無敵のイエスマン

春海

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第二章

第7話  無敵のノーギャル1

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 朝、いきなり、無敵のイエスマンのルーティンを奪われた僕は、それでも調子を取り戻しつつあった。
 昼休みになり、僕は小池君と一緒にお弁当を食べる。
 小池君からの恋愛相談の時間だった。
 小池君は、近いうちに成瀬さんをデートに誘いたいようだった。
 それを僕に応援してほしいと言ってきた。そして、嫌な予感がした僕に、こう頼んできたのだった。

「赤崎君、お願いだから、俺と成瀬さんがデートできるように取り計らってよ」

 僕は、持っていたお箸を少し強く握った。

「じゃあさ、じゃあさ、私がもしも赤崎君を個別に誘ったら、イエスって言ってくれるの?」

 二日前の成瀬さんの言葉が、脳裏をよぎる。
 僕はその言葉にイエスと答えてしまった。
 それなのに。
 小池君とデートしてくれない?
 それはあまりにも直接的な言い方だが、だが、遠回しにでもそんなことを言ってしまえば、いくら恋愛に興味ない宣言をしている僕とはいえど、空気の読めない奴というレッテルを成瀬さんから貼られてしまうかもしれない。
 かといって、ここで僕が小池君のお願いにノーと言えば、それはそれで僕の無敵のイエスマンの立場が危うくなる。
 僕の心は揺れた。
 どうする、どうやって、この場を切り抜ける。
 まるで、詰め将棋でもされているようだった。
 いや、小池君は、二日前、僕と一緒に帰ったときに僕と成瀬さんとの関係について不安を解消したかのように見えたが、それでもやっぱりそれは見せかけだけで不安を残したままだったのかもしれない。
 それで、その不安を完全に解消しようと、僕と成瀬さんが恋人関係になる可能性を完全に排除しようと、仕掛けてきたのかもしれない。
 小池君の大きくも小さくもないその目は、じっと僕の顔を捉えている。
 ここで、これ以上ためらっていては、何か不穏な気持ちを小池君に抱かせるかもしれない。
 僕は背中に嫌な汗をかき始めた。

「話は聞かせてもらった」

 いつの間にだろう。
 僕は愕然として、その声に振り返る。
 僕の背後に立っていた田口さんが、にかっと笑みを浮かべて立っていた。
 小池君も、呆気に取られてぽかんと口を開けている。

「小池は、成瀬のことが好きなんだな?」

 いきなりそう言われて、小池君は慌てて周囲を見回す。

「ちょ、ちょっと、田口さん、いきなりそんな無粋なこと言わないでよ」

 僕も慌てて周囲を見回す。
 幸いにも、成瀬さんや他の女子たちは、お弁当を食べながらお喋りに夢中で、僕らの会話に気づいてはいなかった。
 僕は、ほっとしてから、怖いくらい微笑んで田口さんに言った。

「田口さん、野暮なことは大きな声で言うもんじゃない……」
「嫌だね」

 そうはっきりと言って、田口さんはまたにかっと笑った。

「おーい、成瀬」

 田口さんが、お喋りしている女子集団の中心にいる成瀬さんに向かって手を振って、声をかけた。
 成瀬さんはびっくりした顔で、振り返って田口さんのほうを見る。
 小池君の顔から血の気が引いていくのが見えた。
 僕の顔からも、同様にして血の気が引いていくのが分かった。
 まさか……!

「ちょっ、田口さ……」

 僕が制止しようとした矢先に、田口さんは言ってしまった。

「小池が、成瀬とデートしたいってさー」

 そう言ってしまった田口さんは、相変わらずにかっと笑っていて。
 しかし。
 教室の空気は凍りついた。

「え……?」

 成瀬さんが、少し固まった後、田口さんを見て、それから僕を見て、そして最後に小池君を見た。
 教室中の男子たちと女子たちが成瀬さんと、僕らを交互に見ている。
 小池君は真っ赤な顔になって俯いて、わなわな震えている。
 僕は、呆然と田口さんを見上げて、わずかにも動けずにいた。
 何なんだ。
 何なんだよ、君は。
 このノーギャルは。
 こんなことしてしまえば。
 もう小池君の恋は。
 だって。
 成瀬さんは、
 だから、成瀬さんからの答えは。

「ごめん、小池君。私、他に好きな人いるから」

 その成瀬さんの言葉は、凍りついた空気が支配している教室によく響いた。
 痛いくらいの沈黙が、教室を埋め尽くす。
 小池君は、泣きそうな顔になりながら、唇を噛みしめている。
 僕は微動だにできずに、ただ、この傍若無人のノーギャルを見上げている。

「だってさ、小池。残念だったな」

 あっけらかんとした口調で、田口さんの言葉が沈黙を打ち破った。
 小池君は激怒した表情で田口さんを睨みつけてから、がたんと立ち上がって、弁当箱を閉じて、それから弁当箱と一緒に机の中の教科書も全部通学カバンに入れて、通学カバンを持ってそのまま教室から走り去っていった。

「あんなに、怒ることないのになぁ、また他の恋ができる可能性だって、十分残ってるのに。なぁ、赤崎?」

 何てことをしてくれたんだ。
 僕も、激怒した表情を浮かべて、田口さんを睨みつけた。

「田口さん……」
「何だ、赤崎?」

 相変わらずのあっけらかんとした口調が、僕のいらだちをさらに増幅させた。

「何で、あんなことを……!」

 僕が言葉を続けようとすると、田口さんがそっと僕の耳元に顔を近づけて囁いた。

「でも、あのままじゃあ、お前の立場が詰んでいたかもしれねぇだろ?」

 はっとなって、僕は息をのむ。
 まさか。
 確かに、危うい状況だった。
 空気の読めない奴になるか。
 無敵のイエスマンの実績に傷をつけるか。
 そのどちらかを選ばなくてはならない状況だった。
 僕は、愕然としてにかっと笑う田口さんを見つめる。
 そこまで分かっていて、自分だけ泥をかぶってくれたのか。
 田口さんは。
 このノーギャルは。

「それになぁ」

 田口さんは、教室の窓から晴れた春空を見ながら、変わらずにあっけらかんとした口調で言った。

「他人を頼って恋を成就させようとする奴なんて、たとえその場の告白がうまくいったとしても、結局長続きしねぇと思うんだよね」


 その後、僕は成瀬さんと共に、職員室に向かっていた。今日の放課後にクラスメイトたちに配付するプリントを宮田先生から受け取るためだ。
 成瀬さんは無言だった。
 僕は気まずくて、押し黙ってその隣を歩いていた。
 不意に、成瀬さんの足が止まった。
 僕もそれに気づいて、足を止める。
 隣の成瀬さんは、少し怒ったような表情で、僕を見つめた。

「赤崎君って、小池君から恋愛相談を受けていたの?」

 それは、明らかにとげが混じった声で。
 僕は嘘をつこうとも思ったが、今さら隠しても隠し通せるわけではなかった。
 あれほど、事態があからさまになれば、嘘をつくのはこの場を切り抜けるための最悪の手段だ。

「うん……、そうだよ……」

 僕は悪いことはしていない。
 だって、そうだろう。
 小池君が夏の日に成瀬さんに恋をしたのは、小池君の勝手。
 その小池君が、僕を恋愛相談の相手に選んだのも小池君の勝手。
 そして。
 その気持ちに成瀬さんがノーと言ったのは、成瀬さんの勝手。
 僕は、ただ両者の勝手の間に挟まれていただけ。
 それに、今日は明らかに小池君の切り出し方が悪かった。
 デートの誘いまで、僕に頼ってくるなんて。
 いくらなんでも、僕に頼り過ぎている。
 それでも、僕は無敵のイエスマンだから。
 だから、ノーとは言えなくて。
 僕は成瀬さんの僕に対する気持ちに気づいていながらも。
 それでも、ノーとは言えなくて。
 でも、そこに田口さんが現れて。
 そして。
 結果的に、僕は詰まなくてすんだ。
 僕は、助けられたんだ。
 あの、本来の意味での無敵のノーギャルに。
 結果的には。

「赤崎君ってさ、恋愛に興味ないんだよね?」

 まるで、怒りを抑えるように深呼吸してから、成瀬さんは言った。
 そして、その大きな二重の目で、僕を捉える。

「……うん」

 僕はその目に見つめられてしおらしく答える。

「恋愛に興味ないのに、恋愛相談には乗るんだ?」
「それは……、頼まれたから」
「そう……」

 成瀬さんは僕に失望したのだろうか。
 僕はぞっとする。
 僕の無敵のイエスマンライフが壊れていく。
 そんな予感が。
 だが、違った。
 それよりも、もっと。
 もっと恐ろしいことを、成瀬さんは言った。

「私、怒っているよ、今。赤崎君に。恋愛に興味ないなんて嘘をついていたこと」
「え?」
「そして、ちょっとだけ嬉しいの。赤崎君も、恋愛相談に乗るほどには恋愛に興味があったんだってこと」

 そうして、ようやく微笑んだ成瀬さんは、その言葉を口にした。

「ねぇ、赤崎君、いつか、私、赤崎君を振り向かせてみせるから」

 それは、強い強い決意表明で。
 確かに、その場で答えを求めてくるような言葉ではなかったけど。
 けれど、いつかはその日がやってくることを。
 それを予感させる言葉だった。
 イエスか、ノーか。
 イエスと言えば、僕に好意を寄せている他の女子たちからの気持ちにノーと言うことになり。
 ノーと言えば、あからさまに成瀬さんの想いを拒否したことになり。
 どちらにせよ、僕は無敵のイエスマンではなくなる。
 怖くなる。
 僕は、どうなってしまうんだ。
 これも、あのノーギャルの。
 しかし。
 思いとどまる。
 田口さんが、あの場をかき乱してくれなければ、もっと早期に僕の無敵のイエスマンライフは崩壊していた可能性がある。
 成瀬さんは、今すぐに、僕に答えを求めていない。
 ただ、自分の気持ちを、僕に伝えただけ。
 そういう意味では、僕にとってまだましな結末をこの騒動は迎えたのかもしれない。
 僕は、この無敵のイエスマンであるこの僕は、あの無敵のノーギャルに助けられたのだ。
 僕は、成瀬さんの強い微笑みを見つめながら、頷くこともせずに、ただ曖昧に笑った。
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