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3章、野性、飼いならし
29、僕に服従するとよい(軽☆)
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たくさんの同種族が生きる群れの中のひとりとして、生きている。
先祖の代から当代、当代から子孫の代へと、代替わりして、種が続く。
例えば、断絶する家が多い中で義務を果たし続け、家の歴史を長く連ねた名門コルトリッセン家などは、『跡継ぎの子供を作る』というのが生まれた瞬間に課せられた大事な仕事というわけだ。
群れに生きる者は、種を存続させるという全体のための部品のよう。
けれど、オーブル族の群れに混ざっているクレイは思うのだ。
『群れに貢献する』だけなら、別に自分が子供をつくらなくてもできる。
例えば、群れのために水を汲んだり、群れを活かす牛の世話をしたり、そんな事でも僕は群れに貢献する感覚を得られるのだ――、
29、僕に服従するとよい
「腰抜けのオーブルめ、同胞の子が攫われても追ってこないとは」
――風に乗ってそんな声が聞こえる。
「あれっ、やっぱりこれ、攫われてるのかな?」
クレイはそっと首を傾げた。
「そりゃ、何語だ?」
フレルバータルが眉を寄せている。
つい、母国語で独り言をこぼしたようだ――クレイはそっと反省した。
言葉には気をつけるよう、教育を受けているのだ。
教育通りの模範的な振る舞いなんて、なかなかできるものではないけれど。
「僕は、攫われてるの?」
エインヘリア語で尋ねれば、頷きが返ってくる。
「お前は大人しいから縛ってないがな」
チラッと見ると、他の馬に担がれた子らは縛られたり気絶させられたりしているのだ。
「ふうむ。説明が不足していたのではない? 相手は子どもなのだもの。ちゃんと優しくわかりやすく『良いものをあげる』と説明してあげなくては。よくわかっていないのに急に連れていくから、怖がって暴れるのだよ」
若干のドヤ顔で語るクレイに、周囲の男たちからは妙な生き物を見るような視線が注がれる。
ちなみに語る言葉は本人的には『完璧!』だが、ネイティヴからすると微妙にカタコトで、発音が不自然な単語もあった。
それがまた、接する者にクレイを子供っぽく感じさせる一因となっている。
「そして、暴れたからと言って力で押さえ込んだりするのもいけない。僕のお爺さまもよく仰っていた。暴力とは最後の手段でおり、そのカードを選んだ時点で敗北である、と」
クレイは調子に乗って言葉を連ねた。
僕は確かに体を動かさないし、運動嫌いで筋肉もないが、けっこう教養はあるのだぞ――という自負が湧いてくる。
(僕は、たくさん本も読んだし、お勉強だってしているのだ。世の中の道理や美徳というものをそれなりに理解しているのだ。ただのひ弱なお坊ちゃんではないのだよ)
「賢し気な言葉を吐くじゃないか。いいぞ、運動神経が良く、知性があること。それが草原の雄の魅力だ――運動神経はなさそうだが、知性をみせてくれるってわけだな」
フレルバータルが鼻で笑って何かを呟く。
(おお、会話をしてくれそうではないか?)
クレイがワクワクと見上げると、フレルバータルの声がつづく。
「十二歳の少年、それは美しき花である。汝は愉悦するだろう。十三歳は欲情をそそる、十四歳の子の蜜は甘く……」
低い声は、朗々と響いた。
「それはどうも、少年賛歌だね……」
「ちなみに、お前は何歳だ」
尋ねる声にそおっと実年齢を明かすと、フレルバータルはにやりとした。
「子供ぶってるのが恥ずかしい歳だな」
「うっ、」
それは全く、その通りだ。
「そ、そうだ……」
クレイはちょっと俯いた。
(僕は、お爺様とか周りの人が子供っぽく振る舞うと喜ぶから、おねだりもしやすかったから、わざと子供っぽく振る舞ったりしていた。今も、……『お父さま』と父子ごっこなんかして……)
そうだ。
そろそろ、僕は、そろそろ……子供っぽく振る舞うのは、恥ずかしい歳なのだ。
「いいか、少年。お前の年齢は俺たちの部族で言うところのエローメノスにしては、ちょいと育ちすぎだ」
「ああ、僕、クレイという名前だよ……育ちすぎと言われると、リアクションに困るけれども」
実父アクセルの声が心に蘇る。
『その半端ぶりが本来対象外のはずのお前を短期間のみ、対象に錯覚させている』
『もう数年も経てば性愛の対象から外れて――』
「僕、エローメノス失格?」
「そう主張する部族の奴はいるだろうが、好みならどんだけ育っててもイけるという奴も多いだろうな。俺もそのクチだ。どっちかといえば育ってないのより成人してる奴のほうが愛せる、まである」
「ふむ? 愛、とな……」
やりとりを背景に、馬が駆けていく。
フレルバータルは途中で革袋を浮袋のようにして、馬に川を渡らせた。
夜の空気にぱしゃぱしゃと水音を立てて川を越えると、移動式住宅の群れがみえてくる。
「移動式補給基地だ」
「アウルク……? そういう呼び名なのだね?」
奴隷も加わり羊や馬を世話する風景は、オーブル族のそれとは少し雰囲気が違っていて、なんとなく軍の補給隊のような雰囲気があった。
大きな天幕にキンメリア族の男たちとオーブル族の少年たちが集まった。
フレルバータルがクレイを抱えて上座と思われる席に引っ張っていく。
どっかりとあぐらをかいて座るフレルバータルの隣で行儀よく座ってみていると、天幕の至るところで何かが始まった。
衣服を開放的に脱いだ男たちが、少年たちの肌に手を滑らせる。
「……あれは、なにをしているの」
なにやら、生々しくてよろしくない事件が目の前で起きている気がする。
呆然と呟けば、隣の気配が哂うようだった。
「発音があやしいからさてはと思ったが、わかってなかったな」
そうして、全く遠慮することのない腕が伸びてクレイを抱きかかえるようにして座らせ、衣装の帯をしゅるりと解いて前を乱すのだ。
「あっ……、い、いやだ」
乱れた衣装の隙間からさぐるような手を感じて、ぞわりと総毛立つ。
いつもの慣れた体温が感じさせるそれとはまったく違っていて、拒絶感でいっぱいになる。
かるく触れ心地をたしかめるようにしながら、フレルバータルは無知な者に物を教えてやるといった様子で声を連ねた。
「ちなみに、ちょっと前までは鶏とか宝を送ったりして、家長に認められてから関係を結ぶものだった。今ではそういった儀礼的なのは省かれて、好き者らの欲を満たすための夜会になってるが――『育ちすぎ』でもいいってのは、そういうことだ」
「……っ」
「そんな嫌そうにすると、苛めたくなるぞ」
笑う気配が恐ろしい。
支配的で、絶対的に主導権を持っていて覆らぬ余裕をたっぷりとわからせてくる、そんな態度だ。
「……身体的、精神的に未熟な若年者を、肉体的有利さでどうこうしようなどという大人は、いけないのだ」
「俺たちの部族では、これが『徳』なんだ」
右耳に嘲笑うような吐息が吹き込まれ、舐められる。
「ひっ」
汚らしいものを塗りたくられて、二度と綺麗にはならない、というようなおぞましい感じがして、嫌で嫌で仕方がない。
嫌だ。
逃げたい。
やめてほしい――
――『嫌だって言わないといけませんよ。いいですねクレイ』
保護者然とした優しい声が脳裏に蘇る。
「い、い、いやだって、僕は、言ってる!」
フレルバータルの声は、そんな反応が面白いとでもいうように笑っていた。
「俺は嫌がる雄を屈服させるのが好きなんだ。一番興奮するやつだ! お前はいい反応をしてくれるな……」
そのごつごつした手に両肩の華奢なラインをなぞるように撫でられて、嫌悪感がぶわりと湧いた。
「光栄に思えよ、俺はいずれ指輪を獲る男……北西の覇者となる雄なのだから」
クレイの心に強い危機感と、後悔が湧いた。
そして、聞き捨てならない、といった引っ掛かりも。
(ああ、僕、調子に乗っていた! 僕、考えなしのお花畑のおばかさんだった。僕、僕……、この者は、今なんて言った?)
「ゆ、指輪を獲るだって? 北西の覇者となるって言った……?」
片手の指に填めた指輪に気付いたように手が持ち上げられて、しげしげと見つめられる。
「高そうな指輪じゃないか。『覇者の指輪』には叶うまいが、こいつは良いものだ。俺がもらっといてやろう」
無骨な手が指に触れる。
『どれだけ嫌がっても、抗おうとしても、どうしようもないのだ』とわからせるような、野獣のような眼に見下される。
指輪に触れられる――それは、婚約の証だ。
クレイがエインヘリアにいられるよう、つくってもらった理由だ。
それは、特別だ。
世界でたったひとつの居場所と絆と日常をぎゅっと集めて形にしてもらったような、そんな特別な宝物なのだ。
「……お前は、『騎士王』を狙ってるのか」
少年の声が低く冷えた。
手がぎゅっと握られて、毒気を浮かべた菫色の瞳が剣呑になる。
「ああ! そうさ。名前も出自もわからん遍歴の騎士だったか、今の所有者は。アイザール系という噂もあるんだったか? 俺が隠してる素顔を拝み、鎧を引っぺがして辱めてやろう」
その声に、殺気が湧く。
――今、この者はなんと言ったのか。
クレイは指を虚空に滑らせた。
「アスライト」
ただ一言、名を呼ぶ声には怒りが溢れていた。
「来い。今すぐに。僕が呼んだら、君は来ないといけない……絶対。絶対に」
激情を綴るようにその名を虚空に描けば、次の瞬間、雷霆が落ちるような音がした。
「ギャッ」
短く悲鳴が響いて、傍にいた男が視えない何かに弾かれたように吹き飛ばされて、壁にぶつかる。
その衝撃に、天幕がおおきく揺れた。
「なん、だ……」
呟く声は、誰が発したものだったか。
――其処に居た男たちは、『夜』を視た。
照明に照らされていた天幕内に、どんな明るい光でもその暗さを和らげられないと思わせるような漆黒の闇があった。
光を頑なに拒絶するような、そんな冷たい闇だった。
大きな闇は、見たことのない生き物のかたちをしていた。
尾は長く、ゆったりとしていて、背は優美なラインを描き、四つ脚は鋭い爪を佩いている。
瞳は一度見たら忘れられない鮮やかすぎる赤で、地上のどんな宝石よりも神秘的で高貴な煌めきを魅せていた。
「っ……な、なんだこいつ!!」
「バケモノ! バケモノだ!!」
それは、特別な獣だ。
神話などに出てくるような類の、超常の獣だ。
――中央人は、その存在を竜と呼ぶのだ。
「これは、竜と呼ぶのだ。中央では畏敬の念で拝まれるものだ。神のように」
そんなキンメリア族の男たちを睥睨するクレイは、傲然とした顔で自らの召喚に応じた黒竜アスライトを視た。
「僕の夜――アスライトは、この場にいるキンメリア族、全員を束縛せよ」
断固とした命令に、黒竜は一瞬面倒そうな気配をみせつつ、従ってくれた。
あるいは、さっさと終わらせて帰ろうと思っていたのかもしれない。
不可視のなにかに束縛されて身動きが取れなくなった男たちを見渡して、クレイはフレルバータルに近寄った。
虫でも眺めるような眼で見降ろして、その股間を右足で踏む。
「ウッ」
急所を踏まれてフレルバータルが顔をゆがめ、呻き声を零す。
「汚らわしい」
蔑む声が敵意を剥く。
無意識に紡がれた言葉は、母国語――中央言葉だった。
「許されない、許さない。僕の騎士によこしまな念を抱き、狙うなど! 僕は、絶対許さない!」
激昂を伝える声は、普段のクレイを知る者がみれば別人と疑うような厳しさがあった。
「わ、わぁぁん……っ」
オーブル族の子らの何人かが、火がついたように泣き出すと、連鎖するようにその感情の波が広がっていく。
そんな音の波と感情の広がりに、クレイはハッとした。
まるで、『お兄さん』の本能を刺激でもされたかのように、その瞬間に纏う気配がやわらかになる。
「子供をオーブル族に帰すように」
エインヘリア語で、すこし理性的になった声がかけられる。
足にはぐ、ぐ、と力を加えながら。
「僕に従うのだ。僕は、この黒竜の主である。お前たちは、本日を命日にしたくなければ僕に服従するとよい、支配されるとよい……いい子にしていたら、罪をゆるして可愛がってあげるよ」
見下ろす瞳は夜明けを遠ざけるような静かな色を見せていて、どこか超然としていた。
「……ッ」
フレルバータルはぞくぞくと身を震わせて、股間を濡らした。
この『若長』はこの時、得体の知れない初めての高揚を感じたのだった。
それに気付いたクレイはぎょっとした顔をして、足を放して数歩分の距離を取った。
そして、たいそう嫌そうな顔をする。
「あ、あ、足が……汚れた」
それが本当に厭わしい、といった声で顔をしかめるクレイに、フレルバータルは恍惚とした表情を向ける。
なにやらこの時、この若長は新しいアブノーマルな世界への扉を開いたようだった。
先祖の代から当代、当代から子孫の代へと、代替わりして、種が続く。
例えば、断絶する家が多い中で義務を果たし続け、家の歴史を長く連ねた名門コルトリッセン家などは、『跡継ぎの子供を作る』というのが生まれた瞬間に課せられた大事な仕事というわけだ。
群れに生きる者は、種を存続させるという全体のための部品のよう。
けれど、オーブル族の群れに混ざっているクレイは思うのだ。
『群れに貢献する』だけなら、別に自分が子供をつくらなくてもできる。
例えば、群れのために水を汲んだり、群れを活かす牛の世話をしたり、そんな事でも僕は群れに貢献する感覚を得られるのだ――、
29、僕に服従するとよい
「腰抜けのオーブルめ、同胞の子が攫われても追ってこないとは」
――風に乗ってそんな声が聞こえる。
「あれっ、やっぱりこれ、攫われてるのかな?」
クレイはそっと首を傾げた。
「そりゃ、何語だ?」
フレルバータルが眉を寄せている。
つい、母国語で独り言をこぼしたようだ――クレイはそっと反省した。
言葉には気をつけるよう、教育を受けているのだ。
教育通りの模範的な振る舞いなんて、なかなかできるものではないけれど。
「僕は、攫われてるの?」
エインヘリア語で尋ねれば、頷きが返ってくる。
「お前は大人しいから縛ってないがな」
チラッと見ると、他の馬に担がれた子らは縛られたり気絶させられたりしているのだ。
「ふうむ。説明が不足していたのではない? 相手は子どもなのだもの。ちゃんと優しくわかりやすく『良いものをあげる』と説明してあげなくては。よくわかっていないのに急に連れていくから、怖がって暴れるのだよ」
若干のドヤ顔で語るクレイに、周囲の男たちからは妙な生き物を見るような視線が注がれる。
ちなみに語る言葉は本人的には『完璧!』だが、ネイティヴからすると微妙にカタコトで、発音が不自然な単語もあった。
それがまた、接する者にクレイを子供っぽく感じさせる一因となっている。
「そして、暴れたからと言って力で押さえ込んだりするのもいけない。僕のお爺さまもよく仰っていた。暴力とは最後の手段でおり、そのカードを選んだ時点で敗北である、と」
クレイは調子に乗って言葉を連ねた。
僕は確かに体を動かさないし、運動嫌いで筋肉もないが、けっこう教養はあるのだぞ――という自負が湧いてくる。
(僕は、たくさん本も読んだし、お勉強だってしているのだ。世の中の道理や美徳というものをそれなりに理解しているのだ。ただのひ弱なお坊ちゃんではないのだよ)
「賢し気な言葉を吐くじゃないか。いいぞ、運動神経が良く、知性があること。それが草原の雄の魅力だ――運動神経はなさそうだが、知性をみせてくれるってわけだな」
フレルバータルが鼻で笑って何かを呟く。
(おお、会話をしてくれそうではないか?)
クレイがワクワクと見上げると、フレルバータルの声がつづく。
「十二歳の少年、それは美しき花である。汝は愉悦するだろう。十三歳は欲情をそそる、十四歳の子の蜜は甘く……」
低い声は、朗々と響いた。
「それはどうも、少年賛歌だね……」
「ちなみに、お前は何歳だ」
尋ねる声にそおっと実年齢を明かすと、フレルバータルはにやりとした。
「子供ぶってるのが恥ずかしい歳だな」
「うっ、」
それは全く、その通りだ。
「そ、そうだ……」
クレイはちょっと俯いた。
(僕は、お爺様とか周りの人が子供っぽく振る舞うと喜ぶから、おねだりもしやすかったから、わざと子供っぽく振る舞ったりしていた。今も、……『お父さま』と父子ごっこなんかして……)
そうだ。
そろそろ、僕は、そろそろ……子供っぽく振る舞うのは、恥ずかしい歳なのだ。
「いいか、少年。お前の年齢は俺たちの部族で言うところのエローメノスにしては、ちょいと育ちすぎだ」
「ああ、僕、クレイという名前だよ……育ちすぎと言われると、リアクションに困るけれども」
実父アクセルの声が心に蘇る。
『その半端ぶりが本来対象外のはずのお前を短期間のみ、対象に錯覚させている』
『もう数年も経てば性愛の対象から外れて――』
「僕、エローメノス失格?」
「そう主張する部族の奴はいるだろうが、好みならどんだけ育っててもイけるという奴も多いだろうな。俺もそのクチだ。どっちかといえば育ってないのより成人してる奴のほうが愛せる、まである」
「ふむ? 愛、とな……」
やりとりを背景に、馬が駆けていく。
フレルバータルは途中で革袋を浮袋のようにして、馬に川を渡らせた。
夜の空気にぱしゃぱしゃと水音を立てて川を越えると、移動式住宅の群れがみえてくる。
「移動式補給基地だ」
「アウルク……? そういう呼び名なのだね?」
奴隷も加わり羊や馬を世話する風景は、オーブル族のそれとは少し雰囲気が違っていて、なんとなく軍の補給隊のような雰囲気があった。
大きな天幕にキンメリア族の男たちとオーブル族の少年たちが集まった。
フレルバータルがクレイを抱えて上座と思われる席に引っ張っていく。
どっかりとあぐらをかいて座るフレルバータルの隣で行儀よく座ってみていると、天幕の至るところで何かが始まった。
衣服を開放的に脱いだ男たちが、少年たちの肌に手を滑らせる。
「……あれは、なにをしているの」
なにやら、生々しくてよろしくない事件が目の前で起きている気がする。
呆然と呟けば、隣の気配が哂うようだった。
「発音があやしいからさてはと思ったが、わかってなかったな」
そうして、全く遠慮することのない腕が伸びてクレイを抱きかかえるようにして座らせ、衣装の帯をしゅるりと解いて前を乱すのだ。
「あっ……、い、いやだ」
乱れた衣装の隙間からさぐるような手を感じて、ぞわりと総毛立つ。
いつもの慣れた体温が感じさせるそれとはまったく違っていて、拒絶感でいっぱいになる。
かるく触れ心地をたしかめるようにしながら、フレルバータルは無知な者に物を教えてやるといった様子で声を連ねた。
「ちなみに、ちょっと前までは鶏とか宝を送ったりして、家長に認められてから関係を結ぶものだった。今ではそういった儀礼的なのは省かれて、好き者らの欲を満たすための夜会になってるが――『育ちすぎ』でもいいってのは、そういうことだ」
「……っ」
「そんな嫌そうにすると、苛めたくなるぞ」
笑う気配が恐ろしい。
支配的で、絶対的に主導権を持っていて覆らぬ余裕をたっぷりとわからせてくる、そんな態度だ。
「……身体的、精神的に未熟な若年者を、肉体的有利さでどうこうしようなどという大人は、いけないのだ」
「俺たちの部族では、これが『徳』なんだ」
右耳に嘲笑うような吐息が吹き込まれ、舐められる。
「ひっ」
汚らしいものを塗りたくられて、二度と綺麗にはならない、というようなおぞましい感じがして、嫌で嫌で仕方がない。
嫌だ。
逃げたい。
やめてほしい――
――『嫌だって言わないといけませんよ。いいですねクレイ』
保護者然とした優しい声が脳裏に蘇る。
「い、い、いやだって、僕は、言ってる!」
フレルバータルの声は、そんな反応が面白いとでもいうように笑っていた。
「俺は嫌がる雄を屈服させるのが好きなんだ。一番興奮するやつだ! お前はいい反応をしてくれるな……」
そのごつごつした手に両肩の華奢なラインをなぞるように撫でられて、嫌悪感がぶわりと湧いた。
「光栄に思えよ、俺はいずれ指輪を獲る男……北西の覇者となる雄なのだから」
クレイの心に強い危機感と、後悔が湧いた。
そして、聞き捨てならない、といった引っ掛かりも。
(ああ、僕、調子に乗っていた! 僕、考えなしのお花畑のおばかさんだった。僕、僕……、この者は、今なんて言った?)
「ゆ、指輪を獲るだって? 北西の覇者となるって言った……?」
片手の指に填めた指輪に気付いたように手が持ち上げられて、しげしげと見つめられる。
「高そうな指輪じゃないか。『覇者の指輪』には叶うまいが、こいつは良いものだ。俺がもらっといてやろう」
無骨な手が指に触れる。
『どれだけ嫌がっても、抗おうとしても、どうしようもないのだ』とわからせるような、野獣のような眼に見下される。
指輪に触れられる――それは、婚約の証だ。
クレイがエインヘリアにいられるよう、つくってもらった理由だ。
それは、特別だ。
世界でたったひとつの居場所と絆と日常をぎゅっと集めて形にしてもらったような、そんな特別な宝物なのだ。
「……お前は、『騎士王』を狙ってるのか」
少年の声が低く冷えた。
手がぎゅっと握られて、毒気を浮かべた菫色の瞳が剣呑になる。
「ああ! そうさ。名前も出自もわからん遍歴の騎士だったか、今の所有者は。アイザール系という噂もあるんだったか? 俺が隠してる素顔を拝み、鎧を引っぺがして辱めてやろう」
その声に、殺気が湧く。
――今、この者はなんと言ったのか。
クレイは指を虚空に滑らせた。
「アスライト」
ただ一言、名を呼ぶ声には怒りが溢れていた。
「来い。今すぐに。僕が呼んだら、君は来ないといけない……絶対。絶対に」
激情を綴るようにその名を虚空に描けば、次の瞬間、雷霆が落ちるような音がした。
「ギャッ」
短く悲鳴が響いて、傍にいた男が視えない何かに弾かれたように吹き飛ばされて、壁にぶつかる。
その衝撃に、天幕がおおきく揺れた。
「なん、だ……」
呟く声は、誰が発したものだったか。
――其処に居た男たちは、『夜』を視た。
照明に照らされていた天幕内に、どんな明るい光でもその暗さを和らげられないと思わせるような漆黒の闇があった。
光を頑なに拒絶するような、そんな冷たい闇だった。
大きな闇は、見たことのない生き物のかたちをしていた。
尾は長く、ゆったりとしていて、背は優美なラインを描き、四つ脚は鋭い爪を佩いている。
瞳は一度見たら忘れられない鮮やかすぎる赤で、地上のどんな宝石よりも神秘的で高貴な煌めきを魅せていた。
「っ……な、なんだこいつ!!」
「バケモノ! バケモノだ!!」
それは、特別な獣だ。
神話などに出てくるような類の、超常の獣だ。
――中央人は、その存在を竜と呼ぶのだ。
「これは、竜と呼ぶのだ。中央では畏敬の念で拝まれるものだ。神のように」
そんなキンメリア族の男たちを睥睨するクレイは、傲然とした顔で自らの召喚に応じた黒竜アスライトを視た。
「僕の夜――アスライトは、この場にいるキンメリア族、全員を束縛せよ」
断固とした命令に、黒竜は一瞬面倒そうな気配をみせつつ、従ってくれた。
あるいは、さっさと終わらせて帰ろうと思っていたのかもしれない。
不可視のなにかに束縛されて身動きが取れなくなった男たちを見渡して、クレイはフレルバータルに近寄った。
虫でも眺めるような眼で見降ろして、その股間を右足で踏む。
「ウッ」
急所を踏まれてフレルバータルが顔をゆがめ、呻き声を零す。
「汚らわしい」
蔑む声が敵意を剥く。
無意識に紡がれた言葉は、母国語――中央言葉だった。
「許されない、許さない。僕の騎士によこしまな念を抱き、狙うなど! 僕は、絶対許さない!」
激昂を伝える声は、普段のクレイを知る者がみれば別人と疑うような厳しさがあった。
「わ、わぁぁん……っ」
オーブル族の子らの何人かが、火がついたように泣き出すと、連鎖するようにその感情の波が広がっていく。
そんな音の波と感情の広がりに、クレイはハッとした。
まるで、『お兄さん』の本能を刺激でもされたかのように、その瞬間に纏う気配がやわらかになる。
「子供をオーブル族に帰すように」
エインヘリア語で、すこし理性的になった声がかけられる。
足にはぐ、ぐ、と力を加えながら。
「僕に従うのだ。僕は、この黒竜の主である。お前たちは、本日を命日にしたくなければ僕に服従するとよい、支配されるとよい……いい子にしていたら、罪をゆるして可愛がってあげるよ」
見下ろす瞳は夜明けを遠ざけるような静かな色を見せていて、どこか超然としていた。
「……ッ」
フレルバータルはぞくぞくと身を震わせて、股間を濡らした。
この『若長』はこの時、得体の知れない初めての高揚を感じたのだった。
それに気付いたクレイはぎょっとした顔をして、足を放して数歩分の距離を取った。
そして、たいそう嫌そうな顔をする。
「あ、あ、足が……汚れた」
それが本当に厭わしい、といった声で顔をしかめるクレイに、フレルバータルは恍惚とした表情を向ける。
なにやらこの時、この若長は新しいアブノーマルな世界への扉を開いたようだった。
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