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第一章
第6話 無敵のイエスマン6
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「それに、たとえ、壊れてしまっていたとしても、うまくやれているなら、この無敵のイエスマンである僕のどこに変えてあげる必要があるというんだ?」
僕の問いに、田口さんは泣きながら首を横に振った。
「お前、将来自分が何になりたいとか考えたことはないのか?」
「医者だよ、そのために猛勉強してる」
「それは、本当にお前が望んだ未来なのか?」
「そうだよ、両親が僕に望んでいる僕の未来だ」
「それはお前が望んだ未来なんかじゃない」
「いや、僕は両親が望んだ未来を歩みたいんだ」
「だから、それが壊れているんだって!」
僕は何だか痛いところを突かれた気がして、苦しくなって、僕の傑作品である今の僕を否定された気がして、不快になって、思わず声を荒げてしまった。
「壊れていて、何がいけない! もう過去には戻れない! もう今の僕は変えられない! 僕は、無敵のイエスマンのまま、誰よりもうまく生きていくんだ!」
「確かに!」
田口さんは、その頬に伝っている涙を自分の腕で拭って、真っすぐに僕を見つめた。
「無敵のイエスマンは、この国の多くの人間が望んでいる理想の他人だろうよ! ノーと言わない、利用しても怒らない、自分の批判をしてこない。社会に出れば、引く手あまただろうよ、きっとな! そして、お前は寄ってたかって利用されるんだ! この国の社会の多くの大人たちが望んだように! でも、それでもノーと言い続けてこの国の社会そのものにつぶされるよりはましかもしれない。有利かもしれない。出る杭を打つのが、この国の社会だからな。その可能性はあたしだって、認めるよ。だけどな!」
田口さんは一気にまくし立ててから、一呼吸置いて、それから続けた。
「お前が元から無敵のイエスマンだったなら、あたしだって何も言わない。けどな、お前はあたしに対するいじめにノーと言えた子供だったんだ! あたしが原因で、ノーと言えるお前をそんなイエスマンに変えてしまったんだ! お前がどれだけあたしに謝る必要がないといったところで、その事実は変わらない。あたしはお前に恩返しがしたいんだ」
「必要ないよ。僕は、誰よりもうまく教室でやっていけている。恩返しは、逆に迷惑になる」
僕は自分を納得させるように、そう言い切った。
「いいや、やる。お前が嫌がっても。だって、お前」
そこで、田口さんは悪戯っぽく笑った。
「無敵のイエスマンなんだろう? じゃあ、あたしにもそうしなきゃな」
僕はそこでぐっと言葉に詰まって、それから田口さんに微笑んでみせた。
「恩知らずだね、田口さんは」
「そうなるかどうかは、まだ分からないだろう? あたしは、少なくとも恩返しのつもりでこれからお前と接していくつもりだ。それと」
愛おしそうに大きな胸をその左手で押さえながら、今度は田口さんが僕に微笑んでみせた。
「あたしは、お前のこと、どれだけ変わり果ててしまったとしても、愛している。あたしのヒーローを」
僕はその愛しているという言葉に戦々恐々とした。それって、恋愛感情ってこと? だったら、僕はノーって言わなきゃならないじゃないか。そうでなければ、無敵のイエスマンライフが壊れてしまう。
僕の微笑みが引きつったのを見た田口さんは、微笑みをより柔らかくして僕に言ったんだ。
「好きだ、に対してはイエスかノーかの答えは必要だが、愛している、に対してはイエスかノーかの答えは必要ないぞ。愛しているって、報われない一方的な感情だったとしても、それでもその人のことを想えるってことだからな。だから、そんなに心配しなくて大丈夫だ。それに、さっきお前があたしに言っていたが、あたしはお前の過去を周囲にばらすようなこともしない。あたしは、あたしのやり方で、お前を、あたしのせいで壊れてしまったお前を変えていく」
愛している、か。
そんなこと、初めて言われたな。
両親からも言われたこともない言葉だ。
それを、僕が助けて、それから成長したこの女子に、初めて言われた。
何だか、その言葉は僕をとても安心させた。
その言葉をまっすぐ言える田口さんになら、そこまで警戒しなくてもいいか。
それに、この女子はきっと。
「じゃあ、これは勝負だね」
僕は僕が何をどう言っても、僕の言うことを聞きそうにない田口さんに、微笑みを取り戻して言ってみせた。
「僕が無敵のイエスマンを続けられるか、君が無敵のイエスマンである僕を変えられるか」
「ああ、これは勝負だ」
「負けるつもりは微塵もない」
「あたしも、だ」
そうやって、僕らは笑い合った。
僕は変わらない。
きっと、田口さんが何をやってきたとしても。
僕は今の僕を傑作品だと思っている。
でもね、田口さん。
僕は一つ、お気に入りが増えたよ。
君が僕に言った言葉。
愛している。
相手にイエスもノーも強要しない言葉。
すてきな言葉だ。
僕にとって、それはとても心地よくて。
ああ、君は本当に変わって。
僕とは違って。
強くなったんだね。
初めて、あのとき放課後で、君をいじめから守ったとき。
二人で帰った満月の夜に。
「あたしを助けてくれて、ありがとう……」
か弱くそう呟いた女の子は、もういない。
僕は壊れてしまったが。
だが、それにも意味があった。
君が強くなるための役に立てた。
僕は、それが少し嬉しかったんだ。
それから、僕らはお互いに歌い合った。
それぞれのお気に入りの曲を。
ただ、昨日のクラスの親睦会で母さんに釘を刺されているから。
そんなに長くは一緒にいられなかったけど。
僕は、久しぶりに気負わずに楽しく時間を過ごせたような気がした。
愛しているというその言葉の、想いの心地よさに包まれていた。
翌朝の高校にて。
「おーい、赤崎、国語の宿題見せてくれよー」
高橋君が、相変わらずの軽い口調で僕の机にやってくる。
「ああ、もちろ……」
「あたしのノートを見せてやるよ」
それは、突然だった。
僕と高橋君の会話に割り込んできた田口さんが、ノートを高橋君に差し出した。
「は?」
高橋君は面食らった表情で、田口さんを見た。
「宿題見せてほしいんだろ? 別に、赤崎のノートじゃなくてもいいだろう?」
僕は一瞬呆然としてから、それからすぐに笑みを浮かべた。
「どうしたんだよ、田口さん? 急にそんなこと言われても、高橋君が困ってしまうだろう?」
「いいじゃん、赤崎。お前だって、毎朝、毎朝、宿題見せるの面倒くさいだろう?」
田口さんが僕に笑ってみせる。
「そんなことはないさ」
僕は負けじと言い返す。
「全然迷惑じゃないよ。僕のノートを見たらいいさ、高橋君」
「いいや、あたしのだ」
声は大きくないが、はっきりとそう田口さんは断言した。
はっきりと、僕に対してノーと言ったのだ、このギャルは。
「俺としてはあんまし女子に頼るのは嫌だけどよ……、まぁ、そこまで強く言うのなら……」
高橋君が困惑した声を出して、自分に差し出されてきた田口さんのノートを見つめる。
「んな細かいこと言うなよ。あたしのでいいだろ。持ってけよ」
そう言ってさらにずいっと差し出された田口さんのノートを、ぼりぼりと頭をかきながら高橋君は受け取って自分の机に戻っていった。
教室が少しざわつく。
特に女子たちが、鋭い視線で、田口さんを見ている。
もちろん、僕も鋭い視線で田口さんを見ていた。
いつもの無敵のイエスマンのルーティンを崩されたからだ。
「いきなり、どうしちゃったの、田口さん?」
僕はできる限り、微笑みを浮かべて田口さんに尋ねた。
「勝負、なんだろう?」
そう言われて、僕は昨日の田口さんとのやり取りを思い出す。
そういう、ことか。
僕から無敵のイエスマンの役割を奪っていくつもりか。
そして、僕がもう無敵のイエスマンをやらなくてもいいようにするつもりなのか。
だが、それでは、僕は。
余計なことはしなくてもいいのに。
だが、そうは言えなかった。
僕は無敵のイエスマンだから。
だから、田口さんにさえも、ノーとは言えなかった。
田口さんはそこを見抜いて、僕の武装を解いていくつもりなのだ。
僕はそう直感した。
僕は、焦りと恐怖を感じた。
もしも。
もしも、僕が無敵のイエスマンでなくなったら。
僕は何になるのだろう。
微笑みを崩して途方に暮れた表情を浮かべてしまった僕に、してやったりといった表情で、田口さんは笑ってみせる。
イエスマンの僕とノーギャルの君。
この僕らの勝負の行方が果たしてどうなるのか。
僕は、分からないまま、ただ途方に暮れている僕に微笑んでくる田口さんを見上げていた。
僕の問いに、田口さんは泣きながら首を横に振った。
「お前、将来自分が何になりたいとか考えたことはないのか?」
「医者だよ、そのために猛勉強してる」
「それは、本当にお前が望んだ未来なのか?」
「そうだよ、両親が僕に望んでいる僕の未来だ」
「それはお前が望んだ未来なんかじゃない」
「いや、僕は両親が望んだ未来を歩みたいんだ」
「だから、それが壊れているんだって!」
僕は何だか痛いところを突かれた気がして、苦しくなって、僕の傑作品である今の僕を否定された気がして、不快になって、思わず声を荒げてしまった。
「壊れていて、何がいけない! もう過去には戻れない! もう今の僕は変えられない! 僕は、無敵のイエスマンのまま、誰よりもうまく生きていくんだ!」
「確かに!」
田口さんは、その頬に伝っている涙を自分の腕で拭って、真っすぐに僕を見つめた。
「無敵のイエスマンは、この国の多くの人間が望んでいる理想の他人だろうよ! ノーと言わない、利用しても怒らない、自分の批判をしてこない。社会に出れば、引く手あまただろうよ、きっとな! そして、お前は寄ってたかって利用されるんだ! この国の社会の多くの大人たちが望んだように! でも、それでもノーと言い続けてこの国の社会そのものにつぶされるよりはましかもしれない。有利かもしれない。出る杭を打つのが、この国の社会だからな。その可能性はあたしだって、認めるよ。だけどな!」
田口さんは一気にまくし立ててから、一呼吸置いて、それから続けた。
「お前が元から無敵のイエスマンだったなら、あたしだって何も言わない。けどな、お前はあたしに対するいじめにノーと言えた子供だったんだ! あたしが原因で、ノーと言えるお前をそんなイエスマンに変えてしまったんだ! お前がどれだけあたしに謝る必要がないといったところで、その事実は変わらない。あたしはお前に恩返しがしたいんだ」
「必要ないよ。僕は、誰よりもうまく教室でやっていけている。恩返しは、逆に迷惑になる」
僕は自分を納得させるように、そう言い切った。
「いいや、やる。お前が嫌がっても。だって、お前」
そこで、田口さんは悪戯っぽく笑った。
「無敵のイエスマンなんだろう? じゃあ、あたしにもそうしなきゃな」
僕はそこでぐっと言葉に詰まって、それから田口さんに微笑んでみせた。
「恩知らずだね、田口さんは」
「そうなるかどうかは、まだ分からないだろう? あたしは、少なくとも恩返しのつもりでこれからお前と接していくつもりだ。それと」
愛おしそうに大きな胸をその左手で押さえながら、今度は田口さんが僕に微笑んでみせた。
「あたしは、お前のこと、どれだけ変わり果ててしまったとしても、愛している。あたしのヒーローを」
僕はその愛しているという言葉に戦々恐々とした。それって、恋愛感情ってこと? だったら、僕はノーって言わなきゃならないじゃないか。そうでなければ、無敵のイエスマンライフが壊れてしまう。
僕の微笑みが引きつったのを見た田口さんは、微笑みをより柔らかくして僕に言ったんだ。
「好きだ、に対してはイエスかノーかの答えは必要だが、愛している、に対してはイエスかノーかの答えは必要ないぞ。愛しているって、報われない一方的な感情だったとしても、それでもその人のことを想えるってことだからな。だから、そんなに心配しなくて大丈夫だ。それに、さっきお前があたしに言っていたが、あたしはお前の過去を周囲にばらすようなこともしない。あたしは、あたしのやり方で、お前を、あたしのせいで壊れてしまったお前を変えていく」
愛している、か。
そんなこと、初めて言われたな。
両親からも言われたこともない言葉だ。
それを、僕が助けて、それから成長したこの女子に、初めて言われた。
何だか、その言葉は僕をとても安心させた。
その言葉をまっすぐ言える田口さんになら、そこまで警戒しなくてもいいか。
それに、この女子はきっと。
「じゃあ、これは勝負だね」
僕は僕が何をどう言っても、僕の言うことを聞きそうにない田口さんに、微笑みを取り戻して言ってみせた。
「僕が無敵のイエスマンを続けられるか、君が無敵のイエスマンである僕を変えられるか」
「ああ、これは勝負だ」
「負けるつもりは微塵もない」
「あたしも、だ」
そうやって、僕らは笑い合った。
僕は変わらない。
きっと、田口さんが何をやってきたとしても。
僕は今の僕を傑作品だと思っている。
でもね、田口さん。
僕は一つ、お気に入りが増えたよ。
君が僕に言った言葉。
愛している。
相手にイエスもノーも強要しない言葉。
すてきな言葉だ。
僕にとって、それはとても心地よくて。
ああ、君は本当に変わって。
僕とは違って。
強くなったんだね。
初めて、あのとき放課後で、君をいじめから守ったとき。
二人で帰った満月の夜に。
「あたしを助けてくれて、ありがとう……」
か弱くそう呟いた女の子は、もういない。
僕は壊れてしまったが。
だが、それにも意味があった。
君が強くなるための役に立てた。
僕は、それが少し嬉しかったんだ。
それから、僕らはお互いに歌い合った。
それぞれのお気に入りの曲を。
ただ、昨日のクラスの親睦会で母さんに釘を刺されているから。
そんなに長くは一緒にいられなかったけど。
僕は、久しぶりに気負わずに楽しく時間を過ごせたような気がした。
愛しているというその言葉の、想いの心地よさに包まれていた。
翌朝の高校にて。
「おーい、赤崎、国語の宿題見せてくれよー」
高橋君が、相変わらずの軽い口調で僕の机にやってくる。
「ああ、もちろ……」
「あたしのノートを見せてやるよ」
それは、突然だった。
僕と高橋君の会話に割り込んできた田口さんが、ノートを高橋君に差し出した。
「は?」
高橋君は面食らった表情で、田口さんを見た。
「宿題見せてほしいんだろ? 別に、赤崎のノートじゃなくてもいいだろう?」
僕は一瞬呆然としてから、それからすぐに笑みを浮かべた。
「どうしたんだよ、田口さん? 急にそんなこと言われても、高橋君が困ってしまうだろう?」
「いいじゃん、赤崎。お前だって、毎朝、毎朝、宿題見せるの面倒くさいだろう?」
田口さんが僕に笑ってみせる。
「そんなことはないさ」
僕は負けじと言い返す。
「全然迷惑じゃないよ。僕のノートを見たらいいさ、高橋君」
「いいや、あたしのだ」
声は大きくないが、はっきりとそう田口さんは断言した。
はっきりと、僕に対してノーと言ったのだ、このギャルは。
「俺としてはあんまし女子に頼るのは嫌だけどよ……、まぁ、そこまで強く言うのなら……」
高橋君が困惑した声を出して、自分に差し出されてきた田口さんのノートを見つめる。
「んな細かいこと言うなよ。あたしのでいいだろ。持ってけよ」
そう言ってさらにずいっと差し出された田口さんのノートを、ぼりぼりと頭をかきながら高橋君は受け取って自分の机に戻っていった。
教室が少しざわつく。
特に女子たちが、鋭い視線で、田口さんを見ている。
もちろん、僕も鋭い視線で田口さんを見ていた。
いつもの無敵のイエスマンのルーティンを崩されたからだ。
「いきなり、どうしちゃったの、田口さん?」
僕はできる限り、微笑みを浮かべて田口さんに尋ねた。
「勝負、なんだろう?」
そう言われて、僕は昨日の田口さんとのやり取りを思い出す。
そういう、ことか。
僕から無敵のイエスマンの役割を奪っていくつもりか。
そして、僕がもう無敵のイエスマンをやらなくてもいいようにするつもりなのか。
だが、それでは、僕は。
余計なことはしなくてもいいのに。
だが、そうは言えなかった。
僕は無敵のイエスマンだから。
だから、田口さんにさえも、ノーとは言えなかった。
田口さんはそこを見抜いて、僕の武装を解いていくつもりなのだ。
僕はそう直感した。
僕は、焦りと恐怖を感じた。
もしも。
もしも、僕が無敵のイエスマンでなくなったら。
僕は何になるのだろう。
微笑みを崩して途方に暮れた表情を浮かべてしまった僕に、してやったりといった表情で、田口さんは笑ってみせる。
イエスマンの僕とノーギャルの君。
この僕らの勝負の行方が果たしてどうなるのか。
僕は、分からないまま、ただ途方に暮れている僕に微笑んでくる田口さんを見上げていた。
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