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5-3.屋根の補修
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ネリーは慌てて、ハンカチを取り出すと、そのままセレストの目元に寄せた。セレストが一瞬驚いたように尻尾を逆立てて、それからゆっくりと瞬く。すると、もう一粒、ぽろ、と眦から零れるように涙が落ちてきた。
露草色の瞳、そこに張られた涙の紗幕が、瞬きの度に落ちてくる様子は、なんともいえない切なさのようなものがある。見ていると、喉の奥に何かが詰まって、それが上手く形にならず、飲み下すことも出来ないような、――そんな、一種の苦しさにも似た切なさだ。
「騎士様」
「……ああ、すまない、……急に……」
泣いてしまって。囁くように言葉を続けて、セレストはネリーが目元に押しつけたハンカチに、指先で触れる。
宝石花を片手に持ったまま、涙を手の甲で軽く拭いた後、セレストは細く息を零した。
沢山の感情を詰め込んだような、そんな――質量のある、吐息だ。
どうして。ネリーは喉の奥が震える。どうして、セレストは、泣いてしまったのだろう。
それも、ロゼとセレストの思い出とも言えるような、青い輝石のような蜜を前にして、泣くだなんて、ネリーには一切理由がわからない。
ただ、恐らくは何かがセレストの心の柔らかな所に触れてしまったのは確かなのだ。――ネリーが良かれと思ってしたことが、セレストの心を爪で引っ掻くように、傷つけた。
疑問がそのまま表情に浮かんでいたのだろう。ネリーと視線を合わせたセレストは、一瞬困ったように眉根を寄せ、素早く視線を逸らした。だが、息を整えるように呼吸を繰り返した後、「この――蜜が」と、僅かに声を震わせる。
「大切な人に贈ったものに、あまりにも良く似ていて」
「……」
「俺の元に、まるで――あの人が戻ってきたように感じてしまったんだ。おかしい話だろう。あの人は、美しい、赤色をしていたのに」
セレストは囁く。ネリーはセレストの喉を見つめた。喉仏が僅かに隆起して、ゆっくりと言葉を吐き出す所を、眺める。
零れ出す思い出を、セレストは自分の意思で止めることが出来ない様子だった。セレストの中に、濁流のように押し寄せる様々な感情が、彼の舌を滑らせている。それは良いことなのか、どうなのか、ネリーには判別がつかなかった。
「……罪を、忘れるな、と言われているのかもしれない。けれど、もし、そうだとしても……どうしようもなく、嬉しくて」
罪。紡がれた言葉に、ネリーは小さく息を呑む。その言葉は、きっと、以前口にしていた、俺のせいで、という言葉に繋がるものなのかもしれない。
セレストに追求する言葉を、喉の奥に押し込む。そうして、じっとセレストを見つめた。
セレストが、一瞬でも痛みを訴えるような顔をしたら止めよう、と、それだけを決意して、セレストの言葉に耳を傾ける。
「光のような人だった。木漏れ日のようで、――鮮烈な赤はどこに居ても輝いて見えた。輝石を贈ったのは、騎士の叙勲を受けた頃だった。これでようやく、恩が返せると思って、多分高揚していたんだろう。その時、ちょうど旅の一座が来ていて、そこで売られていた珍しいと言われていた石を購入して、贈った」
紡がれている言葉には、覚えがあった。前世、セレストが言うように、彼が騎士の叙勲を受けて直ぐの頃。
その時に、あの青色の輝石を渡された。騎士として、一生を賭けてロゼ様を守る、一生貴方の傍に居る、と、熱烈な言葉も貰った覚えがある。
青色の輝石は、多分、あんまり価値の高いものではなかった。それでも、ロゼにとっては、何よりも大切なものになったのである。
ずっと、そう、何を捨てても、何を手放しても、これだけはずっと持っていたい、と思うようなものだったのだ。
「俺の大切な人は、嬉しそうに受け取ってくれた。その時の、幸せを俺は多分、これから先もずっと、忘れない」
それなのに。セレストは喉を鳴らす。そうして、髪の色と同じ彩りの睫毛を震わせた。
今にも泣き出しそうだ。――大切な人、つまりはロゼの話は、どうしても、セレストの心を深く沈めてしまうのだろう。それでも、口に出さずには居られないのだ。
そして、――ずっと、想い続けてしまうものでも、あるのだろう。
ネリーはそっとセレストの傍に近づく。そうしてから、小さな手を伸ばして、セレストの体をぎゅうっと抱きしめた。
セレストの尻尾が僅かに驚いたようにびん、と立つ。多分、驚いていて、それと同時に嫌がっている――かもしれない。けれど、ネリーはどうしても、セレストから体を離すことが出来なかった。
体が勝手に動いた、というべきなのかもしれない。前世も、幼いセレストが泣いている時、ロゼはこうやって抱きしめていた。あの時はロゼの手の中にすっぽりと収まるサイズだったのに、今は違う。ネリーが必死になって手を伸ばして、ようやく自身の指先が触れあうくらいだ。
本当に変わったのだな、と思う。時代は移り変わり、ロゼは悪女として演劇の題目にされ、王太子はもてはやされる。それなのに、セレストだけが、足を止めている。
幸福から背を向けて、ずっと、一人だけで居る。
ネリーは小さく息を飲む。そうしてから、「騎士様」と囁くように言葉を口にした。
「大丈夫です」
「何が……」
「大丈夫。大丈夫です、――大切な人は、きっと、ずっと、騎士様の幸せを願っています」
は、とセレストが息を零すように笑おうとする。だが、それは喜色を伴ったものにならず、気の抜けた音として、空虚な空間に響いた。
木漏れ日が差し込む中、ネリーはそっと手を動かす。ロゼの時、そうやってセレストを抱きしめ、慰めたように。そして、何度も何度も言って聞かせたように、同じ言葉を口にする。
「騎士様が幸せになりますように。私も、祈ります」
露草色の瞳、そこに張られた涙の紗幕が、瞬きの度に落ちてくる様子は、なんともいえない切なさのようなものがある。見ていると、喉の奥に何かが詰まって、それが上手く形にならず、飲み下すことも出来ないような、――そんな、一種の苦しさにも似た切なさだ。
「騎士様」
「……ああ、すまない、……急に……」
泣いてしまって。囁くように言葉を続けて、セレストはネリーが目元に押しつけたハンカチに、指先で触れる。
宝石花を片手に持ったまま、涙を手の甲で軽く拭いた後、セレストは細く息を零した。
沢山の感情を詰め込んだような、そんな――質量のある、吐息だ。
どうして。ネリーは喉の奥が震える。どうして、セレストは、泣いてしまったのだろう。
それも、ロゼとセレストの思い出とも言えるような、青い輝石のような蜜を前にして、泣くだなんて、ネリーには一切理由がわからない。
ただ、恐らくは何かがセレストの心の柔らかな所に触れてしまったのは確かなのだ。――ネリーが良かれと思ってしたことが、セレストの心を爪で引っ掻くように、傷つけた。
疑問がそのまま表情に浮かんでいたのだろう。ネリーと視線を合わせたセレストは、一瞬困ったように眉根を寄せ、素早く視線を逸らした。だが、息を整えるように呼吸を繰り返した後、「この――蜜が」と、僅かに声を震わせる。
「大切な人に贈ったものに、あまりにも良く似ていて」
「……」
「俺の元に、まるで――あの人が戻ってきたように感じてしまったんだ。おかしい話だろう。あの人は、美しい、赤色をしていたのに」
セレストは囁く。ネリーはセレストの喉を見つめた。喉仏が僅かに隆起して、ゆっくりと言葉を吐き出す所を、眺める。
零れ出す思い出を、セレストは自分の意思で止めることが出来ない様子だった。セレストの中に、濁流のように押し寄せる様々な感情が、彼の舌を滑らせている。それは良いことなのか、どうなのか、ネリーには判別がつかなかった。
「……罪を、忘れるな、と言われているのかもしれない。けれど、もし、そうだとしても……どうしようもなく、嬉しくて」
罪。紡がれた言葉に、ネリーは小さく息を呑む。その言葉は、きっと、以前口にしていた、俺のせいで、という言葉に繋がるものなのかもしれない。
セレストに追求する言葉を、喉の奥に押し込む。そうして、じっとセレストを見つめた。
セレストが、一瞬でも痛みを訴えるような顔をしたら止めよう、と、それだけを決意して、セレストの言葉に耳を傾ける。
「光のような人だった。木漏れ日のようで、――鮮烈な赤はどこに居ても輝いて見えた。輝石を贈ったのは、騎士の叙勲を受けた頃だった。これでようやく、恩が返せると思って、多分高揚していたんだろう。その時、ちょうど旅の一座が来ていて、そこで売られていた珍しいと言われていた石を購入して、贈った」
紡がれている言葉には、覚えがあった。前世、セレストが言うように、彼が騎士の叙勲を受けて直ぐの頃。
その時に、あの青色の輝石を渡された。騎士として、一生を賭けてロゼ様を守る、一生貴方の傍に居る、と、熱烈な言葉も貰った覚えがある。
青色の輝石は、多分、あんまり価値の高いものではなかった。それでも、ロゼにとっては、何よりも大切なものになったのである。
ずっと、そう、何を捨てても、何を手放しても、これだけはずっと持っていたい、と思うようなものだったのだ。
「俺の大切な人は、嬉しそうに受け取ってくれた。その時の、幸せを俺は多分、これから先もずっと、忘れない」
それなのに。セレストは喉を鳴らす。そうして、髪の色と同じ彩りの睫毛を震わせた。
今にも泣き出しそうだ。――大切な人、つまりはロゼの話は、どうしても、セレストの心を深く沈めてしまうのだろう。それでも、口に出さずには居られないのだ。
そして、――ずっと、想い続けてしまうものでも、あるのだろう。
ネリーはそっとセレストの傍に近づく。そうしてから、小さな手を伸ばして、セレストの体をぎゅうっと抱きしめた。
セレストの尻尾が僅かに驚いたようにびん、と立つ。多分、驚いていて、それと同時に嫌がっている――かもしれない。けれど、ネリーはどうしても、セレストから体を離すことが出来なかった。
体が勝手に動いた、というべきなのかもしれない。前世も、幼いセレストが泣いている時、ロゼはこうやって抱きしめていた。あの時はロゼの手の中にすっぽりと収まるサイズだったのに、今は違う。ネリーが必死になって手を伸ばして、ようやく自身の指先が触れあうくらいだ。
本当に変わったのだな、と思う。時代は移り変わり、ロゼは悪女として演劇の題目にされ、王太子はもてはやされる。それなのに、セレストだけが、足を止めている。
幸福から背を向けて、ずっと、一人だけで居る。
ネリーは小さく息を飲む。そうしてから、「騎士様」と囁くように言葉を口にした。
「大丈夫です」
「何が……」
「大丈夫。大丈夫です、――大切な人は、きっと、ずっと、騎士様の幸せを願っています」
は、とセレストが息を零すように笑おうとする。だが、それは喜色を伴ったものにならず、気の抜けた音として、空虚な空間に響いた。
木漏れ日が差し込む中、ネリーはそっと手を動かす。ロゼの時、そうやってセレストを抱きしめ、慰めたように。そして、何度も何度も言って聞かせたように、同じ言葉を口にする。
「騎士様が幸せになりますように。私も、祈ります」
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