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第2章:社会が変わる速度
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小野田遥が制度開始後に最も驚いたのは、“街の空気が軽くなった”ことだった。
良くも悪くも、皆が「今日限りの自分」を演じるようになり、責任も、愛情も、嘘さえも、24時間以内に消える世界ができあがっていた。制服姿の若者がスーパーでレジを打ち、老人が一人で夜勤のコンビニに立ち、明らかに経営経験のない女性が銀行の窓口に座る。誰もがプロのように振る舞い、誰もが素人だった。
社会の仕組みそのものが、演技で支えられているように見えた。
________________________________________
【1】働くとは、演じること
職場という概念は、制度導入と同時に大きく変わった。
「私の会社」という感覚は消滅した。誰もがその日だけ割り当てられた職場へ行き、規定業務をこなして帰る。
勤務評価はID単位で記録され、継続性のない短期ログとして集計される。努力や改善は奨励されない。「どうせ明日には誰かが上書きする」それが新しい常識になった。
遥はある日、市役所の窓口担当IDを引き当てた。マニュアルは簡略で、質問はほとんど「AIガイドをご参照ください」で済む。目の前の来庁者も、恐らく昨日は別の役割だっただろう。
「昨日申請した書類、届いてませんか?」遥は首をかしげながら答えた。
「本日は“昨日”ではありません。ご自身のID履歴をご確認ください」
その対応が正しいと知っていても、どこか胸がチクリと痛んだ。
________________________________________
【2】家庭の希薄化
家庭という単語すら、制度の下では意味を失いかけていた。
家族構成は毎日変わり、同じ母親役に当たることはまれだった。子どもとの関係性も、記憶と感情の継続が断たれていく。
ある日、遥は“妹”として家に配属された。小学生の“兄”が話しかけてきた。
「お姉ちゃん、昨日より優しいね」
遥は笑って答えた。
「昨日の私は、私じゃないの」
それを子どもがどう受け取ったかは分からない。ただその夜、彼はずっと黙っていた。
________________________________________
【3】人間関係の断絶
SNSも大きく変容した。
各IDにスマホが支給されるが、前日の連絡履歴が残っていても、それを引き継いだ“今日の人”には意味が通じない。遥はたびたび、見知らぬLINEアカウントから「昨日ありがとう」「今日も会える?」といったメッセージを受け取った。
最初は戸惑い、無視していた。ある日、ふと返信してみた。
「今日の私はその人じゃありません。でも、昨日のあなたの気持ち、受け取っておきます」
既読のまま、返事はなかった。
それでも、遥の胸にほんのわずかなあたたかさが残った。
________________________________________
【4】恋愛の消滅
制度が導入されて以降、恋愛は“存在しないもの”として扱われるようになった。
カップルという継続的関係が構築できないため、関係性そのものが維持できない。
その代わり、1DAY恋愛マッチングアプリが流行した。
「今日だけ恋人」「今だけの関係」といった広告が街にあふれ、「恋愛の消費化」が進行していく。
遥の知人はこう言った。
「恋って、同じ人と何度も会って、思い出が積み重なるから成り立つんだよね。
毎日違う名前で呼ばれて、昨日の思い出を持ってない人と、また会うって……疲れるよ」
________________________________________
【5】責任の分散
社会全体が、“責任から自由になった”雰囲気に包まれていた。
職場での失敗も、「それは昨日のIDのせい」
サービスの質低下も、「今日の担当が不慣れだっただけ」
個人の努力も、「評価はID単位なので、あなたが頑張っても意味がない」
街のどこにも怒号や叱責が響かなくなった。
その代わり、淡々とした“演技のような日常”が広がっていった。
遥はふと、駅のホームで足を止めた。
ベンチに座った人々が、無表情でスマホを見つめている。
その画面には、今日のID名が表示されている。
「誰でもない名前」を見つめながら、それでも電車は来て、社会は動き続ける。
________________________________________
遥は思った。
「誰も責任を持たなくなった社会は、誰も罪を犯さないように見える。
でも本当は、誰も“自分の人生”を持てなくなった社会なのかもしれない」
良くも悪くも、皆が「今日限りの自分」を演じるようになり、責任も、愛情も、嘘さえも、24時間以内に消える世界ができあがっていた。制服姿の若者がスーパーでレジを打ち、老人が一人で夜勤のコンビニに立ち、明らかに経営経験のない女性が銀行の窓口に座る。誰もがプロのように振る舞い、誰もが素人だった。
社会の仕組みそのものが、演技で支えられているように見えた。
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【1】働くとは、演じること
職場という概念は、制度導入と同時に大きく変わった。
「私の会社」という感覚は消滅した。誰もがその日だけ割り当てられた職場へ行き、規定業務をこなして帰る。
勤務評価はID単位で記録され、継続性のない短期ログとして集計される。努力や改善は奨励されない。「どうせ明日には誰かが上書きする」それが新しい常識になった。
遥はある日、市役所の窓口担当IDを引き当てた。マニュアルは簡略で、質問はほとんど「AIガイドをご参照ください」で済む。目の前の来庁者も、恐らく昨日は別の役割だっただろう。
「昨日申請した書類、届いてませんか?」遥は首をかしげながら答えた。
「本日は“昨日”ではありません。ご自身のID履歴をご確認ください」
その対応が正しいと知っていても、どこか胸がチクリと痛んだ。
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【2】家庭の希薄化
家庭という単語すら、制度の下では意味を失いかけていた。
家族構成は毎日変わり、同じ母親役に当たることはまれだった。子どもとの関係性も、記憶と感情の継続が断たれていく。
ある日、遥は“妹”として家に配属された。小学生の“兄”が話しかけてきた。
「お姉ちゃん、昨日より優しいね」
遥は笑って答えた。
「昨日の私は、私じゃないの」
それを子どもがどう受け取ったかは分からない。ただその夜、彼はずっと黙っていた。
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【3】人間関係の断絶
SNSも大きく変容した。
各IDにスマホが支給されるが、前日の連絡履歴が残っていても、それを引き継いだ“今日の人”には意味が通じない。遥はたびたび、見知らぬLINEアカウントから「昨日ありがとう」「今日も会える?」といったメッセージを受け取った。
最初は戸惑い、無視していた。ある日、ふと返信してみた。
「今日の私はその人じゃありません。でも、昨日のあなたの気持ち、受け取っておきます」
既読のまま、返事はなかった。
それでも、遥の胸にほんのわずかなあたたかさが残った。
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【4】恋愛の消滅
制度が導入されて以降、恋愛は“存在しないもの”として扱われるようになった。
カップルという継続的関係が構築できないため、関係性そのものが維持できない。
その代わり、1DAY恋愛マッチングアプリが流行した。
「今日だけ恋人」「今だけの関係」といった広告が街にあふれ、「恋愛の消費化」が進行していく。
遥の知人はこう言った。
「恋って、同じ人と何度も会って、思い出が積み重なるから成り立つんだよね。
毎日違う名前で呼ばれて、昨日の思い出を持ってない人と、また会うって……疲れるよ」
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【5】責任の分散
社会全体が、“責任から自由になった”雰囲気に包まれていた。
職場での失敗も、「それは昨日のIDのせい」
サービスの質低下も、「今日の担当が不慣れだっただけ」
個人の努力も、「評価はID単位なので、あなたが頑張っても意味がない」
街のどこにも怒号や叱責が響かなくなった。
その代わり、淡々とした“演技のような日常”が広がっていった。
遥はふと、駅のホームで足を止めた。
ベンチに座った人々が、無表情でスマホを見つめている。
その画面には、今日のID名が表示されている。
「誰でもない名前」を見つめながら、それでも電車は来て、社会は動き続ける。
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遥は思った。
「誰も責任を持たなくなった社会は、誰も罪を犯さないように見える。
でも本当は、誰も“自分の人生”を持てなくなった社会なのかもしれない」
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