清らかに致すだけ~下剋上後の主従が「その一線を越えてこい」ってするだけだけどそれが本人たちには意外と難しいって話

浅草ゆうひ

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4章、差別と極夜の偶像崇拝

45、僕は『騎士王』の偶像が好きだけど、それ以上にリアルな彼も好きなのだ

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 港湾都市イスファリアの蝋燭ろうそくが魔道具のランプに替えられていく。
 乾燥した空気の中、蝋燭による火災の恐れは付き物だったから、便利で安全な魔道具に住民たちは喜んでいた。
 
 北の土地で寒さから守ってくれる家を失うということは、想像するだけで恐ろしいことだった。
 なにせ、この土地ときたら昼も夜もびゅうひゅうと冷たい風が吹き付けて、視界を真っ白に染める大粒の雪の群れが永遠に続くかのように降り続けて、人の体温をどんどんと奪ってしまうのだから。

 そこに利器が導入されたので、人々は生活の安全性と質が上がったぞと喜んだのである。

 
   45、僕は『騎士王』の偶像が好きだけど、それ以上にリアルな彼も好きなのだ


 暖炉でだいだい色の火がちりちりと踊っていて、室内にあたたかな優しい空気を広げている。

 蜂蜜に柑橘類のジャムを加え、シナモンスティックを差したスビテンホットドリンクの香りがする。
 ほわほわと上がる湯気は真っ白で、部屋の空気に溶けていくさまが儚い。

「さあさあ俺の坊ちゃん! スビテンにカウラプーロお粥ですよ! ポカポカの甘々ですよ! なにせ俺の愛が詰まってますからね、俺の愛が!」
「う、う、うるさい……ちょっと……頭に響く……」

 いつもより声量を控えないニュクスフォスのハイテンションボイスが頭に響く。
 しかし唸るように苦言を呈すと、ビクッとして小声になるあたりには、憎めない愛嬌がある。

「これくらい? これくらいですかな?」
 囁くような声はふざけているようで、表情は神妙なのだった。

「そ、それくらい」
 了解、といった顔で頷いて、ニュクスフォスは持っていた料理トレイをサイドテーブルに置いた。
 
「起き上がれます? 起こしますぞ? 触れますぞ? もしかしたら襲ってしまうかも……」
「いいよ」
「最後の部分は『だめ』と拒まねばなりませんぞ」
 冗談めかした声と共に、背を支えるようにされながらクレイの上半身が起こされる。
 じっとりと汗に濡れた自分が汚れて見苦しい姿をしているように思えて、クレイは若干の羞恥を覚えた。

 カウラプーロお粥は柔らかな煮料理で、オーツ麦が柔らかく水分を含んでふやけている。仕上げに紅色スグリとブルーベリーが添えられて、ミントの葉まで乗っている。

「さあさあクレイ様、たんと召し上がれ!」
 木製スプーンでいそいそとカウラプーロお粥を掬い取り、「あーん」と促す顔が眩しい。

「ん……」
 あつあつの粥はまろやかで、甘さがある。好みの味だ。
 ひとくち食べるとニコニコと「美味しいですね! 何、もうひとくち欲しい? どうぞ!」と何も言ってないのに次が差し出される。
 合間にスビテンホットドリンクのマグが差し出されて両手で包み込むようにすると、手のひらがじんわりと熱い。
 マグを傾けてチロチロと舐めていると、ハンカチで額や首筋の汗が拭われる。

「風邪は、うつったりしないだろうか」
 ぴったりと寄り添うように介抱をする体温に、そわそわと呟く。
「おお殿下! 以前も申しましたが俺は馬鹿なのでうつりませんッ」
「言い切るね……」
 気になるのはもうひとつあって、「僕は匂わないだろうか」という点だったけれど、そちらはなんとなく口に出して問うのがはばかられる気持ちがして、クレイはこっそりと心の中で気にするのだった。

(これがレネンだったら、匂いなど気にしないけどなあ……やはり、ちょっと気になるではないか?)

 そわそわとしながら食事を終えると、医師に処方頂いたという珍しい薬を飲まされる。そして、ぼんやりと眠気に襲われながらベッドから離れて着替えをさせてもらい、寝具を交換してもらう。

「一晩ゆっくりお休みになれば、明日には治りますよ」
 まるでそんな未来が決まっているかのように自信満々に言うニュクスフォスが食器やトレイ、交換済みの寝具を下げて、代わりにこの地方の子供用と思しき絵本とフェルト人形を持ってくる。

 新作らしき人形は全身騎士鎧を着ている。
「ニュクス、それは『騎士王』のお人形だね……?」

 おっかなびっくり手を伸ばして抱っこして撫でてみれば、ニュクスフォスからは照れたような気配が感じられた。
「自分だと思わずに作ればまあ、まあ恥ずかしさも軽減されるというもので」
 よくわからないが、要はちょっと恥ずかしがりつつ作ったらしい。

「僕の『騎士王』は可愛いね」
 人形にニコニコとキスをしてやれば、本人が頬を染めて嬉しそうにしているのが微笑ましい。

「風邪をうつしたら大変だから、本物には治ってからキスしてあげる」
 つられたように照れながら人形と一緒に布団にくるまり見上げれば、褐色色の手が伸びてきて、クレイの髪を柔らかに撫でた。

 その肌の色が部屋の照明に美しく映えていて、間近に見つめるクレイの目はうっとりとしたけれど「この色が美しいね」とは言ってはいけないように思えて、言い出しかけては口をつぐんでしまう。

 ――代わりに言うならば、何だろう。

 少し考えたクレイは、そっと母国ファーリズ語を口にした。

「僕の『騎士王』は、とっても強い……」
 ベッドの側で傅く青年が「そうそう」とニコニコしている気配を感じながら、クレイはゆっくりと目を閉じた。

 すると、不思議なことに一瞬、クレイは母の気配を思い出した。
 亡くなる前、ほんの短い間、とても幼かった頃――少女のような母の微笑む気配を。

 ――ラーシャ姫だ。
 お母さまラーシャだ。

 僕は、紅薔薇勢やラーシャ姫の信奉者が偶像の『ラーシャ姫』を語るのと同じ温度で『騎士王』を愛でているのだ。

「……僕の『騎士王』は、魔王だった女帝ネスリンを討伐した英雄で、とっても――健気だ」
 不思議そうな気配が首を傾げるのがわかる。

 そうだ。そうだ。
 そうではないか。

 クレイは人形の『騎士王』をぎゅっと抱きしめた。
『騎士王』はこんな感じで格好良いんだ。立派なんだ。そんなイメージが自分の中に出来ている。
 いつの間にか出来て、ひとりでにイメージが育っていく。
 でも、実際の生身の彼がどんな人物なのかをクレイはある程度知っていて、必ずしも『騎士王』にクレイが押し付けたイメージと実際の彼が一致するとは限らないのだという現実もわかっていた。
 
 まるで、ラーシャ姫のように。

 ――僕は『騎士王』の偶像が好きだけど、それ以上にリアルな彼も好きなのだ。

 それは、とても大切なことだとクレイには思えた。
 それは、恥ずかしいとか面倒とかいう気持ちに負けることなく、真っ直ぐに言葉に変えて伝えないといえないのだと、クレイには思えてならなかった。

 ――だから、しずかに言葉を紡いだ。

「僕の騎士は、当たり前みたいに陽気で明るいんだ。つらいことがあってもニコニコ笑うんだ。悪口言われても、笑って顔を上げるんだ。冷たくされてもめげないんだ……図々しいって言われても遠慮しないんだ」
 
 顔を隠した騎士人形はさやかで無機質で、柔らかくて優しい感じがした。
 だから、クレイが語る声も優しくなるのだ。
 
「失敗して逃げても、戻ってくるんだ。格好悪くても、恥ずかしがっても投げ出さずに最後までやり遂げるんだ」

 傍らの気配が息を呑むのがわかった。
 それが胸をどきどきさせて、鼓動を速める。

「だから、好きなんだ。わかる? 僕のお父さま陛下。僕の騎士ニュクス。僕の友達オスカー……僕の恋人シェリ。僕が好きなのは、性格なんだ。中身なんだ。ありのままの、人間味のある心なのだ」

 暖炉の火がパチパチと爆ぜる小さな音を立てている。

「……」
 控えめに頷く気配はしっとりとしていて、部屋の隅で壁時計が時を刻む音が生真面目で、無機質で、けれどあたたかかった。

「クレイ様……」
 そろそろと髪を撫でていた褐色の手が頬に滑る。
 それを快く感じながら、クレイは吐息を紡いだ。
「なあに」
 心を伝えるって、むずかしい。
 伝わっていたらいい――そう思いながら。

「俺は告白せねばならぬ……」
 ニュクスフォスの声が小声でなにかを言おうとしている。
 一体なんだろう――クレイはドキドキした。

(僕のことが好きって改めて言ってくれるとか? 最後までしたいとか? そ、そういうのかな。そういうのなのかな……っ? それとも、逆に恋人をやめようとか婚約破棄しようとかそっちだったりする? そ、それは……悲しいが……っ?)

 クレイの内心を知らず、青年の声は続いた。

「実は女帝ネスリンと一騎討ちしたのはエリック殿下で、配下と一緒に城を攻めていた俺は偶然打ち合っている二人を見つけてこれ幸いと美味しいところを頂き申したまで……エリック殿下が黙っててくれてるので世間的には俺が一人で倒したことになっておりますが」

「はっ?」

 思わず素っ頓狂な声を出して目を開けてみれば、悪びれない笑顔がスッキリした様子である。

「もちろん指輪を獲ったのが俺なのは間違いないので、そこはご安心を!」

「お、お、お前……、漁夫の利だね……得意だよね、そういうの。そ、そ、そう……そうであったか……そうか~っ……」
「ええ、ええ。得意ですッ!」
 力いっぱいの肯定が返ってくる。
 
 その時、クレイはちょっぴり残念な現実を知ってしまったのだった。

 そんな室内をふわふわと外窓から覗いていた古妖精のフェアグリンは、ふと吹き付けた雪風に誘われたように首を巡らせ、北と南東を順に見る。

 この時、北の海からは水棲の馬妖精ノッグル水棲の牛タルー・ウシュタが上陸して、悪戯な目をぱしぱしと瞬かせ、フェアグリンの目を盗んであちらこちらに遊びに行こうとしていて、南東からは橙色の篝火が幾つもゆらめき、雪道をのろのろと進んでイスファリアに近づく気配を見せていた。
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