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第一章 緋色の三日間
第2話 緋色魔法の継承者
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「スカーレット一族の者? この僕が?」
空気が瞬時に張り詰め、澪音の顔は疑心暗鬼の色を帯びる。それは数秒前、アデルの勝手な言辞に対する、極めて自然な反応だ。
「私も驚いた。なんで最後のスカーレットが五百年後のシルファスに……」
「本当に、笑えない冗談だね。根拠もないし、ただの空論でしょう」
「いいえ、証拠ならちゃんとある。よく見てて」
アデルが左手をゆっくりと掲げると、一つの水晶球が上方に顕現し、空中で漂った。
薄紅い光がアデルの掌から飛び出し、結晶面に吸い付いた瞬間、無数の正方形スクリーンが立体映像のように投影され、二人をふんわりと包み込む。
「これは、君とのこの時空を超えた対話のために発動された禁術、<夢遊>。名の通り、使用者が過去、現在、あるいは未来から対象となるスカーレットを選び、その者の夢に侵入する魔法だ。同時に、選ばれた人物は強制的に眠りに落ちる」
アデルは詳しい説明を続けながら、そっと手首をひと振りした。すると、スクリーンが緩やかに回転し始め、それぞれが異なる光景を映し出す――文学と芸術に彩られた社会、工業が発展を遂げた都市、そして息吹あふれる郊外の風景。
どの景色も、中世と二十一世紀の間を行き来しているかのような、不思議なシーンだった。
「私は意識が過去から解き放たれて以来、ずっと未来の時間軸を渡り歩き、スカーレットを探し求めてきた。そして、この先五百年の範囲内で見つかったのは、君だけ。魔法は嘘をつかない」
「それって、ちょっとこじつけすぎじゃないか? 他に検証方法はないの?」
澪音の顔には複雑な表情が浮かんだ。
期待していたのは、遺伝子レベル――少なくとも科学的根拠に基づく証明だったから。
「うん……確かに、一つだけある」
顎に手をやり、アデルは瞳を閉じて思索に耽った後、澪音へ視線を戻す。
「スカーレットの血は片親でも必ず継承される。では問おう、澪音少年、君の両親のうち、どちらかはスカーレット?」
その質問に。
泣所を突かれたように、澪音は思わず拳を握り締めた。自分でも気づかなかった、涙腺が緩むことを。
必死に首を横に振り、噦り上げた澪音が振り向くと。潤んだ瞳に二本の涙跡ができた。
「……七年前、二人は事故で亡くなった。普通の人だよ。スカーレットどころか、魔法使いなんかじゃない」
これまでの人生を回顧して、家族を亡くしてから、自暴自棄な生活を持続した。
狭くとも暮らすには困らない家。両親の遺した金も大学まではやりくりできる。
だが、放課後に帰宅しても、迎えてくれるのは薄暗く静かな部屋だけ。胸に灯った小さな火花すら、すぐ消えてしまう。
もし運命がもう自分を慈しまないと決めているのなら、努力というものに、いったい何の価値があるのだろうか。
――だから、ゲームをやるんだ。
代償を払わずに現実から離れ、世界を忘れられる居場所が心の慰めになった。
ただ、まだ現実を放棄しなかったのは、幼馴染が二人いるから。
「ごめん……そんな質問をしちゃって、私の不覚だ」
罪悪感を覚えたアデルは思わず両手を伸ばしかけて、この悲しい少年を抱擁しようとするが、動きを止め、苦笑した。
「君の気持ちはよくわかる、少年。私たちは、闇の中を這いつくばって進み、光を求める者。生活にほんのわずかな希望を見つけると、全力で手を伸ばして掴もうとする――それでも、いつもすり抜けていってしまう。美しい明日を夢見て祈ること、それこそが、命が私たちに与えてくれた存在の意味なのだ。大切な人たちとずっと一緒にいられること。平和と幸福。素晴らしいじゃないか、そんな世界!」
言葉の端々に、未来への憧れが滲む。
ただ澪音は見逃さなかった。アデルの表情の裏に、本心が隠されたようだった。
自分に似た――平然たる外見で作った偽装。
「そう、だね。そんな世界に生まれたらいいなぁ」
「……でも、現実は残酷なものだ。人を成功させ、意志の弱い者を簡単に打ち砕く。彷徨って倒れた人が再起を図るには、徹底的に破壊するしかない。そしてゼロから――」
言って、淡い緋色光が両手を合わせたアデルの輪郭を浮かび上がり、力の集積点――掌に流れていく。
形成した半透明の立方体を一気に圧縮する。一度ダメなら二度。それでも足りなければ三度と。そして一分後、作り出したルビーが降りてきた。
「もし、人生をやり直す機会をあげると言ったら、どうする?」
人生を直すチャンス――バッドエンドを迎え、『リスタート』を押して二週目を開くこと。
酷い一週目をしているプレイヤーとして、「はい」と答えるのが条件反射。
だけど、相手の弱気な口調に秘密を感じた澪音は、素早く返事をしなかった。
「知ってるよ、物事には常に二面性があるって。だから隠す必要はない。再開の代償は?」
「やはり気づいたんだね。このルビーにはスカーレットの魔法が宿る。君なら扱える。ただし――運命は劇的に動くが、成功は約束できない。むしろ、今より長い苦しみを抱える可能性が高い。終点に辿り着くまで」
やっぱりそうだった、と心の中で嘆いて、澪音はそれ以上話す必要がないと思った。
滅茶苦茶な人生の上に、余計な迷惑をかける方が死より切ない。
百歩譲って考えてみると、スカーレットの身分を置いて、凡人としての生活――仕事、恋愛、結婚を過ごしたら、純粋で美しい人生と言える。
ならば――、
「……もういいよ。これ以上の話は、時間の無駄だ」
アデルの期待に応えられないことを自覚した澪音は、憂鬱そうに天井を見上げ、
「簡単で、平安で。僕の望む物語はずっとこうなんだ。だから、魔法の継承はお断りさせて、いただきます……」
アデルの表情はあまり変わらない、というか、この場でどんな表情をすればいいのかわからない。
家族の境遇に同情を惜しみ、彼が苦しむのを見たくない。
一方で、少年に引き受けてほしいと我儘を言いたい。
「少年、幸せなの?」
「え? いきなり何を――」
「心から幸せそうに笑えるの?」
「……」
言葉に詰まる澪音。
このような哲学的なことは何年も考えたことがなかった。
幸せの基準は人それぞれ。
澪音の記憶には、喜怒哀楽――人間の複雑な感情があったが、自分は幸せなのかというと、心に何かが欠けているような気がする。
「できない、かも……」
突破口を見つけたかのように澪音の肩に手を置いて、アデルは続ける。
「昔、予言のできる魔法使いがいた。彼女の名が世間に伝わってた――スカーレット・ウィッチ。それが私よ。この呪われた能力を持ってるのは、一族でも私だけ」
「呪われたって? あんな素敵な能力なのに?」
「ふ……」
澪音にではなく自分に向けられ、アデルは冷笑した。
「素敵、なのか……予言の度に私が得たのは惨憺たる結果――人間の不幸、感傷、そして無限の貪欲。こんな予言が、当然のことながら、悲劇を起こした。私だけじゃなく、スカーレット一族のみんなも、殺された……」
荒唐無稽なことを聞かされたようで、澪音は目を見開いた。
「なんだって……あなた、殺されたのか?!」
「くっ、滑稽だよね、『魔女狩り』を止めた魔女が狩られてしまって……でも、私はまだ絶望しない。最後の予言に希望を見出した! 明るい未来への希望! だから瀕死の際に<夢遊>を使ったのだ」
大袈裟な台詞はアデルの完璧な演技に見えるが、この空間を満たしているのは真情の発露で、誤魔化しのない感情物質。
澪音にとって、それは遙か遠い歴史の出来事。
けど、アデルの心には、一族の潰滅を目撃した苦痛が焼き付けられた。
耐え難くとも前進しなければならない。自身が、使命を帯びるから。
「アデルさん……」
自嘲に満ちたその口調から深い共感が湧き上がり、澪音はその沈痛な言葉を無視できない。ゆっくりと顔を上げ、小声で尋ね、
「予言の内容、教えてくれないか……?」
目を閉じると、アデルは手を胸に当て、吟唱を始める。
「五百年後の世界は闇に戻る。魔法使いと迷者に災厄が降臨する。無秩序の中で、世界に平和と変革をもたらし、天下を統一するのは、緋色魔法使い末裔と銀月騎士。だが…………………いいえ、それだけ」
予言としては直截だが、推敲すべき点がある。
五百年後の現代、未知の禍患は間近に迫る。そして――、
「緋色魔法使い末裔って、僕のことでしょうか……」
澪音は自分にしか聞こえない裏声で言った。
子供の頃から何も変わったことがないのに、今ではなぜか『魔法使い』の肩書と未来を書換える責任を課せられた。
そんなことできるか、と澪音は物憂い心に声をかけた。ただ、イエスであろうとノーであろうと、何の意味もない。
だって、本当に知りたいのは――『僕、それを必要なのか』。
――本当に、必要なのか?
歯を食いしばり、澪音はアデルの方を振り返った。
「僕じゃないと、ダメ?」
「……うん。君は、最後のスカーレットだから」
「あなたの予言、外れたことがある?」
「ないわ。それが一番心が折れる部分。予言は、必ず叶う」
今度は、アデルの答えに迷いは無い。
二人の間に信頼関係が築かれつつあるのを機に、さらに説明を加え、
「幸福は諸人に贈呈されるわけじゃない。けど、それを追求する自由は誰でも持っている。少年、この魔法を受けると、君の人生だけじゃなく、世界の未来も変える」
「つまり、ウィンウィン……ってことか。で、継承の過程ってどうなるんだ?」
「ルビーが君と一体化して、より大きな魔力と新たな魔法を与えてくれる」
「魔力って、ゲームのMPみたいなものだよね?」
「魔力は魔法使いの命脈、魔法を発動するためのエネルギーで、私たちの血液の中を巡っている」
「ちょ、ちょっと待ってよ。もし魔力が尽きたり、逆に過剰になったりしたら……死んだりはしないよ、ね?」
「うーん……死亡例もあるけど、むしろ肉体が崩壊するほうが多いかな」
アデルの言葉は、用語を完全に理解した澪音の耳にこそ、何倍にも恐怖を増幅させた。顔色が青ざめ、指先はかすかに震えている。
「じゃ、僕の体がルビーの魔力に耐えられなかったら……」
「うん、血を噴いて重傷を負うだろうね」
生還は、博打に近い――そう理解した。
だが、極めて高い不確実性を前にしても、澪音の高鳴った鼓動は一瞬で静まり、緊張に硬く結ばれた表情はみるみる冷静を取り戻していく。肩をすくめ、俯いた胸から「はあ……」と長いため息が漏れる。
「ずるい言い方だね。僕が世界の運命を変えると言われたら、ここで断ったら最低な人間じゃないか」
「ごめん、少年……こんな不名誉な手段を使って……」
心咎めを深めたアデルに澪音はふっと、ほっとしたように微笑した。
「……僕はさ、できれば平穏な人生を送りたい。彼女を作り、この町に一生暮らす……と、思ったけど。やっぱり、魔法なんて、一度でも使ってみたい」
「えっ? ってことは……」
「うん。人生の二度目チャンス、受けます」
なぜ承諾したのか、澪音自身にもよくわからない。それはアデルへの憐愍、あるいは第六感だったのかもしれない。
選択の権利は自分に残る。断ったとしても、それは熟慮後の決断。
ただ、これまでの生活を守りたいと思っても、恬淡寡欲な人生を送っていいのかと問われると、本心を欺瞞して「はい」と答えることは無理。
賭けてみる価値はある、と澪音が思う――たとえ失敗の可能性が高い。
「茨の道を選んだら、もう引き返す余地ないよ」
「ええ、わかっている」
意を決した。澪音は拳を握り締めながら、
「じゃあ改めて、僕、雨夜澪音、緋色魔法を継がせてもらう」
言った途端、ルビーが大きく揺れ始め、ぴしゃりと縛りを破って澪音の胸に飛んできた。
凸凹の表面が不思議に赤く光って、衣服を無視し、皮膚を通り抜け、人間の命脈である心臓に止まる。
続くのは継承者との融合。
激痛が一瞬で澪音を麻痺させた――『良薬は口に苦し』は知ったが、その苛烈さは想像を絶する。
「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!」
体が熱くなると同時に、血液に暖流が入ってくるのを感じた。
夢と共振して、現実の澪音は魘されて両手で胸を押さえる。緋色魔力が具現化し、オーロラの形で全身を包み込む。
後頸部の母斑も一変していた。そこの皮膚組織が再編成し、これまでよりも濃色の模様を作り出した――紋章の円形、緋色の地色、中央に黒羽。
「ふう……やっと……死ぬかと思った……」
苦痛はめっきり減り、顔を上げると、澪音は少し元気に見えた。
「おめでとう、少年。継承、成功……君の……未来はきっと……かっ……」
飛び散った血滴を見て、アデルは口元の血痕に気づいた。直後、全身に強烈な脱力感が襲い、胸がちくりと痛んだ。
それが何を意味するのか、アデルはよくわかる――禁術の効果と命が急速に散っていく。
もう、時間だ。
「うぅ……」
疲労状態では魔法を維持できず、数秒で水晶玉を蒸発させた。
「あっ! アデルさん!」
倒れたアデルを助け起こすと、澪音は感受した。
鼓動が次第に弱化の麗人は、吐く息は氷のように寒冷だった。体も時間の経過と一緒に透明になる。
「これは一体……」
「はぁ……はぁ……<夢遊>の効果が、切りそうだ……」
「おい、それ、まさか――」
「これが、スカーレット・ウィッチ、最後の魔法だ。どう、素敵でしょう!」
掠れた声と乾いた皮膚はアデルの命が尽きること顕わすが、彼女は最初の魅力的な笑顔のまま――自分の死期を平気で見ている病人のような。
「これでお別れだね、少年……」
「予言の後半、アデルさんは『だが』と言ったよね。言わなかった部分を、教え――?」
アデルは唇に人差し指を当てた。内緒、の合図。
「……ごめん、全部は言えない。今、明かせば未来が変質する。それから、スカーレットには契約精霊がいる。 目が覚めたら、必ず召喚して……」
「そんな大事なこと、先に言えなさいよ……」
「ごめんね、雨夜澪音。どうやら君に、迷惑ばかり……」
息は微弱で、魔力が切れたアデルは、澪音の懐で白い粒子になって空中に散る。
次の瞬間、バーが大きく揺れ始めた。発動者がいなくなれば、この魔法による空間が崩壊するのも当然だ。天井が砕け、グラスの破片が降り注ぐ。無言のまま、黒髪少年は壁に靠れて目を閉じた。
――やばい、眠い……
同様な息苦しさを味わったのは、アデルに召喚された一瞬以来。
視界がぼやけ、微かに耳鳴りがする。
そして、
「――っ?!」
パッと目を開けると、澪音は夢から覚めた。掌だけに、深紅の魔法陣が二度瞬き、すぐに消えた。
空気が瞬時に張り詰め、澪音の顔は疑心暗鬼の色を帯びる。それは数秒前、アデルの勝手な言辞に対する、極めて自然な反応だ。
「私も驚いた。なんで最後のスカーレットが五百年後のシルファスに……」
「本当に、笑えない冗談だね。根拠もないし、ただの空論でしょう」
「いいえ、証拠ならちゃんとある。よく見てて」
アデルが左手をゆっくりと掲げると、一つの水晶球が上方に顕現し、空中で漂った。
薄紅い光がアデルの掌から飛び出し、結晶面に吸い付いた瞬間、無数の正方形スクリーンが立体映像のように投影され、二人をふんわりと包み込む。
「これは、君とのこの時空を超えた対話のために発動された禁術、<夢遊>。名の通り、使用者が過去、現在、あるいは未来から対象となるスカーレットを選び、その者の夢に侵入する魔法だ。同時に、選ばれた人物は強制的に眠りに落ちる」
アデルは詳しい説明を続けながら、そっと手首をひと振りした。すると、スクリーンが緩やかに回転し始め、それぞれが異なる光景を映し出す――文学と芸術に彩られた社会、工業が発展を遂げた都市、そして息吹あふれる郊外の風景。
どの景色も、中世と二十一世紀の間を行き来しているかのような、不思議なシーンだった。
「私は意識が過去から解き放たれて以来、ずっと未来の時間軸を渡り歩き、スカーレットを探し求めてきた。そして、この先五百年の範囲内で見つかったのは、君だけ。魔法は嘘をつかない」
「それって、ちょっとこじつけすぎじゃないか? 他に検証方法はないの?」
澪音の顔には複雑な表情が浮かんだ。
期待していたのは、遺伝子レベル――少なくとも科学的根拠に基づく証明だったから。
「うん……確かに、一つだけある」
顎に手をやり、アデルは瞳を閉じて思索に耽った後、澪音へ視線を戻す。
「スカーレットの血は片親でも必ず継承される。では問おう、澪音少年、君の両親のうち、どちらかはスカーレット?」
その質問に。
泣所を突かれたように、澪音は思わず拳を握り締めた。自分でも気づかなかった、涙腺が緩むことを。
必死に首を横に振り、噦り上げた澪音が振り向くと。潤んだ瞳に二本の涙跡ができた。
「……七年前、二人は事故で亡くなった。普通の人だよ。スカーレットどころか、魔法使いなんかじゃない」
これまでの人生を回顧して、家族を亡くしてから、自暴自棄な生活を持続した。
狭くとも暮らすには困らない家。両親の遺した金も大学まではやりくりできる。
だが、放課後に帰宅しても、迎えてくれるのは薄暗く静かな部屋だけ。胸に灯った小さな火花すら、すぐ消えてしまう。
もし運命がもう自分を慈しまないと決めているのなら、努力というものに、いったい何の価値があるのだろうか。
――だから、ゲームをやるんだ。
代償を払わずに現実から離れ、世界を忘れられる居場所が心の慰めになった。
ただ、まだ現実を放棄しなかったのは、幼馴染が二人いるから。
「ごめん……そんな質問をしちゃって、私の不覚だ」
罪悪感を覚えたアデルは思わず両手を伸ばしかけて、この悲しい少年を抱擁しようとするが、動きを止め、苦笑した。
「君の気持ちはよくわかる、少年。私たちは、闇の中を這いつくばって進み、光を求める者。生活にほんのわずかな希望を見つけると、全力で手を伸ばして掴もうとする――それでも、いつもすり抜けていってしまう。美しい明日を夢見て祈ること、それこそが、命が私たちに与えてくれた存在の意味なのだ。大切な人たちとずっと一緒にいられること。平和と幸福。素晴らしいじゃないか、そんな世界!」
言葉の端々に、未来への憧れが滲む。
ただ澪音は見逃さなかった。アデルの表情の裏に、本心が隠されたようだった。
自分に似た――平然たる外見で作った偽装。
「そう、だね。そんな世界に生まれたらいいなぁ」
「……でも、現実は残酷なものだ。人を成功させ、意志の弱い者を簡単に打ち砕く。彷徨って倒れた人が再起を図るには、徹底的に破壊するしかない。そしてゼロから――」
言って、淡い緋色光が両手を合わせたアデルの輪郭を浮かび上がり、力の集積点――掌に流れていく。
形成した半透明の立方体を一気に圧縮する。一度ダメなら二度。それでも足りなければ三度と。そして一分後、作り出したルビーが降りてきた。
「もし、人生をやり直す機会をあげると言ったら、どうする?」
人生を直すチャンス――バッドエンドを迎え、『リスタート』を押して二週目を開くこと。
酷い一週目をしているプレイヤーとして、「はい」と答えるのが条件反射。
だけど、相手の弱気な口調に秘密を感じた澪音は、素早く返事をしなかった。
「知ってるよ、物事には常に二面性があるって。だから隠す必要はない。再開の代償は?」
「やはり気づいたんだね。このルビーにはスカーレットの魔法が宿る。君なら扱える。ただし――運命は劇的に動くが、成功は約束できない。むしろ、今より長い苦しみを抱える可能性が高い。終点に辿り着くまで」
やっぱりそうだった、と心の中で嘆いて、澪音はそれ以上話す必要がないと思った。
滅茶苦茶な人生の上に、余計な迷惑をかける方が死より切ない。
百歩譲って考えてみると、スカーレットの身分を置いて、凡人としての生活――仕事、恋愛、結婚を過ごしたら、純粋で美しい人生と言える。
ならば――、
「……もういいよ。これ以上の話は、時間の無駄だ」
アデルの期待に応えられないことを自覚した澪音は、憂鬱そうに天井を見上げ、
「簡単で、平安で。僕の望む物語はずっとこうなんだ。だから、魔法の継承はお断りさせて、いただきます……」
アデルの表情はあまり変わらない、というか、この場でどんな表情をすればいいのかわからない。
家族の境遇に同情を惜しみ、彼が苦しむのを見たくない。
一方で、少年に引き受けてほしいと我儘を言いたい。
「少年、幸せなの?」
「え? いきなり何を――」
「心から幸せそうに笑えるの?」
「……」
言葉に詰まる澪音。
このような哲学的なことは何年も考えたことがなかった。
幸せの基準は人それぞれ。
澪音の記憶には、喜怒哀楽――人間の複雑な感情があったが、自分は幸せなのかというと、心に何かが欠けているような気がする。
「できない、かも……」
突破口を見つけたかのように澪音の肩に手を置いて、アデルは続ける。
「昔、予言のできる魔法使いがいた。彼女の名が世間に伝わってた――スカーレット・ウィッチ。それが私よ。この呪われた能力を持ってるのは、一族でも私だけ」
「呪われたって? あんな素敵な能力なのに?」
「ふ……」
澪音にではなく自分に向けられ、アデルは冷笑した。
「素敵、なのか……予言の度に私が得たのは惨憺たる結果――人間の不幸、感傷、そして無限の貪欲。こんな予言が、当然のことながら、悲劇を起こした。私だけじゃなく、スカーレット一族のみんなも、殺された……」
荒唐無稽なことを聞かされたようで、澪音は目を見開いた。
「なんだって……あなた、殺されたのか?!」
「くっ、滑稽だよね、『魔女狩り』を止めた魔女が狩られてしまって……でも、私はまだ絶望しない。最後の予言に希望を見出した! 明るい未来への希望! だから瀕死の際に<夢遊>を使ったのだ」
大袈裟な台詞はアデルの完璧な演技に見えるが、この空間を満たしているのは真情の発露で、誤魔化しのない感情物質。
澪音にとって、それは遙か遠い歴史の出来事。
けど、アデルの心には、一族の潰滅を目撃した苦痛が焼き付けられた。
耐え難くとも前進しなければならない。自身が、使命を帯びるから。
「アデルさん……」
自嘲に満ちたその口調から深い共感が湧き上がり、澪音はその沈痛な言葉を無視できない。ゆっくりと顔を上げ、小声で尋ね、
「予言の内容、教えてくれないか……?」
目を閉じると、アデルは手を胸に当て、吟唱を始める。
「五百年後の世界は闇に戻る。魔法使いと迷者に災厄が降臨する。無秩序の中で、世界に平和と変革をもたらし、天下を統一するのは、緋色魔法使い末裔と銀月騎士。だが…………………いいえ、それだけ」
予言としては直截だが、推敲すべき点がある。
五百年後の現代、未知の禍患は間近に迫る。そして――、
「緋色魔法使い末裔って、僕のことでしょうか……」
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子供の頃から何も変わったことがないのに、今ではなぜか『魔法使い』の肩書と未来を書換える責任を課せられた。
そんなことできるか、と澪音は物憂い心に声をかけた。ただ、イエスであろうとノーであろうと、何の意味もない。
だって、本当に知りたいのは――『僕、それを必要なのか』。
――本当に、必要なのか?
歯を食いしばり、澪音はアデルの方を振り返った。
「僕じゃないと、ダメ?」
「……うん。君は、最後のスカーレットだから」
「あなたの予言、外れたことがある?」
「ないわ。それが一番心が折れる部分。予言は、必ず叶う」
今度は、アデルの答えに迷いは無い。
二人の間に信頼関係が築かれつつあるのを機に、さらに説明を加え、
「幸福は諸人に贈呈されるわけじゃない。けど、それを追求する自由は誰でも持っている。少年、この魔法を受けると、君の人生だけじゃなく、世界の未来も変える」
「つまり、ウィンウィン……ってことか。で、継承の過程ってどうなるんだ?」
「ルビーが君と一体化して、より大きな魔力と新たな魔法を与えてくれる」
「魔力って、ゲームのMPみたいなものだよね?」
「魔力は魔法使いの命脈、魔法を発動するためのエネルギーで、私たちの血液の中を巡っている」
「ちょ、ちょっと待ってよ。もし魔力が尽きたり、逆に過剰になったりしたら……死んだりはしないよ、ね?」
「うーん……死亡例もあるけど、むしろ肉体が崩壊するほうが多いかな」
アデルの言葉は、用語を完全に理解した澪音の耳にこそ、何倍にも恐怖を増幅させた。顔色が青ざめ、指先はかすかに震えている。
「じゃ、僕の体がルビーの魔力に耐えられなかったら……」
「うん、血を噴いて重傷を負うだろうね」
生還は、博打に近い――そう理解した。
だが、極めて高い不確実性を前にしても、澪音の高鳴った鼓動は一瞬で静まり、緊張に硬く結ばれた表情はみるみる冷静を取り戻していく。肩をすくめ、俯いた胸から「はあ……」と長いため息が漏れる。
「ずるい言い方だね。僕が世界の運命を変えると言われたら、ここで断ったら最低な人間じゃないか」
「ごめん、少年……こんな不名誉な手段を使って……」
心咎めを深めたアデルに澪音はふっと、ほっとしたように微笑した。
「……僕はさ、できれば平穏な人生を送りたい。彼女を作り、この町に一生暮らす……と、思ったけど。やっぱり、魔法なんて、一度でも使ってみたい」
「えっ? ってことは……」
「うん。人生の二度目チャンス、受けます」
なぜ承諾したのか、澪音自身にもよくわからない。それはアデルへの憐愍、あるいは第六感だったのかもしれない。
選択の権利は自分に残る。断ったとしても、それは熟慮後の決断。
ただ、これまでの生活を守りたいと思っても、恬淡寡欲な人生を送っていいのかと問われると、本心を欺瞞して「はい」と答えることは無理。
賭けてみる価値はある、と澪音が思う――たとえ失敗の可能性が高い。
「茨の道を選んだら、もう引き返す余地ないよ」
「ええ、わかっている」
意を決した。澪音は拳を握り締めながら、
「じゃあ改めて、僕、雨夜澪音、緋色魔法を継がせてもらう」
言った途端、ルビーが大きく揺れ始め、ぴしゃりと縛りを破って澪音の胸に飛んできた。
凸凹の表面が不思議に赤く光って、衣服を無視し、皮膚を通り抜け、人間の命脈である心臓に止まる。
続くのは継承者との融合。
激痛が一瞬で澪音を麻痺させた――『良薬は口に苦し』は知ったが、その苛烈さは想像を絶する。
「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!」
体が熱くなると同時に、血液に暖流が入ってくるのを感じた。
夢と共振して、現実の澪音は魘されて両手で胸を押さえる。緋色魔力が具現化し、オーロラの形で全身を包み込む。
後頸部の母斑も一変していた。そこの皮膚組織が再編成し、これまでよりも濃色の模様を作り出した――紋章の円形、緋色の地色、中央に黒羽。
「ふう……やっと……死ぬかと思った……」
苦痛はめっきり減り、顔を上げると、澪音は少し元気に見えた。
「おめでとう、少年。継承、成功……君の……未来はきっと……かっ……」
飛び散った血滴を見て、アデルは口元の血痕に気づいた。直後、全身に強烈な脱力感が襲い、胸がちくりと痛んだ。
それが何を意味するのか、アデルはよくわかる――禁術の効果と命が急速に散っていく。
もう、時間だ。
「うぅ……」
疲労状態では魔法を維持できず、数秒で水晶玉を蒸発させた。
「あっ! アデルさん!」
倒れたアデルを助け起こすと、澪音は感受した。
鼓動が次第に弱化の麗人は、吐く息は氷のように寒冷だった。体も時間の経過と一緒に透明になる。
「これは一体……」
「はぁ……はぁ……<夢遊>の効果が、切りそうだ……」
「おい、それ、まさか――」
「これが、スカーレット・ウィッチ、最後の魔法だ。どう、素敵でしょう!」
掠れた声と乾いた皮膚はアデルの命が尽きること顕わすが、彼女は最初の魅力的な笑顔のまま――自分の死期を平気で見ている病人のような。
「これでお別れだね、少年……」
「予言の後半、アデルさんは『だが』と言ったよね。言わなかった部分を、教え――?」
アデルは唇に人差し指を当てた。内緒、の合図。
「……ごめん、全部は言えない。今、明かせば未来が変質する。それから、スカーレットには契約精霊がいる。 目が覚めたら、必ず召喚して……」
「そんな大事なこと、先に言えなさいよ……」
「ごめんね、雨夜澪音。どうやら君に、迷惑ばかり……」
息は微弱で、魔力が切れたアデルは、澪音の懐で白い粒子になって空中に散る。
次の瞬間、バーが大きく揺れ始めた。発動者がいなくなれば、この魔法による空間が崩壊するのも当然だ。天井が砕け、グラスの破片が降り注ぐ。無言のまま、黒髪少年は壁に靠れて目を閉じた。
――やばい、眠い……
同様な息苦しさを味わったのは、アデルに召喚された一瞬以来。
視界がぼやけ、微かに耳鳴りがする。
そして、
「――っ?!」
パッと目を開けると、澪音は夢から覚めた。掌だけに、深紅の魔法陣が二度瞬き、すぐに消えた。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
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妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
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もしかして寝てる間にざまぁしました?
ぴぴみ
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令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。
内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。
しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。
私、寝てる間に何かしました?
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
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ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
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えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
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退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
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大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
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