謀殺された悪役令嬢は、前世の護衛騎士の幸せを見届けたい

うづき

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2-3.赤の魔女

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 混雑の中を、セレストはすいすいと人の隙間を縫うように動いていく。
 そうして、十分も歩かないうちに、大通りを抜けて、少し路地を歩いた先にある、救民院へ到着した。

 救民院の傍は、静かだ。まるで人が意識して寄りつかないようにしているのか、と思うほどである。
 セレストの高い視点から見ると、救民院の荒れ果てた様相が強く感じられた。庭園は荒れ果て、救民院をぐるりと囲む塀はいくつかが破損している。何かしらの魔法をぶつけられたのか、ねじれたように崩れている部分もあった。

 ロゼがネリーとして転生して、十年。おおよそ九歳を過ぎたくらいの頃から、母親の手伝いをして、救民院へ足を運んでいたのだが、改めて見回してみると、中々散々である。
 王家が買い上げた土地のはずだが、ロゼが死んでから恐らく一切の手が加わっていないのだろう。

「ここって、その、公共地、なんですよね」

 セレストの首元を指先で抱きしめながら、ネリーは囁くように言葉を紡ぐ。セレストは「数年前までは、ね」とだけ続けた。

「……ここは放置され続けていた。王家も手を入れる予定が無かったから、年々――少しずつ荒廃していった。それを見かねて、数年前、俺が買い上げた」
「えっ」

 つまり、今はセレストの私有地、ということなのだろうか。そうなると、ネリーは不法侵入者である。最初に出会った時の、セレストの険のこもった声音もうなずけるというものだろう。どうしてあそこまで殺気のようなものを向けられたのか、ようやく答え合わせが出来たような気分である。

「それは、その、そうだったんですね。ごめんなさい。知らなくて」
「誰にも言っていないし、公表もしていない。それに、札を立てているわけでもないから、気にしないでくれ」

 セレストは言葉を続けて、それから小さく息を零した。

「ここはもう、俺と君以外、訪れる人間の居ない場所だからな」
「……救民院、だったんですよね?」
「そう。人に文字を教え、沢山の物語を話して……、昔は人で溢れていたんだけれど」

 今は見る影もない。セレストは囁くように言葉を続けた。
 そうして、立て付けの悪い扉を開く。中の様相は、以前来た時と変わらない。ただ、きっと、これから先もずっと補修の手が入らないのであれば、遠からず崩壊する可能性はあるだろう。
 風雨にさらされて、かびてしまった床板がたわむ。ゆっくりと地面に下ろされて、ネリーはすぐ感謝を示した。そうしてから、ゆっくりとセレストを見上げる。

 露草色の瞳は、何の感情も映さずにネリーを見つめ返す。そうしてから、ふいに、ふ、と唇の端を持ち上げるようにして、「……あのまま広場にいたら、どうなっていたかわからない」と囁くようにセレストは続ける。

「だから、……実際の所、俺は君に助けてもらったんだろう。ありがとう」
「いえ、そんな、助けたなんて。私は何もしてない……というより、運んで頂いた分、私がお礼をしなくちゃいけませんよ。ありがとうございます」

 ネリーは小さく首を振る。そうしてから、広場の群衆の多さ、そしてそれを制するために派遣された騎士達のことを考えた。
 無論、有名であるテールベルト劇団が、誰の許しもなく演劇を始めた――という線は薄いだろう。この世界において、歌劇や演劇は大衆が楽しめる娯楽の一つである。恐らく、公演の日取り、場所取りなどは余裕を以て国王へ許しを窺っているはずである。だからこそ、当日の混雑を予想し、騎士が派遣されたのだから。

 その混雑を制するための騎士に、セレストが選ばれたこと。それは、ロゼと関係が無いということが知れ渡っているのか、それとも――嫌がらせのような配置なのか。ネリーにはどちらとも想像がつかない。

「……騎士様は、演劇が、嫌いなのですか?」

 言葉を選んで、ゆっくりとネリーは口にする。セレストは僅かに瞬いて、それからゆっくりと首を振った。

「いや、演劇が嫌いなわけではないんだよ。ただ――」

 ただ。そう言葉を落として、セレストは口を噤む。そこから先の言葉を口に出すのを少しためらうように、そっと目を伏せた。グローブに包まれた指先が、放置された椅子の背もたれをゆるく滑るように撫でる。
 前世、ロゼは、よく救民院を訪れて、ここで様々な本を人々に読みきかせていた。それらはきっと、処分されるか、盗まれてしまったのだろうな、と思う。この場所は、がらんどうだ。何も無くて、――必要ともされていない。
 いずれ朽ちていく場所。なんだか、セレストが、この場所と運命を共にしそうな気がして、ぞっとする。

「……ここは、補修、しないんですか?」

 語尾を持ち上げると、セレストは僅かに瞬いた。そうしてから、小さく息を零すようにして、笑う。

「しようとしたんだ。けれど、しようとすればするほど、怖くなってしまって」
「怖い?」
「この場所が、変わってしまうんじゃないか、と思うと、……少し」

 それはきっと、子どもが相手だからこそ出てしまったような、本音とも言える、心情の吐露だった。
 変わるのが怖い――というより、きっと、セレストは、ロゼが居た時から、この場所が変わってしまうことが、恐ろしいのだろう。
 何かに手を加えればその分だけ、ロゼが居た時の形から遠のいてしまう。――セレストは、きっと、ロゼとの関わりを、この廃屋に求めて居たのだ。

 ロゼは、死ぬ前に、何も残していかなかったから。

 ネリーはじっとセレストを見つめる。なんだか、少しだけ泣きそうになってしまった。それを必死に心の奥へ押しとどめるようにして、「騎士様は」と囁く。声が僅かに震えていた。

「失礼ですが、獣人ですよね。運命の方は?」
「ふふ。面白いな、君くらいの年頃は、やっぱりそういった恋のお話が好きなんだな」
「……そ、そうです。好きです。だから気になって」

 話題がぽんぽんと変わってしまっているが、セレストは気にした様子を見せない。あまりネリーという存在との会話に、集中していないのかもしれない。
 ここに居て、ここに居ない。ずっと誰かのことを考えている。恐らくは、ロゼのことを。

 セレストは、主人公である聖女によって、運命の相手を錯覚する獣人である。ならば、せめて、聖女と――いや、聖女は今、王太子妃になっているわけだから、それは難しいかもしれないけれど。ロゼのことを忘れるくらいには、聖女に心を砕いていてもおかしくはないはずだ。それなのに、そうではない。
 セレストは少しだけ躊躇うように間を置いて、それから「運命の人は、居ないんだ」と続けた。

 ネリーは小さく息を呑む。居ない、はずは、無いはずだ。
 聖女は、と問いかけようとして、それを飲み込む。ロゼの名残を探し続けているセレストに、ロゼが失脚する理由となった聖女の名前を出したら、傷に塩を塗るような形となってしまう。ネリーは視線を動かして、それからセレストを見つめた。

「居ない? それじゃあ、その、他の人を好きになったり、とか」
「しない。そうだな、人と獣人だと少し感覚が違うんだろうけれど……、獣人の心は、運命の人の形に空いているんだ」
「……? どういうことですか」
「その相手だけでしか、埋められない心の隙間があって……、そこを他の誰かで埋めることは、出来ないんだよ」

 セレストの尻尾がふわ、と揺れた。銀色の尻尾は、日の光を浴びると柔らかな虹色を反射する。
 美しい毛並みだ。眩いそれに目を細めると同時に、ネリーは小さく息を詰まらせた。そうして、一拍を置いてから、ゆっくりと言葉を口にする。

「寂しくないんですか?」
「寂しいよ」

 問いかけると、間髪入れずに答えが返ってきた。

「寂しい」

 静かな声だ。縋るような声だった。セレストの目が、僅かに揺れる。
 それ以上の追求を断るような、遮るような、そんな吐息を一つだけ零して、「まあでも、良かったら、これからもここを使ってくれて良い」と、言葉を続ける。
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