あの夏のキセキを忘れない

アサギリナオト

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 みのり
「あの、すいません」


 病院に到着したみのりは一階の受付カウンターで診察の手続きを行った。


 みのり
「枝北高校の生徒なんですけど、吉沢か柳瀬の名前で予約されてませんか?」


 受付嬢
「少々お待ちください」


 受付嬢が手元のパソコンを操作し、予約患者の名簿に目を通した。


 受付嬢
「確認しました。枝北高校陸上部の柳瀬みのり様ですね? それではお手数ですが、こちらの太枠の欄に氏名、年齢、自覚症状等をご記入ください」


 そう言って受付嬢は、カルテ、下敷き、ボールペンのセットをみのりに渡した。

 みのりは待合室のソファーに腰かけ、カルテの空欄を一つずつ埋めていった。

 太枠の欄を全て埋め尽くし、みのりは受付嬢にカルテを返却した。


 受付嬢
「この先の廊下を左に曲がり、真っ直ぐに進んだところに②番の診察室がございます。その手前のソファーにおかけになってしばらくお待ちください」


 みのりは受付嬢に頭を下げ、②番の診察室に向かった。

 診察室の向かいに置かれたソファーに腰を下ろし、呼び出されるまで待機する。

 しばらくすると、彼女の目の前を車いすに座った暗い表情の少年と車いすを後ろから押している看護師が通り過ぎていった。


 みのり
「っ――⁉」


 その少年の顔を見た瞬間、みのりの心臓が大きく跳ね上がった。

 少年の顔立ちが例の不良少年と酷似していたからだ。

 ちょうどそのとき、②番の診察室の扉が開いた。


 看護師 
「柳瀬みのり様」


 扉の奥から現れた女性看護師がみのりを呼び出した。

 呆然としていた彼女が看護師の呼びかけで我に返る。


「あ、はい」


 みのりはソファーからゆっくりと立ち上がり、②番の診察室に向かって歩いた。

 看護師が「どうぞ、こちらへ……」と彼女を案内する。

 みのりは診察室に入る前に車いすの少年について看護師にたずねた。


 みのり
「すいません。あの患者さんなんですけど……」


 看護師
「はい……?」


 看護師は扉の隙間から顔を出し、みのりの視線を辿った。


 看護師
「ああ、彼は……」


 看護師はそこまで言ったところで口をつぐみ、わざとらしく咳払いした。

 病院側の人間は患者の個人情報を外部の者に漏らしてはならない。

 看護師は思わず口から出かけた言葉を改め、みのりに説明した。


 看護師
「彼は数年前にバイクで事故に遭って……。それからは意識が戻らないずっと状態が続いています。残念ですが、彼の意識が戻ることはもうないでしょう。我々としても悔しい限りです」


 看護師、曰く――事故が発生したその日は悪天候で視界も不明慮だった。

 少年は霧の向こうから現れた車と衝突して頭を強く打ち付けてしまったのだ。


 みのり
「(めっちゃ喋ってるし……)」


 少年は奇跡的に一命は取り留めたものの、ヘルメットを被っていなかったことが災いして彼の脳には大きな後遺症ダメージが残ってしまった。


 看護師
「それでもご両親は今でも毎日のように通い詰めていらっしゃいます。ご子息の回復を信じて……」


 みのり
「…………」


 数年前の事故なら、この話と例の不良少年はまったく関係ない。

 みのりと不良少年が別れたのは、ほんの数十分前である。

 しかし、みのりは何故か車いすの少年と例の不良少年が赤の他人とは思えなかった。

 みのりが怪訝な表情を浮かべていると、看護師が彼女にたずねた。


 看護師
「もしかして、お知り合いの方ですか?」


 みのり
「あ、いえ……。最初はそうかと思ったんですけど、やっぱり違います。知り合いの顔とあまりに似てたもんですから、もしかしたら親族の方だったのかな~って」


 看護師
「…………」


 看護師が親族という言葉に妙な反応を示し、みのりは自分がNGワードを口にしてしまったことを察した。


 みのり
「すいません。私、余計なことを……」


 みのりはすぐに看護師に謝罪をするが、看護師は彼女に気を遣わせてしまったことを逆に申し訳なく思った。


 看護師
「いえ、こちらこそ……。何か変な空気にしてしまって……」

 みのり
「…………」


 看護師
「さあ、中へどうぞ。手荷物などがあれば、そちらのカゴに入れてください」


 みのりは診察室の中に入り、丸椅子の上に置かれたピンクのカゴの中にスマートフォンや自宅の鍵などを入れた。

 担当の医師が彼女を迎え入れ、目の前の丸椅子に「どうぞ」と座らせた。

 担当医はみのりのカルテに目を通し、彼女に様々な質問をした。


 担当医
「ケガをされたのは、いつですか?」


 みのり
「昨日の夕方、自主練中にコンクリートの段差に引っかかって転んでしまいました」


 担当医が質問の答えをカルテに書き込んだ。


 みのり
「あの、すいません……」


 担当医
「はい、何でしょう?」


 みのり
「この情報って顧問の耳に入ったりするんでしょうか?」


 担当医
「……そうですね。柳瀬さんは未成年ですから、こちらとしては責任者の方になるだけ多くの情報をお伝えしようと考えております」


 みのり
「…………」


 みのりは顧問の指示を無視して自主練を行った結果、出場辞退の原因となったケガを負っている。

 みのりはしっかり者だが、まだ子どもだ。

 大の男に目の前でどやされるのは、さすがに怖い。


「……ですが、我々にも守秘義務というものがあります。もし柳瀬さんが〝それ〟を望むのであれば、我々はあなたの秘密を第三者に漏らしたり致しません」


 病院側には患者のプライバシーやプライベートを守る義務がある。

 ゆえに病院側は隠し事の内容に合わせて臨機応変に対応している。


 みのり
「実は今、陸上の大会前で……。調整メニュー以外の練習は控えろって顧問せんせいに言われてたんです」


 担当医
「なるほど……。つまり自主練中にケガしたことは内緒してほしい……と、そういうことですか?」


 みのり
「…………」


 恥ずかしいから聞き返さないでほしい……と、みのりの表情かおにはそう書いてあった。

 すると担当医と看護師が目を合わせ、互いに頷き合った。


 担当医
「事情はわかりました。では、この話は我々の間で留めておきましょう」


 その言葉を聞いて、みのりはホッと胸をなで下ろした。

 担当医は次に膝の患部を見せてほしいと彼女に言った。

 みのりが右膝を前方に伸ばし、担当の医師が前かがみの姿勢で触診を始める。


 担当医
「……骨に異常はないようですね。ですが、念のためにレントゲンを撮っておきましょう」


 看護師
「柳瀬さん。こちらの部屋へ」


 後ろに控えていた看護師が、みのりを隣の部屋に誘導する。

 みのりは看護師の案内に従ってレントゲン室に向かった。





 ――――――――――――





 みのりは病院でレンタルした松葉杖を片手に出入り口へと向かっていた。

 レントゲン撮影でも骨に異常は認められず、しばらく安静にしていればまたすぐに走れるようになると担当医に言われた。

 しかし、大会の出場については、やはりストップをかけられてしまう。

 今回は残念だが、大学でまた一からやり直すしかない。

 みのりが一階のロビーを通過して出入り口に差しかかったとき、車いすの少年を連れていた看護師が出入り口付近で一般の成人女性と話していた。


 看護師(モブ)
「藤波さん。そろそろお時間では?」


 看護師が話し相手の女性に言った。

 すると相手の女性が腕時計の時間を確認した。


 ???
「あら、もうこんな時間……。いつも長話に付き合っていただいて、すいません」


 女性が看護師に向かって頭を下げ、腰を低くして車いすの少年に話しかけた。


 誠也の母
「誠也。母さん、仕事に行って来るから……。早く元気になって戻って来なさい。お父さんももう怒ってないから……」


 誠也
「……」


 残念ながら、車いすの少年こと――藤波誠也から反応が返ってくることはなかった。

 それでも誠也の母は笑みを崩さない。

 彼女は姿勢を戻して看護師に再び一礼した。


 誠也の母
「それでは失礼します。息子のことをよろしくお願いします」


 そう言って誠也の母は駆け足で病院から出て行った。

 少し前を歩いていたみのりは、あっという間に追い越されてしまう。


 みのり
「(ふじなみ……、せいや……)」


 みのりは偶然にも車いすの少年の名前を知った。

 例の不良少年とこれ以上に関わるべきではないと決めたばかりだが、みのりは彼と藤波誠也の関係が気になって仕方がなかった。

 みのりが行きしなに河川敷で休憩を挟んでから、既に二時間以上が経っている。

 今も休憩所にいるとは限らないが、みのりは帰り道に不良少年に話を聞いてみようと思った。





 ――――――――――――





 みのり
「(まだ、いる……)」


 みのりは河川敷の休憩所で煙草を吸っている不良少年の姿を発見した。

 一体、何時間前からここにいるのか……。

 やがて彼はみのりの存在に気づき、吸っていた煙草を灰皿にこすり付けた。


 少年
「どうだった、ケガは?」


 少年がゆったりとした足取りで彼女に近づいていく。


 みのり
「やっぱり次の大会は無理みたいです。けど、しばらく安静にしてれば、またすぐに走れるようになるって医者せんせいに言われました」


 顧問の吉沢が速やかに対処したおかげで大事だいじにならずに済んだ。

 もしあのまま練習を続けていたら取り返しのつかないことになっていたかもしれない。


 少年
「そっか……。まあ、早めに気付けて良かったじゃねえか。大会のことはさすがに残念だとは思うけどよ……。やり直しがきくだけ、お前はまだマシだ」


 みのりは少年の発言に思わずイラっとして気づけば彼に言い返していた。


 みのり
「私は本番で結果を出すために一日も欠かさず練習してきたんです。そう簡単に言わないでください」


 みのりは全てを言い終えてから、やってしまったと心の中で後悔した。


 みのり
「すいません……。また言い過ぎてしまいました……」


 今回は、さすがに怒られると思った彼女は体が縮こまる。

 しかし、少年はみのりが思っていた以上に大人だった。


 少年
「いや、今のは完全に俺が悪い……。何もしてこなかった俺に軽く扱われちゃあ、そりゃ腹も立つわな」


 そう言って少年は新しい煙草を箱から取り出した。

 彼は軽いノリで不良になったと言っていたが、ここまで懐の深い人間が何もない人生を歩んでいるはずがない。

 みのりは一旦心を落ち着かせ、少し間を置いてから彼に言った。


 みのり
「私、柳瀬みのりって言います」


 少年
「……?」


 みのり
「あなたの名前も聞いていいですか?」


 突然の自己紹介に少年は驚く。

 みのりには人として興味を持たれていないと思っていたからだ。

 少年は喜ばしい感情をおもてに出さず、自分の名前を口にした。


 少年
「藤波」


 みのり
「え……?」


 誠也
「――――〝藤波誠也〟」


 みのり
「っ――⁉」


 少年の名前を聞いた瞬間、みのりの思考が凍り付いた。


 みのり
「(うそ……。だって、その名前……)」


 その瞬間だった。

 みのりは胸が急に苦しくなり、膝から地面に崩れ落ちた。


 誠也
「おい、どうした? ――おいっ⁉」


 誠也が慌ててみのりの側に駆け寄った。

 みのりは地面に横たわり、激しく息を乱して胸を押さえている。

 呼吸のテンポが異常に速い。

 どうやら彼女は過呼吸を起こしてしまったようだ。

 今現在、過呼吸の適切な処置は気持ちを落ち着かせて呼吸を整えることだと言われている。

 しかし、誠也にそのような知識はなく、一昔前によく知られていたペーパーバック法を行わざるを得なかった。

 だが、そんな都合よくビニール袋が落ちているわけがない。

 休憩所のゴミ箱も空き缶だらけだ。


 誠也
「くそっ、今は勘弁しろよ……」


〝それ〟はただの思い付きであり、彼に下心はなかった。

 誠也は手のひらでみのりの目を覆い隠し、自分の唇で彼女の口を塞いだ。


 みのり
「むぐっ――⁉」


 みのりは急に息が出来なくなり、彼女の体が陸に打ち上げられた魚のように跳ね上がった。

 誠也に悪気はなかったが、おそらくそれは最悪の選択だったのだろう。

 すると今度は痙攣が始まり、みのりの意識はそこでプッツリと途絶えた。


 誠也
「柳瀬っ‼ おい、しっかりしろっ‼」


 誠也はみのりの頬をペチペチと叩きながら、彼女の名前を何度も叫んだ。

 すると彼女のジャージのポケットからスマートフォンがはみ出していることに気付き、彼は迷わず救急車を呼ぶことにした。

 幸い、彼女のスマートフォンはロックされておらず、すぐに119番に連絡した。


 オペレーター
《はい。こちら119番です。火事ですか? 救急ですか?》


 誠也
「救急です! すぐに来てください!」


 現在地の住所がわからなかった誠也は目印となるものを相手に伝え、オペレーターは五分ほどで救急車が到着すると彼に言った。

 オペレーターに患者の容体について質問され、彼は女子高生が過呼吸で気を失ったと答える。

 通話が終了し、誠也はみのりの体をベンチまで運んだ。

 医者ではない彼にはこれ以上どうすることも出来ない。


 誠也
「今、救急車呼んだからな! もうしばらく我慢してくれ!」


 誠也はみのりの手を握り締め、彼女に励ましの言葉をかけ続けた。
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