スカーレットの魔法譚

Mintyオーロラ

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第一章 緋色の三日間

第2話 緋色魔法の継承者

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「スカーレット一族の者? この僕が?」

 空気が瞬時に張り詰め、澪音の顔は疑心暗鬼の色を帯びる。それは数秒前、アデルの勝手な言辞に対する、極めて自然な反応だ。

「私も驚いた。なんで最後のスカーレットが五百年後のシルファスに……」
「本当に、笑えない冗談だね。根拠もないし、ただの空論でしょう」
「いいえ、証拠ならちゃんとある。よく見てて」

 アデルが左手をゆっくりと掲げると、一つの水晶球が上方に顕現し、空中で漂った。
 薄紅い光がアデルの掌から飛び出し、結晶面に吸い付いた瞬間、無数の正方形スクリーンが立体映像のように投影され、二人をふんわりと包み込む。

「これは、君とのこの時空を超えた対話のために発動された禁術、<夢遊ドリームウォーク>。名の通り、使用者が過去、現在、あるいは未来から対象となるスカーレットを選び、その者の夢に侵入する魔法だ。同時に、選ばれた人物は強制的に眠りに落ちる」

 アデルは詳しい説明を続けながら、そっと手首をひと振りした。すると、スクリーンが緩やかに回転し始め、それぞれが異なる光景を映し出す――文学と芸術に彩られた社会、工業が発展を遂げた都市、そして息吹あふれる郊外の風景。
 どの景色も、中世と二十一世紀の間を行き来しているかのような、不思議なシーンだった。

「私は意識が過去から解き放たれて以来、ずっと未来の時間軸を渡り歩き、スカーレットを探し求めてきた。そして、この先五百年の範囲内で見つかったのは、君だけ。魔法は嘘をつかない」
「それって、ちょっとこじつけすぎじゃないか? 他に検証方法はないの?」

 澪音の顔には複雑な表情が浮かんだ。
 期待していたのは、遺伝子レベル――少なくとも科学的根拠に基づく証明だったから。

「うん……確かに、一つだけある」

 顎に手をやり、アデルは瞳を閉じて思索に耽った後、澪音へ視線を戻す。

「スカーレットの血は片親でも必ず継承される。では問おう、澪音少年、君の両親のうち、どちらかはスカーレット?」

 その質問に。
 泣所を突かれたように、澪音は思わず拳を握り締めた。自分でも気づかなかった、涙腺が緩むことを。
 必死に首を横に振り、噦り上げた澪音が振り向くと。潤んだ瞳に二本の涙跡ができた。

「……七年前、二人は事故で亡くなった。普通の人だよ。スカーレットどころか、魔法使いなんかじゃない」

 これまでの人生を回顧して、家族を亡くしてから、自暴自棄な生活を持続した。
 狭くとも暮らすには困らない家。両親の遺した金も大学まではやりくりできる。
 だが、放課後に帰宅しても、迎えてくれるのは薄暗く静かな部屋だけ。胸に灯った小さな火花すら、すぐ消えてしまう。
 もし運命がもう自分を慈しまないと決めているのなら、努力というものに、いったい何の価値があるのだろうか。

 ――だから、ゲームをやるんだ。

 代償を払わずに現実から離れ、世界を忘れられる居場所が心の慰めになった。
 ただ、まだ現実を放棄しなかったのは、幼馴染が二人いるから。

「ごめん……そんな質問をしちゃって、私の不覚だ」

 罪悪感を覚えたアデルは思わず両手を伸ばしかけて、この悲しい少年を抱擁しようとするが、動きを止め、苦笑した。

「君の気持ちはよくわかる、少年。私たちは、闇の中を這いつくばって進み、光を求める者。生活にほんのわずかな希望を見つけると、全力で手を伸ばして掴もうとする――それでも、いつもすり抜けていってしまう。美しい明日を夢見て祈ること、それこそが、命が私たちに与えてくれた存在の意味なのだ。大切な人たちとずっと一緒にいられること。平和と幸福。素晴らしいじゃないか、そんな世界!」

 言葉の端々に、未来への憧れが滲む。
 ただ澪音は見逃さなかった。アデルの表情の裏に、本心が隠されたようだった。
 自分に似た――平然たる外見で作った偽装。

「そう、だね。そんな世界に生まれたらいいなぁ」
「……でも、現実は残酷なものだ。人を成功させ、意志の弱い者を簡単に打ち砕く。彷徨って倒れた人が再起を図るには、徹底的に破壊するしかない。そしてゼロから――」

 言って、淡い緋色光が両手を合わせたアデルの輪郭を浮かび上がり、力の集積点――掌に流れていく。
 形成した半透明の立方体を一気に圧縮する。一度ダメなら二度。それでも足りなければ三度と。そして一分後、作り出したルビーが降りてきた。

「もし、人生をやり直す機会をあげると言ったら、どうする?」

 人生を直すチャンス――バッドエンドを迎え、『リスタート』を押して二週目を開くこと。
 酷い一週目をしているプレイヤーとして、「はい」と答えるのが条件反射。
 だけど、相手の弱気な口調に秘密を感じた澪音は、素早く返事をしなかった。

「知ってるよ、物事には常に二面性があるって。だから隠す必要はない。再開の代償は?」
「やはり気づいたんだね。このルビーにはスカーレットの魔法が宿る。君なら扱える。ただし――運命は劇的に動くが、成功は約束できない。むしろ、今より長い苦しみを抱える可能性が高い。終点に辿り着くまで」

 やっぱりそうだった、と心の中で嘆いて、澪音はそれ以上話す必要がないと思った。
 滅茶苦茶な人生の上に、余計な迷惑をかける方が死より切ない。
 百歩譲って考えてみると、スカーレットの身分を置いて、凡人としての生活――仕事、恋愛、結婚を過ごしたら、純粋で美しい人生と言える。
 ならば――、

「……もういいよ。これ以上の話は、時間の無駄だ」

 アデルの期待に応えられないことを自覚した澪音は、憂鬱そうに天井を見上げ、

「簡単で、平安で。僕の望む物語はずっとこうなんだ。だから、魔法の継承はお断りさせて、いただきます……」

 アデルの表情はあまり変わらない、というか、この場でどんな表情をすればいいのかわからない。
 家族の境遇に同情を惜しみ、彼が苦しむのを見たくない。
 一方で、少年に引き受けてほしいと我儘を言いたい。

「少年、幸せなの?」
「え? いきなり何を――」
「心から幸せそうに笑えるの?」
「……」

 言葉に詰まる澪音。
 このような哲学的なことは何年も考えたことがなかった。
 幸せの基準は人それぞれ。
 澪音の記憶には、喜怒哀楽――人間の複雑な感情があったが、自分は幸せなのかというと、心に何かが欠けているような気がする。

「できない、かも……」

 突破口を見つけたかのように澪音の肩に手を置いて、アデルは続ける。

「昔、予言のできる魔法使いがいた。彼女の名が世間に伝わってた――スカーレット・ウィッチ。それが私よ。この呪われた能力を持ってるのは、一族でも私だけ」
「呪われたって? あんな素敵な能力なのに?」
「ふ……」

 澪音にではなく自分に向けられ、アデルは冷笑した。

「素敵、なのか……予言の度に私が得たのは惨憺たる結果――人間の不幸、感傷、そして無限の貪欲。こんな予言が、当然のことながら、悲劇を起こした。私だけじゃなく、スカーレット一族のみんなも、殺された……」

 荒唐無稽なことを聞かされたようで、澪音は目を見開いた。

「なんだって……あなた、殺されたのか?!」
「くっ、滑稽だよね、『魔女狩り』を止めた魔女が狩られてしまって……でも、私はまだ絶望しない。最後の予言に希望を見出した! 明るい未来への希望! だから瀕死の際に<夢遊ドリームウォーク>を使ったのだ」

 大袈裟な台詞はアデルの完璧な演技に見えるが、この空間を満たしているのは真情の発露で、誤魔化しのない感情物質。
 澪音にとって、それは遙か遠い歴史の出来事。
 けど、アデルの心には、一族の潰滅を目撃した苦痛が焼き付けられた。
 耐え難くとも前進しなければならない。自身が、使命を帯びるから。

「アデルさん……」

 自嘲に満ちたその口調から深い共感が湧き上がり、澪音はその沈痛な言葉を無視できない。ゆっくりと顔を上げ、小声で尋ね、

「予言の内容、教えてくれないか……?」

 目を閉じると、アデルは手を胸に当て、吟唱を始める。

「五百年後の世界は闇に戻る。魔法使いと迷者に災厄が降臨する。無秩序の中で、世界に平和と変革をもたらし、天下を統一するのは、緋色魔法使い末裔と銀月騎士。だが…………………いいえ、それだけ」

 予言としては直截だが、推敲すべき点がある。
 五百年後の現代、未知の禍患は間近に迫る。そして――、

「緋色魔法使い末裔って、僕のことでしょうか……」

 澪音は自分にしか聞こえない裏声で言った。
 子供の頃から何も変わったことがないのに、今ではなぜか『魔法使い』の肩書と未来を書換える責任を課せられた。
 そんなことできるか、と澪音は物憂い心に声をかけた。ただ、イエスであろうとノーであろうと、何の意味もない。
 だって、本当に知りたいのは――『僕、それを必要なのか』。

 ――本当に、必要なのか?

 歯を食いしばり、澪音はアデルの方を振り返った。

「僕じゃないと、ダメ?」
「……うん。君は、最後のスカーレットだから」
「あなたの予言、外れたことがある?」
「ないわ。それが一番心が折れる部分。予言は、必ず叶う」

 今度は、アデルの答えに迷いは無い。
 二人の間に信頼関係が築かれつつあるのを機に、さらに説明を加え、

「幸福は諸人に贈呈されるわけじゃない。けど、それを追求する自由は誰でも持っている。少年、この魔法を受けると、君の人生だけじゃなく、世界の未来も変える」
「つまり、ウィンウィン……ってことか。で、継承の過程ってどうなるんだ?」
「ルビーが君と一体化して、より大きな魔力と新たな魔法を与えてくれる」
「魔力って、ゲームのMPみたいなものだよね?」
「魔力は魔法使いの命脈、魔法を発動するためのエネルギーで、私たちの血液の中を巡っている」
「ちょ、ちょっと待ってよ。もし魔力が尽きたり、逆に過剰になったりしたら……死んだりはしないよ、ね?」
「うーん……死亡例もあるけど、むしろ肉体が崩壊するほうが多いかな」

 アデルの言葉は、用語を完全に理解した澪音の耳にこそ、何倍にも恐怖を増幅させた。顔色が青ざめ、指先はかすかに震えている。

「じゃ、僕の体がルビーの魔力に耐えられなかったら……」
「うん、血を噴いて重傷を負うだろうね」

 生還は、博打に近い――そう理解した。
 だが、極めて高い不確実性を前にしても、澪音の高鳴った鼓動は一瞬で静まり、緊張に硬く結ばれた表情はみるみる冷静を取り戻していく。肩をすくめ、俯いた胸から「はあ……」と長いため息が漏れる。

「ずるい言い方だね。僕が世界の運命を変えると言われたら、ここで断ったら最低な人間じゃないか」
「ごめん、少年……こんな不名誉な手段を使って……」

 心咎めを深めたアデルに澪音はふっと、ほっとしたように微笑した。

「……僕はさ、できれば平穏な人生を送りたい。彼女を作り、この町に一生暮らす……と、思ったけど。やっぱり、魔法なんて、一度でも使ってみたい」
「えっ? ってことは……」
「うん。人生の二度目チャンス、受けます」

 なぜ承諾したのか、澪音自身にもよくわからない。それはアデルへの憐愍、あるいは第六感だったのかもしれない。
 選択の権利は自分に残る。断ったとしても、それは熟慮後の決断。
 ただ、これまでの生活を守りたいと思っても、恬淡寡欲な人生を送っていいのかと問われると、本心を欺瞞して「はい」と答えることは無理。
 賭けてみる価値はある、と澪音が思う――たとえ失敗の可能性が高い。

「茨の道を選んだら、もう引き返す余地ないよ」
「ええ、わかっている」

 意を決した。澪音は拳を握り締めながら、

「じゃあ改めて、僕、雨夜澪音、緋色魔法を継がせてもらう」

 言った途端、ルビーが大きく揺れ始め、ぴしゃりと縛りを破って澪音の胸に飛んできた。
 凸凹の表面が不思議に赤く光って、衣服を無視し、皮膚を通り抜け、人間の命脈である心臓に止まる。
 続くのは継承者との融合。
 激痛が一瞬で澪音を麻痺させた――『良薬は口に苦し』は知ったが、その苛烈さは想像を絶する。

「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!」

 体が熱くなると同時に、血液に暖流が入ってくるのを感じた。
 夢と共振して、現実の澪音は魘されて両手で胸を押さえる。緋色魔力が具現化し、オーロラの形で全身を包み込む。
 後頸部の母斑も一変していた。そこの皮膚組織が再編成し、これまでよりも濃色の模様を作り出した――紋章の円形、緋色の地色、中央に黒羽。

「ふう……やっと……死ぬかと思った……」

 苦痛はめっきり減り、顔を上げると、澪音は少し元気に見えた。

「おめでとう、少年。継承、成功……君の……未来はきっと……かっ……」

 飛び散った血滴を見て、アデルは口元の血痕に気づいた。直後、全身に強烈な脱力感が襲い、胸がちくりと痛んだ。
 それが何を意味するのか、アデルはよくわかる――禁術の効果と命が急速に散っていく。

 もう、時間だ。

「うぅ……」

 疲労状態では魔法を維持できず、数秒で水晶玉を蒸発させた。

「あっ! アデルさん!」

 倒れたアデルを助け起こすと、澪音は感受した。
 鼓動が次第に弱化の麗人は、吐く息は氷のように寒冷だった。体も時間の経過と一緒に透明になる。

「これは一体……」
「はぁ……はぁ……<夢遊ドリームウォーク>の効果が、切りそうだ……」
「おい、それ、まさか――」
「これが、スカーレット・ウィッチ、最後の魔法だ。どう、素敵でしょう!」

 掠れた声と乾いた皮膚はアデルの命が尽きること顕わすが、彼女は最初の魅力的な笑顔のまま――自分の死期を平気で見ている病人のような。

「これでお別れだね、少年……」
「予言の後半、アデルさんは『だが』と言ったよね。言わなかった部分を、教え――?」

 アデルは唇に人差し指を当てた。内緒、の合図。

「……ごめん、全部は言えない。今、明かせば未来が変質する。それから、スカーレットには契約精霊がいる。 目が覚めたら、必ず召喚して……」
「そんな大事なこと、先に言えなさいよ……」
「ごめんね、雨夜澪音。どうやら君に、迷惑ばかり……」

 息は微弱で、魔力が切れたアデルは、澪音の懐で白い粒子になって空中に散る。

 次の瞬間、バーが大きく揺れ始めた。発動者がいなくなれば、この魔法による空間が崩壊するのも当然だ。天井が砕け、グラスの破片が降り注ぐ。無言のまま、黒髪少年は壁に靠れて目を閉じた。

 ――やばい、眠い……

 同様な息苦しさを味わったのは、アデルに召喚された一瞬以来。
 視界がぼやけ、微かに耳鳴りがする。
 そして、

「――っ?!」

 パッと目を開けると、澪音は夢から覚めた。掌だけに、深紅の魔法陣が二度瞬き、すぐに消えた。
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