてある。
(これは、これは……)
紅茶をひとくち飲むと、花の香りがした。
香りを楽しみながら、クレイは思う。
エリックというのは、クレイが4歳の時から「友として臣下としてお仕えする」と刷り込まれた王子で、今でも友人だと思っている存在だ。
ユージェニーには、兄としての愛情がたっぷりとある。
クレイはユージェニーに絶対味方をすると決めているのだ。
その二人をセットでぶつけられるとどうなるかというと、北西寄りだった心情が中央に味方したくなるのではあるまいか――そう思うのだ。
(僕は、『アクセルも父親っぽい雰囲気を出してくれたなー、ちょっとお父さまっぽく思えたなー』と思っていたけれど、結局アクセルは僕を中央の駒として利用したいだけで、父親っぽい振る舞いは僕を篭絡するためなのだろうか。いや、こういう考えをする癖はよくないのだけれど――)
「殿下、ご実家からのお手紙はなんて?」
ヘルマンが人の好さそうな笑顔を浮かべている。
このヘルマンは、気が弱いかんじで、ほやほやした可愛らしい赤ちゃんの父親で、奥さんの尻にも敷かれていて、ぜんぜん怖い感じがない。
謎のいいひとっぽさとか、家庭的な雰囲気がある。
しかし、さりげなーくクレイを監視して、管理して、おそらく情報を流しているのだ……。
「妹が、惚気をおくってきたのです」
「さようでございましたか。ほほえましいですねえ」
「お返事に困るな……他人の惚気って」
「そうかもしれませんねえ。読んでも構わなければ、このヘルマンがいっしょにお返事をかんがえましょうか?」
「うーん。僕、卿を頼りたい気持ちはあるのだけれど、妹の私的な恋愛事情は、身内以外には見せられないと思うの」
「それは、そうですねえ」
のほほんと微笑みながら引き下がってくれるヘルマンに、クレイはそっと安堵した。
さて、次の手紙……と封をみれば、なんとそれが『騎士王』からである。
(わあ。僕、はじめてお手紙を貰ったな……)
思えば、国を出た後、オスカーは手紙の一通すら寄こさなかったのだ。
クレイが仮病をつかってもお見舞いの手紙すら届かなかった……。
「おや、そちらは我が君からですねえ」
ヘルマンがほわほわと温厚に微笑んでいる。
それがクレイには少し不思議だった。
(このひとは、先帝ネスリンにとても可愛がられていたじゃない。THE・寵臣って感じだったではないか。なのに、ネスリンから指輪と命を奪ったニュクスを恨んだりしないんだな)
――自分だったらどうだろう?
それを考えると、その心が不思議に思えてならぬのだ。
手紙をひらいてみると、東方を感じさせる花の香りがふわりと漂う。
一枚目はなんだか小さな子供にあてるようなノリで北西言葉で近況をうかがうようなことが書かれていて、二枚目は妙に事務的な中央言葉で留守が長引く謝罪が書かれていた。
三枚目は何も書かれていなかった。
(ほう、ほう。お元気そうで。普通だ。うん。普通だな……なんか、甘い言葉とかポエムとか書きそうなイメージがあったけれど、まったくない。一言もない)
手紙をほわほわと眺めてかざしたりしていれば、ヘルマンが微笑ましく見守っている。
「よかったですねえ、お返事を書いたら喜ばれますよ」
「うん、うん」
(僕は『騎士王』にお手紙をいただいたぞ)
クレイはニコニコした。
(これは大切に保管しよう。とっても貴重なお手紙だもの)
「お返事を書きましょうねえ」
「うん、うん」
「今すぐ書きましょうねえ」
「そんなにすぐには思いつかないよ」
「さあ、書きましょうねえ」
「あ、あれえ……」
その後、ヘルマンはぴったりとクレイをマークして、半ば強要するように手紙の返事を書かせたのだった。
――朝は早起き、夜は早寝、食事に運動、勉強、そして手紙。
そんな日常をすこし過ごした頃、『歩兵』のテオドールがこそこそと報せてきた。
「坊ちゃん、バヤンが逃げそうですぜ」
「おお」
なんと、バヤンを逃がす前に自主的に逃げようとしているというのである。
「なんということだ。僕が逃がしたいのに彼が自分で逃げてしまったら……いいような、わるいような」
テオドールとレネンが呆れたような眼で見つめている。
「ちなみに、ほっとくと普通に帝国兵が気付きそうですが」
「!!」
少年の瞳がキラキラした。
「ならば、助けるのだ。僕は直接会ってお別れもしたい」
部屋にひとが来た時に備えてレネンに替え玉を用意してもらい、いそいそと黒ローブを着て『歩兵』たちと様子を視にいけば、なるほど、厩舎で騒ぎが起きている。
「ふうむ。まず、あの騒ぎをしずかにするのだ。そのあとは、正体不明の賊が、逆の方向で騒ぎを起こしたらよいと思うの」
おっとりとビジョンを共有すれば、『歩兵』が慣れた様子で手分けして作戦を実行し、ビジョンを現実にしてくれる。
「火事だー!」
「賊だー!」
「俺は恋人募集中だー!!」
「俺もー!!」
やる気があるのかないのか、イマイチゆるゆるした雰囲気で、『歩兵』たちが騒いでいる。
「今度あの者たちのために婚活パーティーをしよう」
心に留めつつ、クレイはバヤンにちょっかいを出すのであった。
「お前……」
バヤンは旅装で、武器を持っていた。
抜き身の刃のように鋭くてちょっと怖い気配で、警戒するように黒ローブのクレイを視る眼は人に慣れない獣のよう。
馬の背に乗り、今にも駆けだしそうな姿は、まるで自由の象徴のよう!
「自由の風、大地駆ける獣、赤毛のバヤン。僕は、君のお手伝いがしたい……」
恍惚と声をかければ、胡散臭そうな眼が返ってくる。
「手伝い?」
「うん、うん」
――あんまり仲良くなれた感じがいまのところしていない。それが残念なのだけど。
クレイは懸命に言葉を選んだ。
「僕、君のしたいことがわかる気がするんだ。キンメリアとオーブルは、部族間抗争の真っ最中ときく。バヤンは、どっちかの部族の者で、忠誠を誓った長のところに戻って、彼を助けたいんだ。そうではない?」
今から仲良くなればいいんだ。
フィニックスだって、そうだったじゃないか。
友達になりたいって言えば、意外となれるものなんだ……。
「君も知っての通り、僕は此処に囲われているだけの身分だから、『騎士王』の兵士を勝手に動かしたりはできないけれど。僕の『私兵』なら、お役立てできる……」
バヤンは数度双眸を瞬かせた。
「あの騒いでる連中か」
「そう、そう」
「ふーん。あんたら、暇そうだよな。なら、付いてきな」
あまり興味なさそうに言って、馬が外に向けて歩き出す。
「んっ? 『付いてきな』……?」
「坊ちゃん、行かないと置いていかれますぜ。囮中の他の連中にも、声かけますかい」
「お別れして終わりじゃなかったんですかい。手伝いって」
ベルンハルトとテオドールが気を利かせて馬を連れてきた様子で、首を傾げている。
馬が離れていってしまう――クレイの脳裏にアクセルの声が蘇った。
――『お前はトロい』。
「僕は先に行くから、テオドールは他の者を集めて、後から来るといいね。レネンに替え玉を維持して呪術の鳥で連絡を取るように伝えておくれ」
気持ち急ぎ目に指示を出して、自分の馬に乗せてもらって追いかければ、ベルンハルトに仕事を押し付けたテオドールが手近な馬に乗り、ついてくる。
「坊ちゃん、坊ちゃん! さすがにおひとりはいけませんや。というか、俺がいても俺だけだとちょいとお守りする自信ありませんや」
「テオドールはもっと自信を持ったらよいと思うのだ。僕は頼もしくおもっているよ。ちなみに、レネンが呪術をつかえば、僕らのいる場所はすぐ把握できるだろうし鳥で連絡も取り合えるだろうから、安心するといい」
のほほんとしたやりとりをしながら付いてくる主従を、バヤンは呆れたように視て天を仰いだ。
頭上は艶やかな深藍の夜闇に沈み、たっぷりと金砂銀砂を振り撒いたような満天の星々が煌いていた。
冷たさを感じさせるような黒色から清い青や瑠璃へと彩をほんのすこし変えていく自然のそらいろは綺麗で、星々の河が絢爛に煌き流れていて、神秘的だった。
――僕とて、ちょっとした冒険に憧れる気持ちくらい、人並みにあるのだ。
規則正しい生活と篭絡合戦なんて、つまらないではないか――ちょっとだけ。ちょっと遊んで、すぐ帰る。バレなければいいのだ!
過去に読んだ冒険物語をいくつも思い出し、クレイは目をキラキラさせるのだった。
中央からわざわざ足を運んで視察にきた病公爵は北西の旗と陣容を確認して、その病み上がりの整った顔立ちに不快のいろを露わにしたのだと伝えられている。
公爵の痩せた手がつづる対抗陣営への文はいささか悪意的で、いわく、『汝は中央人に劣等意識を抱き、我が子を服従させ溜飲をさげているに違いあるまいな』――、
文には嘲笑うようなお気持ち表明の声が返されて、木々の間に木霊した。
「おお義父殿! 一度くれてやると仰ったものをやはり気が変わったから返せとは、秋空もたまげる不誠実なご注文。ならぬならぬ、そんな道理はあり得ませぬ! 公にしかと約定を交わしたならば、安易にみだりに覆すこと、一切合切まかり通らぬ、許されぬ。それが通ってしまうとなれば、俺とて明日は我が身、賜った褒美をいつ返せと言われるやら心配でならぬ。ついでに酷い言いがかりまで頂いては、俺の繊細なハートがいたく傷付いてあな哀し――これは遺憾」
24、自由の風、大地駆ける獣、篭絡合戦、星の下
保護者不在中となったクレイだが、今回は以前とは異なり起床時間や食事といった生活習慣をばっちりきっちり管理されていた。
誰にかというと、なぜか帝国旧臣勢のヘルマン将軍にである。
それも、バヤンをお供みたいに連れて。
ヘルマン将軍といえば、クレイがリーン砦という名前の北西との国境防衛砦に居た頃に『歩兵』が「1ヘルマン、2ヘルマン」とカウントするくらい遊んでいた相手でもあったので、クレイは「この人に管理される日がくるとは」としみじみとした。
そして、隙あればハンカチを落としてみたり、本を落としてみたりしてバヤンに拾ってもらい、お礼として宝石などを渡してみたり、当たり障りのない話題を振ってコミュニケーションをはかってみたりした――何度か試しても、あまり親しくなった手応えはないが。
きっちりと改善される生活習慣に徐々に慣れるうち、やがて呪術師のレネンが手紙を渡してくれる。
「僕の人生は手紙を読んでお返事するだけで終わるんじゃないだろうか」
それもまたよし、と遠い目をしながら一通一通確認すれば、まず一通目は実父である中央のアクセルからだった。
メイドのマナが紅茶をとぷとぷ注いでいる。
今日は普通の紅茶だ――なんとなく憩いのメンバーみたいになったヘルマンとバヤンが同じテーブルに落ち着いていて、ティータイムを共にしている。
クレイはそれに慣れた自分を自覚しながら手紙を読んだ。
アクセルは、最初にたいそう雅やかに、回りくどく、遺憾の意を表明していた。
文面はくどくどとした表現だったが、シンプルに意訳すると、『騎士王』がこっちに顔をつっこんできたぞ、お前は何をしてるんだ、あれを外で遊ばせるな、遊ばせるとしても中央に敵対させるな、というのだ。
(アクセル、それは無理というものだ。うん。僕にそれを期待してはいけない)
表情を微笑に保ったまま、優雅につづきを楽しむと、今度は『できなかったものは仕方ない』とすこしやんわりとした風情になる。
そして、『離れている時間が燃やす情愛というものもあるので、お前の恋愛遊びにも利益がある。ゆえに、今度はできるだけ膠着状態を長引かせるよう協力せよ』というのだ。
つまり、状況は膠着しているらしい。
そして、アクセルはそれを長引かせたいらしい。
なにより、僕が自分の味方だと思ってるんだ――それを感じて、クレイの胸にはすこしだけ罪悪感が芽生えた。
(僕は、はやめに中央が退くようにしようとおもって、すでにミハイに手紙を送ったんだけどな)
東に関わっている間に西に侵攻されたら、中央はあわてて退くと思ったんだ。
なのに、ミハイときたら、のーんびりしているのだ。
手紙に返事すら寄こさない……。
さらに続きを読むと、「今度エリック殿下とユージェニーが揃ってお前に会いたいと言っている」などと書いてある。
(これは、これは……)
紅茶をひとくち飲むと、花の香りがした。
香りを楽しみながら、クレイは思う。
エリックというのは、クレイが4歳の時から「友として臣下としてお仕えする」と刷り込まれた王子で、今でも友人だと思っている存在だ。
ユージェニーには、兄としての愛情がたっぷりとある。
クレイはユージェニーに絶対味方をすると決めているのだ。
その二人をセットでぶつけられるとどうなるかというと、北西寄りだった心情が中央に味方したくなるのではあるまいか――そう思うのだ。
(僕は、『アクセルも父親っぽい雰囲気を出してくれたなー、ちょっとお父さまっぽく思えたなー』と思っていたけれど、結局アクセルは僕を中央の駒として利用したいだけで、父親っぽい振る舞いは僕を篭絡するためなのだろうか。いや、こういう考えをする癖はよくないのだけれど――)
「殿下、ご実家からのお手紙はなんて?」
ヘルマンが人の好さそうな笑顔を浮かべている。
このヘルマンは、気が弱いかんじで、ほやほやした可愛らしい赤ちゃんの父親で、奥さんの尻にも敷かれていて、ぜんぜん怖い感じがない。
謎のいいひとっぽさとか、家庭的な雰囲気がある。
しかし、さりげなーくクレイを監視して、管理して、おそらく情報を流しているのだ……。
「妹が、惚気をおくってきたのです」
「さようでございましたか。ほほえましいですねえ」
「お返事に困るな……他人の惚気って」
「そうかもしれませんねえ。読んでも構わなければ、このヘルマンがいっしょにお返事をかんがえましょうか?」
「うーん。僕、卿を頼りたい気持ちはあるのだけれど、妹の私的な恋愛事情は、身内以外には見せられないと思うの」
「それは、そうですねえ」
のほほんと微笑みながら引き下がってくれるヘルマンに、クレイはそっと安堵した。
さて、次の手紙……と封をみれば、なんとそれが『騎士王』からである。
(わあ。僕、はじめてお手紙を貰ったな……)
思えば、国を出た後、オスカーは手紙の一通すら寄こさなかったのだ。
クレイが仮病をつかってもお見舞いの手紙すら届かなかった……。
「おや、そちらは我が君からですねえ」
ヘルマンがほわほわと温厚に微笑んでいる。
それがクレイには少し不思議だった。
(このひとは、先帝ネスリンにとても可愛がられていたじゃない。THE・寵臣って感じだったではないか。なのに、ネスリンから指輪と命を奪ったニュクスを恨んだりしないんだな)
――自分だったらどうだろう?
それを考えると、その心が不思議に思えてならぬのだ。
手紙をひらいてみると、東方を感じさせる花の香りがふわりと漂う。
一枚目はなんだか小さな子供にあてるようなノリで北西言葉で近況をうかがうようなことが書かれていて、二枚目は妙に事務的な中央言葉で留守が長引く謝罪が書かれていた。
三枚目は何も書かれていなかった。
(ほう、ほう。お元気そうで。普通だ。うん。普通だな……なんか、甘い言葉とかポエムとか書きそうなイメージがあったけれど、まったくない。一言もない)
手紙をほわほわと眺めてかざしたりしていれば、ヘルマンが微笑ましく見守っている。
「よかったですねえ、お返事を書いたら喜ばれますよ」
「うん、うん」
(僕は『騎士王』にお手紙をいただいたぞ)
クレイはニコニコした。
(これは大切に保管しよう。とっても貴重なお手紙だもの)
「お返事を書きましょうねえ」
「うん、うん」
「今すぐ書きましょうねえ」
「そんなにすぐには思いつかないよ」
「さあ、書きましょうねえ」
「あ、あれえ……」
その後、ヘルマンはぴったりとクレイをマークして、半ば強要するように手紙の返事を書かせたのだった。
――朝は早起き、夜は早寝、食事に運動、勉強、そして手紙。
そんな日常をすこし過ごした頃、『歩兵』のテオドールがこそこそと報せてきた。
「坊ちゃん、バヤンが逃げそうですぜ」
「おお」
なんと、バヤンを逃がす前に自主的に逃げようとしているというのである。
「なんということだ。僕が逃がしたいのに彼が自分で逃げてしまったら……いいような、わるいような」
テオドールとレネンが呆れたような眼で見つめている。
「ちなみに、ほっとくと普通に帝国兵が気付きそうですが」
「!!」
少年の瞳がキラキラした。
「ならば、助けるのだ。僕は直接会ってお別れもしたい」
部屋にひとが来た時に備えてレネンに替え玉を用意してもらい、いそいそと黒ローブを着て『歩兵』たちと様子を視にいけば、なるほど、厩舎で騒ぎが起きている。
「ふうむ。まず、あの騒ぎをしずかにするのだ。そのあとは、正体不明の賊が、逆の方向で騒ぎを起こしたらよいと思うの」
おっとりとビジョンを共有すれば、『歩兵』が慣れた様子で手分けして作戦を実行し、ビジョンを現実にしてくれる。
「火事だー!」
「賊だー!」
「俺は恋人募集中だー!!」
「俺もー!!」
やる気があるのかないのか、イマイチゆるゆるした雰囲気で、『歩兵』たちが騒いでいる。
「今度あの者たちのために婚活パーティーをしよう」
心に留めつつ、クレイはバヤンにちょっかいを出すのであった。
「お前……」
バヤンは旅装で、武器を持っていた。
抜き身の刃のように鋭くてちょっと怖い気配で、警戒するように黒ローブのクレイを視る眼は人に慣れない獣のよう。
馬の背に乗り、今にも駆けだしそうな姿は、まるで自由の象徴のよう!
「自由の風、大地駆ける獣、赤毛のバヤン。僕は、君のお手伝いがしたい……」
恍惚と声をかければ、胡散臭そうな眼が返ってくる。
「手伝い?」
「うん、うん」
――あんまり仲良くなれた感じがいまのところしていない。それが残念なのだけど。
クレイは懸命に言葉を選んだ。
「僕、君のしたいことがわかる気がするんだ。キンメリアとオーブルは、部族間抗争の真っ最中ときく。バヤンは、どっちかの部族の者で、忠誠を誓った長のところに戻って、彼を助けたいんだ。そうではない?」
今から仲良くなればいいんだ。
フィニックスだって、そうだったじゃないか。
友達になりたいって言えば、意外となれるものなんだ……。
「君も知っての通り、僕は此処に囲われているだけの身分だから、『騎士王』の兵士を勝手に動かしたりはできないけれど。僕の『私兵』なら、お役立てできる……」
バヤンは数度双眸を瞬かせた。
「あの騒いでる連中か」
「そう、そう」
「ふーん。あんたら、暇そうだよな。なら、付いてきな」
あまり興味なさそうに言って、馬が外に向けて歩き出す。
「んっ? 『付いてきな』……?」
「坊ちゃん、行かないと置いていかれますぜ。囮中の他の連中にも、声かけますかい」
「お別れして終わりじゃなかったんですかい。手伝いって」
ベルンハルトとテオドールが気を利かせて馬を連れてきた様子で、首を傾げている。
馬が離れていってしまう――クレイの脳裏にアクセルの声が蘇った。
――『お前はトロい』。
「僕は先に行くから、テオドールは他の者を集めて、後から来るといいね。レネンに替え玉を維持して呪術の鳥で連絡を取るように伝えておくれ」
気持ち急ぎ目に指示を出して、自分の馬に乗せてもらって追いかければ、ベルンハルトに仕事を押し付けたテオドールが手近な馬に乗り、ついてくる。
「坊ちゃん、坊ちゃん! さすがにおひとりはいけませんや。というか、俺がいても俺だけだとちょいとお守りする自信ありませんや」
「テオドールはもっと自信を持ったらよいと思うのだ。僕は頼もしくおもっているよ。ちなみに、レネンが呪術をつかえば、僕らのいる場所はすぐ把握できるだろうし鳥で連絡も取り合えるだろうから、安心するといい」
のほほんとしたやりとりをしながら付いてくる主従を、バヤンは呆れたように視て天を仰いだ。
頭上は艶やかな深藍の夜闇に沈み、たっぷりと金砂銀砂を振り撒いたような満天の星々が煌いていた。
冷たさを感じさせるような黒色から清い青や瑠璃へと彩をほんのすこし変えていく自然のそらいろは綺麗で、星々の河が絢爛に煌き流れていて、神秘的だった。
――僕とて、ちょっとした冒険に憧れる気持ちくらい、人並みにあるのだ。
規則正しい生活と篭絡合戦なんて、つまらないではないか――ちょっとだけ。ちょっと遊んで、すぐ帰る。バレなければいいのだ!
過去に読んだ冒険物語をいくつも思い出し、クレイは目をキラキラさせるのだった。
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